金沢の観光スポット体験レポート その410(No.639)
◇兼六園の石物、石碑、記念碑ほか ③
兼六園には虎石、獅子巖、龍石や多くの石碑、記念碑があるので、
今回は由来などが分からないものも紹介します。季節の花々を巡
りながら確認するのも楽しいものです。
■写真はいぼとり石
8)いぼとり石
金沢神社の鳥居のそばにある、青黒いすべすべした楕円形の石。
大きさは縦54cm、横83cm、高さ25cm。いぼの部分をこの石に当
ててこすると、いぼがとれるといわれている。直接こすれない
時は手で石を撫でて、その手でいぼをこする。
石の出自については定かでないが、能登鹿島郡の町屋村にあっ
た石で、最初は馬見所にあったが、後に現地に移されたとか、
町屋村から移したのは12代藩主斉広の正室・真龍院であるなど、
言い伝えられている。
■写真は金沢神社二の鳥居
9)金城麗澤(きんじょうれいたく)碑
金城麗澤横の鳳凰山の岩屋内にある。嘉永4年(1851)建立。
金城麗澤は兼六園の南隅にある湧泉で、芋掘籐五郎が砂金を洗
った所とされ、そこから金沢の地名が起こったとの説がある。
昭和39年(1964)に復元改築された四阿(あずまや)の下か
ら清らかな水が湧いている。
参考資料:石碑でめぐる金沢歴史散歩(北國新聞社)より
■写真は鳳凰山
■写真は金城麗澤碑
10)大屋よしあつ翁之碑
金沢神社参道にある碑で、大屋よしあつは加賀藩士出身で幕末
に長崎などに留学していた地理学者で、石川県における皇国地
誌編纂の中心人物。長町武家屋敷跡に屋敷が現存している。
■写真は大屋よしあつ翁之碑
11)蓮池門旧址(れんちもんきゅうし)
藩主は金沢城からこの門を通って蓮池庭(後に兼六園)へ入った。
藩政時代における兼六園の正門で、百間堀通りに面して残る幅
広い石段に当時が偲ばれる。古図によると石段を登った右側に
番所があり、三十人頭と呼ばれる役人が番をしていた。
■写真は蓮池門旧址
現在は「特別名勝兼六園」の石標が立っているが、13代藩主
斉泰の時代には兼六園の命名者である松平定信の揮毫をもとに
つくられた「兼六園」の扁額(現在は石川県立伝統産業工芸館に
保存)が掲げられていた。ちなみに、それは園内に向けてあり、
藩主の一人のための庭園であるから、外向きにする必要はなか
ったのであろう。
■写真は兼六園の看板
参考資料:「兼六園図鑑」インターネットより
(兼六園の石物、石碑、記念碑ほか 完)