水無出口の二つの碑です。道向かいの左の山に肥後トンネル人吉側入り口があります。
歴史探偵ごっこをしていると、わからないこと(不明なこと)がノートに溜まるだけです。今日はその解決に2つのことを追っかけてみました。
一つめ、(ちょっと前に述べたことです)高畠藍渓のこと。東間小学校にある「至誠」の書を書かれた方です。この方のことを調べているときに万江・水無の石碑の字を書かれたことを知りました。(いま、そのことが何で知り得たのかがわからなくなっています、認知のはじまりのようです)、それを確かめに行きました。水無集落には石碑はなく、近くの水無出口に石碑は建っていました。「道路改修記念」と「バス開通記念碑」の2基が並んで建っていました。‘道路改修’の方が古いようでした。ところが陽が当たっていなくて解読が難しかったです。石碑は古くなると苔むしたりして字の判読が難しくなります。陽の加減で見えたり見えにくかったりです。今日の時間帯は最悪でした。カメラで撮りましたがそれでもよくわかりませんでした。たぶんこれだろう?また、後日、確かめに行きます。でも‘藍渓’と書いてあるかが問題ではあります。
もう一つは、ほとけ展に出品してある西福寺の「涅槃図」です。平川冬嶺さんが書いたといわれている涅槃図です。西福寺涅槃図には署名はありません。冬嶺さんのこともよくわからなかったので人吉の図書館で調べてきました。相良村出身、錦西小で教師をして30歳ころから東京美術学校で学ばれた方です。1865~1948・・・戦後すぐに亡くなられた方です。他のお寺にも涅槃図が残されています。署名入りです。専門ではありませんが見比べてみる必要はあると思います。
今日はこの二つのことで一日が終わりました。古希を前にまだ若輩ぶりで苦闘しています。
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