ここ数日、急に空気が緩み、寒さが和らいできました。
今朝は(28日)、まだエアコンを付けていません。
輻射式のパネルヒーターのみです。
こんなこと数カ月ぶりかしら。
「冬来たりならば、春遠からじ」と言う慣用句がありますが、今は「冬去りならば、春は目の前」とでも言えばいいのかしら。
けれど、また週末は寒くなるとの予報ですから、冬もしぶとく、そう簡単には退場してくれないのでしょう。
桃の節句は、もう目前ですけれど・・・・・・
今年も我が家は、まだ雛人形を飾っていません。
毎年、この季節になると、箱に収まったままのひな人形が、
「私達の季節ですのに、どうして表に出して頂けませんの?」
と言って、さめざめとすすり泣く声が聞こえてくるようです。
そして私は、いつも良心の呵責に苛まれます。
毎年、夫に、ひな段を組み立ててほしい、とお願いするのですけれどね~
いつも言い訳ばかりで、渋ります。
飾った翌年は、「去年飾ったから、今年はいいだろう」。
その翌年も、もう思い出せないけれど、適当な口実を述べていました。
今年もそうでしたから、
「数年も出さないと、お雛様たちが虫に食われてしまうわよ」
と、私が言うと、何とその返答は、
「防虫剤を入れ直せばいいじゃないか」
で終わりです。
私の旦那様は、日本の伝統行事を暮らしに取り入れて楽しもう、と言った情緒とは、全く無縁の人だから、困ったものです。
男性には、合理性のみを重んじる、夫のようなタイプの方が多いのかもしれませんね~
それなら、
「私がすべてを引き受けて頑張ります」
と言えればいいのだけれど、夫の入院も、遅かれ早かれもうすぐで、どこか気もそぞろな私です。
そんな気持ちにもなかなかなれなくて・・・・・・
この調子では、今年もお雛様達を冷遇することになりそうです。
先程、内裏雛のみ床の間に飾り、慌てて撮った写真です。
後程、数枚アップする予定です。
孫達が幼い頃のこと。
桃の節句の時期に我が家にお泊まりすると、雛飾りのある和室にお布団を並べて、一緒に寝たものです。
すると蛍光灯の豆電球のほのかな光に照らされて、お雛様達の白いお顔が浮かびあがり、まるで息遣いが聞こえてくるような気分になりました。
お人形であるにもかかわらず、宿る命を感じてしまうのは何故でしょう?
綿々と継承されてきた、この行事の伝統の重みゆえでしょうか?
ですから、お蔵入りのままだと、とても申し訳ない気持ちになってしまいます。
このように綴っていると、やはり飾りたいな~、との気持ちが、又沸いてきました。
ひな祭りは、女の子の健やかな成長を祈る行事ですが、厄払いにもなるようです。
旦那さまの手術が無事に終わるようにひたすら願って止まない私ですから、ひな人形を飾れば、その願いがかないそう。
せめて内裏雛だけでも飾りましょうかしら。
桃のお花も飾って・・・・・・
明日は、若夫婦のお招きで、次女家に出かけます。
義父母様もお見えになられ、皆でかれんちゃんの桃の節句をお祝いすることになりました。
私がひな祭りに当たって、ひな人形用のお祝金をプレゼントしたのは、3年前のこと。
初節句の年は、娘は仕事が忙しく、吟味してじっくり選ぶ時間が持てず、その翌年の購入となりました。
その辺り、妥協せず納得のいくものを選ぶ態度は、私にとてもよく似ている次女です。
明日は、久しぶりに、その内裏雛様と再会できると思うだけで、胸が弾みます。
桃の節句は、女の子の情操教育になる、とても素敵な伝統行事ですね~
飾って以来、それを眺めて、かれんちゃんがとても嬉しそうにしていると聞き、私の心もほのぼのとしてきます。
初節句後も健やかに成長し、ひな人形を愛でることのできる年齢になった、と思うと、ばぁばの感慨もひとしお。
長女家の桜ちゃんも、もう4年生。
ひな祭りの時季になると、祖母の願いは、いつも膨らみます。
伝統行事を大切にする心も身に付け、奥ゆかしさ漂う女性に成長してほしいもの、と。
とは言っても、世代が違い過ぎる孫達。
この願いは、少々高望み過ぎるでしょうか。
私も、折角日本人として、この世に生を受けたのだから、同様の思いをもっと強くして、残りの余生を暮らしたいものです。
日本人としてのアイデンテイティを多少意識して、日本の伝統文化を大切にできるといいな~なんて、また気取ったことを書いてしまいました。
有言実行が一番好ましいけれど、差し当たって有言不実行でも、言葉にすることが大切。
そうすれば、今後、その願いをもっと暮らしに取り入れられるかもしれません。
細々とでも、すぐ始めなくては・・・・・・。
さぁ~これから、内裏雛だけでも飾りましょう。
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