植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇金沢ふるさと偉人館体験レポート(No.2)

2012-02-28 04:43:53 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その44(No.136)

◇金沢ふるさと偉人館体験レポート(No.2)

2、創造的技術に挑んだ人たち

 ⑤八田與一(はった よいち 1886~1942)
  金沢市今町生まれ、台湾で不毛の大地と呼ばれてい
  た嘉南平原に、堰堤長1273mとういう当時東洋一の
  規模である烏山頭ダムと総延長1600㎞におよぶ給排
  水路を完成させました。この結果、嘉南平原は台湾
  一の穀倉地帯となりました。
  台湾ではこのダムと給排水路をあわせて「嘉南大
  (かなんたいしゅう)」と呼んでいます。八田與一
  は「嘉南大(かなんたいしゅう)の父」として、現
  在も台湾で多くの人々に慕われ続けています。
 ■写真は八田與一コーナー

 ⑥飯盛里安(いいもり さとやす 1886~1982)
  金沢市鶴間谷生まれ

3、日本の真と善を見つめた人びと
 ⑦小野太三郎(おの たさぶろう 1840~1912)
  金沢市中堀川町生まれ


 ⑧三宅雪嶺(みやけ せつれい 1860~1947)
  金沢市新竪町生まれ、本名 雄二郎 (ゆうじろう)
  三宅雪嶺は日本近代を代表するジャーナリストであ
り、哲学者であり、歴史家です。
  「日本及日本人」「女性日本人」など多くの雑誌を
  発行し、論稿を執筆したジャーナリスト雪嶺。宇宙
  に対する見解をまとめた哲学論文『宇宙』などを著
  した哲学者雪嶺。自分の生存した時代に対する歴史
  的考察をした『同時代史』などを著した歴史家雪嶺。
 ■写真は三宅雪嶺コーナー

4、明治3年の奇跡(1)

 ⑨藤岡作太郎(ふじおか さくたろう 1870~1910)
  金沢市幸町生まれ


 ⑩西田幾多郎(にしだ きたろう 1870~1945)
  かほく市(旧河北郡宇ノ気村)生まれ西田幾多郎の
  哲学は東洋思想と西洋哲学を融合させようとしたも
  ので「西田哲学」と呼ばれています。
  西田自身の私生活は家族の死や病気が重なり苦難に
  満ちたものでした。「哲学の動機は人生の悲哀でな
  ければならない」と言っていますが、自分自身の体
  験が「西田哲学」の基本となっています。
 ■写真は西田幾多郎コーナー

 *西田幾多郎記念館ホームページ
  http://www.nishidatetsugakukan.org/


 ⑪鈴木大拙(すずき だいせつ 1870~1966)
  金沢市本多町生まれ、本名 貞太郎 (ていたろう)
  鎌倉の円覚寺で今北洪川、釈宗演に師事、その後ア
  メリカでポール・ケーラスのもとで仏教関係の書籍
  の出版に携わりました。
  帰国後は学習院や大谷大学で教鞭を執り、仏教学者
  として世界に仏教や東洋思想を発信し続けました。
  また、欧米の大学からも招かれ、仏教や東洋思想の
  講義をしました。
  さらに英語や日本語の数多くの著作は世界各国にお
  いて出版されています。文化勲章受章。
 ■写真はコーナー鈴木大拙

 *鈴木大拙館ホームページ
   http://www.kanazawa-museum.jp/daisetz/index.html

金沢ふるさと偉人館ホームページ
http://www.kanazawa-museum.jp/ijin/