姫小百合(ユリ科)花言葉は、飾らぬ美。百合はユリ科ユリ属の総称。「ゆり」は「揺り」の意で、大きな風に揺れ動く事野に由来。「百合」の字は、球根数十個の鱗片でできていつルので、「百合合成」の五mkである。『万葉集』には、「由利」「百合」「由利」「佐百理」「佐由理」などと表記されている。日本には美しい百合が数多く自生するが、どれも(鱗茎)から芽を出し、笹の葉に似た葉をご互生。花は六弁の漏斗状で、芳香を放つ。園芸品集も多く、切ば花一年中出回るが、花壇などにも植えられる。「山百合」は各地の山林や林縁や傾斜地などの自生する。開花は6~7月、径20㎝以上の大輪白花で(別名為朝百合)」はその変種で径30㎝にもなる。山野に多いい「笹百合」は6~7に開花の桃や白花。「鬼百合」や「小鬼百合」は7月に橙赤色の花を多数つける。鬼百合は葉の脇に珠芽(むかご)をつけ、これでも繁殖する。小鬼百合は百合根を食用とする。純白の花をつける「鉄砲百合」は欧米の人々を魅了した花。明治の頃から球根が大量に輸出されれた。ほかに「透百合」「鹿の子百合」「姫百合」などもある。●山野で見る山百合や笹百合の清しさ、鬼百合の野趣、花束にされるカサブランカの風格など、種や品種によって趣が異なる。だがいずれも、きりりと咲く姿から、純粋で、一途な思いなどが託された句が多い。「くもの糸一すじよぎる百合の前 高野素十」「百合の芯皆りんりんとふるひけり 川端芽舎}「谷風や花百合そ向きそ向きして 河野青畝」「食卓の行くへ老いにけり 永田耕衣」「食卓の鉄報百合は素つぽをむく 加倉井秋を」「神の声湧くごと森のとよこ車百合 加藤千世子」「生家なほ三里山中百合涼し 宇佐美魚目」「百合の春はげしく襲ひ来る椅子に 稲畑汀子」「断崖の百合に日暮れの風移る 河野友人」「指指してわがものとする崖の百合 橋本美代子」「山霧の引きゆく迅さ小鬼百合 星野恒彦」「百合咲いて昼をしずかに富む家ぞ 島谷征良」「たくさんの百合添えて̪死を頂戴す 正木裕子」「風の百合ぶつかりそうでぶつからぬ 清原和男」「瓶に刺す百合は雷鳴のおとうと 四ッ谷竜」「笹百合の結界に香を放ちけり 大野今朝子」「尼寺や喉仏蔵と百合ひらく 木村日出夫」「告別ミサ百合は異端の匂ひもつ 今村潤子」「百合の花家ひろびろと香りけり 黒柳昌子」「ふれもせでゆりくずれたり沖縄忌 丹波恵美子」。(軒先に姫小百合咲く雨近し ケイスケ)。
シモツケ;繡線菊(バラ科)花言葉は、いつかかわる真価。落葉低木で、春咲きの雪柳や小粉団と同じ仲間。アジア原産で、各地の山野に生え、観賞用などに植えられる。高さ約1m。互生する葉は5~8㎝の広卵形で両端はとがり、縁に鋸歯がある。5~7月、枝先に径約7㎝の半球形の花序を出し、淡紅色の五弁の花を多数つける。昔の「下野」の国(栃木県)で発見されたところから「下野」と呼ばれ、漢名「̪繍線菊」があてられる。◎山野や路傍などで見かけると懐かしい感じの花である。小花が傘状に群がり咲くさまは、しっとりとした味わいがある。「縫線菊やあの世へ詫びにゆくつもり 古舘曹人」「しもつけの花小雨にぬれて折る 成瀬正俊」「しもつけに肩ふれられる家の角 岡田博充」「網線菊やえんぴつ書きの母の文 山内八千代」。(しもつけ菊驟雨に濡れてさびしけり ケイスケ)。
テツポウユリ(ユリ科;ユリ属)花言葉は、純愛;淑女。「百合」は球根が数十個の鱗片から出l来ているので、「百片合成」の意味である。「万葉集」には、「百」「由利」「佐山理」「佐由」などと表記されている。日本には美しい百合が数多く、自生するが、どれ球根(鱗茎)から芽をだし、笹の葉に似た葉を互生する。花は六弁の漏斗形で、芳香を放つ。園芸品種も多く、切り花は一年中出回る。「山百合」は各地の山地の林縁や傾斜地などに自生する。開花は6~7月、径20㎝以上の大輪白花で紅や褐色の斑点が入る.「さく百合(別名為朝百合)」はその変種で径30㎝にもなる。山野に多い「笹百合」は6~7月開花の桃や白花。「鬼百合」や「小鬼百合」は7月に橙赤色の花を多数つける。鬼百合は葉の脇に珠芽(むかご)をつけ、これでも繁殖する。小鬼百合は百合根を食用とする。純白の花をつける「鉄砲百合」は欧州の人々を魅了した花。明治の頃から球根が大量に輸出された。ほかに「透百合」「姫百合」「鹿の子百合」「姫百合」どもある。◎山野で見る山百合や笹百合の清しさ、鬼百合の野趣、花束にされるカサンブランカの風格など、種や品種によって趣が異なる。だがいずれも、きりりと咲く姿から、純粋で一途な思いなどが託された句が多いい。「くもの糸一すじよぎる百合の花 高野素十」「百合の蓁みなりんりんとふるひけり 川端芽舎」「谷風や花百合そむきま向きして 阿波野青畝」「食卓の声鉄砲百合はそつぽ向く 加倉井秋を」「神の声湧くごと森の車百合 加藤知世子」「生家まだ三里山中百合涼し 宇佐美魚目」「百合の香のはげしく襲い来る椅子に 稲畑汀子」「断崖の百合に日暮れの風移る 河野友人」「指さしてわがものとする崖の百合 橋本美代子」「山霧の引きゆく速さ小鬼百合 星野恒彦」「笹百合の結界にか香を放ちけり 大野今朝子」(百合の花家ひろびろと香りけり ケイスケ)。
花菖蒲(アヤメ科)花言葉は、あなたを信じる;優しい心。よく似ている花でアヤメ科の「燕子花」(杜若」)」と「菖蒲」があるが、燕子花は水生、菖蒲は陸生の植物であるのに対し、花菖蒲は水陸どちらにも生育する。とはいえ、垂れ下がった花びらが水に映るさまが美しいので、水をめぐらせた庭園などに植えて楽しむことが多いい。「野花菖蒲」を原種とするわが国独自の園芸植物で、江戸時代に品種改良が盛んに行われた。紫、白を中心に絞りなど様々な花があり、その優美さが好まれる。「はなびらの垂れて静か゚や花菖蒲 高浜虚子」「花菖蒲たゞしく水にうつりけり 久保田万太郎」「抽んでし高さに揃い花菖蒲 清崎敏郎」「文を解くごとしや朝の白菖蒲 角川照子」「きらぎれの風吹くなり菖蒲園 波多野爽波」。(夕べの雨に花菖蒲少し濡れ ケイスケ)。
ノアザ;野薊;花薊;山薊(キク科)花言葉は、私をもつと知って下さい。日本の山野に60余種が自生するが、薊はこれらの総称である。俳句で薊といえば、「野薊」を指し、この野薊は晩春から初夏にかけて花が開くので、春の季題とする。花は多数の紅紫色の筒状花から成り、紅刷のように小ぶりで優しい。総苞にねばり気があるのが野薊の特徴である。花茎は高さ60㎝位、葉は長楕円形で羽状に裂け縁には刺が多く野生的である。他の種類の「富士薊」や「山薊」は、茎の高さも1mに達し、紫紅色大輪を夏あるいは秋に開く。それぞれの植物名では俳句を詠むが、夏薊または秋薊として区別して詠んだほうがよい。花の後白い冠毛をつけた実を結ぶ。「花薊露燦々と葉をのべぬ 飯田蛇笏」「薊摘んで花の巧みを眼に見入る 篠原温亭」「くもり來しひかりのなかの薊かな 久保田万太郎」「妻が持つ薊の刺を手に感ず 日野草城」「双眼鏡遠き薊の花賜る 山口誓子」「一輪の薊を持ちし手が疲る 山口波津女」「降り出でて淡路は近し薊咲く 角川源義」「まへうしろ愁ひの雨の濃き薊 原 裕」。梅雨晴。梅雨なのに雨がほとんど降らず関東地方では、政府から節水の呼び掛けである。(空梅雨の月煌々とかなしかれ ケイスケ)。
月見草;宵待草;大待宵草(アカバナ科)花言葉は、ほのかな恋。北アメリカ原産の二年草。草丈は60㎝位になり、淡緑色の葉は、卵形で柔らかい感じがする。白色の四弁花を夕暮れに開き、翌日太陽が昇るころしおれて赤くなる。最近はこの月見草が少なくなっており、俳句でふつう月見草と詠まれているのは、大待宵草のことを誤って混同している句が多いいようである。宵待草の種類も幾っかあるが、最も花美しく目につくのは大待宵草であろう。これはアメリカ大陸から渡来した帰化植物で、今ではほとんど日本中に群生している。夕闇に黄色い花おほのかに開くさまは詩情を誘う。「月見草蛾の口づけて開くなる 松本たかし」「月見草月は朝々残るのみ 中村草田男」「月見草夕月よりも濃くひらく 安住 敦」「待宵草片淵は暮小鮎をどる 木津抑芽」「一つ蛾に浜の月見草みなひらく 林 翔」「汽車煙熱きがかかる月見草 鷹羽狩行」「月見草歩み入るべく波やすし 渡辺千枝子」「月見草青眉にふるる風ありて 鷲谷七菜子」。(武庫川の畔の月見草街賑わいて今いずこ ケイスケ)。兵庫県武庫川北町の社宅横の小川は今は懐かしい想いでだけが残っている。
今朝三鷹警察署より電話あり。遺失物係から、遺失物の届けがあり、受け取りに来るようにとのことであつた。そういえば、一昨日より手持鞄が見当たらず一日中家の中をさがしていた。何のことない、一昨日吉祥寺の、みずほ銀行に行き年金を下ろして帰宅したが、引き下ろした金額は手元にあるも、銀行預金通帳が見当たらず,寝ることも出来ず、一晩中家の中を探しまわつていたのに、タクシーの中に忘れて、運転手さんが、届けてくださつていたものであつた。午前中警察に出向き、紛失届にサインして、手帳や管理費、電話料金、生命保険料等の支払い用通帳や、それに関連するカードを、もらい下げて。ㇼソナ銀行吉祥寺支店ですべての手続を済ませて帰宅した。一日中の行動でした。(これで2度目です。)以後十分注意しますが?果たして守れるか?2度あることは3度あるとは、どこかで聞いたことがあるが?(ケイスケ)
タイサンボク(モクレン科)花言葉は、威厳;自然の愛情。北アメリカ原産。常緑高木。日本へは明治初期に渡来し、公園や、庭に植えられる。高さ10m。葉は長さ12~20㎝の長楕円形。表面は暗褐色の細毛が蜜に生えている。6~7月、枝先に強い芳香のある白花をつける。花は径15~20㎝の盃で大型、花弁は6個が普通だが9~12個のものもる。「泰山」は中国、山東省にある霊山で、「泰山木」は高貴な花の雰囲気をその霊山の名に借りたものとされる。◎清らかな雰囲気を漂わせている。一方、古い洋館、教会などに似合いそうな花である。いずれもゆったりと咲く王者の風格を大切にしたい。「硺像や泰山木は花終んぬ 山口誓子」「泰山木樹頭の花を日に捧ぐ 福田蓼汀」「ロダンの首泰山木は花得たり 角川源義」「あけぼのや泰山木は蝋の花 上田五千石」「十字架の高き泰山木の花 岬 雪夫」「泰山木かんばせを日にまかせたり 鍵和田柚子」「泰山木咲きしんしんと空の沖 増成栗人」「花のあるうちは風きて泰山木 檜 紀代」「梢うごきおれば泰山木の花 両角玲子」「泰山木の花晩成を目指せよと 大石香代子」「泰山木の花に千手のひかりかな 小西道子」「水までも匂ふ泰山木の花 星野 椿」「壺に咲いて奉書の白さ泰山木 渡辺水巴」「夢殿や泰山木の花ひらく 穴井 太」「泰山木樹頭の花を日に捧ぐ 福田蓼汀」「泰山木終の一花として高し 畠山蓼汀」。(泰山木香ゆたに威厳あり ケイスケ)
ウツボクサ;靭草;夏枯草;すいすいばな;狐の花。花言葉は、協調生。シソ科の多年草。日当たりのよい山野に生える。茎は四角形で直立し、高さ約0㎝。葉は対生し、卵状楕円形。6~8月、茎の先に紫色の唇弁花を密集してつける。靭の語源は空穂(うつぼ)『大和本草』に「うつぼ草 穂の形靭に似たり」とあるが、靭は矢を入れる中空の篭をいう。花穂はそのまま枯れて暗褐色になる。この穂を「夏枯草」といい、薬用とする。「靄こめて遠森かくす靭草 富安風生」「靭草少年暗く蜜を吸ふ 佐藤鬼房」「野の道は来し方ばかり靭草 斉藤美規」「尋ね行く武庫の山路や靭艸 素 丸」「水音のそこに夕づくうつぼ草 村田 脩」「雨に揺れ虻にゆれけりうつぼ草 堀口星眠」。(君の名は、狐の花;すいすいばな;夏枯草;靭草と、名も多ければ薬用まで世のため、人のため唇多し,狐花 ケイスケ)。
アジサイ;紫陽花;七変化;額の花(ユキノシタ科)花言葉は、乙女の愛;移り気。日本原産のガクから改良された園芸品種である。この花は、19世紀ごろ長崎に来航したドイツの医学者であり博物学者でもるシーボルトが、愛人の”お滝さん”の名にちなみ「オタクサ」と命名したことで有名である。対生した卵形の葉の中から、緑の粒々とした蕾のかたまりが見えはじめる。6月ごろになるとその蕾は、薄緑、淡黄色、白と変えながら花のまわりをおおきくしてゆく。このころは雨の日がおおくなり、やがてあさぎ色、藍色あるいは瑠璃色に染まって雨に濡れているさまは美しい。七変化の名もここから生まれたのである。また花びらのように見える萼が、四枚から成っているので四ヒラともよbされている。鎌倉の明月院など、紫陽花の名所も多いい。{紫陽花や白より五でし浅もどり 渡辺水巳」「あぢさゐの毬の幼き帰郷かな 鈴木真砂女」「あぢさゐや月に色づき日にあせて 成瀬桜桃子」「禅林や毬の裏まで濃あじさゐ 赤松恵子」「家腐っ雨や紫陽花百あまり 斉道子」「子の渦に保母ひとりずつ濃紫陽花 福永耕二」。(故郷や夜も触るも濃紫陽花 ケイスケ)