Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

ローマ時代のスポーツジム(サラミス)

2011-02-12 23:59:13 | キプロス
今日はとっても寒い。
で、おおばかなkおばちゃん、お鍋を火に掛けたままるすにしてしまいまして・・帰ってきたらお鍋の中のものが炭になっておりました。
お家がすみにならなくて良かった・・
次からは絶対に気をつけます。

○12月31日(金)

サラミス遺跡の見学を始めたkおばちゃん。とりあえず向かった先こんなところ。


立派な柱がぐるりと残っている。

でも、ここに入る前にちょっと右側の方へ方向転換。


廃墟のようだが何か残っていそうです。道が付いています。


中に入り込むと冒頭の画像のような景色になりました。
手前にある八角形のものは水がたまるところのようです。

床もモザイクとまでは行きませんがタイルが残っています。

その先の部屋はちょっと珍しい構造になっています。


床の下に柱が林立してます。柱の構造もちょとお目にかかったことがないような・・


なんでもここはギリシャ・ローマ時代の蒸し風呂。スチーム・バスだそうです。
この床の下を蒸気がとおっていたようです。

で、こちらにもある八角形のくぼみは冷たいプールだったようです。

蒸し風呂でほてった体を冷やすためのものだったのでしょう。

こちらの一角にはずらりと像がならんでいました。


この像右手前は凛々しい男性像ですが、


左奥のほうは麗しい女性像です。


これらが当時の理想のプロポーションだったのでしょうか?

そのさきは先ほどそとから見た柱がぐるりと並んだ一角です。


真ん中におおきな太い柱のあとがありますね。

等間隔に見事に残ってます。


ここは体育館とでもいうんでしょうか。

ギムナジウムだったところだそうです。

足元にはこのように無造作に天辺の部分が転がってたりします。


なんか鋭利な刃物で切り落とされたようにもみえますね。

こちらはちょっと石の材質も大きさも違うようです。


あら、こんな変わった形のものがありました。


ハート型ですね。どこかコーナーの土台だったんでしょうか?


こちらのほうはプールだったのでしょうか。床の模様は美しい。


で、こちらは・・44人が一度に使用できたというトイレでしょうか?


画像の順番がよくわかっておりませんで・・

それにしてもこちらは、現代でもあるスポーツジムのようですね。
体を鍛え、各種のお風呂に入って・・

人間の基本はかわらいということですね。
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お車のままどうぞ(サラミス)

2011-02-11 23:59:29 | キプロス
今日はやっと一日のんびり出来る・・と思ったら何だかだらけてしまった。
外は最初は雨・・後雪。で、夕方には庭も白くなり始めた。
明日お出かけしなきゃいけないkおばちゃんにとってはぜんぜんありがたくないんだけど・・

で、だらだら一日している。
夕べお仲間と話していて・・最近まで休職していたお仲間の話になって、完ぺき主義はいけない・・という結論。
まあ、いけないといわれていてもこれも性格。だからよけい葛藤するんでしょうね。

不完ぺき主義のkおばちゃんとしては・・爪の垢をもらわないとね。

○12月31日(金)

さて、マウサmağusa(ファマグスタ)の見所は・・まだありますが、殆どが『教会の廃墟』じゃないかと思っているkおばちゃん。
なんせ、ベネチアが支配していた時代は、貴族たちはこぞってその富の明かしと信仰深さの証明として教会を建立し寄進していたとか。だからこの城壁の中に沢山の教会が建っていたという話ですもんね。

でも、キプロス戦争で荒廃してしまって・・ただの廃墟になってしまっているのであまり見学の価値は内容に思っているので、もうこれでマウサの見学は引き上げることにしました。

それに考えてみたら、今見てきた『王宮の後』というのが、オペラ『オテロ』の舞台だったのよね。タワーのほうじゃなくて・・なんて思ったりして、もうこれで十分です。

お昼は過ぎていたのですが・・どうもお腹はあまり空いていません。
とりあえず、コルドバ爺を止めた前のカフェでなにか・・とも思ったのですが、お客さんが入っていない・・と入りにくい。
で、ま、良いか・・でコルドバ爺に乗り込んで次の目的地に向かうことにしました。

といっても・・はっきりした場所もルートもわかっていません。ただ、今いるところよりも北、そして海のそばということだけです。
まあ、適当なkおばちゃんですからあまり悩みません。とりあえず出発!で左側に海を感じながら走っていたつもり・・だったのですが、どうも一箇所間違えたようで、引き返して・・なんとかそれらしき案内板(しかもトルコ語じゃなくて英語でかいてある)ものを発見して、入り込んだ道を驀進します。

やっと行き止まりになり目の前に飛び込んできたのはこんな風景でした。


夏だったら、最高の海水浴場なんでしょうね。遠浅の感じがします。

でも、kおばちゃんの目的地はこんなとこじゃ無いはずです。と思ったらあちらから車が・・


おそるおそるkおばちゃん、そちらの方向にコルドバ爺を進めます。

お、入り口があってなんか書いてありますね。ゲートも見えます。


おお!ここだここだ!

チケット売り場とおぼしき小屋があります。kおばちゃん、『一人ください』とチケットを購入。
すると、ゲートの遮断機が上がりました。あ、コルドバ爺ごと回れるのかしら・・なんてサファリパークのような感覚に陥ってしまいました。

でも考えがあまった・・少し走ったら駐車スペースとなり、それ以上は乗り入れ禁止でした。ま、それもそのはずですよね。
だってkおばちゃんの目的地はここサラミス遺跡Salamis Antik Kentiなんです。遺跡に車乗り入れはさすが何でもアリのくにでもねえ・・

googleさまだと一応ピンクの矢印のところにコルドバ爺を止めました。

他にも1台止まっていましたが、もう見学お終いでしょうかね。


ここに遺跡の全体地図がありました。

結構広いです。短いコースと長いコースがありました。さてどっちにしよう・・
とりあえず青い短いコースにしておきましょう。あっちですね。まずは・・


ここ、サラミスはその名が示すとおり、サラミスの海戦で有名なギリシャのサラミス島Σαλαμίς Salamísとの関係も示されていますが、一番古くは紀元前11世紀の青銅器時代からの歴史があるようです。
また、キリスト教流布のために、パウロが上陸したところとして知られており、その状況は『新約聖書 使徒言行録 13章5~8節』に描かれているということです。

でも、ここの遺跡として残っているものの大部分はローマ時代のもののようです。

kおばちゃんの他に見学者がいなくなってしまいました。


あそこでしっかりとコルドバ爺は待っていてくれてます。

そうそう、コルドバ爺は走行距離こそ大ベテランですが、結構良い走りをしてくれていて安心安心です。

だんだん遺跡らしい景色になってきました。


だんだん楽しみになってきました。

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歴史を見守る無花果(マウサ)

2011-02-10 19:43:36 | キプロス
今晩は雪が降ると大騒ぎしております。
これから連休なんですけど・・kおばちゃんはちょいと野暮用があったりして余り関係ありませんが・・お休みの日にお天気が悪いのはがっかりですね。

九州の宮崎、鹿児島は噴火で大変だとか。降灰が水分を含むと偉いことですよね。
特に高齢者の多い地域は灰の処理が大変な負担になっているとか・・

で、kおばちゃん不思議に思うことがありました。
それは・・今暇であろう大学生のボランティアをなぜ積極的に活用しないかということです。
今は入試のシーズンだから学校はお休みの所が多いですよね。
先日の新聞記事によると、最近の就職活動で重要視されるのが『ボランティア活動』だとか。で、その点数を稼ぐ為にわざわざ外国にボランティアをするツアーが組まれていてそれに参加する学生が多い・・とありますた。

だったら、なにも外国に行かず、国内で活動をすれば良いのに。
で、ついでに旅行客のキャンセルで悲鳴を上げている『旅館』を借り切って、みんな大部屋につっこんで、食事は朝も晩もバイキング形式にでもして宿泊コストを押さえて・・2食込みで5000円程度。だいたい1週間でローテーションできるような連泊で、その間のシーツ交換もしないで安く押さえる。

昼間は各地域で後輩処理のボランティア・・で、夜は温泉で休むツアーなんてやったら良いのに・・と思ってるんですけどね。

若者が入ると活気がつくしね。
旅館は営業収益は上がらなくても、知名度と貢献度がアップするんじゃないでしょうかね?
こういうことは迅速にやらないと意味無いしね・・

何でこういうツアーを仕切らないんだろうな?と思ってるkおばちゃんです。

○12月31日(金)

マウサmağusa(ファマグスタ)の城壁のほぼ中央に建っていると思われる『Lala Mustafa Paşa Mosque』はもともとはキリスト教の大聖堂だったようです。


その名も・・St Nicholas Cathedral聖ニコラウス大聖堂だったそうです。
1298年から1312年にかけて、フランスのランスの大聖堂(ランス・ノートルダム大聖堂Cathédrale Notre-Dame de Reims)をモデルに造られたそうです。もともと、Lusignan はフランスの出ですもんね。

1571年のオスマンとの戦いにおいて大破してしまったそうです。で、ここでエルサレムの陥落(1187年)以降『Kingdom of Jerusalemエルサレム王国』の戴冠式を行い、Lusignan家は『エルサレムの王』と名乗っていたとか。

そういえば、薔薇窓がおフランスしていますよね。

このジャミーの前は広場のようになっています。


そして丁度、ジャミーの反対側に門のような物があります。


一見すると門のようなのですが・・ちょっと違う??


2重の構造になっています。

このエンブレムの上にいるのも翼を持ったライオンですかね?

ここは門ではなくて王宮だったところのようです。Palazzo del Proveditore (The Royal Palace)
1369年のPeter IIの時まで使われていたんでしょうか。
その後、地震で大破してしまい、オスマン征服後は『刑務所』として使用されていたとか。

この門のようなものをくぐったさきにあるこのあたりは宮殿の内部で、あちらはまた別の建物だったんでしょう。


この建物は昔の建物を利用してある見たいです。

振り返ってジャミーを臨むとこんな感じです。


こちらもかな崩れてますが・・教会だったんじゃないでしょうかね?


大きな窓がなんとなくステンドクラスを連想させます。


宮廷内だったと思われる場所は公園のようになっており、このように大砲の玉が本物も交えておいてあります。


面白いなと思ったのは木の生え方。よっぽど片側からの風の吹き方が強いんでしょうか?


木と言えばこのジャミーの前に茂っている木は大変長生きの古木だそうです。1220年にはもう植えられていたとか。800年近くの歳月を生きているらしいです。
アフリカの北東部によく見られる木で エジプトいちじく (エジプト無花果) という木だとかFicus sycomorus。

この複雑なキプロスの歴史をずーーと眺めてきたんですね。

そろそろ、コルドバ爺のところに戻りますかね。

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金曜礼拝(マウサ)

2011-02-09 19:21:25 | キプロス
今日のお天気はめまぐるしかった。
朝は・・小雨・・で雪、お昼からはお日様が。天気予報どおりといえばそうナンですけどね。

それに花粉も少々・・あーいやだ。

朝の電車の中での出来事。kおばちゃんのおとなりにいた女性が突然『ちかんです』と声を上げたんだけど・・ホントにそうだったのかな??
そのあとは、次の駅につくまでだんまり。その女性は次ぎの駅で降りて言ったのだが『込んだ電車だからった痴漢しないでください』と言い放っただけだった。

痴漢行為をしたという男性はそのまま電車にのってたけど・・う・・ん・・どっちかな??

以前も同じような状況にあったことがあるけど、そのときは痴漢行為をした人を被害者の女性は告発して駅員さんに突き出して言ったのだけど・・今回のは??

確かに今日はものすごく混んでいた。混んだ電車に乗る極意は・・乗り込んだら絶対に動かないこと。手もむくめて、もぞもぞしない。バランスが悪いようだったら電車のゆれにあわせて徐々に態勢を変えて行く・・だとおもうんですけど。
最近の若者は自分の居場所の権利を主張したくってグイグイと押してくる輩がいるけど、こういうときに誤解されかれないですよね。

被害を訴えた女性、まだ20代前半にみえたけど・・ホントに痴漢だったのか、それとももぞもぞされたのを誤解したのか・・kおばちゃん的にはどっちもどっち・・なんて思ってます。

あ、お年よりのkおばちゃんは痴漢の表的にはなりませんね。

○12月31日(金)

『オテロ・タワーOtello Kalesi』の見学はもうお終いにしましょう。思ったほど大きくも無かったし・・・
なによりも廃墟だったのにはがっかりでしたけれどね。

窓口でもらった案内には(最初は渡すのを忘れられていました)ベネチア時代の壁の内側に黒いラインで描かれた中世の壁という標記がみえます。


もう一度ベネチアのシンボル、翼のあるライオンのレリーフの下をくぐり外に出ました。


お次は何処へ・・向いましょうか?

このニャンコ、さっきkおばちゃんが塔に入る時に一緒に入ってきたニャンコですね。一緒にでましょう。


そういえば、さっきコルドバ爺を止めた直ぐ脇になにやら由緒ありげな『廃墟』がありましたね。

再び海の門の前を通って行きましょう。

コルドバ爺は無事のようですね。

いえ、あそこはレストランの前というか・・だから長時間止められないんじゃないかと思っているのですが、パーキングメーターもみあたらないし・・ただし一番端の方はタクシー専用という標記だけは見たんですけどね。
レンタカーもコルドバ爺の他にも1台だけは止まっていたので・・その付近の住民専用では無いと思うのですがね。ちょっと気になったりします。

さっき気になったのはこの『廃墟』です。表に回ってみましょうかね。


こちらの方が少々人出がありますね。


ちょっとした広場になっています。


広場にはまた別のニャンコ達がいました。早速日本から持ってきた小魚を・・みんな必死に捜してます。


こちら側からだと随分と立派な佇まいです。

それに・・『塔』がついています。アレはどうみてもイスラム寺院の塔、ミナレットですよね。
ということは・・ここはモスク??のようです。
丁度、礼拝時刻の告知するアーザンが始まり・・町中に響き渡り始めました。
すると・・あらら続々と集まってきます。それも男性ばかり・・

ここは『Lala Mustafa Paşa Mosque』モスクでした。後から見た時は廃墟かとおもいましたけどね。

子どもも大人も集まってきました。

中にいるこの方がアーザンを響かせているんですね。ちょっと喉自慢だったりして・・


そういえば、今日は金曜日。たしかムスリムにとって金曜日の礼拝は大切なものだと聞いたことがあります。
キリスト教で言えば『日曜日』みたいに。だから皆、モスクに説教を聞きにゆくのだと・・

調べて見たら、定められた集団礼拝(サラート=ル=ジュマァ)の日だそうで、これはムスリムととしての義務。ただし、男性にだけ課せられた義務だそうです。
で、かねてから疑問に思っていたこともわかりました。『金曜礼拝』の日が稼動日かどうか・・ということですが、全能の神アッラーは、自らの天地創造の仕事に疲れなんてことはないので『安息日』はないそうです。
だから、礼拝の前に仕事をちゃんとするんですって。

こちらでは礼拝前にお清めではありませんが、手足を洗って清めることをウドゥーWudu:abdestとよばれるそうです。


蛇口から流れ出る水を右手のひらに受けて、バスマラを唱え、両手を手首まで三度洗う→ 右手に水を受け三度口をすすぐ→右手に水を受け三度鼻孔に吸い込み、すすぐ→ 顔を額の髪の生えぎわからあごまで、また両耳のところまで三度洗う→ 右腕次い左腕を、肘のところまで三度洗う→ ぬれた両手のひらで頭を前から後になでおろす→ ぬれた指で両耳孔と外側をぬぐうのがよいとされている(随意)→右足次いで左足をくるぶしまで水を注ぎながら三度、指の間までよく洗う。

こんな複雑な規定があるんですね。これも宗派によって微妙にことなるようですけど。

残念。礼拝中は建物の中には入れませんからね。
そうそう、今日は金曜日で大晦日ということを改めて思い出したkおばちゃんです。
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兵どもが夢の跡(マウサ)

2011-02-08 22:47:26 | キプロス
夕べ新聞を見ていたらローザンヌ国際バレエコンクールの日本人入賞者の記事をみつけた。
その下に優勝者の名前があったのだが・・ブラジルからのMagri Mayaraさんとあった。

ブラジルのバレエといえば以前見た番組のOnly When I Dance(跳べ!世界へ ~リオの“リトル・ダンサー”~)で、リオの貧困地区の子どもにバレエの道をひらいているMariza Estrella女史を取りあげているましたが、その中でこの地区出身の男の子のダンサーがローザンヌで優勝していた・・とやっていたのを思い出しました。

...Magri Mayaraさんがこの地区の出身かどうかは知りません。

ベネズエラにあるEl Sistema というプロジェクトで育った貧困地区の青年達が音楽界で羽ばたいている姿をみるにつけても、子どもの才能を生かすって大切だと思いますね。

それにしても・・今の首相の答弁『いまやろうとしてるんです!』って子どもじゃないんだからさ。
まるで、『勉強しなさい!』て親に言われた答えのような答弁ばかりでなさけなや。

○12月31日(金)

マウサmağusa(ファマグスタ)のオテロ・タワーOtello Kalesiの見学はまだ続きます。
城壁の上の部分?から下にまた降りてきました。


中庭のようなところです。画面左側はさっき見たホールのような天井の高い室内の建物です。

この中庭、あまり広くありません。テニスコート半面くらいでしょうか?壁に沿ってこんなものがおいてあります。


その昔は大理石の柱状のものがあったのでしょうかね?


明らかに壁と石質がちがいますね。

こんなものも立てかけてあります。イタリア語?でしょうか??


Victolという単語しかわかりませんでした。

こちらに無造作に転がっているのは・・


400年の風と雨の中にさらされた大砲。これは銃口に沿って鉄の輪があるのでトルコ式のようです。


ごろごろと転がっているのは砲弾。ほとんどが鋳鉄のようです。

こちらはさっきのホールの建物の入り口ですが・・


このように首のない像が何気に立ってます。


こちらはその建物と反対側の部分・・だったと思いますが・・入り口からして『部屋』という感じではありません。


中に入ると・・このようなトンネル状になっているだけです。

振り返えってもこんな感じです。

こちらはまた別の部分の建物?ですが・・

やはりこのようなトンネルのようになっています。横からの窓がありません。
その代わり?天井に明り取りのような孔があいています。これがさっきkおばちゃんが城壁の上でみた孔ですね。

その上、入口はこのように小さいのです。

これは何でも防衛上の構造だとか。たしかに窓が多いと、建物としてはもろいですからね。
これらの構造はベネチアの支配下にあったときにやってきたレオナルド・ダビンチの助言に従ったとか。

そうそう、このオテロ・タワーの外壁の『塔』の部分も、丸みを帯びた構造になっています。
これも、敵からの襲撃があったときに、玉があたりにくい・・というためにこういう構造になったということです。

ところでこれはちょっと新しい感じがしますね。

国連平和維持軍がはいってからのものでしょうかね?

狭い(ギルネ城にくらべたら)構造でありながらも、無造作に過去の遺物が転がっているさまをみると『兵どもが夢の跡』という言葉を思い出したkおばちゃんです。
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キプロス紛争の爪跡(マウサ)

2011-02-07 23:50:26 | キプロス
きし麺地方の選挙が終わったそうで・・その結果は予想通り。
結局日本の国民は『ノー』という意思表示はできるのだが、じゃあどうしたいの??という具体策は出せない、というか人のやったことに文句いうだけで作り上げるドジョウが無いんでしょうね。

最近の政府の方向は、経済に関して言えば『消費税率の引き上げ』ばかりいっているけど、これこそ日本の国民に一番嫌がられる増税の方法。
もし、本当に税収を上げたいのであれば、流通産業をもっと大事にすればよいのだと思うのですけどね。
最近の政策はその逆、いかに流通業を『中ぬき』して物流させるかの話ばかり。

ちょっと考えれば、たとえば生産者から100円のものを消費者に流通させた場合、生産者が直接消費者に渡してしまえば、5円の消費税しか国庫にはいらないけど、それが卸業者、仲卸業者、商店と3段階を経れば、儲けの分は別にしてそのたびに5円ずつの消費税が発生するンと違いますかね??20円の税収ですよね?

消費税率を上げるよりも効率よいのじゃないですか?そのうえ、業態が色々発生して雇用も発生すると思うんですけど。

なんでもコンパクトなんて言葉で片付けて、6次産業なんて言葉も作り出しちゃうようじゃあ・・末端の消費税しか考えないの変だと思うkおばちゃんです。

○12月31日(金)

長年の憧れの地マウサmağusa(ファマグスタ)のオテロ・タワーOtello Kalesiの見学をはじめたのですが・・ほんと規模が思ったより小さいにです。
廃墟に近い『小さな砦』という感じです。

この様に大部分が天井も抜けてしまっています。

ふと下を見ると、古い石に混ざって、なにやら新しい『石』が見えます。なんでしょう。


これが異質な感じがしました。

不精してズームしてみました。

1974(7?)年7月28日と一番天辺に彫ってあるように見えます
その下のエンブレムをはさんだUNの文字。これは国連軍のことではないでしょうかね?

年号が1974年ということは無いとは思うのですが・・というのは、その1974年7月に起こった出来事で現在の分断されてしまったキプロス島の姿になってしまったからです。

地中海貿易の中継地点として、古代から栄えてきたキプロス。
しかし、それは島の統治の歴史でもり、近年、オスマン帝国誕生後はおおむね2つの文明、キリスト教(ギリシャ系)とイスラム教(トルコ系)が交錯していたのですよね。微妙なバランスをとりながら。

ところが1974年7月15日にギリシャ軍事政権の支援を受けた併合強硬派がクーデターを起こしてマカリオス大統領を追放したことをきっかけに、トルコはトルコ系住民の保護を名目に7月20日キプロスに侵攻。
これにより7月22日にクーデター政権が崩壊。しかしこれを期に、トルコ軍はキプロス分割問題の解決をしようと8月13日に第二次派兵。それ以降首都ニコシア以北のキプロス北部を占領、トルコの支持を得たトルコ系住民は1975年、キプロス共和国政府から分離してキプロス連邦トルコ人共和国を発足させ・・

年号が1974年というキプロス紛争勃発の年なんです。停戦が発効したのは1974年8月16日。
ですから、国連平和維持軍UNFICYPがここマウサに進攻してくるのはもっと後だと思います。

一昨年の南キプロスでは、高速道路などでよくこの国連平和維持軍UNFICYPの車を見かけましたが、こちら北キプロスではまだお目にかかったことがありません。
(UNFICYPのお仕事はここにあります。)(トルコ軍のキプロス進攻についてはここにあります)

石の真ん中に書かれているのは・・人のなまえでしょうか?判りません。どなたかご存知でした教えてください。

キプロスの現在の姿はこの様に南北に別れ北の赤い部分が北キプロストルコ共和国Kuzey Kıbrıs Türk Cumhuriyetiと呼ばれる部分です。


こちらの地図は Wikimedia Commonsからのものです。1960年ころのトルコ系とギリシャ系の人口の分布を示しているそうです。


本とはこんなに混在していたのよね。

紛争の種なんて、どちらかが悪いというものではないと思います。だからkおばちゃんには何もいえませんけど。

城壁に囲まれたこの町そのもだって、過去からの人間の紛争の象徴ですものね。

ここから、さっきkおばちゃんがみた、海の門の『海側』が見えますね。


こちら側は、先ほど見た北キプロス軍の施設です。あら、下に門があったんですね。


城壁の上にはうっすらと草が茂っています。


反対側を眺めると、船がすぐそこに・・オテロの率いた軍船もこんな感じで見えたのでしょうか?


そうそう、生えている草はこんな感じです。乾燥している地にへばりついてるようです。


これは所々に開いている『穴』です。明り取りでしょうか?でも雨がふったらねえ・・


こちら側は砦の向こう側にさらに壁があります。

石組みのハザマから見える風景は平和そのものなんですけど、紛争の解決はなされてないんですよね。
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オテロタワーは今も昔も軍事拠点(マウサ)

2011-02-06 22:32:00 | キプロス
今日は日曜日。お休みではあるけれど、野暮用の忙しいkおばちゃん。
一日お疲れ様だったので、ついつい甘いものにはしってしまった。ああ・・

今日出かけた郊外の町の和菓子屋さん。けっして老舗ではなく、昔はどこの町にも1軒はあったような・・というようなお団子やおはぎ、お赤飯なんか売っているお店。kおばちゃんのご近所にもあったけれど・・いつの間にか無くなった。
高齢の店主が店をたたんだんだと思うけど、子どものころから結構好きだったのがこのお年になって認識しました。

で、野暮用で出かけた先の町にあったのでつい懐かしくて色々買い込んでしまいました。

○12月31日(金)

マウサmağusa(ファマグスタ)の町にやってきたkおばちゃんは、長年の憧れの地にやっと辿り着きました。
入り口で入場料を払い、この門を入れば・・

この入り口の上に掲げられているのも、翼を持ったライオン、ベネツィアの守護聖人、聖マルコのシンボルですね。ここもベネツィア支配の時代の遺物です。

入口から中に進みましょう。

目の前にあらわれたのはこんな空間です。


うーーん、kおばちゃんの想像とちと違いました。

そうそう、なんでkおばちゃんがこんなところに来たかったのかという動機をまだ明らかにしていませんでしたね。
実はこの場所は通称『オテロ・タワーOtello Kalesi』と呼ばれている場所です。
オテロとはオセロ呼ばれるシェークスピアの悲劇ですね。で、それを元にオペラが何曲か作られています。

その中でも有名なのは、やはりジュゼッペ・ヴェルディのオペラでしょうね。
イタリアのオベラの場合はOtelloという書き方なので『オテロ』。シェークスピアの戯曲の場合はOthelloなので『オセロ』と呼ばれることが多いようです。

で、オペラのオテロを昔、お手伝いしたことがあって、その舞台が『キプロス』というところであると聞き、訪れてみたなと思ったしだいです。
シェークスピアがもちろんここを訪れたことはありません。もともと彼の話は各地に伝わっていた伝承のような話が元になっているとも聞いていますけどね。

オペラのお話はシェークスピアの物語の第1幕に相当するところがばっさり切り落とされて、激しい嵐のなか、トルコ艦隊を打ち破ったオテロに率いられた船団が島に帰還する処から始まります。
物語の時代は、このマウサがベネチアの支配下似合った時代になっています。
主人公オテロはムーア人でヴェネツィア領キプロスの総督ということになっています。

このオテロ・タワーはもともとはェネツィア支配の前のリュジニャンLusignans朝の1192年に建てられたもののようです。
その後、先ほどの海の門と同様にNicola Prioliによって改修、増補されているようですね。

で、kおばちゃんの想像というのは、あのオテロの物語からの想像で、昨日見学したギルネ城のような大きさを想像していたのですが・・1/4位の広さしかありませんでした。

googleさまのサテライトでみてもこんなもんですからね。

中庭に入って周りを見回すと・・たぶんホールがあった部屋への入り口と思われるものがありました。


なんかいかにも後世に入り口をふさぎました状態ですね。

とりあえず中に入ってみました。

すっかり荒れ果てていますが、高い天井が広間だったことを物語っていますね。

手入れをされていない壁面の隙間には

はとが入り込んで巣をつくってしまっているようです。

荒れただけではなく、変に埋められてしまっているのも・・ちょっとがっかりです。

とりあえず上に登れるようなので、あがってみましょう。

中庭はこれだけの広さしかありませんね。


あちらに見えるは、さっきkおばちゃんがコルドバ爺を止めた教会のある方向です。


こちらは町外れの方向ですね。


そしてこちら側は直ぐ先は海、船が見えます。


さっき覗いたホールはあの部屋ですね。


あの先のほうはどこかに向かっていますね。


有刺鉄線が張られているので、あちらへはゆけませんけどね。

あの、赤い看板はたしか『軍事施設』のマークだと思いました。おお、危ない危ない。


オテロ・タワーは昔も今も軍事の要なんですね。

港はこのように、コンテナ船も入る本格的なものですね。
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海からの玄関(マウサ)

2011-02-05 22:46:01 | キプロス
今日はお休み。しかし・・暖かくなりそうなので花粉症の薬をもらいに行きました。

まだまだピークではありませんけどね。
アレルギー症状が出始めたらたまりませんから。

寒くはないけどお日様がちょっと寂しい。

で、表に出たら・・・このところの乾燥気候で地面がぱさぱさになってるところがあるのだけれど・・そこにニャンコの○ンチが・・
あのね、ここ砂場と違うよ!いったい何処の野良の仕業か!

午後からのお出かけのついでには・・ついついお気に入りのタイのお惣菜屋さんで高カロリーの物体を仕入れてしまった。ああ・・

○12月31日(木)

マウサmağusa(ファマグスタ)の町を歩きはじめたkおばちゃん。
実は目的の場所はあるのですが・・そこに辿り着く前にもちょっと見かけた気になるところに寄ってみましょう。それがここです。


ここはPorta del Mare (Sea Gate) といわれるもの。いわゆるここ城壁都市のマウサの海からの玄関口にあたるようです。
ベネチアの支配下にあった 1496年、Nicola Prioliによって製作されたとか。その時に城壁も増補されたようです。

しかし残念ながらこの門は現在使用されていないし・・回収中??


この門は城壁の一部になっているので、つくりとしては『塔』のようになっており、上に登れます。


上部からの眺めは・・当然海側が望めます。


ここが天然の良港であったことは、比較的大きな船がぐそこに接岸されているのでもわかります。


ここでも若者が記念写真をとりまくってます。


実はこの門は海側からのアプローチのほうが特徴があるそうです。


こんな感じで・・これは後ほど訪れた場所から撮ったものですけどね。

入り口の上部に掲げられているのはライオン。
これはベネツィアの守護聖人、聖マルコのシンボルである翼をもったライオンの大理石の利レリーフです。

実はkおばちゃんのいるい城壁の内側にもころがっていたのですが・・気がつかなかった・・あまりにぼろぼろなのと・・ひょこっと転がっていたので。

だって、その上で子どもたちをのっけて記念写真なんかとってましたから。
このようにね。

ここからお借りした全身図です。

しかし、このライオンの口に手をおくと巨万の富を得ることができる・・という伝説はしりませんでした。
だから手をつっこんでいないkおばちゃんは・・・相変わらず貧乏脱却できません。

さあ、いよいよ大本命に向かいましょう。こっちですね。


この傍らにあるのも教会の残骸でしょうかね。


城壁沿いに歩いてゆきます。


あ、あそこですね。入り口が見えます。


3年来の憧れ??の地にやっと到着です。
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なんとなく中心地(マウサ)

2011-02-04 23:28:01 | キプロス
今日は比較的暖かいよう。こうなると心配なのが・・花粉症。
とりあえず、火曜日に危なくなったので薬を早めにのんではあるんですけどね。

ここのところ騒がしいのが相撲の話。
まえまえから『うわさ』のたえなかった賭博、と『貸し借り』の話。
もともと、相撲が紳士的なスポーツだなんて思ってないし、勝負事には掛けは自然発生てきに付いてくるものだとおもっているのだが、それを『神聖なもの』に祭り上げちゃったのが間違いじゃないんでしょうかね。

いっそのこと『サッカーくじ』じゃないけど、国営ギャンブルにしたほうが税収があがって良いんじゃないかなんて考えたりしてね。

それにても『八百長』という名称、いまでこそ賭け事全般で『わざと負けること』をさして言われているけれど、その語源はここによると『相撲の勝負』というんだから・・ねえ。

○12月31日(金)

さてさて、 ベシパルマック・ダウBeşparmak Dağlarıを越えたkおばんですが出発してきたのは『A』

これから向かうところは『B』の場所です。

ルートはピンクのラインです。

googleさまのサテライトでみると・・高い山があるのがわかりますよね。

これが ベシパルマック・ダウBeşparmak Dağları五指山ですね。

この黄色いラインの道を走りました。


googleさまでも、ここキプロスではルート検索の機能が働きません。
たぶん、ナビ情報がないのでしょう。
で、ここでは原始的に『ヘッドボード』だけがたよりです。

そのヘッドボードを頼りに辿り着いたのは『B』の場所です。

たどりついたのはファマグスタFamagustaトルコ語でガーズィマウサGazimağusaと呼ばれる街です。
一般的にはファマグスタのほうが通用していますが、kおばちゃんとしてはガーズィマウサもしくはマウサmağusaと認識していましたので・・今回はその名前で・・
『ヘッドボード』にはその名前が書いてありましたしね。

この町ガーズィマウサは、紀元前300年には古代にはエジプトのプトレマイオス朝の女王にちなみアルシノエと呼ばれていたそうです。その後「砂に隠された」という意味のアンモコストスと呼ばれるようになり、西ヨーロッパでは「ファマグスタ」に変化し、トルコ語で「マウサ」(Mağusa)に変化したということらしいです。

ちなみにアルシノエ4世はクレオパトラの妹で、去年kおばちゃんがエフェソスを訪問する動機を与えてくださったかたですよね。若くして『殺されて』しまった方で、でお墓参りをしました。

アルシノエという漁村であったこの港、キプロス島のなかでも水深の深い水辺にあるその地形から港として発展していったようです。

1192年、島の支配がフランスのリュジニャン家に移ったことが大きな転換点となったそうです。
リュジニャンの最初の王はここを城壁をもつ安全な街に造りかえることとしたからです。
そしてその目論見はあたり、地中海東部のキリスト教の町としては、裕福な町へと発展を続けてったそうです。
がその富を狙い1372年にジェノヴァ共和国が、1489年にヴェネツィア共和国が港を襲撃したおそうです。
この町の裕福な商人たちはそろって教会を寄進して建てたということで、これらは現在も残り観光名所になっているそうです。
また、1481年に訪問したレオナルドダビンチの助言に従って、町の城壁はさらに高くされたといわれているそうです。

1570年から1571年にかけ、オスマン軍による13ヶ月の包囲と恐ろしい砲撃に耐えたのだが、陥落。後、町はオスマン帝国の一都市として変貌していったということです。

1878年のベルリン会議により、イギリスがキプロス島の施政権を獲得したため、ファマグスタはイギリスの支配下となり、トルコ系住民は旧市街、ギリシャ系住民はヴェロシャ地区と棲み分け。
第二次世界大戦中には、ホロコーストから生還したユダヤ人5万人を収容するキャンプが置かれ、収容されたユダヤ人たちはイギリス領パレスティナへその後移住したそうです。

と、なんと波乱万丈な町がマウサです。

実は前にも書きましたが・・一昨年キプロスを旅行した時に『行きたい』と思っていながら辿り着けなかった町なのです。
昨年も諸般の事情であきらめましたし・・ということで、今回の旅の第一の目的はこのマウサの訪問でした。
やっと、辿り着けたkおばちゃんですが、町の状態が今ひとつわかっていません。

とりあえず手元のガイドブックの地図に駐車場のマークがひとつ書いてあるので、城壁の中にコルドバ爺と一緒に場内に入りました。

しかし入ったら、当てにしていた駐車場は一方通行の出口のように反対側。
しかたがないので、町の様子を知るためにも適当に走ることにしました。本と適当です。
何処を走っているのか・・トンとわかりませんでしたが、なんとなく賑やかで車の駐車している地区があり、しかも1台分だけあいていたのでコルドバ爺を駐車させました。


うーん、ここは何処だ??とりあえず、あっちの方向に行って見ましょう。


斜め後ろにはなにやら由緒ありげな、教会の遺構のような建物が・・


とりあえずkおばちゃんの本能は前に進め・・そっちがきっと海だ!と叫んでいましたのでそちらに向かいます。

と、見つけたのは冒頭の画像の町の地図。

で、よーく見ると・・・kおばちゃんの野生の感もあながち捨てたモンではありませんでした。


コルドバ爺で進んできたのはオレンジ色の矢印のライン。で、駐車したのは赤丸のところ。
ということで、どんぴしゃの真ん中に辿り着いていたのであしました。

振り向くと、さっきの教会の遺構が見えます。結構大きな教会だったようですね。


さてさて、とりあえずここに登ってみましょうね。
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ベシパルマック・ダウを越えて

2011-02-03 19:21:00 | キプロス
今日は昨日に比べたら暖かい。お日様偉大!

夕べニュースを見ていて感じたこと。
エジプトのニュースで、反政府のデモ隊と政府支持者立ちとの間で30分前に小競り合いが発生した・・とある局のニュースが伝えている同じ時刻で、別の局は長々エジプトとアメリカの関係をトークしてたんですけど・・なんか時差ありすぎない??あれはニュース番組じゃないと確信いたしました。

ま、日本のマスゴミさんはその程度なんでしょうね。

とあるサイトの解説で、フーーンと思ったのはエジプトのイスラム教の立場。
かの地では1割のキリスト教コプト派を除けば抱いた数がイスラムのスンニ派だとか。で、今回の反政府運動の影に、まったくイスラムの影が現れないのは・・現大統領に保護されてきたから・・という見解がのっていた。
なるほどね。と持った次第。大統領派が崩壊すれば・・そっちの方が不都合ということでしょう。

まあ、何でも都合の良いように解釈してしまうあの宗教にはkおばちゃん付いて行けません。
(こんなこと言ったら『ぼうとく法』にふれて告訴されたりして・

●12月31日(金)

今日は今年最後の日。大晦日であります。
夕べはゆっくりと休めたので、元気を取り戻したkおばちゃんであります。


起きて空を見たら・・トルコの国旗そしてここ北キプロスの国旗にも描かれているお月様がきれいに浮かんでおりました。

朝食は・・昨日スーパーで仕込んできたサンドイッチとバナナでさくっと済ませました。

実は今日のご予定こそ、今回の旅行のメインか??と思うところであるので、さくっと行動したかったのですが・・メールのチェックなんかしたりしてまたぐずぐずです。

ホテルはカジノホテルでもあるので朝は割りと静かです。kおばちゃんのお部屋は玄関の斜め上かな?


夕べあれほど見かけた車も・・いなくなっていますね。

あ、奥に見える建物は・・住宅です。ここのホテルの社宅?かもしれません。

今日の目的地は・・昨日のレンタカー屋さんのお姉さんによると・・2時間位距離が離れているそうです。高速道路も一部あるようですが・・殆どは国道のようなところを走ります。
お姉さんに注意を聞くと『法廷速度を守ってね。取締りがよくあるから』と釘をさされました。

従って今回発の長距離ドライブです。昨年のトルコドライブ旅行に比べれば大した距離じゃありませんね。

しかしながら、昨年のトルコで学習したとおり、ナビはもちろん使いません。というか・・データーがありません。
いちおうIpadgはあるので、いざとなったらローミングで現在地は判るかなとは思いますが・・ととりあえずは、昨日インフォメーションでもらった地図を頼りに行くことにしました。

まずは・・昨日降り立ったエルジャン空港を目指します。30分ほど・・と言ってましたがまあkおばちゃんの場合は1時間くらいは予定しています。

走り始めて20分もたたっていなかったでしょうか?景色が段々変わってきたのにびっくりです。

夕べは夜中に到着したので真っ暗であたりがまったく判りませんでしたが・・多聞ここを通ったのよね・・と思うところは・・物凄い山岳道路です。

目の前に結構高い山がそびえています。まさかアレを越す?????ようです。

一人しか載っていなkおばちゃんのコルドバ爺、大丈夫??と俄かに心配になりました。
殆どセカンド・・でしか上れません。いえ、ゆっくりならねえ。
でも、なんせい1車線しかない道路。後からずんずん来ます。そのうえ、へビのようにのたくっております。追い越させてあげることも出来ません。
小心者のkおばちゃんこういうときにあせるのよね。必死に走ります。

どうもkおばちゃんの越えている山は ベシパルマック・ダウBeşparmak Dağlarıと言う名前のキプロス島に160kmに渡って連なっている山岳のようです。 このBeşparmakと言う名前は『5本の指のような』という意味らしいです。
その連なり方が5本の指のようだから名付けられたのでしょうね。

キプロスの山といえばトロードスしか知らなかったのでちょっとびっくり下のと同時に、夕べはレンタカーじゃなくてよかった!と思ったのでありました。

あの山岳道路を夜中に走ったら・・とおもったねえ。

とりあえず、1山越えてカメラを出す気になったkおばちゃんです。


あーーびっくりした。
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見つからないキプロスワイン(ギルネ)

2011-02-02 18:47:20 | キプロス
今日はお日様が出ない分寒い。
夕べは、久々に日本酒たんとお飲みになったkおばちゃん。でも良いお酒でした。

お腹が空くのは困るけどね。
だって、液体の炭水化物たくさんとってるはずなのにね。

エジプトの政変はどうなるのでしょうね?
軍が民衆と対立もしないけれど、味方にもつかない。でも、下手に味方について『軍事政権』なんてことになったらアメリカさんはもっと大変だろうから、いま一生懸命大統領を説得中でしょうかね。

昨日も話題になったけれど、『引退』というか『引き際』って難しい。
しかも『引退』してからの、付き合い方。距離感というか・・その辺りがとっても尊敬すべき方がいらっしゃるのだが・・ちょっと『別の部分』で困ったチャンになっているのもねぇ。

エジプトの件もロシアのように『傀儡政権』となりそうな雰囲気が市民は感じてるんでしょうね。
わが国民も『自○政権に反対』のスローガンはよかったのだが・・なにぶんにも感情にはしって、中味のない政党に運営をゆだねちゃったんだからね。
今頃気がついてもおそいですよ。

○12月30日(木)

さ、ギルネの旧港のまわりは十分に探索した気がするのでコルドバ爺の所に戻ります。
街角で見かけた床屋さん。

『Yildirim』って『雷』って言う意味のようですが・・うーーん、男は雷のように鋭くかっこよくでしょうかね。

さて、コルドバ爺は蕪辞に駐車場でkおばちゃんを待っていてくれました。
お次は何処へゆこう。そうそう、レストランに入るにはちょっと気がひけるので夜ご飯もお部屋で頂きましょう。
それにしても・・飲み物がない。
さっきスーパーでお買い物をした時は、徒歩だったので重たいお飲み物は最小限にしたんでした。

ということで、先程のスーパーにコルドバ爺と向いました。大きな駐車場もついてるしね。

店内の目立つところの棚にお目当てのモノはありました。

あら、シャンペンまで売っていますが・・もちろん『モドキ』でしょうね。
kおばちゃんもじっくり??品定め。というか値段を見比べて・・2本ほど入手しました。
いえ、これからの予定を考えるとね。何時買えるかわからないし・・

でも、売り場で気がつきました。一昨年訪れた『南キプロス』ではよく見かけていた『キプロス産』ワインがみつからないのです。おかしな・・
独断と偏見で、kおばちゃんが想像するには、あのキプロスワインは『南キプロス』の部分でしか生産されていないんジャ無いかと思います。
同じ島にありながら、未だに分断されている国家の間にはやはり分厚『壁』が存在しているんだと感じました。
人の行き来はあっても、物流、特に産物に関してのやりとり、貿易は認められていないんでしょうね。

それからこんな大きいワンコのエサの袋もありましたが・・ニャンコのは見かけなかったような・・
ニャンコは殆どが『野良』なんでしょうね。

そんな中でkおばちゃんの目をひいたのはこの商品です。


これは何かというと・・醤油です。しかもこんなに種類があります。


残念ながら日本の商品ではないようですね。AMOYという中国のメーカーのようです。ただし、この会社は日本の『味の素』のグループ会社のようですね。

北キプロスで『醤油』は人気があるのでしょうか。こんなおまけ商法もしていました。


kおばちゃんは『半額』の法が良いのですけど・・

結局、朝食用のサンドイッチと夕食用の『クスクスのようなお惣菜』とバナナを購入しました。
バナナは計り売りです。カウンターのおじさんに計ってもらってラベルを張ってもらいます。
大量なバナナが多い中、3本だけと言うのを見つけたので購入したのです。だって10本も20本も・・食べられませんからね。

そうそう、お水も2リッターのペットボトル2本購入。メーカーはよく分からなかったけど、トルコ航空の機内ででたものがあったのでそれにしました。
そういえば、ここキプロスは『水資源』の乏しい島国だそうです。
夏のバカンスシーズンは南キプロスでは、観光客の増大で水消費も増大し、島内だけでは賄えず、ギリシャから輸入していると言う話をきいたことがあります。

夏場ではありませんが、水分不足になると困るのでちょっぴちり多めに購入しました。

コルドバ爺でホテルに戻るころは周辺はもう真っ暗でした。
でも、ホテルは何故かとても賑わってます。そう、併設のカジノがもうオープンしてるんですよね。
まあ、kおばちゃんには関係無いけどね。

お部屋に荷物を一気に運んで・・一休み。お風呂にはいって・・さあ夕食です。
本日のお供はこれです。

このワインはもちろんキプロス産じゃありません。
トルコのデニズリ県産のワインですね。

それと・・一応サラダなんちゃって。

こうして一人宴会の夜は更けて行くのでありました。
本とはカジノでも覗きに行こうかとも思ったのですが、ワインをお飲みになたkおばちゃんはそんな気力はなくなってしまいました。

さて、明日は・・と考えながら結局眠ってしまったのであります。


昨年kおばちゃんがうろちょろしていた辺りです。すっきりした飲み口で、美味しかったですよ。
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旧港沿いをお散歩(ギルネ)

2011-02-01 18:35:06 | キプロス
今日は朝はとても寒かったのだが・・昼間はお日様のおかげでまあまあ。

今日からもう2月。ああ、時の経つのが早過ぎる。
昨日は直帰だったので早く帰宅できるはず・・だったのがた、途中の家電量販店に引っかかってしまい・・

実は、kおばちゃんの携帯はもう骨董品・・なので来年の3月までに何とかしなきゃいけないのだが、今悩んでいるのが、スマートフォンにすべきかどうか・・。
本来だったらリンゴのマークのスマートフォンが良いのだろうけれど、あれは日本では使い勝手が悪い。というのはkおばちゃんの場合だけどね。

地方にゆくとめちゃくちゃ電波が入らないからだ。
それに、お財布ケータイだのワンセグだのkおばちゃんの知らない世界も魅力的で、それはリンゴにはついていない・・。
で、半分以上気分はそれらを満たすアウにするつもりだったのだが・・昨日の量販店での説明で振り出しに・・
アウのスマートフォンは海外では使えないそうである。CDMA1という方式をとっているから、ヨーロッパでは使えないとこのと。
それにWI-FIの仕様も国内限定だとか。うーーんそれは困る。
ということで、また振り出しに戻ってしまった。老舗ケータイ会社がそろそろワンセグ・お財布を兼ね備えたスマートフォンを出すんじゃないか・・とも思うんですけどね。

それともスマートフォンをやめるべきか・・・まだ当分悩みそうです。
あ、リンゴのスマートフィンはね、魅力的ではあるけどIpad持ちのkおばちゃんとしては別の電波会社にしたいと思うところもありますです。

なんでも、シンガポールや香港のリンゴの携帯はSIMフリーだとは聞いているけど、行く予定もないしね。困った困った!

○12月30日(木)

ギルネ城から見事に追い出されたkおばちゃん。さてこれからどうしましょう・・さっき来たのは下の道から


同じ所を行きたくないので・・とりあえず適当に別の道に進みます。本と適当にあるいていると港にでました。
ここは、さっきギルネ城の上から眺めていた旧港です。ここの周りは観光客相手のレストランがいっぱいあります。


お食事の時間にはちょっと早いので、まだ皆さん『お茶』の最中ですけどね。なかなかロマンチックなロケーションですね。

この一角にギルネのインフォメーションもありました。中から人が出てきた・・ということは未だ営業中ですね。


kおばちゃんも中に入って情報収集です。まずは北キプロスの地図を・・レンタカー会社でもらったのはあまりにもアバウトすぎましたから。
それと、ちょっと確かめたいコタとが合ったので聞いて見ました。
それは、年始の観光地の営業時間。さっきのギルネ城は標示のじかんよりも長く開いてましたけど、あれは特別だったみたいです。冬時間の摘要のようでした。

この一角はホテルも多いようです。


堤防の方へ行って見ましょう。外海は波があらいですね。


そんな一角で・・皆さん記念写真。波にさらわれないでね。


ほら、あのあたりは波をかぶって濡れてしまっています。


とりあえず、波のかかりそうなところまで出て行くおばかはおりませんでしたけどね。

再びレストランはホテルの立ち並ぶハーバー沿いに戻りましょう。


でも、さっ通ったところは面白くないので・・クルーザーやヨットのの繋留してある直ぐ側を歩くことにしました。
kおばちゃんが歩いている後ろを・・イギリス人の年配のカップルが着いてきます。さっきkおばちゃんの前を歩いていた人達です。
猫道のようなところを入って行くkおばちゃんをみて、きっと道があるんだと思ったんでしょうね。
実はkおばちゃんだって道があるかどうかしらないのにね。

するとこのようなクルーザーを発見!


え、よくわからない?拡大するとこう書いてあります。『売り出し中』如何です?一隻?なんちゃって。


他にも沢山船が係留していますが、みんなトルコ国旗を付けています。北キプロスの国旗じゃありません。


こちらの船は両方かな?

そろそろギルネ城もライトアップされて来ました。


船の側、レストランの席の裏辺りをうろちょろしていたニャンコに持っていた『小魚(日本から持参)』を上げたのですが・・最初怪訝な顔をして食べませんでした。食べたことないのかしらね??

このあたりでお食事をするのも良いのですが、なんせ一人旅のkおばちゃん。
そんなロマンチックな場所で夜ご飯をたべると、益々さみしそうだし、なんせここはイスラム圏。女性がこんなところで一人で食事しちゃいけませんね。
ということでコルドバ爺のところに戻りましょう。

直ぐ側にはやっぱりミナレットが見えました。

さっき聞こえてきたアーザンもここからでしょうかね?
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