かねうりきちじの横浜・喫茶店めぐり

珈琲歴四十年の中の人が、珈琲豆荷揚げ量日本一を誇る横浜港のある町の喫茶店でタンザニア産コーヒーを飲み歩きます

行成にも筆の誤り

2013年08月27日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
【弘法にも筆の誤り】こうぽうにもふでのあやまり
 (弘法大師のような書道の名人でも書き損じをすることがあるの意)
 その道に長じた人でも、時には失敗をすることがあるというたとえ。


弘法大師、すなわち空海は三筆の一人。

藤原行成は、三筆に続き、今から約1,000年前の平安時代中期の書の名手、小野道風(おののみちかぜ)・藤原佐理(ふじわらのさり)と並んで三蹟のうちのひとり。

その行成も、【弘法にも筆の誤り】があったようです。

おととい紹介した「白詩詩巻」(国宝)、その奥書(青線の部分。おくがき。巻末に書き加えられた文章のことです)



青い部分がそれで、「寛仁二年八月廿一日」と書き記した年月日に続けて、行成の一言が記されています。
 ※寛仁二年は、西暦1018年です。

原文は漢文ですが、読み下すとこう記されています。

 『経師の筆を以て点画し、失う所あり。来者、咲(わら)うべからず。 咲うべからず。』

どんな意味かというと・・・

『お経を写す専門職である経師、すなわち自分の筆で書いていないので、うまく書けていないところがあります。来者(未来の人)、すなわち後の時代にこの書を鑑賞する人々は、どうか笑わないでほしい。』

といったところでしょうか。

多分に謙遜があると思いますが、行成さんには、書きぶりを気にするより、突っ込みたいところがひとつあります。

それは、『寛仁二年』の前の行。

『長和』と書いて、傍点を打っています。

これは、年号を書き間違えたことを表しています。

今と違って、明治以前の元号は頻繁に変わっていましたから、時には書き間違えることもあるでしょう。

kaneurikichiji も昭和から平成に変わった際に、混乱した記憶があります。

が、でもですよ、長和から寛仁に変わって2年目、長和から寛仁に変わったのが4月ですから、1年4か月たっても前の年号を引きずるとは・・・・。

行成にも筆の誤りですね。
コメント
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