川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

安曇野   「きいちご」8号から

2011-07-29 05:31:29 | 韓国・北朝鮮

27日(水)にRさんから「きいちご」が届いたというメールがありました。北朝鮮を脱出してきた方です。超多忙な日々を過ごされているにもかかわらず、きちんと返事をくれます。お子さんたちと「きいちご」を読みあった「親と子の夜」が想像されて僕も嬉しくなります。

 

     「お元気ですか。昨日、きいちご(나무딸기)多文化共生基金ニュース

     第8号が届きました。家族みんなで読みました。安曇野と松本城の

     第12回きいちご移動教室の楽しさを思い出しながら話しました。

     美しい風景、きれいな水と空気、皆様の幸せな様子、素晴らしいバス…。

     昨日もおかげで、楽しい一晩を過ごしました。ありがとうございます。」

 

「きいちご」第8号の目次はきいちご基金のHPに出ています。

  きいちご多文化共生基金●http://www.geocities.jp/kiichigokikin/kiichigo.html

 読んでいただける方がいたら連絡してください。お届けします。

5月の「移動教室」では長野県の安曇野を訪ねました。10代で北朝鮮に渡った韓さんの文章を紹介します。

 

 

    安  曇  野     韓 錫圭 (ハン・ソッキュ)  

 
 安曇野のわさび畑へ行った。流れる水の中に植えられたわさびを見ながら 
「ああ、彼女が毎日のように言っていたわさび畑というのがこれだったのだ」と思うと涙が溢れそうになった。 
 
 北朝鮮にいたころ、私にはSさんという強制収容所から出てきた友人がいた。
彼女は収容所の中での過酷な生活のせいで、ひどい心臓病を患っていて強制収容所から出された後、何年も生きてい
られなかった。
その短い年月の間に、彼女は私にしょっちゅう故郷の話をしていた。特にわさび畑とワサビの栽培については専門家の
ように具体的なことまでよく知っていた。私は
「この人はわさびについてどうしてこんなに良く知っているんだろう」といつも不思議に思っていたものだった。
 
 彼女がわさび作りについて話すとき、彼女の眼は光り輝き、限りない懐かしさと、愛情をこめて情熱的に話をした。わさび
はきれいな山の清流の中でしか育たないという事、苗は土の中ではなく小石の間に植えるという事、その小石は夏の大水
に流されないように金網の中へ入れて苗床を作るのだと、私の眼の前にパノラマのように描き出して見せた。
 
 その話を聞くたびに私は
「自分がもう余命いくらもないと知って、何の罪も犯していないのに自分と家族を破滅させたこんな酷いところで死にたく
ないという思いがこういう形で表現されているのかもしれない。」と思うと、哀れさが胸に迫るのだった。
彼女が亡くなってもう20年近くなる。でも情熱的だった彼女の姿は昨日のことのように思い出される。美人で聡明だっ
Sさん。
Sさん、あなたが言っていたわさび畑へ来ましたよ。あなたが自分で来ていれば飛び上がって喜んだでしょうに、私だけ
が来てごめんなさい。本当に良いところですね。私の目を通してみる安曇野の景色で我慢してください。」
Sさんに話しかけながら見て回るわさび畑は本当に感慨深いものでした。
名水画像
 
                        

 

 

 


TV予告 「脱北者たち 大阪・八尾に生きて」

2011-06-26 05:11:57 | 韓国・北朝鮮

6月25日(土)曇

 前日までの3日間が悪夢のように思われる涼しさです。雨降りの予告だったので「歌声」に行くのは止め、上半期の写真整理などで過ごしました。

 クラス会の写真をたくさん送ってくれた美帆子さんと交信。中学生と高校生のお母さん。福島県郡山に住んでいます。忙しい仕事の日々の間のクラス会、楽しかったようです。夏休みは子供たちを東京の実家で過ごさせると言います。(先日、郡山のこどもたちを原告として集団疎開を求める裁判が起こされました)。

 TV番組のお知らせです。「脱北者たち 大阪・八尾に生きて」

 山田文明さんのお話は何度か聞いたことがあります。大学の先生にこんな方がおられるのかと驚くばかりです。夜遅くの放送ですから録画して見ることにします。そういえば地デジ移行とかで我が家ではもうすぐTVが見えなくなります。最後の録画になるのかもしれません。

 


正式タイトル

脱北者たち 大阪・八尾に生きて・・・<ドキュメンタリー大賞>2011年6月28日(火)  26時45分~27時40分 (フジTV)

番組内容

 1959年、朝鮮総連などが「地上の楽園」と宣伝した「帰国事業」で、北朝鮮に渡ったものの、食糧不足や政治的弾圧に絶望して、脱北した在日朝鮮人や日本人妻たち。  日本政府は人道的見地から、入国と定住を受け入れているものの、日本語の習得や日本社会への適応、そして就職など多くの壁に阻まれている。  脱北者たちが、大阪・八尾で暮らす理由。それは彼らを支援している山田文明氏(大阪経済大学准教授)がこの街に住み、生活の自立に向け、尽力してくれるからだ。  つい最近、山田氏を頼って、新たな脱北者夫妻が八尾にやってきた。妻は幼少期まで、西日本の街で過ごした在日朝鮮人。1960年代に、北朝鮮に渡り、現地の夫と結婚。子供も生まれたが、脱北を決意したという。夫婦は八尾での生活をスタート。しかし、日本語もままならず、就職もできないままだ。北朝鮮とは別の試練が、脱北者に立ちはだかる。彼らを支えるのは山田氏とともに先輩格の脱北者。  八尾で新しく暮らし始めた夫婦を縦糸に、彼らを助ける人々を横糸に絡めながら、脱北者の生きざまを描く。

出演者


「北朝鮮は第二のリビアになるか」

2011-02-27 10:44:39 | 韓国・北朝鮮

きのうは港区の三田で午後から夜遅くまで友人たちと議論をしました。在日コリアン問題にこの40年関わり続けてきた6人衆です。このところ川越に引っ込んでばかりの僕には久しぶりの会合で嬉しいひとときでした。移民国家への開国、北朝鮮帰国者・日本人妻問題…。自分に出来ることは何か、珍しく緊張して考えさせられたひとときでもあります。市民としての活動を「病欠」しているような僕ですがそろそろ社会復帰が出来るのでしょうか。

 

 「北朝鮮は第二のリビアになるか」という五味洋治さん(東京新聞記者)の記事を読みました。

 

残念ながらその可能性はきわめて低い」というのが五味さんの見立てで次の四つの理由を挙げています。

 

① まず、ネットが全く普及していないことだ。北朝鮮の教育機関にはネット網があると言われるが、国外とは接続されていない。金正日総書記やごく限られた指導層、朝鮮中央通信、ロシアや中国大使館といった特定機関以外ではネットは使えない。最近は、韓国ドラマが韓国とほぼ同時に北朝鮮に流入すると言われているが、DVDという形で持ち込まれており、外部世界から遮断されている。フェイスブックもツイッターも使えない。携帯は普及し、ショートメッセージも可能だが、プリペイド式でネット接続はできない。

 

 ② 2つめは徹底した思想教育だろう。労働者は火曜、水曜、金曜、土曜日が学習の日になっている。毎日2時間みっちり党の機関紙である労働新聞などを読まされ、自己批判などが行われる。毎年正月に労働新聞などが掲載する、その年の方針を定めた長文の「新年社説」は完全暗記させられるという。金総書記と父親の故金日成主席は、神格化されている。その存在を否定する人間は、即、収容所送りだ。収容所には4種類あって、金総書記は「社会の風紀を乱すものには1年間に10年分の労働をさせよ」と指示したとされており、過酷な労働が強いられる。

 

 ③ 3つめは徹底した相互監視システムだろう。北朝鮮の住民は労働党、国家安全保衛部、人民保安省、職場、人民班(隣組)の5つの組織から監視を受けている。「人民班」(20~40世帯で構成)の下では5戸が1組になっており、1種の共同体を構成している。反体制運動を起こしたくても、人民は孤立化させられている。同じ志を持っている人を探すのは大変で、民主化要求のためのしっかりした運動体を形成するのは困難だ。

 

 ④  最後は北朝鮮軍の位置付けだ。エジプトやリビアでは、土壇場になって軍が民衆の側に着いたとされ、権力者を追い詰めた。北朝鮮では軍は特権階級で、食糧の配給でも優遇されている。長い間金総書記の権力を支えてきた。兵力は110万人で、全人口の5%を占める。「常に米国との戦争に備えよ」と教育され、緊張させられている軍人たちが、自分たちの特権を放棄して率先して体制崩壊に協力するか。それは今のところあり得ないシナリオだ。

 

    隣国・中国の場合、ネットは一般家庭に普及し、携帯は農村でも使われている。散発的にせよ反政府デモが起きる可能性はあるが、北朝鮮では難しい。

 

 ●出典http://gendaikorea.com/20110222_01_gomi.aspx

 

 北朝鮮を脱出してきた友人たちから聞く情報と重なることばかりで「そうだろうな」とおもいます。このような厳しい現実をふまえながらどうやったら盤石に見える独裁体制を崩壊に導けるか、隣国に生きる一市民としても考え行動して行くほかはありません。

 

 

 


朝鮮総連本部仮差し押さえ

2011-02-26 05:22:18 | 韓国・北朝鮮

2月25日(金)晴れ

 春のような陽気に誘われて川越公園の散歩のあと、尚美学園大学の学生食堂で昼食、川越温泉に入って帰ってきました。

 尚美学園で会った女子学生はニュージーランドでの語学研修に行って遭難した学生たちの中に自分の友人もいると言っていました。近く無事帰ってくると言うことです。今シーズン初の花粉症に見舞われました。無警戒で出かけたため大打撃。

 川越温泉備え付けの「読売新聞」で朝鮮総連の本部ビルが仮差し押さえになったという記事を読みました。ようやくここまで来たのか。差し押さえ、競売になるのはいつになるのか。

 

朝鮮総連本部、整理回収機構が仮差し押さえ

読売新聞 2月25日(金)9時0分配信

 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部(東京都千代田区)の土地・建物について、東京地裁が18日付で整理回収機構(東京)による仮差し押さえを認める決定を出し、同機構が21日に仮差し押さえを行っていたことがわかった。

 同地裁は2007年6月、同機構が旧朝銀東京信組などから買い取った債権のうち、約627億円分を事実上の朝鮮総連への融資と認定し、朝鮮総連に全額の返還を命じる判決を言い渡した。この判決に基づき、同機構は同本部の土地・建物を差し押さえようとしたが、登記上の所有者が朝鮮総連の関連会社名義になっていたため、名義を朝鮮総連の代表者に書き換えるよう求める別の訴訟を起こし、1、2審で請求が認められた。

 朝鮮総連側は現在、最高裁に上告中で、判決が確定すれば強制執行が可能となる。仮差し押さえは、強制執行に備えて債務者の財産を保全する手続きで、同機構は「念のための保全措置として、仮差し押さえを行った」としている。

最終更新:2月25日(金)9時0分

読売新聞

 

1兆4000億円の公的資金の注入を受けながら朝銀信用組合の多くは結局は破綻してしまった。 整理回収機構(RCC)が破綻した16信組から2009億円で買い取った不良債権のうち、627億円の債権が朝鮮総連に対する融資だったと裁判で認定され、総連に全額返還が求められていたのです。焦げ付いたこれらのカネが何のために使われたのかは闇の中です。北朝鮮の金独裁政権の財布に入ったことも関係者の証言から明らかです。朝銀を通して在日コリアンから収奪したカネが朝鮮総連から北に送られ金独裁政権を支えてきたのです。

 整理回収機構が総連本部を差し押さえ競売に付するのは当然のことです。北の独裁政権に盲従してやりたい放題をし続けてきた朝鮮総連の末路を暗示しています。在日コリアンから朝鮮総連が収奪した資産の多くが韓徳銖前議長らの個人名義になっていると聞いています。そちらの方の差し押さえはどうなっているのでしょう?

 ●参考図書「わが朝鮮総連の罪と罰」

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%8C%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B7%8F%E9%80%A3%E3%81%AE%E7%BD%AA%E3%81%A8%E7%BD%B0-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%9F%93-%E5%85%89%E7%85%95/dp/4167679418

 


三浦小太郎著『嘘の人権 偽の平和』

2011-02-23 06:41:03 | 韓国・北朝鮮

三浦小太郎著『嘘の人権 偽の平和』(高木書房,2010年12月)という本が僕の枕元にあります。気力があるときに時々読んでいます。若い頃「社会主義」に深く影響を受け、今もなお、思想改造に臆病な僕ですが、三浦さんの著作には学ぶところが多いのです。

「君が代」の強制と闘いながら朝鮮学校における「金日成将軍の歌」の強制には疑問のひとつも感じないらしい、左派の友人たちに読んでもらいたいと思う本です。僕には紹介の能力がありません。在日コリアンの学者のブログに関連記事を見つけました。勝手ながらそのブログを紹介します。

●「社会科学者の時評」http://pub.ne.jp/bbgmgt/

今日は練馬区の友人宅に昼食をごちそうになりに行きます。友人はいわゆる「残留孤児」で僕よりは4歳上の兄さんのような人です。同じ時代を生きながら、僕には想像も出来ない体験をしてきたに違いありません。どんなお話が聞けるか、楽しみです。


川越・遊びの学校で脱北者の話を聞く

2011-02-14 18:22:14 | 韓国・北朝鮮

2月13日(日)晴れ

日高市のOさんのお宅で北朝鮮を脱出してきたAさんの話を聞く集まりがあるというので妻に連れて行ってもらう。この集まりを企画したの

は「川越あそびの学校」。1974年以来、季節の感覚を大切にしながら大人と子どもが一緒になって昔の遊びを楽しんできたグループだ。

昨年は緑綬褒章をもらった。いつ頃からか僕はよく知らないが、妻もメンバーに加えてもらっている。僕は初参加。

高麗道から少し入った一軒家の二階に集ったのは10数人。これがまた全員60代以上の老老男女。埼玉県西部が中心だが東京から来

られている方もいる。この方たちは「南京玉すだれ」を特技としているという。

40年近くもこの会をやってきたSさんが作ってきてくれた赤飯の昼食を共にしながらAさんの話を聞くのである。僕は何とも言えない温か

い気持ちになった。過去にもAさんのお話に耳を傾けたことがあるが、それは日頃から北朝鮮の人権問題に関心がある友人たちと一緒の

席だった。

今日の会は雰囲気も何も全然違う。僕の場合でいえば田舎の小学校の同窓会の席に近いか?それぞれに戦後を生き抜いてこられた、

生き方も考え方も学歴も仕事歴も様々な人がSさんのまわりに集っているのだ。CPの方もいれば足腰が痛い方もいる。Aさんのお話はこう

いう場所で聞いてもらってこそ生きてくるのではないか。

Aさんは北朝鮮の清津についてから40年に亘る人生を、出会った「日本人妻」を中心に話された。過酷な人生の話は3時間にも及んだがど

なたも熱心に耳を傾けておられた。50年も昔、帰国する朝鮮人のために開かれた送別会を記憶されている方もおられた。蕨市から駆けつ

けたNさんは少女期に北朝鮮に渡る叔母さん一家と別れた。いま、50年後に日本人妻の話をはじめて聞いたという。叔母さんは既に亡くな

られたというがその思いとはどんなものだろう。

Sさんは本を読むことも大事だが当事者の話を直接聞く大切さに改めて気づいたといっておられた。自分もそうだが参加されたお一人お

一人がAさんの話を心の奥深くで受け止めてくれたと実感しているようだ。

北朝鮮に閉じこめられた日本人妻に対する差別は過酷だが、生きて日本に帰りたいという一心で長生きしている人もいるという。日本のあ

ちこちで今日のような集いをもって、関心を呼び起こす取り組みを広げていきたいものだ。友人たちがSさんのように家族や自分のグループ

で北朝鮮を脱出してきた方の話を聞く機会を作ろうとするなら僕は喜んで協力します。ご検討下さい。

 

 

 

 

 


私が聞いた北朝鮮の暮らし⑯《韓国映画「クロッシング」の話》 鈴木倫子

2011-02-06 07:58:19 | 韓国・北朝鮮
《韓国映画「クロッシング」の話》

 結核を患う妻に薬を買ってやりたいと、北朝鮮を脱出して韓国に渡った男。帰

りを待ちきれずに死んでいく妻。一人残された息子はコッチェビになりながらも

父のあとを追って国境の河を渡る。脱北者たちからの聞き書きを元に韓国で製作

された映画「クロッシング」を観たあとで、夢子さんとした話。
 
 「実際はあんな生易しいものではないのよ。でも、映画としてはよくできてい

たと思う。あんまり苛酷な現実をその通りに描くと、かえって信じてもらえなく

なるから、あのくらいにしておいてよかったのだと思う。」
 
 「クロッシング」は、各国で日本よりも一年以上早く公開されていて、韓国で

も大評判になっていた映画だ。夢子さんは、「現実をオブラートにくるんだから

受け入れられた」と言う。北朝鮮の状況は、それほど想像を絶するものなのだと
。
 
 以前、韓国で、脱北者たちが向こうでの生活を知ってもらおうと、それぞれが

持ってきたものを集めて展示会を開いたそうだ。そのときノートや鉛筆などを見

た多くの市民が、「これは北朝鮮を悪宣伝するヤラセじゃないか」という受け止

め方をして、事実として認めようとしなかったのだそうだ。
 
 それはどんなノートや鉛筆だったのか。日本でも30~40年前にはまだ、茶色い

ような色の「わら半紙」というものがあった。さらに「ザラ紙」といってもっと

質の悪いわら半紙もあった。北朝鮮で子どもや学生たちが使っているノートの紙

は、そういう「ザラ紙」で、消しゴムを使ったらすぐにくしゃくしゃになる。鉛

筆も、芯の黒鉛の質が悪くて折れやすく、おまけに紙にひっかかるので、ノート

はすぐに破れてしまうのだと言う。韓国で展示されたノートや鉛筆も、まさにそ

ういうものだったそうだ。
 
 60年代、70年代、韓国の人々の暮らしは貧しかった。当時は、北朝鮮のほうが

豊かな暮らしをしていると宣伝されていた。その実態はどうであったのか、あた

しにはわからないが、両者を比べれば確かに、当時は北朝鮮のほうが経済力があ

ったといわれているし、あたしもそう教わってきた。韓国の市民たちは、自分た

ちの40~50年昔と引きくらべて、目の前にあるものがあまりにも粗末なものだっ

たので「うそだあ~」と思ってしまったのかもしれない。

 
 あのね夢子さん、とまた、あたしのいつもの「素朴な」質問。
 
「みんながご馳走を持ち寄って河原で野遊会をしているシーンが最後に流れて

いったでしょ。お母さんがいて、死んでしまった仲良しの女の子も、お母さんに

栄養を摂らせるために食べられてしまった犬のシロもいた。あれは少年の思い出

? それとも砂漠でひとり息を引き取っていった少年が最後に見た夢? 百万人

以上の餓死者が出るような食糧事情のとき、村の人たちがあんなふうにご馳走を

持ち寄って野遊会を開けるものなの?」
 
 「あのシーンは、観る人がそれぞれの受け取り方をすればいいわ。でもね」と

、夢子さん。
 
 「でも、ほんとにあんなふうにやっているのよ。どんなに食料が乏しくても、

一握りずつ食べ物を脇に取り除けて蓄えておくの。そうして春と夏の野遊会にで

きるだけのご馳走を作って、みんなで楽しむの。朝鮮の人たちは楽しむことに対

してとても貪欲なのよ。」

私が聞いた北朝鮮の暮らし⑮《日本語を忘れる》 鈴木倫子

2011-02-04 06:59:41 | 韓国・北朝鮮
《日本語を忘れる》

 「帰国事業」のとき、1831人の日本人配偶者が、家族の一員として北朝鮮に渡

っていったという。そのほとんどが女性だった。「日本人妻」といわれる人たち

だが、いまなお生存しているのはおそらく100人程度ではないかと考えられている

。
 
 北村さんのおばあちゃんは、生きながらえて日本に帰ってくることができた数

少ない「日本人妻」の一人だ。成田空港に着いたとき、日本語がまるきり通じな

いので、出迎えた支援者がびっくりしたという。日本で暮らすようになって数年

になるが、いまだに日本語はたどたどしい。
 
 北朝鮮の社会では、日本語を喋るのはご法度だ。もし現地の人に聞かれようも

のなら、密告されて強制収容所に送られる。それでも「日本人妻」に限らず帰国

者たちは、機会を作っては同じ境遇の人たちで寄り合って、こっそりと日本の歌

を聴いたり、日本語を喋って慰めあってきたという。でも、北村さんのおばあち

ゃんには、それができなかった。
 
 帰国者は、ほとんどの人たちが咸鏡南道か北道に住まわされたのだが、北村さ

んの家族が行かされたの咸鏡北道の山間部だった。その村で帰国者の家族は北村

さんだけだったのだそうだ。周りの住民はすべて現地の人という環境で、おばあ

ちゃんは朝鮮語を覚え、日本語は忘れてしまわなければ生きていくことができな

かった。そうして50年もの歳月を生きてきたというわけなのだった。


私が聞いた北朝鮮の暮らし⑭《動物園の食糧事情》 鈴木倫子

2011-02-03 08:50:03 | 韓国・北朝鮮
《動物園の食糧事情》
 
 首都のピョンヤンだけでなく、地方都市にも動物園がある。そして北朝鮮の動

物園はどこでも、必ずライオンやトラなどの猛獣が飼われているそうだ。その猛

獣たちのために、動物園には牛や豚や鶏が支給される。人々が食うにことを欠い

ているような状況下でも、動物園のトラやライオンたちには変わりなく生肉が送

られてくる。人間様にはめったに口にすることができないご馳走だから、園の職

員たちがピンハネする。食糧事情が悪くなるにつれ、ピンハネの度がひどくなる

ので、当然のことながら、トラやライオンたちは次第にやせていった。監査役人

などが時々視察に来るが、見てみぬ振りで、職員たちがとがめられることはない

のだそうだ。なぜなら、そういうときこそ、動物たちのご馳走が人間様のご馳走

に化けて、視察の役人たちも饗応に預かれるから。動物たちがどんなにやせ衰え

ていても、生きている限り帳尻は合わせられるから、政府からたっぷりとお肉が

送られてくる。それを人間様が脇からいただく。
 
 「でも、あのトラやライオンたち、もう生きていないでしょうね」と、夢子さ

んが語ってくれた。

私が聞いた北朝鮮の暮らし⑬ 《稲荷ずし》 鈴木倫子

2011-02-02 09:42:35 | 韓国・北朝鮮
《稲荷ずし》

 また、食べ物の話。
 
 櫂くんは、日本の食べ物では何が好き?
 
「ぼくは、稲荷ずしが大好きです。」
 
「わたくしは稲荷ずしは大嫌いです」。そばで聞いていたおばあちゃんが、に

べもなく言い切る。「北朝鮮にいる間に大嫌いになりました。」
 
 北朝鮮では、日本からの帰国者が初めて稲荷ずしを作ったそうだ。稲荷ずしを

作るといっても、向こうでは、大豆を手に入れて油揚げから自分で作らなくては

ならない。油揚げというのは、ただ薄く切った豆腐を押して水を切って油で揚げ

ればできるというものではない。本当の油揚げを作るには、豆腐のときよりも濃

い豆乳が必要になる。でもそこまではできないから、豆腐を作る要領でなんとか

油揚げらしきものを作って、甘辛く煮た。そうして作った稲荷ずしを闇市に持っ

ていったら、飛ぶように売れたという。そのうちに現地の人たち(日本からの帰

国者は、もともと北朝鮮にいる同民族をこう呼んでいる)も真似をして、稲荷ず

しを作って売るようになった。闇市のあっちでもこっちでも稲荷ずしを売ってい

る。そこにお腹をへらした人たちが群がってくる。
 
 「闇市の周りには、餓死した人たちの死体がごろごろしているんです。わたく

しは、稲荷ずしというといまだに、匂いを嗅ぐだけで、あの飢えた人たちの顔や

餓死者の情景を思い出してしまうのです。だから、稲荷ずしはもう、匂いを嗅ぐ

のも嫌なんです。」

 そこまで言われたものだから、川越祭りのご馳走に稲荷ずしを作ってもてなす

というわけにいかなくなっちゃった。あたしの得意料理なんだけど。櫂くんごめ

んね。



私が聞いた北朝鮮の暮らし⑫ 《6割が「幹部」の国?》  鈴木倫子    

2011-02-01 09:48:47 | 韓国・北朝鮮
《6割が「幹部」の国?》

 「北朝鮮の体制は変わらないと思いますよ」と、ミサキさん。
その理由は、国民の6割があの体制でいいと思っているからだと言う。どうしてか。ミサ
キさんの計算によると次のようになる。
 
 「5人の職場があるとするでしょ。そのうち1人が党の○○、1人が××委員会

メンバー、あと1人が職場責任者。この人たちは会議だの何だのと言ってほとんど

仕事をしない。残りの2人が、現場で5人分の仕事をする。つまり6割が、楽をして

しかも何らかの役得があるから、いまの体制をいいと思っているわけよ。」
 
 おばあちゃんは黙ってうなずいている
 
 国によって厳しく情報管理されている環境で、自分と子供たちを守るために、

親たちは日本ではどうだったかというような話を一切伝えないという。そして帰

国者2世たちは、自分が不利な立場に置かれているということを折に触れて思い知

らされるのだが、どうしたらそこから抜け出せるかと考えることはあっても、社

会の在り様そのものを体制の根底から疑ってみるということはしないようだ。ミ

サキさんは次のようにも語ってくれた。
 
 「あの国では<幹部>じゃないとどうにもならないの。だからわたくしは、何

が何でも子ども達を<幹部>にするんだって、そればっかり考えて育てていたの

。でも、ふと考えたのよ。わたくしが病気になって面倒をみることができなくな

ったら、この国では子たちの将来は無いって。母の誘いに賭けてみようって思っ

た大きな理由のひとつはそのことだったの。」(「幹部」とは、冒頭にあげたた

とえ話の5人の職場で言うと、はじめの3人がそれに当たる。)
 



私が聞いた北朝鮮の暮らし⑪ 《職場の倒産がない国》 鈴木倫子

2011-01-30 11:26:11 | 韓国・北朝鮮
《職場の倒産がない国》

 電力が足りない。原料や資材が足りない。そういうなかで、多くの工場で生産

ラインが止まってしまった。それでも職場は倒産しない。資本主義の国ではない

から。
 
 仕事がなくても、従業員は毎日出勤しなければならない。出勤しても給料がも

らえるわけじゃないんだけど、出勤しなければ「職務怠慢」の烙印を押されて、

とんでもないことになってしまう。どこか、給料がもらえるような職場を探して

替わるということはできない。職場は、上からの指令によって決められるものだ

から。給料が出ない、食糧や生活必需品の配給も滞りがちだ。どうやって食いつ

なぐのか。「ヤミ」しかない。
 
 配給品を市場にもっていって売る。食料も、市場でランクの低いものと取り替

える。米や小麦粉をトウモロコシに、トウモロコシを高粱に交換すると、量目を

増やすことができる。しばらくの間、家族が食いつなげる。いよいよ食えなくな

ったら一家離散、コッチェビ(ホームレス)、あるいは静かに餓死を待つだけ。
 
 器用な人は特技を生かして内職に励む。職場に出ながらだからきついが、食う

ためにはやむをえない。むしろ、そういうことができる人は恵まれているといっ

ていい。編物や洋裁の腕を活かして内職する。市場で商売をする。採鉱冶金の技

術者がいた。一人は山に入って砂金を探し当て、金塊を造って大儲けすることが

できた。同じ職場のもう一人は、「真面目」の頭に何かがいくつもつくような人

柄が災いしてそういう器用なことができずに、とうとう夫婦でコッチェビになっ

てしまったという。

私が聞いた北朝鮮の暮らし⑩ 《税金がない国》 鈴木倫子

2011-01-29 19:52:00 | 韓国・北朝鮮
《税金がない国》
 
 「北朝鮮には税金というものがない」。これも、よく聞かされた話だ。 税金

なしで、どこから国家運営の財源を得ているのか? 
「資本主義体制じゃないからできるんです」。そのあとに、社会主義、わけても
「チュチェ(主体)思想」が、如何にすばらしいものであるかという話が続く。
 
「最初からいいだけ差っぴいておいて、残りを給料にするんです」。これが夢

子さんの解説。
 
 農作物も、欲しいだけ供出させる。「チュチェ思想」による指導(これには絶

対に従わなければならない。疑問を呈したり批判がましい言葉を口にしたりしよ

うものなら、密告されて収容所送りになる。)のはての大不作でも、容赦なく取

り上げた。年寄りに食べさせるものがなくて、落穂ひろいをした農村青年が、盗

みの罪で収容所に送られたという。農地は国のものだから、落穂も国家のもの、

という理屈なのだろう。
 
 「地上の楽園だ」と、いろいろ宣伝されたが、実際に行われていたのは「医療

費がただ」ということだけ。それさえ長くは続かなかったという。小学校の授業

料は確かに無料だったが、別の名目でお金を徴収した。大学生は一応優遇されて

いて、授業料、寮費はタダだったけど、やっぱり、いろいろ集金があってかなり

お金がかかる。夢子さんは日本の家族から送金してもらっていたので、自分の机

の引出しに何がしかのお金を入れておいて、ノートや筆記具、参考書を買うため

に困窮している仲間がいつでも使えるようにしていたそうだ。


私が聞いた北朝鮮の暮らし⑨ 《海藻麺》 鈴木倫子

2011-01-28 13:56:51 | 韓国・北朝鮮
《海藻麺》

 夢子さんが飢饉の話をしてくれた。あたしが、海辺は魚を取ったりすることが

できるのだから、なんとか食いつなぐことができたのではないかと聞くと、夢子

さんは、とんでもないという。
 
 「海辺は一番深刻でした。バタバタと餓死者が出たんですよ。海藻を食べるん

です。わたくしはそこの人たちにどんなに薄くても、穀物のお粥を食べなさい。

絶対に海藻を食べるなと言ったんですが、つい食べてしまうんですよね。そうし

て餓死してしまう。」
 
 「どうして海藻を食べると餓死するの?」
 
「海藻を煮て細いところてんのようなものを作って、お蕎麦のようにして食べ

るんです。日本でも、終戦直後の闇市で海藻うどんなんていうのが一番安く売ら

れていたでしょう。海藻のお蕎麦はお腹が膨れて、満腹感が得られるけど、栄養

もカロリーもほとんど無いから、そんなものばかり食べて働いていたら体が衰弱

するばかりです。それでも一時の満腹感があるから、つい食べてしまうんですね

。そうしてみんな餓死してしまうんです。」

 たしかに。ダイエット食といってこんにゃくや寒天、ところてん、海藻サラダ

なんかを食べるのは、低カロリーでおなかが膨れるからだ。ほかにちゃんと食べ

るものがあってのダイエット食で、そんなものばかり食べていなかったらダイエ

ット過ぎて栄養失調になってしまうよ。そのまま続けてれば餓死まっしぐらだ。

それなのにどうして海藻麺に頼ってしまうのかわからない。あれこれ考え続けて

いるうちに、気がついた。わからないのは、あたしが飢餓というものを知らない

からだ。
 
 シベリアでラーゲリを経験したおじいさんの話を思い出した。支給されたわず

かなお米を、みんなはお粥にして食べたが、自分は炒ったり生のままで少しずつ

口に入れて、どろどろになるまでよく噛んで食べるようにした。時間をかけて、

作業中でもこっそり口に入れては食べ続けた。お粥は食べたときは腹が膨れるが

、消化が早いから、次の食事をもらえるまでの間、空腹感にさいなまれることに

なる。慢性的な飢餓感が心を弱らせて、仲間たちの生きる力を奪ってしまった。

少しずつでも食べ物を口に入れ続けていると、一時の満腹感はないが、飢餓感に

さいなまれるということもない。それで自分は生き延びて帰ってくることができ

たのだと思う。そのおじいさんは、そう言った。
 
 薄いお粥では、すぐにお腹がすいてしまうのは明らかだ。日本語に「粥腹」と

いう言葉があるけれど、来る日も来る日も「粥腹」で、一日中慢性的な飢餓感に

さいなまれ続けるという状態に、人の心はどれだけ耐えられるだろうか。海藻麺

なら消化が悪いからお腹の中にたまっている時間が長い。その分、気が休まると

いうものかもしれない。そんなふうにして餓死していく人たちのことは、あたし

には到底想像もできないことなんだけれど、そういう現実が、あたしが生きてい

るこの時空間に並存しているということは忘れてはならないんだなと思う。


私が聞いた北朝鮮の暮らし⑧ 《主婦の仕事》 鈴木倫子

2011-01-27 17:40:05 | 韓国・北朝鮮
1月27日(木)晴れ
 夕方、4時前に伊豆高原での休養から帰ってきました。明日から「川越だより」も通常の発行に戻ります。


《主婦の仕事》
 ねえ、日本ではお店でバラ肉の薄切りとか、ロースのステーキ用とか用途別に

スライスされてトレイに並べられたものを買っているでしょ。北朝鮮ではお肉な

んかどんな風にして売られているの?
 
 あたしのこんな初歩的というか至って素朴な疑問にミサキさんが答えてくれた
こと。
 
 「豚肉はね、たまあに職場に一頭とか半頭とか送られてくると、みんなでそれ

を切り分けて持って帰るの。鶏肉は市場へ行くと丸ごと一羽売っているから、そ

れを買ってくる。鶏肉は、頼めばそこで捌いてくれるけどそれだと余計にお金を

払わなければならないから、そのまま買ってきて、うちで捌いてたわ。」
 
 「薬として使うときには、生きたままのを買ってくるの」と、おばあちゃんが

補足説明してくれた。市場というのは闇市のこと。
 
 お粥にするトウモロコシは、配給でも闇でも手に入るのは乾燥した粒々の物だ

。引き割りにしなければ使えない。人に頼んでやってもらうこともできるが、手

間賃を取られるから、ミサキさんは自分で石臼をひいていたという。石臼をごろ

ごろまわして粉にしたトウモロコシをお粥にするのには水が要る。生活に必要な

水はすべて、毎日外から運ばなければならなかったという。住んでいたのはアパ

ートの5階。極度の電力不足のために、水道の水を5階まで汲み上げてもらえない

。だから、ミサキさんは日に何度も、外の水道と家の台所の間を往復しなければ

ならなかったのだ。水を汲んだ水がめを頭に載せてアパートの階段を5階まで上

がる。エレベーターはない。たとえあっても電気が来なくて動かないのだから、

無いのと同じこと。それでミサキさんは、頚椎を痛めてしまった。いまだに体調

が優れないのには、そんなわけもあったのだ。5階建てのアパート生活に石臼と

水がめという取り合わせだ。なんともいやはやと言うほか無い。