医学・医療について経験したことについて記録する。
病院の医局で待機していた時に、看護詰所から緊急コールがあった。
「患者さんがステッたのですぐに来てください。」(注:ステるというのはドイツ語のステルベンから来た死亡という隠語)
あわてて病室に行くと、娘さん2人が泣いている。
特に末の娘さんと思われる方は号泣している。
「私が一番迷惑をかけたのに・・・
お母さん、何で・・・
どうして・・・。」
亡くなった患者さんは92歳。
看護師に状況を聞くといったん頻脈になり、定期の点滴を行っていたので様子を見ているうちに心臓がいきなり停止したのだという。
数日前に主治医から家族に心不全が進行して全身に浮腫が来ているからいつ様態が急変するか分からないとムンテラがなされていた。
高齢であるからそのような場合も挿管やカウンターショックなどの救命処置は行わないという約束であった。
号泣する末娘の方によると、最期を看取ろうとずっと付き添って、おむつを替えてその処理に病室を離れたほんの僅かの時間に心臓停止となってしまったのだという。
私はかける言葉もなく、しばらくしてご臨終の宣告をした。
娘さんは亡くなった母親に覆い被さるように泣き崩れる。
いくら92歳とはいえ、実の親を亡くすのは悲しい。
私も父を亡くしてその痛みはよく分かる。
それにしても病室を離れたほんの数分の間に逝ってしまうなんて何て不運なのだろう。
家族だけで別れを惜しむことができるように、私はいったん看護詰所に引き上げた。
カルテに記載をしていると、モニターを見ていた看護婦さんが
「あ、心臓が動き始めた。」
何と、先ほど死亡宣告した患者さんの心拍がモニターにはっきり出ているではないか。
慌てて病室に行くと、心臓が動いているだけでなく、死んだはずの患者さんが顎を動かしている。
間違いなく生きている。
ついさっきまで号泣していた娘さんもあっけにとられて、
「お母さん、しっかりして。
聞こえる。
しっかりして。」
と声をかける。
いったん心停止した患者が、数分後に心臓が動くことはそんなに珍しいことではない。
研修医が、早とちりして死亡宣告した後に生き返って気まずい状況になった話は渡辺淳一のエッセイで読んだことがある。
しかし、10分も経過して生き返るというのはそんなにありふれた話ではない。
「三途の川の渡り口で、娘さんの呼ぶ声が聞こえて引き返してきたのかもしれませんね。」
と娘さんに声をかけたが、あながち嘘ではなかった。
しかし、弱り切った心臓がいつまでも持つはずもなく、それからしばらくしてその患者さんは静かに息を引き取った。
遺族は、今度は最後まできちんと看取ることができ、もう静かに泣いているだけだった。