普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

誕生!! 伊吹留香!!

2011-07-11 23:08:21 | 音楽にまつわる話<的>な
 昨日の晩、代官山のライブハウス「晴れたら空に豆まいて」に行った。
 伊吹留香というアーティストの「バースデイ・ライブ」があったのだ。



 バースデイライブというぐらいだから、7月10日生まれの彼女のライブは、そりゃまあ! 素晴らしいものだった。

 伊吹留香のライブは、まだ二度しか見ていないけれど、ソロとバンドというような表現形態の
違いはあったにせよ、昨日のライブの方が遥かに素晴らしかった!! なにが素晴らしいといって、歌への思いの有り様が、前に見た時と全然違っていたのだ。
 前に見たのは、わずか1ヶ月程前だったのだが、その時はその時で素敵なライブだった。やはり思いの伝わるライブ。だが、夕べのパフォーマンスには、明らかな違いがあった。

 その違いはなにかと聞かれると結構答えに窮する類のことなのだが、言葉にすると「アマチュア的な匂い」がなくなっていたのだ。
 簡単に言うと、表現が表に出てきていた。これは、実にすごいことなのだ。

 おそらく伊吹留香本人も気付いているだろうと思うのだが、夕べのライブを終えたときに、彼女の中で不完全燃焼のような、心の澱のようなものがなかったのではないか? きっとその前のライブまで、彼女にとって致命的なものではないだろうが、どこかに不満があったのではないかと思うのだ。
 だが、昨日はなかったに違いない。なぜなら、歌うことの意味が、明らかに自分へのアプローチから、聴手へのアプローチに変わっていたのだ。伊吹留香の中で、歌うことの意味が変わっていたに違いないのだ。

 正直、勝手気ままに、伊吹留香を無視してこの原稿を書いている。「私はそんなこと思いも、感じもしていない」と彼女は言うかもしれない。
 それでいいのだ。こちとらバカボンだから。
 ボクの勝手な解釈だから、どこまで行っても勝手なのさ。

 それでも、伊吹留香というアーティストの「誕生の瞬間」を見たような気がしたのは、きっとボクだけではなく、ライブに集った人の多くが感じたに違いないと、これまた勝手に思うのだ。これまでと、変わらないようにも思えるのだが、なにかが違っていた。そんなふうに思っているファンも多いのではないかと、勝手に思うのだ。

 こうしたなにかが変わる瞬間に立ち会えるというのは、ある種の奇蹟だ。

 伊吹留香が、大きく羽ばたく瞬間に出会えたことに、感謝!!

 ちなみに昨晩のライブの写真を盟友・生井秀樹氏が撮ってくれているのだが、まだあがらない。あがったら、写真でライブを再現してみよう。それまでは、彼女のプロモ写真で………。