先週も忙しかった。
26日金曜日から通信制大学院のスクーリングが始まり、翌日土曜日にはメインオープンキャンパスが行われ、院生の指導とオープンキャンパスでの対応と両方をやらなくてはならなかった。
そんな中、Adobe Illustrater CS6のテキストが全部消えて見えなくなるというトラブルを解決して喜んでいたのが、数日してMacを起動したらまた元通りの状態に戻ってしまっていた。
同じ方法で解決を図ったが、だめであった。
古いMacのトラブルは本当に難儀である。
一番よい解決法は、新しいMacに交換して、Adobe Creative Cloudを導入することである。
大学院生室にはそうした最新の環境を学生のために整備したが、個人研究室に整備するのはややためらわれる。
経費がかかるというだけでなく、これまで整備してきた環境に未練があるからだ。
巨大な30インチのApple Cinema HD Displayを2台つないだシステムが使えなくなることも残念だからだ。
先日、東京に出張したとき、丸の内の丸善で面白い本を購入して、帰りの新幹線の中で読んだ。
〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則
原題は THE INEVITABLE というもので「不可避」「必然」という意味である。
著者は1993年にWiredを創業したKevin Kellyで、本全体の内容は下記のようなものである(カスタマーレビューより引用)。
もし、タイムマシンで今から約20年前のインターネットの勃興期に戻ることが出来れば、多くの人はチャンスをものに出来るであろう。
しかし、筆者は2016年の今でも、フロンティアは広がっていると云う。
今後30年間に起こるであろう変化の兆しが既に見えており、それが不可避なものであるとすれば、それを活かさない手はない。
最初のエピソードは著者のデジタル機器の経験である。
以下抜粋。
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著者はずっと自分のデジタル機器を(まだ使えるのになぜだと思いながら)、最後の最後にいやいやながらやっとアップグレードしていた。
一つアップグレードすると途端に他のものにもアップグレードが必要になり、さらにそれがあらゆるものへと飛び火する。
それは生きた生態系のようになっていくので、アップグレードを遅らせることはより破壊的な結果をもたらすことになる。
現在進行中の小さなアップグレードを放っておくと、それがどんどん溜まっていき、最終的に行われる大きなアップグレードがとんでもなく大変なものになる。
そこで著者は、今では、アップグレードはある種の衛生手段だと考え、テクノロジーの健康を保つための健康法だと思うようにしたとのことである。
未来のテクノロジー生活は、終わることのないアップグレードの連続となる。
未来にわたってずっと、誰もが新しいものに追いつこうとする永遠の初心者になる。
われわれは心に渇望感を持たない限り、自分や集団の自我を拡張することができない。
だからテクノロジーによって自分の境界を拡張し、アイデンティティーを収容する器を拡げ続けている。
もしもっとよい未来を目指すなら、こうした居心地の悪さを受け入れて対処しなければならない。
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私の研究室のMacを更新するのは「不可避」で「必然」なのかもしれない。
26日金曜日から通信制大学院のスクーリングが始まり、翌日土曜日にはメインオープンキャンパスが行われ、院生の指導とオープンキャンパスでの対応と両方をやらなくてはならなかった。
そんな中、Adobe Illustrater CS6のテキストが全部消えて見えなくなるというトラブルを解決して喜んでいたのが、数日してMacを起動したらまた元通りの状態に戻ってしまっていた。
同じ方法で解決を図ったが、だめであった。
古いMacのトラブルは本当に難儀である。
一番よい解決法は、新しいMacに交換して、Adobe Creative Cloudを導入することである。
大学院生室にはそうした最新の環境を学生のために整備したが、個人研究室に整備するのはややためらわれる。
経費がかかるというだけでなく、これまで整備してきた環境に未練があるからだ。
巨大な30インチのApple Cinema HD Displayを2台つないだシステムが使えなくなることも残念だからだ。
先日、東京に出張したとき、丸の内の丸善で面白い本を購入して、帰りの新幹線の中で読んだ。
〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則
原題は THE INEVITABLE というもので「不可避」「必然」という意味である。
著者は1993年にWiredを創業したKevin Kellyで、本全体の内容は下記のようなものである(カスタマーレビューより引用)。
もし、タイムマシンで今から約20年前のインターネットの勃興期に戻ることが出来れば、多くの人はチャンスをものに出来るであろう。
しかし、筆者は2016年の今でも、フロンティアは広がっていると云う。
今後30年間に起こるであろう変化の兆しが既に見えており、それが不可避なものであるとすれば、それを活かさない手はない。
最初のエピソードは著者のデジタル機器の経験である。
以下抜粋。
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著者はずっと自分のデジタル機器を(まだ使えるのになぜだと思いながら)、最後の最後にいやいやながらやっとアップグレードしていた。
一つアップグレードすると途端に他のものにもアップグレードが必要になり、さらにそれがあらゆるものへと飛び火する。
それは生きた生態系のようになっていくので、アップグレードを遅らせることはより破壊的な結果をもたらすことになる。
現在進行中の小さなアップグレードを放っておくと、それがどんどん溜まっていき、最終的に行われる大きなアップグレードがとんでもなく大変なものになる。
そこで著者は、今では、アップグレードはある種の衛生手段だと考え、テクノロジーの健康を保つための健康法だと思うようにしたとのことである。
未来のテクノロジー生活は、終わることのないアップグレードの連続となる。
未来にわたってずっと、誰もが新しいものに追いつこうとする永遠の初心者になる。
われわれは心に渇望感を持たない限り、自分や集団の自我を拡張することができない。
だからテクノロジーによって自分の境界を拡張し、アイデンティティーを収容する器を拡げ続けている。
もしもっとよい未来を目指すなら、こうした居心地の悪さを受け入れて対処しなければならない。
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私の研究室のMacを更新するのは「不可避」で「必然」なのかもしれない。