今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

今の穏やかな余生は家計簿のお陰

2020-11-03 07:09:50 | 暮らし

私が家計簿を付け始めたのは、夫が米国赴任を終え帰国して間もない頃からです。

帰国した時、我が家の貯蓄があまりに少ないのに愕然としまって。

米国赴任前は云百万の貯蓄があったのに、それもすべてなくなっていました。

 

その理由は、夫のせいにして、Yさんに何だか申し訳ないのだけれど・・・。

米国在住時は我が家の家計は、すべて主人任せにしてしまった事。

その期間を除けば、Yさんは、家計は無論、子育て、その他一切合切すべて私に託し、

文句ひとつ言わない人でした。

 

ところが、買い物がドルになった途端、私は貨幣価値がピンと来なくなってしまって。

ドルをいちいち円に換算して考えるのも面倒になり、家計はすべて夫に一任。

夫は銀行員でしたが、お金への執着はまるでない人だったのです。

 

妹の東北旅行のお土産でお茶のひと時

 

私は異国の地ゆえ、ショッピングを愉しんだ記憶はほとんどありません。

そいえば帰国前フルセットで洋食器を購入しましたけれど。

但し家族旅行は年に数回。

大陸を横断し西海岸から東海岸のワシントンへと。

その頃姉がいたシカゴにも。

サンフランシスコ、グランドキャニオン、イエローストン、デスバレーその他至る所に行きました。

デイズニーは数えきれないほど。

母や義姉が来た時も、一緒に家族旅行をしました。

恐らく娯楽費で、とんでもない額の支出があったのでしょう。

食事も和食が多く、割高な食材をふんだんに使用していました。

 

これも妹のお土産

嬉しい限り(^^♪ ありがとう

 

でも自分が家計を管理していなかったので、私は気楽なものでした。

そして、帰国。

その時になって初めて現実の厳しさに直面。

我が家の貯蓄がほとんどゼロだったのです。

 

長女は無事私立の進学校に合格し、入学金その他でお金がかかる時期でした。

何とかそれは支払えましたが、このままでは大変なことになると思い、一念発起。

最初は自己流の付け方で、大学ノートを家計簿として使用。

 

その数年後に妹家族が赴任先のドイツから戻ってきました。

その時、妹にも家計簿の記帳を強く勧めた私です。

そうした所、研究熱心な妹は、羽仁もと子の家計簿に目を付け、それを使用。

そして私にもその家計簿を強く推奨してくれました。

そして今に至ります。

 

但し、今の妹が使用しているのは、羽仁もと子のソフト家計簿。

一方、私は本質はアナログ人間ゆえ、未だに紙の家計簿のまま。

そうだと計算間違いが実に多くて。

ネット家計簿だと計算ミスなんてありえないわよ、と妹はよく言いますが。

私は今のところ、変更する気は全くありません。

 

私は妹と違って株式投資でひと財産失い、家計簿暮らしと矛盾しますが・・・。

親の遺産をそれに当て、全く別口の思いで暮らしてしまったのでしょう。

一度は、マンションを購入し手付金まで払いましたのに。

三十数万の毎月の家賃収入を老後の暮らしに当てるつもりでしたが。

一目ぼれしてしまった娘夫婦にそのマンションは譲り、その資金を株式投資に注ぎ込んでしまった私です。

 

 

 

 

愚かとしか言いようがなく、何のために家計簿を記帳し続けてきたのか矛盾だらけの人生ですが・・・。

その家計簿のお陰で、人生を立て直すことができました。

そして今は、穏やかな余生を送れています。

ですから羽仁もと子さんの家計簿にはいくら感謝しても感謝しきれない私です。

 

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