前回の記事の続きです。
若い頃は姉ととても良好な関係でしたのに、一気にその間柄が険悪になり始めたのは、夫のある一言でした。
「~家の養子になってもいい」
~家は、もちろん私の実家の事です。
Yさんは、冗談でそう言いたくなる程、私の両親とも良い関係を築いていました。
夫の実家は開業医で、薬剤師の資格を持つ未婚の叔母が、Yさんのお母様に代わって、家の切り盛りをしていました。
義母は夫が大学時代に亡くなりました。
ですから、私たち家族が毎年、夏休みに帰省した時も、主人はずっと私の実家に滞在。
いつも自分の家のように寛いで過ごしていました。
義父も、それを望んでいましたから。
叔母は幼い時、小児麻痺を患ったことがあり、多少足に支障がありました。
暮らしには全く影響はありませんでしたが。
そのため、義父は、妹に負担をかけたくなかったのでしょう。
そんな事情もあり、夫はすっかり我が家に居つき、馴染み、家族の一員になり切っていたのです。
記事にふさわしい画像がないので過去の想い出写真を掲載します。
でも、「養子になってもいい」は全くの冗談。
私の両親も私もそんなこと、つゆ程も考えたことはありませんでした。
恐らくお姉様は、私がそう仕向けたと誤解されたようです。
その後から、急に私への風当たりが強くなっていきました。
気位の高いお姉様には、許せない言葉だったのでしょうか。
その後、ある出来事で、益々誤解を招き、一層険悪に。
その疎遠な関係のまま、歳月が流れていきました。
渡米する数年前の長女です。
しかし、夫が亡くなった後、いとこ同士は急に親しくなり・・・。
サンフランシスコに在住する、もう一人の甥Kさんは、投資顧問業の仕事柄、よく日本を訪れるため、長女宅を訪ねてくれるように。
長女婿も公認会計士の資格を持ち、世界経済にも精通しています。
ゴルフを楽しみながら今後の経済の見通しでも語り合うのでしょうか。
そして夕食は長女の手作り。
私はその微笑ましい光景を想像するだけですが、一気にこんな親密な関係に戻れたのは、亡き主人が取り計らってくれたことに違いない。
そう私は信じ、喜ばしい限りでいます。
米国暮らし時代の次女です。
更に、夫が亡くなって数年後、ドクターのSさんが弟のKさんと共に、お墓参りで日本を訪れた時も、またいとこ同士で会う機会を持てました。
その時の四人の会話で、印象的な思い出話があります。
弟のKさんは、日本語は普通にしゃべれますが、お兄さんは苦手。
そのため、四人が会い、食事を共にした時、最初に話し合った事は、会話を日本語でするか英語でするか。
その選択だったようです。
結局、言語は英語と決まり。
娘達もその言葉を駆使しておしゃべりを愉しんだとのこと。
娘は二人共、英語は得意で、職場でもよく使用しているので、会話は流暢に進み心から愉しめたようでした。
私はその場にいなくて良かった、と心から胸を撫で下ろした次第です。(笑)
母と共に
グランドキャニオンにて
後で次女に、おねえゃんの英語の会話力を尋ねたところ、
「私と同じくらいの実力かな」
と言って笑っていました。
次女は、お姉ちゃんの能力には、自分はとても叶わないと思っていますから。
けれど、努力家の次女は英語だけでなく、フランス語も一級の資格を持っていて、ベトナム語もしゃべれます。
二人共本当に努力家。
怠け者の私とは大違いです。(笑)
今後も機会があればいとこ同士で益々交流を深めてほしいもの、と私は願っています。
私は蚊帳の外でいる方が楽。
英語はすっかり忘れてしまいましたから。
私達も若い時、家族でハワイを訪れたことがあり、その時の愉しい想い出は、今も鮮明によみがえってきます。
常夏のハワイの情景を思い浮かべながら、甥のお嫁さんからの素敵な贈り物を、これから大切に愛用しようと思っていま
す。
婦人用は十数足お買い求めくださいました。
私は大のお気に入りで、今冬の防寒対策にも十分になっています。
上の商品は、紳士用のようですので、ご紹介させていただきますね。
PVポイントのみ参加しています.
お立ち寄りくださいまして、本当にありがとうございました。