先週、お盆で帰省したのに合わせて、東京国立博物館に行ってきました。
特別展“和様の書”展を見学するためです。
どんな展示かというと、展示図録によれば・・・
『和様とは、日本の風土、国民性に合った日本独自の文化を示す言葉です。
そして、和様の書とは、中国風の書に対して、日本風の書のことをさします。
(中略)本展示では、国宝・重要文化財八十六件を含む計一五六件を展示し、
和様の書や宮廷文学の魅力、料紙や工芸など書に関わる多様な日本文化を
紹介します(後略)』
というもの。
kaneurikichiji が見たかったのは、長者ヶ原廃寺跡が建立された頃、最も権力を持っていた人物、藤原道長の日記、『御堂関白記』。
今から1,000年前の人物の自筆の日記ということで、今年6月19日に世界記憶遺産に登録されています。
ま、そのことはともかく、『御堂関白記』は滅多に出展されるものではありません。
しかも前から見たかった、息子頼通(よりみち。この時数えで13歳)が、氏社・春日大社へ祭使として使わされた日の部分。
※この部分については、山中裕著『藤原道長』55~56頁が詳しく解説しています。
ちょうど会期の後半、お盆後に公開されるというので、17日に出かけてきました。
実物を見ると、やはり写真では分からなかったことがいろいろと分かり、勉強になりました。
それはこういうことです。
頼通が春日大社へ赴いた日は、あいにくの大雪。
心配した道長は、頼通のお供、藤原定頼(さだより)の父藤原公任(きんとう)と、和歌のやり取りをしています。
和歌なので、平仮名で記されているのですが、その文字の大きさは漢字よりひとまわり大きかったのが、印象に残りました。
その時だけだったのか、道長だけがそうなのか、分かりません。
けれども、文字を記すという行為の持つ意味、それを明らかにしたいと考えているkaneurikichiji にとって、とても興味深いこととして印象に残りました。
やっぱり、実物を見てみなければと改めて感じた一日でした。
道長と同じ日に亡くなった三筆の一人藤原行成(ふじわらこうぜい)の筆による「白氏詩巻」(国宝)。
3年前、見学したときに撮影したものです。
特別展“和様の書”展を見学するためです。
どんな展示かというと、展示図録によれば・・・
『和様とは、日本の風土、国民性に合った日本独自の文化を示す言葉です。
そして、和様の書とは、中国風の書に対して、日本風の書のことをさします。
(中略)本展示では、国宝・重要文化財八十六件を含む計一五六件を展示し、
和様の書や宮廷文学の魅力、料紙や工芸など書に関わる多様な日本文化を
紹介します(後略)』
というもの。
kaneurikichiji が見たかったのは、長者ヶ原廃寺跡が建立された頃、最も権力を持っていた人物、藤原道長の日記、『御堂関白記』。
今から1,000年前の人物の自筆の日記ということで、今年6月19日に世界記憶遺産に登録されています。
ま、そのことはともかく、『御堂関白記』は滅多に出展されるものではありません。
しかも前から見たかった、息子頼通(よりみち。この時数えで13歳)が、氏社・春日大社へ祭使として使わされた日の部分。
※この部分については、山中裕著『藤原道長』55~56頁が詳しく解説しています。
ちょうど会期の後半、お盆後に公開されるというので、17日に出かけてきました。
実物を見ると、やはり写真では分からなかったことがいろいろと分かり、勉強になりました。
それはこういうことです。
頼通が春日大社へ赴いた日は、あいにくの大雪。
心配した道長は、頼通のお供、藤原定頼(さだより)の父藤原公任(きんとう)と、和歌のやり取りをしています。
和歌なので、平仮名で記されているのですが、その文字の大きさは漢字よりひとまわり大きかったのが、印象に残りました。
その時だけだったのか、道長だけがそうなのか、分かりません。
けれども、文字を記すという行為の持つ意味、それを明らかにしたいと考えているkaneurikichiji にとって、とても興味深いこととして印象に残りました。
やっぱり、実物を見てみなければと改めて感じた一日でした。
道長と同じ日に亡くなった三筆の一人藤原行成(ふじわらこうぜい)の筆による「白氏詩巻」(国宝)。
3年前、見学したときに撮影したものです。