遠い親戚より近くの友、と言われるように、ご近所づきあいは大切な事かもしれません。
この度の震災で、絆の大切さが説かれ始め、家族の絆とともに、いざっと言う時の御近所の助け合いと協力がいかに大切かを再認識する
こととなりました。
しかし、ご近所付き合いは、個人主義が行き渡り、プライバシーを尊重する風潮ゆえか、私達が幼いころに比べると、随分淡白となりました。
他人と深くかかわりたくない、と思う傾向が強くなってきたように思います。
私は、子供が小学生のころまで、長年社宅暮らしをしていました。
いつも広大で緑豊かな敷地の中に社宅が数棟建っている、といった恵まれた環境で暮らすことができたおかげで、近所づきあいも活発。
似た者同士の奥様方とのお付き合いは、とても楽しく、有意義なものでした。
有吉佐和子さんの著書、夕陽丘三号館のような同じ会社の奥様方ゆえのトラブル、といったことなど皆無。
実に穏やかでした。
その時親しくなった友人達とは、最近お会いすることはめったにありませんが、いつも私の心の内にあって、敬愛できる友としての輝きを今なお
放っています。
数回の転居で社宅も変わり、その後、海外転勤となった私達家族。
異国の社会では、また一層楽しく有意義な交友関係を紡ぐことができました。
その時代に巡り合った友人は私の生涯の宝物、と言ってもいいでしょう。
近所づきあいというには余りに在住するブロックが離れていましたが、そこは車社会のこと。
お互いに何なく行き来でき、助け合いの精神が、異国の寂しさを補うに十分でした。
私も、いかに多くの友人に助けられ、支えられたか分かりません。
Kさん、Nさん、Aさん、Iさん・・・・・・
私にはもったいないような素敵な方々ばかり。
皆さん、良妻賢母でいらっしゃり、私は今でも、心から敬愛しています。
アメリカから帰国後しばらくたって、一戸建てのマイホームを構え、そこでまた、新しいお付き合いが始まりました。
そして今、ご近所にも、心から信頼できる友、お二方に恵まれて暮らしています。
閑静な住宅地で、日中は人通りも全くないようなところです。
目と鼻の先のお宅の友人達でも、お会いすることはめったにありません。
それでも、いざとなれば、心から信頼し、お互いに打ち明け話が何でもできる間柄のFさん、Iさん達
昨年は、その方達と、お昼食をともにし、二度ほど近況を伝えあい、主婦のネタ話から政治まで、時間のたつのも忘れ、語り合ったものでした。
その時、もちろん夫の肝臓の病についても打ち明けました。
しかし去年の暮れに、おしゃべりしたのが最後。今年はまだ、その集いを開いていません。
我が家にお招きしたく思いながらも、夫のこと、その他、気がかりな事(家の建具の補修)をすべてかたずけてから、と思うと、なかなかその思いを
実現できないでいます。
しかし、今回の救急車のサイレンで、みなさんにご心配をかけることとなりました。
「私達は夜も遅くまで起きているから、いつでも何かあった時には、声をかけてね。車を出すから」とおっしゃって下さる、Iさん。
「日常のお買い物を、いつでも遠慮なく頼んでね」とおっしゃって下さる、Fさん。
Fさんは、私より一回りお若くて、若い時には海外留学も経験なさいました。
英語が堪能で、実にしっかりされた明るいお方。
立派に成長された三人のお子様がいらっしゃいます。
震災の時には、開店前に成城石井のスーパーの前に立ち、いつも何か買うものありませんか、とお電話をかけて下さった奥様です。
つい数日前、ご近所づきあいの悩み事で、相談のお電話を頂きましたが、今精神的に頼っているのは、お若くても私の方。
この方の存在は、私には、どんなにか心強いことでしょう。
そんな素敵な方でも、ご近所付き合いに悩みがあられるように、私もマイホームを構え、永住の地を得て、初めてご近所のトラブルに巻きこまれる
経験もしました。
気の遠くなるような長いお付き合いになるわけですから、深入りせず賢く振舞って、みなさんと仲良くが私のモットーでしたが、班長になった時に、
その精神を守り通すことができなくなりました。
何かトラブルが起きることにより、多様な意見が生まれます。
それを調整するのが班長の役目ですが、時に余りに身勝手な意見だったり、、我がままな意見だっりすると、私もさすがに困り果てました。
班長ですと、このような時、個々のお人柄の把握が、容易になります。
とは言っても、その方のすべてが理解できたわけではありませんから、良いところを認め合い、さりげなく挨拶を交わす気持ちのいいお付き合いを
末長く続ける努力は欠かせませんね。
但し、うわさ好きの方達には、近寄らないのが賢明。
私の処世術です。(笑)
救急車で夫が運ばれる時も、早朝にもかかわらず、奥の方から眺められる方、お隣さんが玄関から出られるる気配も感じました。
翌々日、外のお掃除をしている時、お会いしたIさんには、夫のことを詳しくお伝えしました。
そして、家に戻ろうとした時、奥から眺めておられたお方が寄ってこられ、どうなさったの?と尋ねられました。
もちろん私は、多くを語ることは控えました。
ほんの数人ですがうわさ好きの方がこの地区にもおられます。
うわさのネタにされては、困りますもの。(笑)
「お騒がせしてすみません。大したことではありません。夫が倒れてびっくりし、一応救急車を呼んだだけです」とお応えしました。
その奥様が言われるには、「消防自動車まで来ていたわよ。何ごとかと、思いましたよ。」と。
私が外に出た時にはその車は姿を消していましたが、緊急救急車と言われる車だったようです。
カーテン越しに遠慮がちに見ておられた方々は、他にもいらっしゃったに違いありません。
お騒がせし、ご近所のみなさまにご心配をかけ、心苦しい限りです。
Iさんからは、お互い様だから、と温かな言葉を頂き、二人で励まし慰め合いました。
Iさんのご主人様も、前立腺がんを患われ、胆石により胆嚢の手術もされ、お近くの病院でここ半年足らずの間に、入退院を5~6回
繰り返されたとのこと。
奥様も、一昨年、ある病に見舞われ、ご入院も経験されています。
一回りお若いHさんも、去年から今年にかけ、お舅様の介護で神戸と横浜を頻繁に往復され、最近看取られました。
人生とは、いつまでたっても心休まることがないようです。
歳を重ね、静かな隠居生活とはまいりませんね~
病、連れ合いや友人との死別等、と言った悲しみや苦難を乗り越え、余生をいかに充実させるか、本当に難しい課題を背負いながら暮らすのが
私達の年齢の宿命、と思うと、なんだ悲しくなりますが・・・・・・
この苦難は、すべての人達に平等に与えられています。
ですから不幸とは思わず、一つ一つ丘を乗り越え、美しい背の風景に、思いを馳せたいものですね。
そして、しっかり前を向き、凛とした心構えで、毎日を素敵に暮らせる人でありたい、と願います。
又、最後に、きれいごとを書いてしまいました。。言うは易く行うは難し、と心から思っています。
今日もお立ち寄り頂き有り難うございました。
皆様も、素敵なご近所付き合いをお楽しみくださいね。