『私の幻人生…』
すべては「たら・れば」噺で。
中学生から兄から勧められるままに空手を始めて、道場の先生の薫陶や兄からの厳しい指導によって高校二年生の時にたまたま県代表になって会派の全国大会で、これまたたまたまベスト8にったり、高校三年生の時にこれまたたまたまインターハイに出ることになった経緯で、高校三年生の時期に「県本部で推薦状を書くから大学空手道部へ進学しないか!?」という話がありました。当時、私の所属する会派で強豪というと「国士舘、駒沢、大正、(拓大 休部中)」などがあって、その話がある前から「オレ、大学に行けるんじゃネェか?」という思いはありました。ですので、大学の資料を見ながら「強豪校はイヤだな、〇✕大学とか✕〇大学なら良いかな?」ということを考えていました。県本部ばかりでなく、高校の担任からも「空手で大学行けるぞ!」という話しは聞いていました。なおさらに気分は上がりますよね!?
…ですが、その当時我が家は両親の離婚以降、生活は厳しくて中学の学生服、高校の時の制服であるブレザーも買い換えることもなく3年+3年を過ごしているような状況(私が親に言える状況でなかったので)でした。日頃空手で掛かる会費や空手衣、遠征費はバイト代や県の奨励金などで賄っていたくらいなので、大学進学なんぞは推して知るべし、というやつです。なにせ、当時履いていたトランクスの股の部分に穴が空いて、もったいないから縫ったんですが不器用な手だったもので、糸がユルユルになったところを見られて大笑いされた想い出があります(笑)そんなわけでいくら推薦入学でいくらか授業料が減っても到底支えることができることができない家庭事情でした。
まっ、そんな我が家の状況ですから大学進学なんて夢のまた夢です。
そうそう、思い出しましましたが空手で進学することがなくなって就職することになって、初任地は大阪なんです。と言うことは、給料日までお金がないので一ヶ月分の生活費は申し訳ないけども、家に出してもらわなければならないわけです。その事を父親にお願いすると「なんで出さなければいけないんだぁぁぁ!!」と言われて、高校生の私は「まぁまぁ、一ヶ月喰っていかなきゃいけないのさ」というと「そうか…」と納得して出してくれました。父親は結婚するまで実家暮らしで一人暮らししたこともないし、県外に出て住んだことも無い人ですので仕方ないと思いますが高校生の私にしてみれば「なんで!?」っていうわけです。
これはオマケでしたが…。