Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

歴史を見守る無花果(マウサ)

2011-02-10 19:43:36 | キプロス
今晩は雪が降ると大騒ぎしております。
これから連休なんですけど・・kおばちゃんはちょいと野暮用があったりして余り関係ありませんが・・お休みの日にお天気が悪いのはがっかりですね。

九州の宮崎、鹿児島は噴火で大変だとか。降灰が水分を含むと偉いことですよね。
特に高齢者の多い地域は灰の処理が大変な負担になっているとか・・

で、kおばちゃん不思議に思うことがありました。
それは・・今暇であろう大学生のボランティアをなぜ積極的に活用しないかということです。
今は入試のシーズンだから学校はお休みの所が多いですよね。
先日の新聞記事によると、最近の就職活動で重要視されるのが『ボランティア活動』だとか。で、その点数を稼ぐ為にわざわざ外国にボランティアをするツアーが組まれていてそれに参加する学生が多い・・とありますた。

だったら、なにも外国に行かず、国内で活動をすれば良いのに。
で、ついでに旅行客のキャンセルで悲鳴を上げている『旅館』を借り切って、みんな大部屋につっこんで、食事は朝も晩もバイキング形式にでもして宿泊コストを押さえて・・2食込みで5000円程度。だいたい1週間でローテーションできるような連泊で、その間のシーツ交換もしないで安く押さえる。

昼間は各地域で後輩処理のボランティア・・で、夜は温泉で休むツアーなんてやったら良いのに・・と思ってるんですけどね。

若者が入ると活気がつくしね。
旅館は営業収益は上がらなくても、知名度と貢献度がアップするんじゃないでしょうかね?
こういうことは迅速にやらないと意味無いしね・・

何でこういうツアーを仕切らないんだろうな?と思ってるkおばちゃんです。

○12月31日(金)

マウサmağusa(ファマグスタ)の城壁のほぼ中央に建っていると思われる『Lala Mustafa Paşa Mosque』はもともとはキリスト教の大聖堂だったようです。


その名も・・St Nicholas Cathedral聖ニコラウス大聖堂だったそうです。
1298年から1312年にかけて、フランスのランスの大聖堂(ランス・ノートルダム大聖堂Cathédrale Notre-Dame de Reims)をモデルに造られたそうです。もともと、Lusignan はフランスの出ですもんね。

1571年のオスマンとの戦いにおいて大破してしまったそうです。で、ここでエルサレムの陥落(1187年)以降『Kingdom of Jerusalemエルサレム王国』の戴冠式を行い、Lusignan家は『エルサレムの王』と名乗っていたとか。

そういえば、薔薇窓がおフランスしていますよね。

このジャミーの前は広場のようになっています。


そして丁度、ジャミーの反対側に門のような物があります。


一見すると門のようなのですが・・ちょっと違う??


2重の構造になっています。

このエンブレムの上にいるのも翼を持ったライオンですかね?

ここは門ではなくて王宮だったところのようです。Palazzo del Proveditore (The Royal Palace)
1369年のPeter IIの時まで使われていたんでしょうか。
その後、地震で大破してしまい、オスマン征服後は『刑務所』として使用されていたとか。

この門のようなものをくぐったさきにあるこのあたりは宮殿の内部で、あちらはまた別の建物だったんでしょう。


この建物は昔の建物を利用してある見たいです。

振り返ってジャミーを臨むとこんな感じです。


こちらもかな崩れてますが・・教会だったんじゃないでしょうかね?


大きな窓がなんとなくステンドクラスを連想させます。


宮廷内だったと思われる場所は公園のようになっており、このように大砲の玉が本物も交えておいてあります。


面白いなと思ったのは木の生え方。よっぽど片側からの風の吹き方が強いんでしょうか?


木と言えばこのジャミーの前に茂っている木は大変長生きの古木だそうです。1220年にはもう植えられていたとか。800年近くの歳月を生きているらしいです。
アフリカの北東部によく見られる木で エジプトいちじく (エジプト無花果) という木だとかFicus sycomorus。

この複雑なキプロスの歴史をずーーと眺めてきたんですね。

そろそろ、コルドバ爺のところに戻りますかね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする