河村顕治研究室

健康寿命を延伸するリハビリテーション先端科学研究に取り組む研究室

歴史の法廷に立つ覚悟あるのか

2009-11-25 | Private
ノーベル化学賞受賞者の野依さんは言ってくれました。
「科学技術振興や教育はコストではなく投資。コストと投資を一緒くたに仕分けするのはあまりに見識を欠く」
「不用意に事業の廃止、凍結を主張するかたには将来、歴史という法廷に立つ覚悟ができているのか問いたい」

こういう問題は自分の家庭の家計に置き換えると分かりやすい。

我が家にも小さな子どもが1人いるが、家計が苦しいからと言って本人が行きたいという塾通いを禁じたらどうなるだろうか。
将来、大学受験に失敗した時に、あの時、塾に行かしてくれていたらときっと恨まれるだろう。

我が家は子どもに残せるのは教育しかないという方針である。
他の予算を削っても教育費を削ることはありえない。

スパコンの予算を削るのは、我が子の教育費を無駄だとして削るのに似ている。
近視眼的には家計が潤うが、子どもの将来まで見据えた時にはまるで割に合わないバカな対処法である。

ここに来て民主党も世論の微妙な空気を読み取ったようで、スパコンの予算は復活しそうである。

ここで、教育研究費を削減などしたら、それこそ日本の将来はお先真っ暗である。
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プレゼンテーション

2009-11-25 | 大学
大学院生のプレゼンテーションを聴いていて感じたことを書く。

持ち時間は僅かに10分。

あれもこれもと研究のデータを出しまくってあっという間に終了。
スライドは数字の羅列で何のことやら発表者以外は何も分からない。
これが最も悪いケースである。

もう少し良くなるといろいろ図やグラフを作って分かりやすく結果を提示している。
それでも何人かの聴衆からは本質ではない質問が出る。

結構工夫もしているのに発表内容が聴衆に理解されない最も大きな原因は、発表の冒頭にある。
起承転結の起の部分である。

最初の2から3分の間に、なぜこの研究が必要であったかということと研究の仮説を素人にも分かるように的確に述べなくてはならない。
これがくどすぎてもいけない。

出だしの部分で聴衆を引き込むことができたらそのプレゼンは成功したも同然である。
逆に、この部分をはしょってはどんなにすばらしいノーベル賞級の内容を発表しても、いや内容が高度で難解であればあるほど、そのプレゼンは惨めな結果になってしまうだろう。

こういうことは何回も発表を繰り返して、聴衆のリアクションというフィードバックにさらされ続ければ自然にうまくなるものである。
研究を始めたばかりの大学院生にいきなり上手なプレゼンを求めるのは無理かもしれない。

しかし、これからの時代は自分を上手に売り込むというのが意味を持つと思うので、研究に精進するだけでなく、プレゼン能力も磨いて欲しいと思う。

また、プレゼンが上手というのは貴重な時間を費やして聞いている側にとっても恩恵がある。
おもしろくて意味のある発表を聴くのは楽しみである。
誰でも学問的好奇心があるのだから当然である。

要は、聞き手の立場に立って、聴いて楽しくてためになったというような発表をすればよいのである。
そうすれば、自然とそのプレゼンの評価は高まるだろう。
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