夫の介護も、今振り返ると厳しい大変さがありました。
でもその最中に居る時はただ夢中で、恐らく娘たちに愚痴を言ったり弱音を吐くことはしませんでした。
愚痴や弱音を吐くと、その苦労が二倍にも三倍にもなってしまう。
そう言った思いが私にはあります。
ですから、ひたすら平常心で居続けようと思ったのですが・・・。
やはり、この時も体は正直。
あなたは疲れ大変なストレスを抱えていますよ、と告げるかのように、いろんな症状が体にあらわれました。
その頃、夫の心配事だけでなく、ネットにおける私の中傷にも苦労していました。
その結果、私の身体に現れた症状は息苦しさ、異常なのどの渇き、食欲不振、味覚の変調等々。
私が介護中にも関わらず、容赦なくその中傷は数年続きました。
私を批判する掲示板を兼ねたブログまで、立ち上げられてしまいました。
私はブログ上でこのことに触れたことは一切ありませんでしたし、
それを報せた憶えもなかったのだけれど、次女夫婦はずっと傍観していたようです。
ある日一言、私がその話に触れると、堰を切ったように意見をされました。
「何を言われても、どうして無視ができないの。
なぜあんな人たちを相手にするの?」と。
私はただただ誤解を解きたくて、丁寧に誠実に応えるのが良い事と思い・・・。
ネット世界の対応を全く勘違いしていたのです。
その後しばらく経過し、娘の助言通り、無視を通すことを徹底したら、次第にその中傷は治まっていきました。
ところが、本当に本当に呆れてしまうのですが、
私たち姉妹への執拗な批判は今も続いているのです。
こういう時、無視する以外良い善処はありません。
最近はSNSなどで、酷い出来事があることを承知しています。
中傷で苦労されている方がいらっしゃるなら、一言申し上げたいです。
「無視を通す」
これに尽きます。
是非そのように対処して下さいね
ごめんなさい。
話がまたそれてしまいました。
夫はその後も、相変わらず入退院を繰り返し、私は往復三時間かけて病院に連日通いました。
二度目からの入院先は遠方ながら、夫と娘たちの母校の附属病院でしたので、それが唯一の慰め。
写真を撮りまくり、良くブログにも載せました。
そのつらい掲示板は閉じられ、私の息苦しさや異常なのどの渇きが治った頃のことだったと思います。
急行の停まる駅前の賑やかなスクランブル交差点の前で、また激しいめまいに襲われたのでした。
何とそのど真中から数メートル歩道に向かって歩みを進めた時のことです。
また目の前が急速回転。
体のバランスが取れず、否応でも倒れ込むしかありませんでした。
立っていられなかったのです。
公衆の場所でしたのに、他人の迷惑も顧みられず、崩れ動けなくなってしまった私。
賑やかな通りでしたので大勢の人だかりができ、お巡りさんまで出動。
救急車まで来ました。
何とも恥ずかしい状況に。
でも救急病院でMRIの検査を受けた結果は異状なし。
タクシーで無事に家に戻れました。
恐らく私のキャパシテイー以上に頑張り過ぎたなれの果てだったのでしょう。
過去記事に載っていた、ネット上から借りた救急車の画像です。
この車のお世話に夫と両親は無論、私も数度お世話になりました
過労が過ぎると、このような事態に陥る私の身体。
数度入院もしましたが、両親と夫を介護している時はそのようなことにならないで済みました。
共倒れになることは何としても避けたかった私でした。
そうならず、十分とはとても言えなかったけれど、両親と夫を見送ることができ本当に良かったと思っています。
それにしても、無理が利かない軟な私の身体。
幼い時からそうでしたから、人生におけるそのハンデイーは相当なものでした。
もう少し体力があれば、人生における私の体験はもっともっと豊かなものになったかもしれないけれど・・・。
私は十分幸せでした。
ささやかなことに喜びを見いだせ、我が家が大好きな性格が、とても幸いしたと思っています。
コロナ禍ではありますが、私なりの充実感と達成感を味わいながら、今後も日々を有意義に過ごしていきたい、と心から願っています。
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拙いブログをお読み下さいまして、本当にありがとうございました。