今日は暖かかったかな?まあ、あわてて朝、薬を飲んできたのでなんとか治まっています。お鼻のほうですが。
昨日ニュースを聞いていて・・判らなかったのが、高速道路の通行料金のニュースでどうして一般人(レジャーで車を使う人)の話ばかりするかということ。
だって、高速道無料化っていうのは、そもそも物流コストを押さえる効果うんぬんかんぬんをM党さんは唱えてたんじゃなかったっけ?
それを、マスゴミもすべて忘れたふりして、一般使用者の利便性ばかり言うんでしょうね?
そもそも、物流コストはどうなってるの???
なんかこれも、有権者へのばら撒きにしかおもえないんですけどね。
高速道利用の一般利用者の経済効果なんて殆どないんじゃないでしょうかね?香川の人が言ってました。
高速が値下がりして関西圏から車にのってくる観光客はただ『うどん』を食べにくるだけで、宿泊もしなければみやげ物も殆ど買わないとか。
土日の交通量が増えただけ。地元の経済効果なんかまったくない・・ってね。
たぶんそんな程度の感じでしょうね。
ガソリンの消費と空気の汚染に拍車をかけるだけだと思いますけどね。
○12月31日(金)
さてさてサラミス遺跡をさまようkおばちゃん。
勝手にたよりにしていた3人組の姿が・・・
あ。いたいた!よかった!!こっちでよかったんですね。
おお、これは海の方向に歩いているんですね。あの向こうに見えるのは・・もしかするとヴィローシャVaroschaと言う町でしょうか?
現在はゴーストタウン。それは例のキプロス紛争の勃発のために、所有者のギリシャ系キプロス人が帰れないから・・もぬけの殻の町になっているとか。
おっと、うかうかしているとまた迷子になります。ストーカーのkおばちゃん、頑張ります。
すると、目の前にこんな光景が現れました。
さっきの遺跡よりはまだ『遺物』が多いようですね。
でも、大きさはさっきのアゴラの半分もないかな?
そして、冒頭の画像のように海から直ぐ側の場所にあります。
一番海に近い東側だったとおもいますが、このようなモザイク模様が残っています。
ちょっと大きくしていましょう。
ここは案内板によるとKampanopetra(campanopetra)の聖堂とでもいうんでしょうかね。
5世紀後半ユスティニアヌス1世 Justinianus Iの頃建てられたものだそうです。その当時キプロスで一番美しいキリスト教の大聖堂だったようです。
大聖堂だけではなく、その付属物として集会場や宿泊施設も備えていたんでしょうね。
ただ、その建築物は後に17世紀のアラブ(オスマン)の進入によっては会されてしまったようです。
この辺りは南方向でしょうか。壁も少々残ってます。
初期キリスト教にとってはキプロスはパウロ最初の宣教旅行の同行者バルナバの出身地キプロスのサラミスに到着した・・とあるように大切な場所だったのではないでしょうかね。
南側にはこのようなところもあります。
ここに残っているこの四角い長細い箱状の物はなんでしょうね?
中味はからっぽですけどね。
脇にはこのような小さなお花のような彫りこみがありあました。
ここは1964年からリヨン大学のフランスチームが発掘調査していたようですが、例のキプロス紛争で1998年1月まで中断されてしまったようです。
海のそば・・そしてこの海の向こうはエルサレムへと続いています。約200キロほどでしょうか?
だから、このあたりかもしれませんね。パウロが上陸して伝道を行ったのは・・
神様は東の方向からやってきたのかもしれません。
足元にはこんなちいちゃな植物も可愛い可愛いお花をつけていました。
あれれ・・また3人組を見失ってしまったkおばちゃんです。
昨日ニュースを聞いていて・・判らなかったのが、高速道路の通行料金のニュースでどうして一般人(レジャーで車を使う人)の話ばかりするかということ。
だって、高速道無料化っていうのは、そもそも物流コストを押さえる効果うんぬんかんぬんをM党さんは唱えてたんじゃなかったっけ?
それを、マスゴミもすべて忘れたふりして、一般使用者の利便性ばかり言うんでしょうね?
そもそも、物流コストはどうなってるの???
なんかこれも、有権者へのばら撒きにしかおもえないんですけどね。
高速道利用の一般利用者の経済効果なんて殆どないんじゃないでしょうかね?香川の人が言ってました。
高速が値下がりして関西圏から車にのってくる観光客はただ『うどん』を食べにくるだけで、宿泊もしなければみやげ物も殆ど買わないとか。
土日の交通量が増えただけ。地元の経済効果なんかまったくない・・ってね。
たぶんそんな程度の感じでしょうね。
ガソリンの消費と空気の汚染に拍車をかけるだけだと思いますけどね。
○12月31日(金)
さてさてサラミス遺跡をさまようkおばちゃん。
勝手にたよりにしていた3人組の姿が・・・
あ。いたいた!よかった!!こっちでよかったんですね。
おお、これは海の方向に歩いているんですね。あの向こうに見えるのは・・もしかするとヴィローシャVaroschaと言う町でしょうか?
現在はゴーストタウン。それは例のキプロス紛争の勃発のために、所有者のギリシャ系キプロス人が帰れないから・・もぬけの殻の町になっているとか。
おっと、うかうかしているとまた迷子になります。ストーカーのkおばちゃん、頑張ります。
すると、目の前にこんな光景が現れました。
さっきの遺跡よりはまだ『遺物』が多いようですね。
でも、大きさはさっきのアゴラの半分もないかな?
そして、冒頭の画像のように海から直ぐ側の場所にあります。
一番海に近い東側だったとおもいますが、このようなモザイク模様が残っています。
ちょっと大きくしていましょう。
ここは案内板によるとKampanopetra(campanopetra)の聖堂とでもいうんでしょうかね。
5世紀後半ユスティニアヌス1世 Justinianus Iの頃建てられたものだそうです。その当時キプロスで一番美しいキリスト教の大聖堂だったようです。
大聖堂だけではなく、その付属物として集会場や宿泊施設も備えていたんでしょうね。
ただ、その建築物は後に17世紀のアラブ(オスマン)の進入によっては会されてしまったようです。
この辺りは南方向でしょうか。壁も少々残ってます。
初期キリスト教にとってはキプロスはパウロ最初の宣教旅行の同行者バルナバの出身地キプロスのサラミスに到着した・・とあるように大切な場所だったのではないでしょうかね。
南側にはこのようなところもあります。
ここに残っているこの四角い長細い箱状の物はなんでしょうね?
中味はからっぽですけどね。
脇にはこのような小さなお花のような彫りこみがありあました。
ここは1964年からリヨン大学のフランスチームが発掘調査していたようですが、例のキプロス紛争で1998年1月まで中断されてしまったようです。
海のそば・・そしてこの海の向こうはエルサレムへと続いています。約200キロほどでしょうか?
だから、このあたりかもしれませんね。パウロが上陸して伝道を行ったのは・・
神様は東の方向からやってきたのかもしれません。
足元にはこんなちいちゃな植物も可愛い可愛いお花をつけていました。
あれれ・・また3人組を見失ってしまったkおばちゃんです。