夫の闘病記めいた記事を綴り始め、今日で何回目になるでしょうか。
出来れば、今も穏やかで平凡な日常であってほしかったのですが。
私どもの年齢になりますと、それを願い続けるのは、少々身の程知らずの事になってくるのかもしれません。
伴侶が病を患い平凡とは言えない暮らしになりましたが、素直にそれを受容し、その中で精いっぱい意義ある日々を送り続けることは、十分可能ですね。
夫の回復を信じ、祈りながら、ささやかな喜びと幸せを噛みしめて、心豊かに日々を送りたいものです。
そんな殊勝な思いになる一方、三つの病を抱え、今後、年金暮らしの我が家の家計に重くのしかかる三割の医療費について、つい妹に愚痴ってしまう私がいます。
そんな自分を情けなく思い、反省をしたり、と。
そして、愚痴を言っても始まらない。
出ていくものは身の健康のため不可欠な事なのだから。
今後も、最善の対応で旦那さまに臨んで上げなくては、と。
そして、来週の末に一旦退院予定の夫のために、二階のウォシュレットを新品に取り換えることにし、昨日注文しました。
更にその一月後に、検査入院、そして手術と、この年末はお正月の準備どころではなくなりそうです。
このような逆境にある時こそ、人は色々と思いを巡らし、成長するものなのでしょう。
そうありたいものです。
9月20日の日記
相変わらず私はせっせと遠方の病院に通い続け、一方、夫は冷静に淡々と、入院生活を送っています。
前にも既にお伝えしましたが、病院は、私を除く家族が青春を謳歌した母校のキャンパスの一角にあります。
そのため、遠方とはいえ、大学の構内を通り抜ける時、心に何がしかの感慨がいつもあリ、夫の病への私の不安を随分和らげてくれています。
駅を降り、車が頻繁に通る本郷通りの沿道に立っても、大学の姿は一切目に入りません。
ですからとても遠く感じられ、最初の数回は、タクシー利用で行き来していました。
しかし、ある日、派出署のおまわりさんにT大病院への道順を尋ねてからは、ほとんど徒歩で往復するようになりました。
教えて貰った行き方が、その病院への通常の経路のようでしたが、私はあえて違うルートを選んでいます。
病院に行くにあたって、最初目にし、受けた大学の印象は、こんなもの、とさほどの感動はなかったのですが。
二度目の徒歩の際、私はおまわりさんに教えてもらったようには、本郷通りを右折しませんでした。
勘違いをして、まっすぐ歩き続けてしまったのです。
すぐ記憶違いするところも、歳のせいでしょうね~
しかしこれが今後の私には幸いしたようです。
駅から10分程、歩を進めたでしょうか。
反対側の沿道に赤レンガ風の重厚な建物と、やはり赤レンガの趣ある塀が見え始めました。
その建造物の周りには、年輪を思わせる大木の樹がそびえ、その緑とのコントラストが何とも鮮やかで美しく、絵になる光景です。
「この建物は何かしら?」と見惚れて歩くうちに、かの有名なT大の赤門に出くわしました。
呑気な私は、それを観て初めて、大学の脇を自分が歩いていることに気づかされたのですが・・・・・・・
これも誠に私らしい頓馬な行動ですね~(笑)
赤門は、確か高校生の時、修学旅行の観光バスの車窓からちらっと見ただけのように記憶しています。
ですから、印象も薄く、小さな赤い門といった程度の想い出しかありませんでした。
娘達が在学はしていたものの、この大学を私が訪れたのは、合格発表日と卒業式の時だけ。
その時は、夢中でその前を通り過ぎてしまったのか、見覚えが全くありません。
私の父の弟にあたる叔父も、T大学で教授を務めていました。
ですからもっともっと身近に感じても良い場所のはずなのですが。
私個人にとっては、今日に至るまで、相変わらず馴染みのない遠い大学でした。
それが、今回の夫の入院で、一気に身近に感じられるようになり、とても嬉しいこと。
かの有名な赤門も然りです。
週に幾度も私は今、通りぬけているわけですから。
品格ある威風堂々とした門の前に来ると、その姿にいつも魅了され、しばし私は佇んで眺めてしまいます。
病院関連らしき人の姿は全くなく、少々厚かましい行動にも感じられないでもありません。
でも、この門をくぐるだけで、私の年老いて今にも呆けそうな頭が、多少なりとも改善されそうな気がして・・・・・・(笑)
それに、この門を抜け、足を踏み入れたキャンパスの雰囲気が、病院への経路の周辺とはかなり異なります、
はるかに落ち着いたアカデミックな雰囲気で、散策に申し分のない環境です。
ですから臆面もなく、M女史になったつもりで闊歩することにしています。(笑)
この際ですから、赤門の由来を知りたいと思い、旦那さまに尋ねたところ、興味がなかったのか、ほとんど知識がなく、役立たず。
Yさんは法学部で、校舎は正門をくぐると目の前。
それにもかかわらず、門を通り2~3歩くと、居合わせた友人達とUターン。
そして雀荘へ向かう日々だったとのこと。
講義も、学生が600人くらい集まる大教室で受講していたようです。
それでは、授業ではなく講演じゃない、と私は感想を述べ、笑いました。
不真面目な学生だった旦那さまに聞いても埒が明かないので、ネット検索をし、赤門の事を多少、自分で勉強しました。
東大の本郷キャンパスの敷地あたりは、加賀藩主前田家の上屋敷(大名屋敷)がありました。
そして、キャンパス南西部にあるこの赤門は、旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門で、1827年に第12代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女、溶姫を迎える際に造られたとのこと、
門を朱色に塗るのは将軍家から夫人を迎える場合の慣習とされていたようですが、現存するものはこの赤門のみとのことです。
明治維新を経て、東京大学が本郷キャンパスで発足するに辺り赤門は加賀藩前田家を守る門から学問を守る門へと変化を遂げ、国の重要文化財、旧国宝になりました。
2002年には門の周辺が整備され、表側には白い砂利が敷き詰められたとのこと。
加賀藩上屋敷の時代には赤門周辺に砂か砂利を敷き詰めていたということもあり、本来の姿に戻ったとも言えるようです
本郷キャンパスは大正時代の関東大震災で、名だたる設計家によって設計された煉瓦造校舎が全壊した中で、赤門は大きな破損を免れ、江戸時代の職人技術のレベルの高さを垣間見ることが出来るそうです
私の即席勉強で知った内容を簡単にまとめてみました。
興味のある方は、構内の散策を兼ねお訪ねになられては如何でしょう。
私はまだ寄っていませんが、赤門の近くに、東大のグッズを揃えた売店もあるようです。
その内、そこで案内地図を求め、画像にもう少し詳しい説明を添えたいと思っています。
震災でほぼ全壊したとはいえ、 本郷キャンパス内には、江戸時代から平成に至るまでの各時代の歴史的建造物が数多くあるらしく、
確かに、散策途中、歴史的建造物らしき校舎が大きな大木の緑と一体となって、我が目に飛び込んできます。
デジカメの被写体として、実に魅力的で、撮影の絶好の機会であるはずですが・・・・・・
何と私は、夫に新たな病が見つかって以来、一度もデジカメのシャッターを押していません。
すっかり撮影から遠ざかった暮らしをしてしまいました。
非公開のまま記事を綴っているので、差し迫って画像を必要としないからでしょうか。
写真撮影は、私には向いた趣味として、楽しめると思っていたのですけれどね~
心を入れ直し、撮影の腕が多少でも上がるように日々努力したいものと、反省しています。
(最近の画像は、投稿を始める前後から、慌てて撮り始めた物ばかりですが、一向にお天気に恵まれず、青空のない写真となっています)
さわやかな秋晴れが待ち望まれるこの頃です。
当地は、今のところ(10月26日の朝)、雨音が聞こえる程度で静かですが、台風の襲来で、被害に遭われる方がおられませんように、と祈るばかりでいます。
皆さま、くれぐれもお気を付けてお暮らし下さいませ。
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