今日は4月1日。
新年度のはじまりの日。
今年のサントリーの新聞広告の伊集院静さんの新社会人へ贈る言葉は『先駆者になれ。』でした。
その一節。
『新しい道が君の前にある。
しかしその道はまだ見えない。
新しい道とは何だろうか。
それはまだ誰も分け入っていない場所に
君の足で踏み込んで
初めてできるものだ。』
そんな人を、先日、東洋文庫ミュージアムで見かけました。

河口慧海です。
今でも日本で用いられている漢訳経典に疑問を抱いた、慧海は、漢訳される前の経典、よりお釈迦様の言葉に近い経典を求めてチベットまで行きます。
当時のチベットは厳しい鎖国体制だったため、日本人であることを隠し、苦労して仏教を学ぶとともにサンスクリット語やチベット語のお経を蒐集し、それを日本に持ち帰ります。
その一部がこれ。

当然人力では間に合わず、馬で運んだようですが、それにしてもヒマラヤ越えはとても大変だったことでしょう。
まさに先駆者。
今の仏教界では少数派かもしれませんが、漢訳経典ではなく、サンスクリット語経典でお釈迦様の教えを追求するのは常識です。
慧海がいたからこそ、常識が常識になったのかもしれません。
先に引用した後にはこうあります。
『そこはまだ闇のような
世界かもしれない。
光も音も感じないかもしれない。
しかし勇気と信念があれば、
必ず光はさしはじめる。
明るい音も聞こえてくる。
新しい道を踏み出せ。先駆者になれ。
そうして誰もまだ見たことのない、まぶしい世界を見せてやろう。』
駅の途中に見えた・・・

岩手山に、kaneurikichiji も 『見せてやろう』と誓ったのでした。
新年度のはじまりの日。
今年のサントリーの新聞広告の伊集院静さんの新社会人へ贈る言葉は『先駆者になれ。』でした。
その一節。
『新しい道が君の前にある。
しかしその道はまだ見えない。
新しい道とは何だろうか。
それはまだ誰も分け入っていない場所に
君の足で踏み込んで
初めてできるものだ。』
そんな人を、先日、東洋文庫ミュージアムで見かけました。

河口慧海です。
今でも日本で用いられている漢訳経典に疑問を抱いた、慧海は、漢訳される前の経典、よりお釈迦様の言葉に近い経典を求めてチベットまで行きます。
当時のチベットは厳しい鎖国体制だったため、日本人であることを隠し、苦労して仏教を学ぶとともにサンスクリット語やチベット語のお経を蒐集し、それを日本に持ち帰ります。
その一部がこれ。

当然人力では間に合わず、馬で運んだようですが、それにしてもヒマラヤ越えはとても大変だったことでしょう。
まさに先駆者。
今の仏教界では少数派かもしれませんが、漢訳経典ではなく、サンスクリット語経典でお釈迦様の教えを追求するのは常識です。
慧海がいたからこそ、常識が常識になったのかもしれません。
先に引用した後にはこうあります。
『そこはまだ闇のような
世界かもしれない。
光も音も感じないかもしれない。
しかし勇気と信念があれば、
必ず光はさしはじめる。
明るい音も聞こえてくる。
新しい道を踏み出せ。先駆者になれ。
そうして誰もまだ見たことのない、まぶしい世界を見せてやろう。』
駅の途中に見えた・・・

岩手山に、kaneurikichiji も 『見せてやろう』と誓ったのでした。