今回の水害で被災した文化財を少しずつ紹介していきます。(豊光院跡仏堂)と呼んでいいのかわかりませんが、下薩摩瀬公民館の横にあるお堂の本尊です。私もこのお堂の存在を知らなくて仏様(釈迦如来像)を拝んだこともありませんでした。この仏像も被災して、写真の台座と光背だけがしらさぎ荘で見つかって→人吉城歴史館→昨日、山江資料館にやってきました。仏さま本体はまだ行方知れずなのです。
今日、お堂に行ってきました。隣の白い建物が公民館、窓の真ん中上くらいに浸水痕が見られました。お堂は屋根下くらいまで浸水したようです。台座等が見つかったしらさぎ荘までは直線距離2,300mくらいです。間は田んぼです。今日行ったのは夕方だったので近いうちに見つけに行こうと思っています。
台座には銘があって「薩摩瀬豊光院 寛政六年六月再興之者也 仏師安利常忠 当役渡辺健介 恒松安之勝」と書かれてありました。寛政6年は1794年です。記録によると豊光院は、もともと原田にあって、後に相良町に移り、大正年間にこの地に移されたとあります。どういういきさつで動いたのかはわかりませんが、これまで地域の方に大切にされてきたお堂と仏さまだったようです。その本体がないというのは残念なことです。さみしそうに台座と光背がポツンとご主人(本体)をまっているように思えました。
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