長者ヶ原廃寺跡近くの北館桜の開花状況を確認するために、久しぶりに県道13号盛岡和賀線を南下。
途中、以前から気になっていた小さな看板の場所に立ち寄りました。

北上市藤根地区にある平和観音堂というところです。
日露戦争従軍後、教師になり、教え子を軍人に志願させたり、従軍した彼らを激励するために地区の様子を細かく伝えた『眞友』を発刊したりした高橋峯次郎さんが、1945年の敗戦を受け、1951年、私財を投じて建立したお堂です。

敷地には鐘楼があり...

鐘には藤根地区から出征したものの、生きて帰れなかった138名の戦没者の名前が刻まれています。

この鐘は誰でも鳴らすことができます。
私も鎮魂のため、ひと撞きさせていただきましたm(_ _)m
今年は第二次世界大戦が終結して、ちょうど70年。
この節目の年に、『岩手の戦争遺跡をあるく』に掲載されている場所を訪れることとしました。
平和観音堂が掲載されているとは思ってなかったのですが、帰宅後、読み直してみたら26番目に掲載されていました。
途中、以前から気になっていた小さな看板の場所に立ち寄りました。

北上市藤根地区にある平和観音堂というところです。
日露戦争従軍後、教師になり、教え子を軍人に志願させたり、従軍した彼らを激励するために地区の様子を細かく伝えた『眞友』を発刊したりした高橋峯次郎さんが、1945年の敗戦を受け、1951年、私財を投じて建立したお堂です。

敷地には鐘楼があり...

鐘には藤根地区から出征したものの、生きて帰れなかった138名の戦没者の名前が刻まれています。

この鐘は誰でも鳴らすことができます。
私も鎮魂のため、ひと撞きさせていただきましたm(_ _)m
今年は第二次世界大戦が終結して、ちょうど70年。
この節目の年に、『岩手の戦争遺跡をあるく』に掲載されている場所を訪れることとしました。
平和観音堂が掲載されているとは思ってなかったのですが、帰宅後、読み直してみたら26番目に掲載されていました。