快晴の10月最後の日、まだ錦秋の世界が残っているだろうから歩いてこよう、と遠刈田の大鳥居から蔵王古道をゆっくり歩いてくる。標高400mからスタートし標高1000mほどの通称「雲湧谷」まで紅葉を愛でながらゆっくり登り、小1時間ほど秋の暖かな日差しを受けてランチタイムをくつろいで、帰りは、ブナやミズナラの枯れ木や倒木があれば、なにかキノコが生えていないかな、などところどころ足を止めながら、これもゆっくりと下る。この年の例にならって、色の艶やかさはいまいちだったが、この日到達した1000mから800m近辺が見ごろの彩りだった。それにしても11月だというのにこんなにも紅葉が遅いとは・・・。
標高1000付近の澄川近辺
標高700m付近三階の滝上部
この蔵王古道は、観光道路として開発された「蔵王エコーライン」が近くを並行して走っていて、数か所その舗装道路を横切っており、時々聞こえるエンジン音が、迷惑ながらも今話題の「クマの恐怖」を軽減してくれる。変な言い方だが、自動車道が安全な山行を支えてくれている。
シーズンなので、午前中は車の音が途絶えることはなかったが、昼過ぎから、なぜか聞こえなくなった。自動車道に出ても、登ってくる車も降りてくる車も姿が見えない。「何かあったのか・・・」いぶかしく思いながら歩いていて道路に出ると、パトカーや消防車の姿を何台も眼にし、空にはヘリの音。まさかクマさんの目撃情報ではあるまい、何やら重大な交通事故が起きたのだろう。(と、感じながら家に帰ってローカルニュースを見たら、トップニュースでその事故の報。事故原因は不明だが、トラックと普通乗用車が正面衝突し、二台とも数メートル下のがけ下に転落したとのこと。結果、トラック運転手が死亡、乗用車の老夫婦のうち運転していた夫が意識不明の重体、妻は骨折の重傷とのこと。)
晴れて紅葉真っただ中、何が起きたのだろう。おそらくトラックが下り、乗用車は山頂をめざし心を浮かせながら上を目指していたのではなかったか。エコーラインは観光道路でもあるが、宮城と山形をつなぐ道路でもあり、わりとトラックなど産業用車両もなどの大型車もスピードを上げて走っており、思った以上に危険な道路みたいだ。
そんな悲惨な事故だったとは知る由もなく、おそらく今年最後になると思われるブナの森の秋を十分満喫して山を下りた。
山の幸として、このところ割と春の「山菜」は楽しんでいるのだが、「きのこ」については長いこと採取していただくことはなかった。若かりしときに山岳会などで歩いていた当時は、「きのこ博士」たる先輩がいて色々教えてくれてもらったが、一人歩きになってからは興味も薄れ、「知らないものは皆毒きのこ」という変な先入観があって、「きのこ」には目もくれず山を歩いてきた。
しかし、こないだ北上の夏油温泉の自炊宿で出会ったマイタケを調理していた「きのこ蘊蓄博士」に出会って、「山できのこに巡り合って、少しだけいただいてきて夕餉・朝餉に味わうのって、なんかいいな。」と心が変わった。
夏油の山では、若い時に覚え、毒ではないと自信をもっていえる「ブナハリタケ」を一握りほど採取してきてカレーに入れて食べた。この時は、毒であると自信をもっていえる「ツキヨダケ」には何度も出会った。このきのこは半分に割ってみると茎の近くに黒いシミがあるので、すぐそれと分かり、馬鹿の一つ覚えのようにこのきのこに出会うと確かめる癖がある。
そして、きのうの蔵王古道。「ツキヨダケ」のようにミズナラの倒木にあちこちと笠を開かせているきのこに出会った。「ツキヨダケ」ではないかと、カサを割ってみたら真っ白。うろ覚えだったが「表面の皮が手で向けて、表面がビロード上で、肉厚なスポンジのような特徴のムキタケ」ではないかと思った。その場所でネット検索し、「ムキタケ」の写真特徴を何度も確認し、石橋を叩いて渡るような感覚で、10本ばかりもぎ取って、ザックにしまう。ネットの指南どおり、その夜のうちにうすい塩水につけておき、翌朝皮をむいて塩でゆがいて、汁の実と大根おろしと納豆であえて三分の一ほどいただいただいた。すばらしい食感とほんのりした山の匂い。(山のふかひれといわれているらしい。)
「ムキタケ」覚えた、惚れた。少しずつ、少しずつ、秋の贈り物を増やしていこうと決めた。
倒木に一ぱい育っていたムキタケさん
カサはビロード上だが、「ツキヨダケ」も混在していることもあるとのことで
時々半分に割って黒いシミが無いか調べてみよう
遠刈田温泉で、熱い湯にどっっぷり浸かり、蔵王古道の秋を終える。