今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

友に襲った突然の不幸

2014-03-07 08:20:51 | 

1昨日、「61歳専業主婦さんのブログ」を拝読し、私にも似た性格の友人がいますので、感極まるものがありました。

お友達がどのような状況でいらっしゃるのか、想像の域を超えられない私ですが、文面から、切迫したものが感じられてきました。

お気持ち、お察し申し上げます。

 

私の友人のUさんは、命に別条があるわけではありません。

けれど、境遇ががらっと変わってしまわれたのです。

御主人さまの突然の御逝去。

一気に心身の支えと拠り所を失くしてしまわれたUさん。

どなたでも、このような不幸に遭遇すれば、同じ思いを抱かれるのでしょうが・・・・・

 

 

Uさんにおける、その悲しみの衝撃は、数倍大きなものだったに違いありません。

何故なら、彼女は長い年月にわたり、パーキンソン病を患っておられるからです。

十数年前に、

「今の薬は、10年経過すると効かなくなるのよ」

といつもと変わらない口調で、さりげなく私に告げられた事がありました。

その時は、十年後の彼女の容態を思い、大変なショックを受けたものです。

 

けれど、医学の進歩はめざましいものがありますから、新薬が現れているのではないでしょうか。

その後も薬の服用と治療を続けられ、年に数回、開かれる友人の集いにも、不自由な体を押して参加して下さっています。

 

けれど、彼女の病状の進行は誰の目にも明らかです。

体の傾斜が年月を追う毎に、次第にひどくなって行かれました。

90度近くまで傾いたお体を、杖で支え、何とか立ち歩くことが可能な状態で、最近はいらっしゃいます。

家では歩行器を使用して移動されているとのことでした。

 

 

 

この奥様を長年にわたり、支え続けてこられた優しいご主人様が、外出先で突然亡くなられたのです。

我が家での集いの時には、奥様のみならず友人達の送り迎えも引き受けて下さったご主人様。

他の際にも、幾度かそのお車に便乗させて頂いた私です。

小柄な方でしたが、慈愛に満ちた深い眼差しと、落ち着いた品位あるある物腰は、私の心に今なお焼きついて離れません。

 

正にご不自由なお体の奥様の手となり足となり、心の支えともなっておられたお方でした。

それにもかかわらず、病弱の奥様を残し、永遠の旅に立たざるを得なかったご主人様。

さぞや無念で、心残りでいらっしたことでしょう。

旅先からのご主人様の突然の訃報に接した奥様の驚き、悲しみ、絶望は、いかばかりでいらしたことか。

 

私は、思いがけない喪中葉書を手にした時、しばらくただ茫然とするのみでした。

余りに運命のいたずらがひど過ぎる、とさえ思いました。

直接声をかける勇気が湧かず、集いのメンバーのお一人に、もしや詳しいことをご存じでは、とすぐ電話をかけました。

その方のお話しによると、或る学界に参加された先のホテルで、心筋梗塞にて亡くなられたようです。

 

心を静め、その翌日、私は彼女に電話をかけました。

ところが、いつもと変わらない口調で、優しく穏やかに語られるUさん。

そして、自分の不幸より、私の夫の病を気遣い案じて下さいます。

思わず、「私の主人のことはどうでもいいのよ。お元気?大丈夫?」と、彼女を案じる言葉が出て止みませんでした。

 

 

 

彼女は、いつも自分のことより、周りへの気配りを優先する方です。

この度の身に突然襲った悲痛極まりないご不幸の最中でも、、その態度は変わらなくて・・・・・・

私は切なくなりました。

病の愚痴も、彼女から聞いた事が、全くと言っていいほどない私です。

折々で弱音は吐かれていたのかもしれませんが、明るい口調でさりげなく語られるので、愚痴に聞こえなかったのでしょうか。

 

その上、更に感心することは、お体がとてつもなく不自由な身ながら、お洒落心を失わないでいらっしゃいます。

お会いするたびに、センス抜群な彼女の身なりの素敵さに、私は感嘆してきました。

 

挙げればきりがないほどの美徳を身に付けておられるUさん。

ですから、これまでもずっと私の模範、お手本と思い、心の支えと励みにさせて頂いています。

 

 

その彼女から、先々週、お手紙が届きました。

「今は一人暮らしで、介護ヘルパーさんに大変お世話になっているのよ」と、彼女から聞いて以来の近況報告でした。

そのお手紙の封を開け、最近のご様子を知り、僭越とは思いつつ、私は大変安堵しました。

老人施設に入居されたとのことだったからです。

 

代筆で、彼女の心情が素直に語られていて、涙なくしては読めない文面でした。

一部ご紹介させていただきますね。

最後にたどたどしい直筆で、私の夫の病を案じる言葉を添えて下さっています。

 「二人で歩みました50年、協力し合って均衡を保ちながら歩んできたつもりでしたし、いつかはこの均衡が壊れる時が来ることは判り切っておりましたが、こんなに大きく急に崩れるとは想像も致しませんでした。どこか過信と油断があったと、今更ながら反省しております。一人で暮らしていくことは、子供達に不安を与えることだけらしいので、この度ホームを見付けて入居することに致しました。私の体験が皆さまの参考になれば・・・・・なんて考えることは僭越でしょうか。」

 

 

さそく私はお返事を認めました。

そして最後に、下記のような文を綴りました。

「私達の年齢になりますと、一番大切なのは、健康より気力ではないか、と思うこの頃です。
 
お互いに気力を充実させ、前向きの努力で、末永いおつきあいを続けてまいりましょうね。」
 
 
 

 

今後、私は彼女のためになにがして差しあげられるかしら、と思う時・・・・・・

自分の生活に追われ、夫の病ばかり心配し、心の余裕を失いかけている自分に気づかざるを得ません。

心に余裕を持ってこそ、友人を心から思いやる気持ちが生まれてくるものでしょう。

 

自分の暮らしも見直し、時間的ゆとりを十分持って、彼女に精一杯の心遣いをして差し上げたい、と。

他の友人、ひいては家族にも、もっと私にできることがたくさんあるはずでは、と思うこの頃です。

そう思うと、ブログに当てる時間が、とてももったいなく感じられて・・・・・・

 

 

 

それはともかくとして・・・・・・

せめて一月に一度は、お便りを届けて差し上げようと、今は思っています。

今よりお元気な頃、私は彼女から素敵な葉書のお便りを、度々頂きましたから。

そのために、素敵な五十円切手を用意しておきたい、と思った私。

先日、郵便局に寄りましたが、可愛い切手しか目に留まらず、一応それを買い求めました。

心清らかで明るい性格の彼女は、童心を蘇らせてくれそうな、こんな切手を、却って喜んでくれるかもしれません。

 

 

この記事を綴っている、まさにその最中に、友人から電話が入り、彼女のお見舞いの日を調整しているとのお知らせがありました。

もうすぐ彼女に会えると思うと、嬉しさがこみ上げてきます。

 

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今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 

 

 

 

 

 


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