トレランレース的なイベントを引退したのは、2019年2月末の石垣島北部で行われた30k程度の大会だったか。
2001年以降、奥多摩で行われる山岳耐久レース・通称ハセツネ大会以来どのくらいのレースに出たかは、今は手元に資料を集めていないが、20や30は下らないだろう。その大会や練習のために何足のトレランシューズをはきつぶしてきたことだろう。はじめはサロモンのごつい奴だったと思うが、その後はアシックスのトレランシューズを何足か履きつぶした。モンベルも何足か履いたがしっくりとは来なかった。何しろ岩角や小石を体重かけて踏み続けるもんだから消耗が激しくランニングシューズの半分以下の寿命だったのではないか。
そして、最終的に行きついたのは、米国製のアルトラという超扁平なおかしな格好をしたシューズで、トレラン人生最後の2年くらいはアルトラのローンピーク①防水透湿仕様と②非防水仕様の2足をもっぱら履いていた。①は、上野のアートスポーツで試履きしたらとても具合がよかったので、1万6千円以上と高価だったが即購入し、②は、レースではどうせ足中は濡れてしまうので通販で買って、主にこれをはいてレースに参加していた。おかげで②は、とっくにオシャカになったが、①は、今日まで我が家の玄関に鎮座していた。
靴底はすっかりすり減っていて不安だったが、今日はそれを履いて青葉の森を歩いてきた。やはりトレランシューズは軽くて走らなくても歩きのスピードがあがる。
この靴を、日帰りの低山で少し履いて歩こう。林道をスロージョグしてもいいだろう。ボロボロになるまで、トレランをやっていた証と思い出に使っていこうぜ。
青葉の森の紅葉も冴えず、もう終わりかけていた。
深田日本百名山登頂の思い出 66 雲取山(くもとりやま・2017米)
メモを見ると、東京都の最高峰雲取山に登ったのは昭和50年(1975年)5月とある。大学2年在学時か。オイラは、前年の10月の八ヶ岳山行以来、カモシカ製エスパースの一人用テントを持参した単独行を登山スタイルとすることを決めていたので、雲取山もテントを担いで登り、雲取山荘前にテントを張った。鴫沢から七ツ石山を経由した一般ルートだったはずだ。
雲取山のテント場でいつまでも忘れられないことは、夜中にテントの周りをウロウロするヤツ、おそらく足音からしてキツネかタヌキだったろうが、動物の気配がしきりとしていた。おっかなくてテントの外を見ることもできず、寝袋の中で息をひそめていた。テントの外に食料でも置いていたらまっさきに狙われたのだろうが、幸いそんなことはなかった。オイラってなんて臆病なんだ。でも、動物を恐れて眠られなかったことはそれが最初で最後だ。オジサンとなってからは、夜中に再三おしっこのためテントを出るので、動物のほうから人の気配を察知して逃げたのだと思う。なお、最近聞いた話だが、テントの外に靴を置いておくと、キツネがくわえて持っていくテント場があるそうで、靴やサンダルもビニール袋に入れてテントの中に置いておく方がよさそうだ。
雲取山から奥秩父縦走する予定だったのか、初めから途中で下る予定だったのか、今となっては思い出せないが、縦走路の途中の雁坂峠から秩父方面に下りている。時間的には雲取山から雁坂峠までの間、笠取小屋あたりでもう一泊したのだろう。雁坂峠からの下山路は二本あるが、つり橋を渡った記憶があるので、今の黒岩尾根を下ってやがて荒川となっていく滝川を渡った可能性がある。ちなみにこのコースのつり橋は今は破損して渡れなくなっているようだ。ちなみに、オイラはこの下山路で初めて「道迷い」を経験したが、原則通り元の道を戻って正しいコースを発見し事なきを得た。下山後は、秩父の川又の河原にもう一泊テント泊をした記憶がある。気持ちの良い砂地の河原だった。
雲取山からの縦走では、ちょうど5月の新緑の時期であり、しばし足を止めては、新緑の美しさを満喫した。雲取山から金峰山までの奥秩父完全縦走は、5泊6日か6泊7日を要するが、来年からチャレンジしたい南アルプステント泊のトレーニングを兼ねて、来年5月末あたりにチャレンジしてみようか。きっと、稜線は47年前と同じように新緑で燃えているのだろう。
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