【弘法にも筆の誤り】こうぽうにもふでのあやまり
(弘法大師のような書道の名人でも書き損じをすることがあるの意)
その道に長じた人でも、時には失敗をすることがあるというたとえ。
弘法大師、すなわち空海は三筆の一人。
藤原行成は、三筆に続き、今から約1,000年前の平安時代中期の書の名手、小野道風(おののみちかぜ)・藤原佐理(ふじわらのさり)と並んで三蹟のうちのひとり。
その行成も、【弘法にも筆の誤り】があったようです。
おととい紹介した「白詩詩巻」(国宝)、その奥書(青線の部分。おくがき。巻末に書き加えられた文章のことです)。
青い部分がそれで、「寛仁二年八月廿一日」と書き記した年月日に続けて、行成の一言が記されています。
※寛仁二年は、西暦1018年です。
原文は漢文ですが、読み下すとこう記されています。
『経師の筆を以て点画し、失う所あり。来者、咲(わら)うべからず。 咲うべからず。』
どんな意味かというと・・・
『お経を写す専門職である経師、すなわち自分の筆で書いていないので、うまく書けていないところがあります。来者(未来の人)、すなわち後の時代にこの書を鑑賞する人々は、どうか笑わないでほしい。』
といったところでしょうか。
多分に謙遜があると思いますが、行成さんには、書きぶりを気にするより、突っ込みたいところがひとつあります。
それは、『寛仁二年』の前の行。
『長和』と書いて、傍点を打っています。
これは、年号を書き間違えたことを表しています。
今と違って、明治以前の元号は頻繁に変わっていましたから、時には書き間違えることもあるでしょう。
kaneurikichiji も昭和から平成に変わった際に、混乱した記憶があります。
が、でもですよ、長和から寛仁に変わって2年目、長和から寛仁に変わったのが4月ですから、1年4か月たっても前の年号を引きずるとは・・・・。
行成にも筆の誤りですね。
(弘法大師のような書道の名人でも書き損じをすることがあるの意)
その道に長じた人でも、時には失敗をすることがあるというたとえ。
弘法大師、すなわち空海は三筆の一人。
藤原行成は、三筆に続き、今から約1,000年前の平安時代中期の書の名手、小野道風(おののみちかぜ)・藤原佐理(ふじわらのさり)と並んで三蹟のうちのひとり。
その行成も、【弘法にも筆の誤り】があったようです。
おととい紹介した「白詩詩巻」(国宝)、その奥書(青線の部分。おくがき。巻末に書き加えられた文章のことです)。
青い部分がそれで、「寛仁二年八月廿一日」と書き記した年月日に続けて、行成の一言が記されています。
※寛仁二年は、西暦1018年です。
原文は漢文ですが、読み下すとこう記されています。
『経師の筆を以て点画し、失う所あり。来者、咲(わら)うべからず。 咲うべからず。』
どんな意味かというと・・・
『お経を写す専門職である経師、すなわち自分の筆で書いていないので、うまく書けていないところがあります。来者(未来の人)、すなわち後の時代にこの書を鑑賞する人々は、どうか笑わないでほしい。』
といったところでしょうか。
多分に謙遜があると思いますが、行成さんには、書きぶりを気にするより、突っ込みたいところがひとつあります。
それは、『寛仁二年』の前の行。
『長和』と書いて、傍点を打っています。
これは、年号を書き間違えたことを表しています。
今と違って、明治以前の元号は頻繁に変わっていましたから、時には書き間違えることもあるでしょう。
kaneurikichiji も昭和から平成に変わった際に、混乱した記憶があります。
が、でもですよ、長和から寛仁に変わって2年目、長和から寛仁に変わったのが4月ですから、1年4か月たっても前の年号を引きずるとは・・・・。
行成にも筆の誤りですね。