今日は日曜日。お休みではあるけれど、野暮用の忙しいkおばちゃん。
一日お疲れ様だったので、ついつい甘いものにはしってしまった。ああ・・
今日出かけた郊外の町の和菓子屋さん。けっして老舗ではなく、昔はどこの町にも1軒はあったような・・というようなお団子やおはぎ、お赤飯なんか売っているお店。kおばちゃんのご近所にもあったけれど・・いつの間にか無くなった。
高齢の店主が店をたたんだんだと思うけど、子どものころから結構好きだったのがこのお年になって認識しました。
で、野暮用で出かけた先の町にあったのでつい懐かしくて色々買い込んでしまいました。
○12月31日(金)
マウサmağusa(ファマグスタ)の町にやってきたkおばちゃんは、長年の憧れの地にやっと辿り着きました。
入り口で入場料を払い、この門を入れば・・
この入り口の上に掲げられているのも、翼を持ったライオン、ベネツィアの守護聖人、聖マルコのシンボルですね。ここもベネツィア支配の時代の遺物です。
入口から中に進みましょう。
目の前にあらわれたのはこんな空間です。
うーーん、kおばちゃんの想像とちと違いました。
そうそう、なんでkおばちゃんがこんなところに来たかったのかという動機をまだ明らかにしていませんでしたね。
実はこの場所は通称『オテロ・タワーOtello Kalesi』と呼ばれている場所です。
オテロとはオセロ呼ばれるシェークスピアの悲劇ですね。で、それを元にオペラが何曲か作られています。
その中でも有名なのは、やはりジュゼッペ・ヴェルディのオペラでしょうね。
イタリアのオベラの場合はOtelloという書き方なので『オテロ』。シェークスピアの戯曲の場合はOthelloなので『オセロ』と呼ばれることが多いようです。
で、オペラのオテロを昔、お手伝いしたことがあって、その舞台が『キプロス』というところであると聞き、訪れてみたなと思ったしだいです。
シェークスピアがもちろんここを訪れたことはありません。もともと彼の話は各地に伝わっていた伝承のような話が元になっているとも聞いていますけどね。
オペラのお話はシェークスピアの物語の第1幕に相当するところがばっさり切り落とされて、激しい嵐のなか、トルコ艦隊を打ち破ったオテロに率いられた船団が島に帰還する処から始まります。
物語の時代は、このマウサがベネチアの支配下似合った時代になっています。
主人公オテロはムーア人でヴェネツィア領キプロスの総督ということになっています。
このオテロ・タワーはもともとはェネツィア支配の前のリュジニャンLusignans朝の1192年に建てられたもののようです。
その後、先ほどの海の門と同様にNicola Prioliによって改修、増補されているようですね。
で、kおばちゃんの想像というのは、あのオテロの物語からの想像で、昨日見学したギルネ城のような大きさを想像していたのですが・・1/4位の広さしかありませんでした。
googleさまのサテライトでみてもこんなもんですからね。
中庭に入って周りを見回すと・・たぶんホールがあった部屋への入り口と思われるものがありました。
なんかいかにも後世に入り口をふさぎました状態ですね。
とりあえず中に入ってみました。
すっかり荒れ果てていますが、高い天井が広間だったことを物語っていますね。
手入れをされていない壁面の隙間には
はとが入り込んで巣をつくってしまっているようです。
荒れただけではなく、変に埋められてしまっているのも・・ちょっとがっかりです。
とりあえず上に登れるようなので、あがってみましょう。
中庭はこれだけの広さしかありませんね。
あちらに見えるは、さっきkおばちゃんがコルドバ爺を止めた教会のある方向です。
こちらは町外れの方向ですね。
そしてこちら側は直ぐ先は海、船が見えます。
さっき覗いたホールはあの部屋ですね。
あの先のほうはどこかに向かっていますね。
有刺鉄線が張られているので、あちらへはゆけませんけどね。
あの、赤い看板はたしか『軍事施設』のマークだと思いました。おお、危ない危ない。
オテロ・タワーは昔も今も軍事の要なんですね。
港はこのように、コンテナ船も入る本格的なものですね。
一日お疲れ様だったので、ついつい甘いものにはしってしまった。ああ・・
今日出かけた郊外の町の和菓子屋さん。けっして老舗ではなく、昔はどこの町にも1軒はあったような・・というようなお団子やおはぎ、お赤飯なんか売っているお店。kおばちゃんのご近所にもあったけれど・・いつの間にか無くなった。
高齢の店主が店をたたんだんだと思うけど、子どものころから結構好きだったのがこのお年になって認識しました。
で、野暮用で出かけた先の町にあったのでつい懐かしくて色々買い込んでしまいました。
○12月31日(金)
マウサmağusa(ファマグスタ)の町にやってきたkおばちゃんは、長年の憧れの地にやっと辿り着きました。
入り口で入場料を払い、この門を入れば・・
この入り口の上に掲げられているのも、翼を持ったライオン、ベネツィアの守護聖人、聖マルコのシンボルですね。ここもベネツィア支配の時代の遺物です。
入口から中に進みましょう。
目の前にあらわれたのはこんな空間です。
うーーん、kおばちゃんの想像とちと違いました。
そうそう、なんでkおばちゃんがこんなところに来たかったのかという動機をまだ明らかにしていませんでしたね。
実はこの場所は通称『オテロ・タワーOtello Kalesi』と呼ばれている場所です。
オテロとはオセロ呼ばれるシェークスピアの悲劇ですね。で、それを元にオペラが何曲か作られています。
その中でも有名なのは、やはりジュゼッペ・ヴェルディのオペラでしょうね。
イタリアのオベラの場合はOtelloという書き方なので『オテロ』。シェークスピアの戯曲の場合はOthelloなので『オセロ』と呼ばれることが多いようです。
で、オペラのオテロを昔、お手伝いしたことがあって、その舞台が『キプロス』というところであると聞き、訪れてみたなと思ったしだいです。
シェークスピアがもちろんここを訪れたことはありません。もともと彼の話は各地に伝わっていた伝承のような話が元になっているとも聞いていますけどね。
オペラのお話はシェークスピアの物語の第1幕に相当するところがばっさり切り落とされて、激しい嵐のなか、トルコ艦隊を打ち破ったオテロに率いられた船団が島に帰還する処から始まります。
物語の時代は、このマウサがベネチアの支配下似合った時代になっています。
主人公オテロはムーア人でヴェネツィア領キプロスの総督ということになっています。
このオテロ・タワーはもともとはェネツィア支配の前のリュジニャンLusignans朝の1192年に建てられたもののようです。
その後、先ほどの海の門と同様にNicola Prioliによって改修、増補されているようですね。
で、kおばちゃんの想像というのは、あのオテロの物語からの想像で、昨日見学したギルネ城のような大きさを想像していたのですが・・1/4位の広さしかありませんでした。
googleさまのサテライトでみてもこんなもんですからね。
中庭に入って周りを見回すと・・たぶんホールがあった部屋への入り口と思われるものがありました。
なんかいかにも後世に入り口をふさぎました状態ですね。
とりあえず中に入ってみました。
すっかり荒れ果てていますが、高い天井が広間だったことを物語っていますね。
手入れをされていない壁面の隙間には
はとが入り込んで巣をつくってしまっているようです。
荒れただけではなく、変に埋められてしまっているのも・・ちょっとがっかりです。
とりあえず上に登れるようなので、あがってみましょう。
中庭はこれだけの広さしかありませんね。
あちらに見えるは、さっきkおばちゃんがコルドバ爺を止めた教会のある方向です。
こちらは町外れの方向ですね。
そしてこちら側は直ぐ先は海、船が見えます。
さっき覗いたホールはあの部屋ですね。
あの先のほうはどこかに向かっていますね。
有刺鉄線が張られているので、あちらへはゆけませんけどね。
あの、赤い看板はたしか『軍事施設』のマークだと思いました。おお、危ない危ない。
オテロ・タワーは昔も今も軍事の要なんですね。
港はこのように、コンテナ船も入る本格的なものですね。