かねうりきちじの横浜・喫茶店めぐり

珈琲歴四十年の中の人が、珈琲豆荷揚げ量日本一を誇る横浜港のある町の喫茶店でタンザニア産コーヒーを飲み歩きます

お経の功徳

2014年04月02日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
河口慧海が日本に持ち帰った経典には、サンスクリット語で記されたものが多く含まれていました。

サンスクリット語とは、お釈迦様の時代、今から約2500年前にはインドで使われていた文章語で、いろいろな文字で書き記されますが、日本では


これは法界寺で見かけた宝篋印塔(ほうきょういんという)です。

こんな感じで表されます。

ちなみに、サンスクリット語、日常語としては使われていないと思いますが、完全に死語となったわけではなく、インドの公用語のひとつとして憲法に定められています

それはともかく、お釈迦様の時代でもサンスクリット語は文章語であって、庶民が日常使用するのはパーリ語だったようです。

そのパーリ語の経典も展示されていました。



経典が入っていたと思しき箱も展示されていたので、珍しいなと思って近づいてみたら・・・・



なんと『大隈重信』とあるではないですか!

どうやら、大隈は、一時期本当にこのパーリ語経典を所蔵していたらしく、箱書きもその時のもののようです。

箱書きによれば、最初に総理大臣になり、その年の内に辞職した翌年の1899年に入手したようです。

そして、その後、河口慧海に渡したようです。

ちなみに、お経はそれを手にして開くと功徳があると言われています。

また、供養とは、もとは尊敬する人物に供物を捧げることですから、大隈はこの貴重なパーリ語経典をお坊さんである慧海に供養したともいえます。

大隈が、その後、大正の世になって、1914年、再び宰相の座に就けたのも、そのおかげなのかもしれません。

コメント
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