川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

ともだちINいわき

2012-11-19 16:00:43 | 友人たち

11月17日(土)曇雨

 きいちご移動教室一日目。石炭・化石館の庭で昼食・見学のあと、白水阿弥陀堂へ。時雨で紅葉がいっそう美しく、まさに極楽浄土の風情です。

 3時にはいわきゆったり館に入り、温泉・温水プールを堪能しました。どなたもがゆっくり、ゆったりのときをすごして喜んでくれました。

一年前に出会った菜南ちゃんとゆいちゃんが再会を喜んでくれました。学校の運動会で秋の「富士山の旅」に参加できなかったのです。

左は菜穂子さん。15歳のときからの長い付き合いです。こども係りを買って出てくれます。

18日 快晴。テルテル坊主の効果てき面。薄磯海岸の村で津波の犠牲者に黙祷。涙が流れたと語る方も居られました。

塩屋崎を望む美しい砂浜のある村です。

②泉田さんと洋子さん。北高時代の先生と生徒。どちらも「残留孤児2世」です。

③塩屋崎の「みだれ髪」の歌碑のところで菜穂子さん。帰りのバスのカラオケ大会で見事な声を披露してくれました。であって30年近くになりますがびっくりする絶唱です。司会の小綿さんが「美空ひばり」がよみがえったか、といっていました。心優しい娘が力強さを身に付けて来たのか。

④捷蔵さんと精さん

「泳いだり、温泉に入ったり、帰国して初めてゆったりした」。捷蔵さんは僕の兄貴分です。石炭化石館で見た「炭住の井戸端の洗濯板のある風景」がいたく心に残ったといいます。幼い日、お母さんの記憶につながる風景です。精さんが同室になってくれて弟分が増えた、かな。

 ⑤三崎公園を散歩している河本さん(近所の「家園」の秋子さんのお母さん)と中村さんにあいました。二人は僕の故郷・土佐に行きたいといってくれます。元気なうちに計画を立てなくちゃ!

⑥高柳教授

 「東京の中の朝鮮」を監修してもらったあたりから、世話になっています。三崎公園の潮見台の天辺。このあと、高柳さんの愛帽は風に舞って太平洋へ。

三崎公園の芝生の上で昼食会を楽しんだ後、小名浜港でお土産を買って帰途に就きました。僕は移動教室の「先生」ですから写真を取っている余裕は余りありません。やがて友人たちが撮った写真を送ってくれることでしょう。

 

 

 


武彦さんの故郷 石橋農園収穫祭

2012-11-11 09:45:56 | 友人たち

11月10日(土)快晴

  正午からの石橋農園の収穫祭に寄せてもらいました。東京教育大学新聞会のOBOGが毎秋、狭山の石橋さんの畑に集まります。70代半ばの方たちのグループです。石橋農園は僕の自転車散歩のコースにあるので天気さえよければ僕も参加させてもらっています。

  

 今年の参加は13名、遠く大阪からこられた方もいます。お名前は昔から知っていてもお会いするのははじめての大先輩です。

学生時代から世話になった武彦さんから今年も遠い昔の話を聞きました。

 両親が朝鮮の慶尚南道の農村の教員だったので兄弟のすべてが洛東江に近い村々で生まれた。武彦さんは朝鮮語がぺらぺらみんなから「ひこやー」とよばれた。日本語の「彦ちゃん」と同じ響きだろう。両親の通訳は「ひこやー」の仕事だったらしい。

 会津に引き揚げて来てからも「ひこやー」と呼ばれ続けた。「彦也」という名前かと思われたらしい。そのうちに朝鮮語はきれいさっぱり忘れ去った。

 京城師範学校を出た兄さんに誘われて90年代に故郷の村々を訪ねた。村も学校もしっかりと確認することができたという。

武彦さんは今、韓国ドラマに魅せられています。旧加羅諸国に伝わる始祖神話と天孫降臨神話の類似性に留意したりしながら古い時代の物語に入り込んでいるのです。それでも幼少時に身についた朝鮮語の響きがよみがえってくることはないそうです。

 武彦さんの故郷は会津とばかり思っていました。遠い昔読んだ作家・金達寿(きむ・だるす)の故郷と程近いとは思いもよらないことでした。10歳の金少年が日本を目指して馬山(マサン)近郊の村を出たのは1930年か。育ててくれた祖母との別れを回想した文章がよみがえってきます。

 殖民するものと流浪するものと。運命の落差は歴然としていますが幼少年期をすごした故郷の風景にはそれほどの変わりはなかったはずです。

武彦さんは朝鮮とは縁の深い三一書房の勤めです。お二人に出会いはあったのか?次の機会に聞いてみたいものです。

 


旧友たちとの交信に明け暮れる一日だった

2012-10-29 06:09:46 | 友人たち

10月28日(日)雨

 体の芯まで冷えて一日ベッドの中。今シーズン初めてストーブをたいてもらいました。抗がん剤の後遺症で下肢に痺れがあるため体がなかなか活性化しないのです。

 断続して各地の旧知と交信しました。

①室戸岬小(旧津呂小)ミニ同窓会  7月になくなった公夫くんの墓参をかねて11月11日(日)正午にJR金町駅に集合と決まりました。高知の沖くんとも数年ぶりに会話。トッコちゃんの店が民放のたび番組で全国に紹介されたとか。来春には訪ねられるかな。

②先日、金子潔くんとあって思い出したMくんの消息を尋ねあて、40年?振りに久闊を叙しました。1963年秋、僕が教育大学の文学部自治会委員長に担ぎ出されたときの常任委員の一人です。04年に新聞社を退職して穏やかな市民生活を楽しんでおられるようです。

9月に心臓の手術をした入江勝通くんはペースを調整しながらも相変わらず地域活動に忙しそうです。共通の友人の名前が何人か出てきました。金子くんの著作を読んだのを喜んでいました。

 僕にとっては「自治会活動」は降って湧いたような特別付録です。ですからそこで出会った後輩たちとの交友は任期の終了とともにほとんどありません。それでもときに懐かしく思い出されます。みなそれぞれに魅力があり、誠実です。半世紀がたってあってみたいと思う人ばかりです。

③大島高校1967年3月卒業クラス会。今回は11月22日、伊豆高原だと知らせを受けました。移動教室の直後なのでいつものように即座に「参加」とはいきません。夜になって幹事の西川くんと通じました。参加希望者はいつもより格段に少ないということです。体調など今しばらく様子見ということにします。

こうして友人たちと交信しているうちに体もいくらか内側からあったまってくるような気がしました。不思議なものですね。

勢いに乗って久しぶりに「寅さん劇場」。第47作「拝啓 車寅次郎様」。どうしても寅さん(渥美清さん)との別れのときが近づいているのを意識します。

 47-poster.jpg (82814 バイト)

「男はつらいよ」 渥美清●http://www.youtube.com/watch?v=yh31yDnubIQ

 

男はつらいよ 
作詞:星野哲郎 作曲:山本直純 (昭和45年) 

俺がいたんじゃお嫁にゃ行けぬ
わかあっちゃいるんだ妹よ
いつかお前が喜ぶような 偉い兄貴になりたくて
奮闘努力の甲斐もなく
今日も涙の 今日も涙の 陽が落ちる 陽が落ちる

どぶに落ちても根のある奴は
いつかは蓮の花と咲く
意地は張っても心の中じゃ 泣いているんだ兄さんは
目方で男が売れるなら
こんな苦労も こんな苦労も かけまいに かけまいに

どおせおいらは底抜けバケツ
わかあっちゃいるんだ妹よ
入れたつもりがスポンのポンで 何もせぬよりまだ悪い
それでも男の夢だけは
何で忘れて 何で忘れて いるものか いるものか

あても無いのにあるよな素振り
それじゃあ行くぜと風の中
止めに来るかとあと振り返りゃ 誰も来ないで汽車が来る
男の人生一人旅
泣くな嘆くな 泣くな嘆くな 影法師 影法師

 


佃島

2012-10-26 06:04:22 | 友人たち

10月25日(木)曇り

癌研有明病院に行ってCT検査をする日です。早めに出て佃島で佃煮を買うことにしました。

どこで何を買うかは妻がメモをして渡してくれます。

癌研に通うようになって佃島にも時々寄るようになりました。大学時代からの友人・金子潔くんがご馳走してくれて以来、佃煮はやはり佃島だと思うようになったからです。

スーパーで買う佃煮とは味が違います。値段も違いますが近頃はいたって小食です。ご飯は朝夕それぞれ軽めの一膳です。佃煮があるとご飯が美味しいのですがそれでも一杯が限度です。少々高くても美味しいご飯を食べさせたいと妻が決めているのです。

  

田中屋でメモ通り買ったあと、隅田川を望む灯台付近で一休み。

  石川島 灯台

金子くんに電話をしてみました。昼食の準備中だというのに呼び出してしまいました。一昨年夏、伊豆の家に世話になって以来かな。ここは彼の故郷です。

小一時間、共通の友人の消息などを交流してすごしました。学生自治会の活動で出会って以来、来年には半世紀になります。旧友の訃報を聞いたり、闘病の情報を耳にしたりすることが増えました。それでもなかなか会うことはできません。金子くんとこうして会えるのは例外的です。流れる時間がとても快い。

地下鉄の駅近くまで見送ってくれました。元気に生きて旧友たちと交歓する日にも出会えるといいなあ。それぞれが精一杯に生きた50年です。出会うことなしに永訣するのはさびしい気がします。

癌研の成績発表は29日です。

 

 

 

 

 


詩集「人生の扉は一つじゃない」ただいま快進撃!!

2012-09-29 07:37:05 | 友人たち

9月28日(金)曇り

一日中ベッドで休養。

先日、大崎博澄さんから届いたメールを紹介します。

詩集『人生の扉は一つじゃない』が反響をよんで何よりです。読者の声が僕にも響いてきます。よかったら、皆さんも詩集を手に取ってみてください。

 ●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/52a36d57f2b3f265fc99c66d14910866

詩集「人生の扉は一つじゃない」ただいま快進撃!!

 

人生をこの上なく愚かに生きた先輩から、悩める十代、やかなしみを抱えたすべての世代に贈る小さな哲学「詩集・人生の扉は一つじゃない」をお買い上げいただいた皆様に心より感謝です。おかげ様でただ今、1000部を突破、快進撃を続けています。

たんぽぽの運営資金にするため、娘が手造りケーキを作ってくれているので、時々はりまや橋の近くのケーキ材料のお店に買物に行きます。

先日、そのお店の若いスタッフの方が、新聞で見ましたよ、と思いがけない声をかけてくれました。プライベートでは変装のため、いつも帽子を目深にかぶっているのですが、ばればれなんですねー。

その素敵なお嬢さんに詩集を進呈したところ、後日、ものすごく励まされました、と、またまた声をかけてくれました。若さにあふれ、幸せそうに見えても、人はそれぞれの荷物を背負って人生を歩いているのだなー、と思いました。

 

<読者のみなさんの声>

彼女に感想を聞くと「かなしいけれど前向き」と答えてくれました。好きな詩はと聞くと「もし不幸が訪れたら、小さな傷、友達について、不安について、人生の問題の解き方」と教えてくれました。(浦木秀雄さん)

 

奈比川さんに6階の建築課でばったり会いました。「僕、大崎さんの詩集3冊も買いました」というと「あたしも3冊買いました。4位ですものね。」と言われました。もうベストセラーまちがいなしです。カバンに入れて、思いついたとき、手にとって読んでいます。いつも勇気づけられています。(北村竜平さん)

 

 私も娘の厳しい人生を代わってやることはできませんが、少しでも生きやすい手伝いができたらと鬼母(真子のネット中の私の代名詞らしい)として付き合っています。涙を拭っては立ち上がって前を向いて生きています。(高橋京子さん)

 

一ページ、一ページに勇気づけられる言葉がおしつけがましくなく、ゆったりと語られており、元気が出ました。中でも、今の私の思いを代弁してくれている!そうよね!と思ったのは、29ページの「歴史について」の一節です。

覇を競う権力者の歴史のほかに

日々の糧を伝えるために遠い道を歩いた

名も無い人々の歴史がある

世の中がどう変わろうと、小さくて弱い人の味方、大崎さんの理念は、今の世の中には必要な宝物です。

新聞を取りに出て、思いがけないたからものを見つけました。二度、読みました。また、読みます。(島崎みつわさん)

 

詩集の最後に「たんぽぽはいつも香り高い珈琲を用意してあなたを待っています」とありました。ちょっと休みたくなった時、休める処があるのは、今の自分にとっても安心です。人はそういう場所を求めているのでしょう。(瀬戸保彦さん)

 

若い人たちだけでなく、大人も共感できる1冊です。私もこうだったな、とか、今でも想っていることも。また、「ああ、わたしはこんなに強くないな」と思うことも。

(奈比川あおいさん)

 

父親というのは失礼かと思いますが、ついつい娘のような心境にさせていただいているので、中澤社長にたんぽぽの事務所を設けていただいたことの御礼を申し上げてしまいました。だって、今、大さんの活動の拠点がここにあることで多くの方が救われているはずですもの。そう思うとついついそして、何より大さんの活動されることを見守ってくださる神様に私も心より感謝しています。(上田真弓)

 

 ――この詩、胸につきささりました――私は母ひとり、子ひとりでこれまで来ましたが、母が死ねばどんなにさみしいだろうというのが、私の一つの悩みです。大崎さんのように、いつか私も「本質的な意味で恐れるものがなくなった」と思える日が来るでしょうか。

(小川京子さん)

 

「おとなになってゆくきみへ」の新聞の切り抜きを今もお守りにしています。ニワゼキショウは、うちの子供が小さい頃大好きな花でした。(掛水ひとみさん)

 

カタバミ、アレチノギクほか素朴な章の立て方にも、作者の目の位置が感じられ、小心だ、赤面恐怖だ、ハゲだと殊更にご自分を卑小化されたのも、若い人たちへ自信を持たせるためでしょう。負を語るのは勇気もいるし、程合いも難しいものですが、高みからでない、同列からの言葉がけであることが、読む人にも伝わる筆致です。(西岡寿美子さん)

 

子供たちの抱える問題に足を踏み入れることは出来ませんが、手をにぎったり、抱っこしたり、お話を聞いてあげたり、母親のようなぬくもりを一瞬でも感じてもらい、ボクの味方の人もいるんだなあって思ってもらえることができればと思います。(神原ゆかりさん)

 

私の気持を言葉に表す事はなかなかできません。お手紙書きながら二度目読み返しました。大崎さんはカッコいい人です。(多田和子さん)

 

私の娘は1学期の半ばより、突然学校が嫌になり、それでも何とか好きな科目は出席する日々でした。私の気持が迷いとあせりと不安でいっぱいになった時、この詩集の事を新聞で知りました。読み終える頃、心がふっと軽くなりました。救われました。(徳廣博子さん)

 

息子はいじめが原因の不登校でした。その時は涙が止まりませんでしたが、今は息子から学ぶ事がたくさんあったと思います。少しでも不登校に悩む子どもや保護者の方の支えになりたいと思います。(大崎加代さん)

 

詩集の扉を見たとき涙がポロン、カリンさんがとても幸せそうに思えたからです。

(浜田陽子さん)

 

いまだ自分の弱さをさらけ出すことができず、自分で自分を許すことができずにいる私ですが、そんな時にはこの詩集を読み、心を落ち着かせたいと思っています。(片岡憲子さん)

 

ひとつひとつ、言葉が心に落ちました。未知さんの表紙の絵がとってもいいですね。励まされます。(西山寿万子さん)

 

小さな弱い人を守る教育の実現に精魂をこめるも敗北、すごい言葉です。この詩集を政治家の必読図書に指定してほしいくらいです。(尾崎文明)

 

毎夜少しずつ読み返して、安心して眠りについております。(津野美保さん)

 

庭にぶらさがっているニガウリを佃煮にしたり、炒めたりしながら「ニガウリの食べ方」を反復しています。(入野照子さん)

 

「小さなものを」「アレチノギク」「異端について」という詩が特に好きです。多感な少年少女が読んでくれるといいですね。(浜崎秀洋さん)

 

後書きに不登校の問題の本質をズバッと一言で書いておられましたね。ものすごく勉強になりました^^。(ぴよっちゃん)

 

ご希望は下記へ・定価税込1000円・送料当方負担でお届けします

   Tel 088-855-4546  または E-Mail  osaki@tanpopo-k.net

高知市内では、下記で販売しています

   富士書房(高知城前) または 高知こどもの図書館(永国寺町)

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たんぽぽ教育研究所 大博澄
 
〒780-0833 高知市南はりまや町2-4-15
Tel 088-855-4546 携帯 090-7627-3543
E-mail  osaki@tanpopo-k.net
 
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好日 上州路

2012-09-20 04:14:50 | 友人たち

9月19日(水)曇時々小雨

 中国家庭料理「家園」をやっているKさん一家と小旅行をして心躍る一日でした。

6時。雨は上がってきたが予定通り赤城山に行くのは無理かな。夕方には晴れるというが。

8時半。 「家園」。主人の安祥さんの笑顔がこぼれている。お連れ合いの秋子さん、娘さん。3人での旅行は09年5月の「きいちご移動教室」以来らしい。「家園」を始めてこの夫婦には休みがなかったのではないか。娘さんの高校が学校行事の代休で、看護婦の秋子さんもこの日が休みだ。思い切って「家園」を臨時休業にした。

9時。近くでガソリンを満タンにして東松山ICから「出発進行」。前々からの約束を実現できて運転の妻も快調。5人の旅の始まり。

10時過ぎ。 赤城高原SAで一休み。雨上がりで周囲の山々の緑が気持ちよい。お目当ての赤城山は雨雲の中。

11時。沼田ICから程近い道の駅・白沢。夫婦は農協の売店で野菜をしこたま買い入れる。良質で安い。

  近くの「ぶどう畑・桑原」●http://www.budoubatake-kuwabara.com/message.html

 

お兄さんたちの応対が気持ちいい。僕はぶどう狩り初体験。ふだん手が届かない高級品がたわわ。お土産にもいいと妻の収穫意欲も旺盛のようだ。

12時。道の駅・川場 展望台まで散歩。上州武尊(ほたか)山は雲の中だが黄金の里の眺めがいい。記念撮影。

娘さんが中学時代の体験話。学校がひどく荒れ、無秩序状態だったらしい。秋子さんも心配の日々だったという。

近頃「いじめ」のため、意識不明になった子どもがいるというニュースがあった。僕の子どもたちの母校でもある。心が痛む。娘さんが孤立の危機を乗り越えて元気に高校生になれて本当によかった。

13時。「誉国光」。 武尊の伏流水でのどを潤す。昼食。古民家風のレストランで一家の歴史を聞く。秋子さんのお父さんが「中国残留日本人孤児」だが、身元はわからないままだという。養父母も晩年になって来日し一緒に生活したらしい。この一家を見ているとうらやましいくらいだ。家族が互いにいたわりあい、助け合っている。

14時半。吹割の滝。●http://www.houbien.jp/fukiware/

雨の後のせいか、流れに一段と勢いがある。一同感服。

娘が磐に登ってカッコつける父の写真を撮る。いい風景だ。

対岸の山道を散歩して帰る。この道を通るのはわたしたちだけだ。滝がはるか下に見える。

16時すぎ。帰途に着く。沼田からの関越もすいすい。東松山近くで雲が切れ、虹が見える。すばらしいフィナーレ。

18時半。家園着。

19時半。夕食。Kさん一家に喜んでもらえて本当によかったなあ。妻は満足げである。僕もうれしかった。若い人たちと一日を過ごす喜びを満喫した。 

 

 


高齢者は無料です

2012-08-31 06:38:40 | 友人たち

8月30日(木)

 朝、勝義さんと久しぶりに会話。さいたま市与野の旧居の売却が完了し、いよいよ横浜市港南区の新居での生活が本格的に始まったようです。

 旧居最後の日は片づけが済んだ部屋で末嬢と「月の砂漠」などを歌ったとか。長く一緒に生活してきた父娘がそれぞれに独居生活に踏み出すのですから感慨が深かったのでしょう。

 勝義さんの新居は娘さん夫婦のお宅の近くですから何かと心強いこととおもわれます。

 難病を抱えている上に引越しの作業で腰を痛めたといいます。療養に努めてまた一緒に旅ができるようになってほしいものです。幸い近くに病院も見つかったようです。

 勝義さんの転居は僕にとっても大事件です。年に数回は川越に来てくれていました。僕も自転車を漕いで与野のお宅を訪ねました。そういう行き来ができなくなるのですから大変な打撃です。年をとると同じ時代を生きてきた友人はますます大切な存在です。

 久しぶりに新河岸の曼荼羅で昼食にしました。主人の井上くんは高校の同窓会で?10年ぶりかで帰郷するといいます。何人ものクラスメートから「帰って来い」のラブコールがあったといいます。「覚えちょいてくれた」のがよっぽどうれしかったようです。早割りで飛行機の切符を安く手に入れたとのことです。

 暑いので川越公園のプールに行くことにしました。65歳からは無料なので僕はちょくちょく利用します。今年、66になる曼荼羅の主人はこのことを知らなかったようで新知識を喜んでくれました。そこで年寄りの先輩として披露した知識のいくつか。

 ①65歳以上は無料の施設(埼玉県営)  水上公園のプール(川越・上尾など) 埼玉こども動物自然公園 川の博物館(寄居)

  その他の県立の博物館・美術館

 ②入浴料の助成  65歳以上の川越市民  年6回 200円の割引券(市役所・支所で手続き)

 ③「敬老の日」のみ 市立の本丸御殿・蔵作り資料館・博物館・美術館・まつり会館が無料(65歳以上)

 (注) 川越まつり会館は9月1日から7日まで誰でも無料開放

   9月14日から一週間  旭湯(市役所近くの銭湯)が無料(65歳以上)

 ④60歳以上は無料の施設 オアシス(温水プール)後楽会館(風呂) (手続き必要)

貧乏人の年金生活にとってこうした施策は生活に潤いを与えます。僕は結構活用しています。

 

 

 


『人生の扉は一つじゃない』 大崎博澄 詩集

2012-08-30 07:01:54 | 友人たち

8月29日(水)はれ

大崎博澄さん(前高知県教育長)が詩集を送ってくださった。

 

イメージ 1

大崎さんは「あとがき」の中でこう書いています。

 ぼくは、極貧に生まれ、多感な思春期を劣等感にまみれて育ち、けつまずいたり転んだり、人生をこの上なく愚かに生きて晩年にいたりました。今なお苦しみの中にいる子どもを抱え、収入も蓄えも乏しく、年老いて体力も衰えました。なんたる不幸な人生、と思うでしょう?

 ところが、ぼくは不幸ではないのですね。むしろ、自分をひたひたと満たす不思議な幸福に包まれています。

それは、子どもの頃から敗北の連続の人生の中で身に付けた小さな哲学、小さなものを愛する好奇心、人の心の痛みに想いを寄せる想像力が、自分を支えてくれる多くの人との出会いをもたらしてくれたおかげです。

大崎さんは僕の人生の終末期に出会うことができた4歳下の友人です。こういう風に言い切ることができる大崎さんの人生に僕は深い敬意と共感を抱きます。生まれも育ちも僕とは違いますが「そうだね」と心から同意することができます。

大人になっていくキミへ、生きづらい日々を懸命に生きているあなたへ、どうしたら絶望を希望に変えられるか、悲しみを受け入れてささやかな夢を実現できるか、人生をこの上なく愚かに生きたぼくが学んだ知恵のすべてを、この詩集に刻みました。」

今を懸命に生きている若い友人たちに読んでほしいと思います。

一つだけ大崎さんの詩を紹介します。これが詩というものなら僕も詩人になりたい、なれるかも知れないと思ったものです。

詩の書き方   

  大崎博澄

さて、どう書くか

 

上手に書こうと思ってはいけないよ

詩は下手なほうが上手

むつかしい言葉を使ってはいけないよ

やさしい言葉ほど、キミのやさしさが伝わる

古い歯ブラシで二、三度こすると

言葉にあたらしい意味が宿るんだ

 

さて、何を書くか

 

詩のタネはキミの身の周りの至る所に

見つけようとする人にだけ、それは見つかる

ひとりで食べた朝ごはん、円満橋の下に群れるボラ

歩道に咲く小さなスミレ、街ですれちがった美しい人

詩のタネはキミの心の扉をいつもたたいている

ドアノブは心の内側、だから開けるのはキミ自身

 

さて、何のために書くか

 

詩を書くことよりも

人生をよく生きることのほうが大事だよ

恥をさらすことをおそれないで

透き通る悲しみから目をそらさないで

今日一日、孤独に耐えた自分を励ますために

それがどこかで誰かを励ますことを信じるために

 

さあ、これで

今日からキミは詩人、そして、ぼくの友達です

 

<詩集の入手の方法> たんぽぽ教育研究所へ電話するのが一番。大崎さんが出るかも知れません。一冊1000円(送料込み)。

 088-855-4546  または090-7626-3543

 

 

 

 

 

 


小山義幸くん

2012-08-29 09:36:12 | 友人たち

8月29日(火)晴れ

神奈川県海老名市に住む小山義幸くんが来てくれ、昼食をともにしながら4時ごろまで交流しました。1966年4月、都立大島高校に就職した僕にとって最初の生徒になった130人の一人です。当時3年生で、7つ違いの弟のような年頃です。

写真: 僕の一番最初の生徒だった小山義幸くんが遊びに来てくれました。 

「うたしない 炭鉱の記録 写真集」の表紙

 7月に私たちは小山くんの故郷・北海道歌志内市を訪ね、貴重な写真集をもらってきました。それを手渡しがてら人生の話を聞きました。41年前、引越しを手伝いに来てくれて以来の来訪です。

丁寧に整理されたアルバムを何冊も持ってきてくれました。歌志内の少年期から大島高校時代までの義幸くんと家族の歩み。

敗戦直後、兵役から東京に帰ったお父さんは当時唯一景気のよかった炭鉱夫になる道を選び歌志内に一族の活路を求めたようです。

 男ばかり5人兄弟の4番目として昭和23年(1948年)ここで生まれた義幸くんにとって歌志内・東光一区はまさにふるさとです。中学2年までをここの炭住で過ごしました。

 東光一区の写真

東光一区だけで2000人が暮らしていました。小山一家は炭住街の一番奥、この写真の左上の丘の上にあり、父は真っ黒になって炭鉱で働く傍ら、七面鳥・鶏を飼い、あちこちに畑を作ったといいます。男ばかり5人の子どもを育てるのですから必死だったのでしょう。お母さんは家事の傍らニコヨンをやっていたそうです。

 僕が知る限り義幸くんは温厚篤実な青年ですがここではスキーや卓球の得意な少年だったといいます。当時の写真や地図を示しながら子ども時代を語ってくれました。

その思い出の詰まった地が忽然として消え去ってしまったのです。2000人もの人々の生活の場が山野に帰り、一部は産廃工場などになりました。今は住民はゼロです。

別れに当たって写真屋さんで撮った級友たちのプロフィール。今は誰一人、消息がわからないとか。

こんな人生があるんですねえ。僕が運んできた写真集がきっかけになって遠い昔を語り合うことができる友人が一人でも出てくるといいなあ。そんな風に思いました。

9月には結婚式があり、兄弟が顔を合わせるそうです。『炭鉱の記憶』が回し読みされて、故郷への想いが語りあわれるかな。

義幸くんは高校を卒業して早稲田の電器店で働き始めて以来、家庭電器業界一筋。土日が休めないので旧友とは疎遠になったがいい友達に恵まれたようです。

終生の友となったのはアルバイトでであった沖縄出身の青年。日大全共闘の一員として闘ったため大学を首になった方のようです。生涯、喧嘩と言うものをしたことがないという義幸くん、どんな交友だったのかな?覗いてみたい気がします。

その彼も、そして僕と同年の長兄も近年相次いで逝ってしまったとか。

近年、左肺の一部を切除した義幸くんは僕のがん友でもありますが発見が早かったため再発の可能性は低く、元気いっぱいです。

定年後も仕事をしていますが今日のように暇を見つけて旧友とも遊んでくれるとうれしいな。

 

 

 

 

 


川辺川の鮎

2012-08-27 05:38:13 | 友人たち

 8月26日(日)

今年も熊本県川辺川の鮎がたくさん届きました。人吉に住む賀明さんが釣果を送ってくれました。

 出典●「だんだんなー」http://blog.goo.ne.jp/fsfc-gamei/e/efbdaeba260142487747b5d1e50fc8bc

ダムを作らせない闘いのおかげで川辺川の水質は日本一です。そこで生育した鮎ですから味もまた格別です。

この川辺川が流れ込むおかげで合流点より下流の球磨川本流も水質がよくなるそうです。球磨川上流にはダムがあり、水質汚濁が進ん

でいます。同じように水は流れていても川は死にかけているのです。

 自然の川の恵みを今年も頂戴します。脚の冷えがコタエルようになったので川に入れるのは今年が最後になるかも知れないとのことで

す。心してありがたくいただきます。

 

 

 


中国家庭料理「家園」開店4周年おめでとう 川越市宮元町

2012-08-08 21:04:19 | 友人たち

2012年8月8日(水)晴れ

インターネット環境の整備がやっと終了しました。娘におんぶに抱っこから、妻にと代わっただけですが。

予告なく休刊して心配をかけました。土曜日に被災地の旅から帰ってからも元気に動き回っています。

今日は「家園」が4周年を迎えたのでお祝いがてら夕食会?をしました。

いつもながら亭主夫妻の笑顔が迎えてくれました。写真: 中国家庭料理「家園」  河本夫妻  4周年おめでとう

 写真: 祝開店4周年

中国家庭料理 家園@川越宮元町

 こんな経済状況下で見ず知らずの土地でよくもがんばってきたものです。このところ僕はたいてい「タンタン麺」を注文し、おつゆの一滴も残さない食べっぷりです。おいしいのです。

 主人の安祥さんの料理はまさに家庭料理で一人ひとりのお客さんのために心をこめて作ります。だからやや時間がかかります。どうやって待ち時間を短くするか、ここらが課題でしょう。

 奥さんの秋子さんはいつもお店に出るわけではありません。看護婦の仕事の合間に主人を手伝っているのです。どんなときでもこの笑顔が絶えることはありません。芯が強く、やさしい人でなければこうはいかないでしょう。

 今日は秋子さんの笑顔に会えるかな?どきどきしながらドアをあける楽しみがあります。

だんだんと地域の人々に親しまれる店になって、時々は宴会もあるようです。そのせいか、近頃テーブルの並べ方が変わって店が広く感じられます。

 来年の8月8日には開店5周年を賑々しく祝いたいものです。国道254に面しており、地域の人々にはかえって知られぬくい場所かもしれません。僕もビラ配りぐらいは手伝ってPRに一役買おうかと心に決めました。

 

 

 

 

 


古稀の祝い そして‥

2012-07-16 07:25:11 | 友人たち

昨日は夕方6時から東京・向ケ丘の「馥苑」でKさんの「古稀の祝い」をしました。北朝鮮を脱出してきた友人です。この方と出会って僕は心からよかったと思っています。感謝あるのみです。北の独裁政権を打倒し、一家の皆さんが再会できる日までぼくも生きぬかなければ‥珍しくそんな思いを強く持ちました。

旧友たちとも久しぶりに出会えて楽しく充実した5時間でした。

お孫さんのカンちゃんはこの日が13歳の誕生日でした。みんなから祝福を受けて挨拶をしました。来日して3年半、その見事な成長ぶりに感銘しました。

勝義さんの引越しが24日に決まったということです。71歳の新しい出発です。こちらの方もみんなで祝いました。

最終近くで帰ったので就寝は2時。日頃の鍛錬のおかげで元気です。

 一応庭のひまわりが咲き始めました。娘のバイクの駐車場跡に種をまいたのが5月ですから2ヶ月しか経っていません。身の丈は2m位です。植物の生育の素晴らしさに驚いています。

 今日はこれから長野県の車山高原に行きます。妻の中学校の同期会があるのです。日本有数のニッコウキスゲのお花畑です。ここで同級生がホテルをやっています。妻の還暦の日にここに泊まったのを思い出します。

ちょっとオーバーワーク気味の日程ですが東京は神田の中学校で育まれた人々の輪の中に入れてもらってきます。

車山・ニッコウキスゲ開花状況●http://www.kurumayama.com/new/open.htm

 

 

 

 

 

 


塩船観音

2012-06-23 05:13:54 | 友人たち

6月22日(日)☁

 同窓会に出席した功子さん夫妻が泊まっていってくれました。

 室戸岬中の3年生のとき、お父さんはマグロ船乗船中に病気のため急逝されました。穏やかそのものの功子さんが「荒れる」ようになったとか。父の死はよっぽどの大事件だったのです。

 生前、お父さんからはお母さんあてに時々手紙が届き、「返句」を求めることもあったといいます。お母さんに頼まれて返事を書いたり「返句」を送ったりしたといいます。どんな句のやりとりがあったのでしょう。

 マグロ船の航海は長く、家族との音信が手紙であったことは想像の範囲ですが、相聞歌のやりとりがあったのか。なんだか心があったかくなってきます。

 青梅の塩船観音に同道しました。ツツジ山のてっぺんに大きな「平和観音」が立っておられました。昨夜来の雨で清浄そのものの小宇宙です。

 

 吉野梅郷で昼食の後、またね。


池商OGからの便り

2012-06-20 10:35:34 | 友人たち

昨夜の嵐は相当のものでした。

 我が家では10余年ぶりに雨漏りがありました。南側から吹き付ける強い風雨が二階の窓の敷居の隙間から入り込んだようです。10時過ぎに僕のベッドの布団の上に水滴が付いているのに気づいてびっくり。二階に避難して休みました。幸いにも風雨の強い時間は短く被害は軽微です。

 この程度の風雨は故郷の室戸岬ではしょっちゅうです。こんなざっとした家ではとても住めないということです。10年前に直しては貰ったのですが‥。コリンゴの実や葉が散乱したほかは一応庭にも変化はありません。ひまわりも朝顔も順調に生育中です。

 嬉しい便りが二つ。

ひとつは美香さん。87年3月、池袋商業高校卒。僕が3年間HR担任をした人で結婚式以来の音信です。しばらく前のクラス会に姿が見えなかったので心配していました。

 二人の女の子の写真が同封されています。元気で何より。だいぶ前から「川越だより」を毎日のように読んでいてくれた、とか。

これはとても嬉しい。僕の生徒だった人に読んでもらいたいと思って毎日毎日駄文を綴っているのですから。学校がなくなってしまった「池商」と「北高」のOBOGには特に‥。

 やはり僕の生徒だったお兄さんも、顔見知りのお母さんも元気だとのこと。いつかまた会えるかな。

二つ目は石巻・高福寺の慶子さん(85年3月卒業)。

先日訪ねて被災地を案内してもらったばかりです。

写真をたくさん送ってくれました。牡鹿半島でのスナップ写真に混じってお坊さん仲間でやっている「Cafe De Monk」(お坊さんの喫茶店)の写真があります。南相馬市の岩屋寺境内だといいます。

 心が通い合う友人たちと共に被災者の心に寄り添う活動を続けています。

友人たちとの写真のなかに「啓介先生 倫子さん ありがとう」と大書した画用紙をかざす慶子さんがいます。

嬉しいやら恥ずかしいやら。

お寺を訪ねたときに裕昭和尚にささやかなカンパをさせてもらったのです。みなさんに喜んでもらえてよかった。

 裕昭さん慶子さんのお寺は高福寺。石巻の郊外の山の中にあります。池商の旧友たちが訪ねると喜んでくれるでしょう。

 

 


98年文京高校1G

2012-05-28 05:01:13 | 友人たち

5月27日(日)☼

 11時半から文京区向ケ丘の馥苑(ふうえん)で1Gのクラス会。10年ぶり。前回は僕の定年退職時だった。15才で出会った人々が今年は皆30になるという。

 集う者24名(プラス1)、それぞれの10年に耳を傾けた。まさに黄金の3時間。最後にぼくも演説した。力が入った。

馥苑主人の峯男くんが撮ってくれたクラス写真。

 

(出席者)賢太郎 次郎 健介 真佑子 桂子 佑一 

      多美子 愛 晋 啓介 智子 希世 

       剛 沙雪 友紀 恵美 佳代

      勇助 崇浩 翔平 美保 由水 賢一 綾子 康弘 

(欠席者)17名