金沢の観光スポット体験レポート その44(No.136)
◇金沢ふるさと偉人館体験レポート(No.2)
2、創造的技術に挑んだ人たち
⑤八田與一(はった よいち 1886~1942)
金沢市今町生まれ、台湾で不毛の大地と呼ばれてい
た嘉南平原に、堰堤長1273mとういう当時東洋一の
規模である烏山頭ダムと総延長1600㎞におよぶ給排
水路を完成させました。この結果、嘉南平原は台湾
一の穀倉地帯となりました。
台湾ではこのダムと給排水路をあわせて「嘉南大
(かなんたいしゅう)」と呼んでいます。八田與一
は「嘉南大(かなんたいしゅう)の父」として、現
在も台湾で多くの人々に慕われ続けています。
■写真は八田與一コーナー
⑥飯盛里安(いいもり さとやす 1886~1982)
金沢市鶴間谷生まれ
3、日本の真と善を見つめた人びと
⑦小野太三郎(おの たさぶろう 1840~1912)
金沢市中堀川町生まれ
⑧三宅雪嶺(みやけ せつれい 1860~1947)
金沢市新竪町生まれ、本名 雄二郎 (ゆうじろう)
三宅雪嶺は日本近代を代表するジャーナリストであ
り、哲学者であり、歴史家です。
「日本及日本人」「女性日本人」など多くの雑誌を
発行し、論稿を執筆したジャーナリスト雪嶺。宇宙
に対する見解をまとめた哲学論文『宇宙』などを著
した哲学者雪嶺。自分の生存した時代に対する歴史
的考察をした『同時代史』などを著した歴史家雪嶺。
■写真は三宅雪嶺コーナー
4、明治3年の奇跡(1)
⑨藤岡作太郎(ふじおか さくたろう 1870~1910)
金沢市幸町生まれ
⑩西田幾多郎(にしだ きたろう 1870~1945)
かほく市(旧河北郡宇ノ気村)生まれ西田幾多郎の
哲学は東洋思想と西洋哲学を融合させようとしたも
ので「西田哲学」と呼ばれています。
西田自身の私生活は家族の死や病気が重なり苦難に
満ちたものでした。「哲学の動機は人生の悲哀でな
ければならない」と言っていますが、自分自身の体
験が「西田哲学」の基本となっています。
■写真は西田幾多郎コーナー
*西田幾多郎記念館ホームページ
http://www.nishidatetsugakukan.org/
⑪鈴木大拙(すずき だいせつ 1870~1966)
金沢市本多町生まれ、本名 貞太郎 (ていたろう)
鎌倉の円覚寺で今北洪川、釈宗演に師事、その後ア
メリカでポール・ケーラスのもとで仏教関係の書籍
の出版に携わりました。
帰国後は学習院や大谷大学で教鞭を執り、仏教学者
として世界に仏教や東洋思想を発信し続けました。
また、欧米の大学からも招かれ、仏教や東洋思想の
講義をしました。
さらに英語や日本語の数多くの著作は世界各国にお
いて出版されています。文化勲章受章。
■写真はコーナー鈴木大拙
*鈴木大拙館ホームページ
http://www.kanazawa-museum.jp/daisetz/index.html
金沢ふるさと偉人館ホームページ
http://www.kanazawa-museum.jp/ijin/