加賀藩ゆかりの地を訪ねる2017 高岡エリア-2
◇富山県高岡市「勝興寺」①(No.1210)
10月7日(土)金沢ボランティアの会まいどさんの16期グループ「よるまっし16」の加賀藩ゆかりの地を訪ねる2017に参加しました。心配された雨も現地ではやみ、山城で有名な増山城址、義経岩・義経伝説、勝興寺、守山城祉を訪ねました。
〇勝興寺概要
勝興寺の起こりは文明3年(1471)、蓮如が越中砺波郡蟹谷庄土山(南砺市土山)に創建した土山御坊で、蓮如の四男蓮誓が置かれた。
その後明応3年(1494)に蟹谷庄高木場(南砺市高窪)へ移転。火災による焼失後、永正14年(1517)、佐渡にあった順徳天皇御願寺勝興寺(殊勝誓願興行寺)を再興、寺号を相続して「勝興寺」 と称した。
永正16年(1519)には安養寺村(小矢部市末友)に移転、蓮誓の次男実玄が安養寺城を建てた。
勝興寺は戦国時代、瑞泉寺と並んで越中一向一揆の中心勢力として猛威を振るったが、天正9年(1581)、5代顕幸の時に石黒成綱に焼き討ちされた。天正12年(1584)、佐々成政が古国府城の土地を越中一向一揆に寄進、顕幸が移ったこの地が現在の勝興寺である。
■写真は境内図
佐々成政が富山の役で敗退した後も、加賀藩前田氏の庇護を受けて境内が整備された。第10代加賀藩主の前田治脩は、藩主を継ぐ以前の若年期に一時出家しており、ここで得度している。
住所:高岡市伏木古国府17番1号
TEL:0766-44-0037
■写真は勝興寺唐門と塀
■写真は本堂
■写真は越中国府碑
■写真は本堂の懸魚(けぎょ)
■写真はカタカゴ群生地
□勝興寺ホームページ
参考資料:宮武利男氏、ホームページ他
(つづく)