川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

この春、日本人妻・残留邦人の帰国は実現できるか

2012-03-02 17:35:48 | 韓国・北朝鮮

3月2日(金)☂

入院11日目。歯に炎症が起きたせいか、一日ベッド。1Fへの買い物にもいかなかった。寅さん劇場で日が暮れた。

坂中英徳さんのブログで世の中の動きを知る。 

 

『正論』(4月号)に野村旗守さんが「怪しい日朝交渉―日本人妻里帰りは実現するか」と題する文章を載せている。その中で筆者の質問に答える形で、移民政策研究所の坂中英徳さんが日本人妻、北朝鮮残留日本人の帰国をめぐる最近の状況について語っている。
その一部を紹介する。

― なぜ日本人妻なのか。北朝鮮とのあいだには国家懸念である拉致問題がある。優先順位はどうなるのか?
 
 「多角的なアプローチが必要だ。北朝鮮との交渉には、人権問題から攻める必要がある。政治的に追い詰めてもダメだ。日本人妻の帰国は純粋に人権問題だ。この問題を交渉の議題に載せれば、硬直状態に陥った日朝交渉を打破する糸口になる。人質外交に長けた北朝鮮は日本人妻を対日外交の切り札として温存してきたからだ」

 ― 日本人妻に関しては97年から2000年にかけて3回の里帰りがあった。今回はどう違うのか
 
「今回は日本に帰って永住したいという希望者だけを迎え入れる予定だ。そして今回は戦後北朝鮮に幽閉されて帰国できなくなった残留邦人も同時に迎え入れたい。高齢の彼らの大半が山奥に集団で押し込められ、自給自足の原始人のような生活を強いられている。これは一刻を争う邦人保護問題だ

― 拉致問題はどうなるのか
 
「北朝鮮が日本人妻の帰国容認を示唆している千載一遇のチャンスを逃すべきではない。この絶好のチャンスを生かせば、拉致問題を含む諸懸念の解決に繋がるはずだと考える」

 ― では、具体的に帰国第一陣が帰ってくるのはいつになるか。やはり北が一大イベントを準備していると言われる4月15日周辺か
 
「おそらくその辺りになるだろう。日本で解散総選挙の実施が有力視されている6月より前ではないかと私は見ている」

   出典●http://blog.livedoor.jp/jipi/archives/2012-03.html#20120302

北朝鮮残留日本人問題についても政府間のやりとりがあったという。中国からの残留邦人の帰国問題は一応の決着を見たが、北朝鮮地域に取り残された残留邦人問題は政府間の課題にもなっていなかった。恐るべき「怠慢」である。旧「満州」からの逃避行の途次、38度線を超えられなかった人々も多いと聞く。敗戦からは67年、遅すぎたがなんとかしなければならない。

拉致問題・日本人妻問題・残留邦人問題‥。どれもこれも日本人が力をあわせて解決に当たらなければならない。これらのことにダンマリを決め込んで人権を云々している人を僕は日本人としても人間としても尊敬することはできない。左派人士の中には「右翼」を利するなどと言って取り組みを攻撃する人までいる。人間的荒廃の極みであろう。

坂中さんが言われる通り、この春最初の一歩を印すことが出来るか。私たち日本国民が問われている。

 

2012年02月22日

 

北朝鮮残留日本人の帰国を求める

2012年2月20日付の日経新聞で
「北朝鮮側に議論打診 ■残留邦人の遺骨収集」
というニュースが目に入った。

日本政府が、第2次世界大戦の終戦前後に現在の北朝鮮に残留して死亡した日本人の遺骨収集や埋葬地の整備について議論することを北朝鮮に打診していたことがわかった、という短い記事である。

日本政府が北朝鮮残留日本人の件で北朝鮮政府に交渉を呼びかけたことは、戦後の日朝関係史において画期的なことであると評価できる。

北朝鮮には、戦後、日本への引き揚げがかなわず、北朝鮮残留を余儀なくされた日本人が数多く生存しているものと推測される。日本に入国した脱北帰国者の人たちによると、北朝鮮残留日本人に会ったことがあるとのことだ。北朝鮮残留日本人の大半が山奥の一角に集団で押し込められ、じゃがいもを主食として命をつなぐ、原始人のような自給自足の生活していると聞いている。

移民政策研究所日本人妻等定住支援センターは、昨年12月、北朝鮮残留日本人の救出を日本政府に求める要請文を提出するなど、北朝鮮残留日本人を助ける活動を行っている。

報道された日本政府の動きは、私たちの要請にこたえたものであり歓迎する。

日本政府において遺骨の収集だけでなく、北朝鮮で生活している残留邦人の帰国実現のため北朝鮮側と交渉していただきたい。

 出典●http://blog.livedoor.jp/jipi/archives/51804996.html


脱北者強制送還 政府はなぜ、黙っているのか

2012-02-24 20:25:35 | 韓国・北朝鮮


2月24日(金)☼

 入院4日目。平穏無事。夕方、娘が来てくれてパソコンをインターネットに接続してくれた。
これでいつものように「川越だより」を発刊できます。

韓国の新聞「朝鮮日報」の記事を紹介します。脱北者を捕まえては強制送還する中国政府に対し、日本政府はなぜ黙っているのか。今こそ韓国政府と協力して強力な「人権外交」を展開すべきだ。



韓国政府「中国は人道主義を語る資格ない」
    

命懸けの脱北者に、中国「単なる不法入国者」2012/02/23 10:00


 韓国政府が中国による脱北者の強制送還について国連人権理事会など国際社会に問題提起する意向を表明したことに対し、中国外務省は連日、強硬な批判を繰り返している。

 中国外務省の洪磊報道官は22日の定例会見で「脱北者問題を難民問題化、国際問題化、政治問題化することに反対する。朝鮮(北朝鮮)の不法入国者は難民ではなく、単に経済的な理由で国境を越えて中国国内に入ってきた人たち」と述べた。

 洪報道官のこの発言は、李明博(イ・ミョンバク)大統領が記者会見で「中国政府は脱北者が犯罪者でない限り、国際規範に基づき処理すべき」と述べたことに対する反論だ。同報道官は「中国は(脱北者問題を)一貫して国内法、国際法、人道主義の原則に基づき適切に処理している。これは各国の利益と国際慣例に沿ったものだ」と主張した。これに対し、韓国外交通商部(省に相当)の関係者は同日「中国は韓国政府の脱北者問題に対する協力要請に耳を貸そうとしない。今の中国に人道主義を語る資格はない」と語った。

 21日にも洪報道官は「(北朝鮮出身の)越境者は難民の範囲に属さないだけでなく、国連で議論されるべき問題ではない」と述べた。また、20日には「そうした(脱北者を北朝鮮に強制送還することは『難民の地位に関する条約』に違反するという)論法は受け入れられない」と反発(反論)した。

 洪報道官の一連の発言は、脱北者を難民と見なさない中国側の従来の見解を繰り返すものだ。中国は「脱北者は経済的困窮のため一時的に北朝鮮を離れ、国境近くに滞在している『犯罪者』」と見なしている。脱北者が基本的な自由とより良い生活を求めて北朝鮮を離れたことを認めず、許可なく国境を越えた点だけを強調している。そうすることで「難民の地位に関する条約」の規定外とする考えだ。世界各国が考える難民とは、政治的迫害を受けたり生存権が脅かされていることを理由に、その国を脱出しようとする人たちだ。国内外の専門家たちは「脱北者はこうした規定に当てはまらない」と指摘している。

 中国は、韓国政府が国連人権理事会で脱北者の強制送還問題を提起することに備え、ほかの加盟国の説得に乗り出し「脱北者は中朝国境にかなり前から存在している。彼らが北朝鮮の住民だということが確認されれば、北朝鮮に送還するしかない」という論理を展開している。

李河遠(イ・ハウォン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版


脱北者の強制送還を許すな!

2012-02-20 07:27:33 | 韓国・北朝鮮

2月19日(日)☼

快晴無風。家園での昼食の後、久しぶりのサイクリング。陸上競技場では「川越市長杯争奪卒団記念サッカー大会」が開催されていた。市内の小学生のサッカークラブがいくつか参加しているようだ。もう卒業式が近づいているのか。

中国政府が脱北者を捕まえては北朝鮮に強制送還している。金正日の死後、北側の脱北者に対する見せしめはいっそう過酷になっていると伝えられる。

日本政府は何をしているのか。中国政府に対し、国際法に則り、難民保護に取り組むように強く要請して欲しい。こんなことまでアメリカ頼りでは情けない。

金正日花(極寒の金正日の誕生日に花を咲かせるよう学校や家庭にも命令しているようだ。ビニールの高騰で市民は悲鳴を上げている)

 中国 : 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の脱北者を強制送還してはならない

           アムネスティ・インターナショナル

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21人の北朝鮮の人びとが、同国を脱出し中国経由で大韓民国へ向かう途上、不法滞在したとして中国東北部の長春市で拘束されている。この事態を受けて、「中国政府は、彼らを強制送還してはならない」とアムネスティ・インターナショナルは述べた。

21人は2月8日、瀋陽市の複数の場所で警官に連行された。韓国入国を支援する韓国組織と接触した人たちもいると言われている。中国当局は21人に対し、「2月20日までに北朝鮮に送り返す」と話しているという。

北朝鮮の国民は、国の許可なく国外に出ることはできない。韓国人と接触したり渡韓を企てて捉えられ送還された場合は、いっそう厳しく罰せられる。ときには、処刑される。

北朝鮮は、先の金正日総書記の死去と息子である金正恩による承継という指導体制の過渡期にある。この不安定な時期に当局は、「越境者は糾弾し厳罰に処する」という声明を出した。

これにより、今回の脱北者が置かれた状況は、いっそう厳しくなった。もし送還されれば、不法越境者として拘禁、拷問、さらに処刑の危険さえある。

国際法は、国に戻れば迫害や拷問、死に直面する危険がある場合、直接であれ第三国経由であれその国への強制送還を禁止している。しかし、中国は、密入国の北朝鮮人を亡命希望者としてではなく、経済移民と見なす。経済移民ならば、送還は許されると考えているようだ。

また、中国は国連難民条約に加盟しているが、国連難民高等弁務官事務所が国内の北朝鮮人に接触することを認めていない。

「中国当局は、彼らを国内や他国が保護し、国連の難民機関あるいは他の難民支援団体と接触できる機会を与えなければならなりません」とアムネスティのサム・ザリフィ部長は述べた。

アムネスティ発表国際ニュース
2012年2月14日

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日本人妻等定住支援センター発足

2012-02-02 06:57:33 | 韓国・北朝鮮

1月30日、移民政策研究所で行われた「日本人妻等定住支援センター」の発足会合の様子がNHKとTBSで報道された。

日本人妻や北朝鮮残留邦人(残留孤児)の帰国したときに日本社会への定住を支援する。センター所長には李敬宰さんが就任した。

国際移住機関の協力も得られるとのことで関係者が出席した。 

移民政策研究所の坂中代表は敗戦から67年が経つのに北朝鮮残留邦人の帰国に日本政府が何らの行動をも起こして来なかったことを強く批判した。敗戦直後北朝鮮に残留を余儀なくされた人がどのくらいいたのかさえ分かっていない。参加者は今年こそ、これらの課題を全面的に解決する強い決意を披瀝しあい、帰ってきた人々を迎え入れる体制整備を確認した。

 北朝鮮日本人妻の早期帰国を

出典 ●http://www3.nhk.or.jp/news/html/20/t10015651271000.html 


北朝鮮日本人妻の早期帰国を

1月30日 23時31分 動画あり twitterでつぶやく(クリックするとNHKサイトを離れます)

かつて在日韓国・朝鮮人の夫と共に北朝鮮に渡り、日本に帰れないままになっているいわゆる「日本人妻」の帰国問題を協議する会合が、世界的な移住問題を扱うIOM=国際移住機関も初めて参加して開かれ、支援団体などが早期の帰国に向け取り組みを強化していくことを確認しました。

昭和34年から25年間続いた北朝鮮への帰還事業では、在日韓国・朝鮮人の夫と共に日本人の妻たち1800人ほどが北朝鮮に渡りましたが、その多くが日本への帰国を認められず、苦しい生活を強いられていたと言われています。この問題について、北朝鮮から逃れてきた人たちを支援している団体が、29日、会合を開き、スイスを本部に世界的な移住問題に取り組むIOM=国際移住機関のメンバーも初めて参加しました。この中ではキム・ジョンイル総書記の死去によって北朝鮮国内の情勢が不透明になっているとして「日本人妻」の早期の帰国に向けて政府への働きかけを強めていくことを確認しました。また、帰国の実現に備えて支援環境を整備していくことを申し合わせました。支援団体の坂中英徳代表は「日本人妻はすでに70代から80代の高齢になっているうえ、北朝鮮の新しい体制でどう処遇されるのか、安否が気遣われる。一刻も早い帰国に向tけて政府に要望していきたい」と話 しています。

TBS●tp://news.tbs.co.jp/20120130/newseye/tbs_newseye4940069.html

 

 

 

 

 


日本人妻・残留邦人の救出

2012-01-28 06:53:17 | 韓国・北朝鮮

日本人妻の帰国が実現するかもしれないというニュースがあった。事実とすれば、一刻も早くその日を迎えたいものだ。

15年前には500人の日本人妻の帰国が実現寸前まで行ったが日本政府の不手際でおジャンになった。その時の立役者は日本財団の笹川陽平会長だった。

 2007年に書かれた笹川会長の手記を紹介する。「飢餓」を目撃した貴重な記録でもある。

「15年」の月日の経過は酷い。帰郷を願い続けて生き残った人はどのくらいおられるのか?今度こそ、どんな方法でも、絶対に救出しなければならない。 


「北朝鮮在住の日本人妻 救出」


1959年に始まった帰還事業で、在日朝鮮人の夫と共に北朝鮮に渡った日本人妻は約1800人といわれる。

日本の家族や親族へ、手紙で金や物資を無心する過酷な生活環境は大きな社会問題となり、私の記憶に誤りがなければ、1997年頃までは70回以上も国会で論議された。

その頃、拉致問題のメディアでの報道はなく、もっぱら日本人妻の帰還が大きな社会問題であった。その後、拉致問題が大きくなり、日本人妻帰還問題は拉致問題の陰に隠れ、取り上げられることはなくなった。

最近ようやく、超党派の『日本人妻等自由往来促進議員連盟』は、日朝交渉で取り上げるよう福田首相あてに要請文を提出したという。

私はこの問題解決に深く関与した立場から、過去の経緯を述べておきたい。

1997年6月、北朝鮮の食糧危機の実情調査のため訪朝した。その時の悲惨極まりない農村の実態を視察したのは、世界で私一人だったといってもよいだろう。

私は、高級招待所(宿泊場所)で出される山海の珍味も、数百人規模の歓迎パーティーも全て拒否した。理由は「食糧飢饉を調査に来た人間がご馳走を食べることは出来ない。市民と同じ物を食べる」と宣言し、小さなお椀一杯のお粥と数切れの漬物で二日間を過ごした。

社会主義の国々では、このような招待所(ロシアの場合も)は食事のサービス係、メイドに至るまで、全て情報関係の人々が勤務している。私の行動も遂次、上層部に報告されていたことは間違いない。

多分、その結果であろう。首都・平壌(ピョンヤン)郊外の農村部での視察が許された。

ピョンヤンから同行の党幹部も、初めて見る光景に目を潤ませていた。私が農家の一軒一軒の扉を勝手に開けて中の様子を見ると、そこは地獄の惨状で目を覆うばかりであった。

後日200万~300万人が餓死したことが報道された。

このことは後日書くとして『日本人妻帰還問題』に戻る。

到着した翌朝、『張成択』氏との会談となった。『張成択』氏は金正日の実の妹の夫であり、当時は金正日の側近中の側近であった。

朝10時頃、彼は一人で招待所に現われた。写真は駄目という中、絶対に公表しないことを条件に撮影し、今日まで約束を守っている。

二人の激しいやり取りは夕方7時頃まで続いた。

私は、日本人妻の無条件帰国500人を提案した。
なぜ500人に固執するのかとの問いに「ジャンボ機で一度に運べる人数」ということで第1回目は500人を要求。

先方も「元気で帰国出来そうな人数は500人程度かもしれない。1回100人程度でどうか」との提案に「結構です。ただ北京経由は複雑なので日本から直接飛行機を持ち込むこと」で合意した。

「明日の貴男の帰国にピョンヤン市内の日本人妻3名を準備しているので連れて帰ってくれ」との要請に、新たに条件を出される可能性を考え「飛行機を持って来るからその時一緒にしてくれ」と、丁重にお断りした。

帰国まもなく、ピョンヤン放送よりアジア太平洋委員会の名のもと「北朝鮮は人道的立場から日本人妻の無条件帰国を決定した」との発表があった。

この経過は、中山太郎会長(衆議院議員・元外相)のご尽力で、自民党外交部会で説明させていただいた。

ここまで順調に進んでいた日本人妻帰国問題は、橋本首相(当時)の「そういう話はきちっと筋を通してやってほしい」との公式談話で、外務省が突如北朝鮮との交渉に乗り出してきた。

私は、日本人妻帰国問題は民間人の募金活動で実現したいと考えていた。

なぜなら、日本人妻は自分達の自由意志で北朝鮮に行かれたわけである。これに国費を投入することは出来ない。

外務省に「南米諸国に自由意志で移民した人々が帰国したいといったら国費を出すか」と問い質したが、聞く耳を持たなかったどころか、私と張成択氏との交渉経過の事情聴取もせず、北朝鮮の統一線部・金容淳や外交部との直接交渉に乗り出した。

ある日、外務省の責任者が挨拶に見え「日本人妻帰国問題は1回につき16人~17人の人数で決定した」と報告した。

私は「1回100人で交渉は妥結したのだからその線で再考慮願いたい」といったところ、「中国人孤児の帰国は一度に16~17人と厚生省(現・厚生労働省)が決めているので、暗に厚生省が100人に反対している」というような説明があった。

私は、政府が活動を開始した以上民間人が介入することは失礼だと考え、以来、北朝鮮問題については一切沈黙を守っている。

日本人妻は二度にわたる小規模な帰国が実現されたが、その後中断され、今日に至っている。北朝鮮の信じられない無条件での大幅な譲歩を生かしきれず、絶好の機会を逸したことは慙愧にたえない。

歴史に“ i f (イフ)”は禁句だが、あの時、1回100人、日本の飛行機がピョンヤンに飛んでいれば、あるいは拉致被害者もその延長上で解決されていたかも知れない。

先ほども書いたように、日本人妻の帰国問題以来、北朝鮮への日本政府の直接交渉が始まり、以後、北朝鮮問題では一切の発言をしないことにした。

政府が直接交渉を開始された以上、民間人の勝手な動きは自粛するのは当然であるからであり、また今の私にはその力もない。

日本人妻の帰国を望む家族や拉致被害者家族の悲痛な叫び声を聞くたびに、ただただ胸をつまらせるのみである。

当時の毎日新聞と雑誌『選択』を参考までに添付した。




記事の内容は下のファイルで見れます

 
出典・笹川陽平●http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/1340

金正日の死に思う 「朝日新聞」は北朝鮮民衆と全世界のヒューマニストの敵である

2011-12-21 09:07:09 | 韓国・北朝鮮

12月20日(火)☼

 寒い一日。日差しの暖かいベッドで150円で買ってきた「朝日新聞」を読む。「金正日の死」をどう報じているかを知りたかった。

「社説」を読んでみた。予想はしていたがこの新聞の論説委員の視点は金王朝や中国共産党の幹部たちのそれと全く同じである。

 強制収容所半島に閉じ込められ飢餓に苦しむ民衆に筆が及ぶのはたった一箇所だがその内容がひどい。これが「人権」を標榜してきた「朝日」の本音なのだ。彼らの似非ヒューマニストぶりがよく現れている。

金正日総書記死去―混乱回避へ各国は協調を(「朝日」社説・20日)

(略)

独裁者の喪失で北朝鮮が動揺し、周辺が不安定になってもいけない。

 後継体制への移行期に、軍や党のエリート内で金総書記死去を機に権力争いが激しくならないか。困窮と規制に不満を募らせつつも、厳しい相互監視のために組織化できないとされてきた住民たちが抵抗し、難民として大挙して流出するような事態に陥らないか。

 こうした混乱は何としても避けねばならない。

    出典●http://www.asahi.com/paper/editorial.html

 

 生き延びるために国境を超えるのは人々に与えられた最後の権利である。江戸時代にだって人々は「逃散」を敢行した。支配層の分裂・抗争が生じるとしたらその時が絶好のチャンスであろう。

 大量の難民が流出する状況を想定し、それを迎え入れる体制を整えるのが民主主義の国に生きるヒューマニストのやらなければならないことである。「朝日新聞」は明らかに北朝鮮の民衆と全世界のヒューマニストの敵である。

 民主主義を標榜する国家(日本・韓国・米国など)の指導者は金正日の死を機会に独裁体制にヒビが入るような工作を果敢に進め、大量の難民が流出できるような状況を作り出さなければならない。そして彼らを何としても救出するのだ。その手立て(作戦)を綿密に立てなければならない。拉致被害者・日本人妻など多くの国民を幽閉されている日本政府の責務は特に重い。

 中国共産党独裁政権にとって北朝鮮独裁政権は困った存在ではあっても見捨てるわけにはいかない存在である。彼らは運命共同体のようなものでこれからも北朝鮮民衆の封じ込めで危機を乗り越えようとするだろう。

 韓国では従北左派の主導で李政権は末期症状を呈している。日本でも「朝日新聞」のような似非ヒューマニストたちがのさばって北朝鮮の民衆を見殺しにする論調が強まって行くかもしれない。

 北朝鮮に幽閉されている日本人の運命は北朝鮮の民衆のそれと分かちがたい。

 民主党政権がいかに非力でも中国政府と渡り合って「難民キャンプ」の創設など人々を救出する道筋を何としても切り拓いていかなければならない。アメリカをはじめとする世界の「人権」圧力も重要だが国民の自覚が何よりも求められる。

 

<関連新聞記事>

中朝国境ピリピリ 北の警備 数百人横一列

2011年12月20日 13時52分

 

北朝鮮側で警戒する北朝鮮の保安要員とみられる人影=20日、中国吉林省図們の中朝国境で(朝田憲祐撮影)

写真

 

 北朝鮮の金正日総書記の死去が伝えられてから一夜明けた二十日、国境を接する中国東北部の吉林省図們(ともん)から対岸の北朝鮮側を見ると、数百人規模とみられる北朝鮮の保安要員らしき人影が、横一列になるように警戒していた。北朝鮮からの難民流出など不測の事態に備えた措置とみられる。

 図們は、図們江(北朝鮮名・豆満江)を隔てて北朝鮮と接しており、地元住民や貿易商人らが図們大橋を往来する。観光客も二十元(約二百四十円)を払えば、橋の途中まで行くことができる。中国の私服警備員は同行するが、普段はのんびりした雰囲気という。

 ただ、冬場は最低気温が氷点下二〇度を下回る日も少なくなく、観光客はまばら。この日に国境の橋を訪れたのは日本のメディア関係者らが大半で、北朝鮮側にカメラを向けると、警備員が手のひらを突き出して「撮るな!」と叫びながら制した。

 図們江は、川幅が数メートルしかないところもある。しかもこの時期は川面が凍っており、歩いて渡れるだけに、金総書記の死去を受け、中国軍が二千人規模の警備部隊を増強したとの情報もある。(中国吉林省図們で、朝田憲祐)

(東京新聞)

 


北朝鮮帰国者新潟港追悼集会(続報)

2011-12-15 08:44:20 | 韓国・北朝鮮

12月14日の「第3回あの日を忘れない新潟港追悼集会」の冒頭で李敬宰さんが次のような追悼の言葉を述べました。

 

追悼のことば

 一九五九年十二月十四日は、九七五人の在日朝鮮人および日本人妻らが乗った最初の帰国船が新潟港から北朝鮮に向けて出港した日です。あれから五十二年の歳月が流れました。

 あの日、新潟港から希望に燃えて北朝鮮に移住した帰国者たち。しかし、行った先は人間の住める国ではなかったのです。北朝鮮政府から最下層の身分に指定され、特別監視のもとに置かれました。強制収容所で亡くなった人や処刑された人は万単位の数に達すると推定されます。

 日本国籍を持っているのに北朝鮮公民とされた日本人妻のほとんどは、日本に帰る願いがかなわず異国の地で死去しました。日本人妻の遺言は「頭を日本海のほうに向けて埋葬してほしい」というものだったといいます。

 日本に残った帰国者の家族も帰国運動の犠牲者です。肉親が北朝鮮に囚われの身となり、帰国者を「人質」にした北朝鮮政府から数々の脅迫を受けたからです。北朝鮮への怨念を抱えたまま「憤死」した在日コリアンは多数にのぼります。

 これらの膨大な数にのぼる死者たちの霊は、いまだに安らぎの時を迎えられてはいません。

 私たちは、北朝鮮帰還事業開始から五十二年目のきょう、新潟港において「第三回『あの日を忘れない』新潟港追悼集会」を挙行し、帰国運動の犠牲者の霊の平安を祈るとともに、今も北朝鮮に幽閉されている帰国者全員の解放をめざすことを誓います。

                                                           二〇一一年十二月十四日

 

残留邦人らの救出訴え 北朝鮮帰還事業52年

2011.12.14 20:45 産経
北朝鮮帰還事業の開始から丸52年を迎えて開かれた追悼集会で、献花し手を合わせる脱北した日本人妻、斎藤博子さん=14日、新潟港

北朝鮮帰還事業の開始から丸52年を迎えて開かれた追悼集会で、献花し手を合わせる脱北した日本人妻、斎藤博子さん=14日、新潟港

 在日朝鮮人ら約9万3千人が北朝鮮へ渡った帰還事業の開始から丸52年となる14日、最初の船が出港した新潟港(新潟市)で、亡くなった人々を追悼する集会が開かれ、脱北した日本人妻らが現地に取り残された日本人や拉致被害者の救出を訴えた。

 集会に参加した大阪府の斎藤博子さん(70)は、昭和33年に地元・福井県の工場で働いていた在日の男性と結婚。36年に夫とともに乗船した。在日本朝鮮人総連合会から「北は地上の楽園で、いい生活ができる。3年で日本に帰れる」と聞かされていた。

 わずかな食料でしのぐ生活の中、平成5年に夫が病死。13年に脱北したが、残してきた娘の1人は餓死したという。

 帰還事業で日本人妻約1800人も北朝鮮へ渡航。斎藤さんは集会で「高齢化が進み、もう時間がない」と涙ながらに日本人らの帰国支援を訴え、献花した。

 出典●http://sankei.jp.msn.com/region/news/111214/ngt11121420470006-n1.htm

  

  (斎藤博子さん)

日本への帰国を果たせぬまま亡くなった帰還者らに献花=14日、新潟市中央区

新潟西港で北朝鮮帰還者の追悼集会

 北朝鮮帰還事業の第1船が新潟を出港してから52年となる14日、北朝鮮で亡くなった日本人妻らを追悼する集会が、新潟市中央区の新潟西港中央埠頭(ふとう)で開かれた。関係者ら約30人が参加、今も北朝鮮で暮らす人の救出に向けた誓いを新たにした。

 脱北者支援など人権問題に取り組む「移民政策研究所」(東京)が主催。帰還事業は1959年から84年まで続き、日本人妻約1800人を含む計9万3千人が日本海を渡った。

新潟日報2011年12月14日

出典●http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/30219.html

 


北朝鮮帰国者新潟港追悼集会(速報)

2011-12-14 21:49:30 | 韓国・北朝鮮

新潟から帰ったばかりです。NHKで「第3回あの日を忘れない新潟港追悼集会」の様子が報道されたようです。

 

北朝鮮「帰還事業」で追悼集会

12月14日 17時7分 動画あり twitterでつぶやく(クリックするとNHKサイトを離れます)

在日韓国・朝鮮人と日本人の妻たちが北朝鮮へ渡った「帰還事業」が始まって、14日で52年がたち、日本に戻ることもなく亡くなった人たちを追悼する集会が新潟で開かれました。

昭和34年から昭和59年まで25年間続いた「帰還事業」では、在日韓国・朝鮮人と日本人の妻たち9万3000人が北朝鮮に渡りました。その多くは、当初「地上の楽園」と宣伝されていた北朝鮮に、憧れを抱いて渡ったものの苦しい生活を強いられていたと言われています。14日の集会は、北朝鮮行きの最初の船が出航した新潟港で開かれ、日本へ戻ることのないまま亡くなった人たちの遺族など40人が参加しました。集会ではまず、在日韓国人の男性が「多くの人が希望に燃えて移住したが、人の住める国ではなかった。犠牲者の霊の平安を祈ります」と述べ、亡くなった人を追悼しました。続いて北朝鮮から逃れる、いわゆる脱北をして現在、日本に住んでいる70歳の女性が、今も多くの日本人妻が北朝鮮に残されているとして一刻も早く帰国させたいと訴えました。集会の主催者で、脱北者を支援している団体の坂中英徳代表は「北朝鮮に渡った日本人妻1800人余りのうち、まだ数百人は生きていると思う。北朝鮮に閉じ込められ、帰りたいと願っているのは拉致被害者と同じで、一緒に解決すべきだ」と話していました。

 出典●http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111214/k10014636751000.html

 こちらの方では映像と音声が視聴出来ます。

 


北朝鮮帰国者新潟港追悼集会

2011-12-12 04:22:16 | 韓国・北朝鮮

今日はこれから家族3人で新潟に向かいます。14日の集会に参加するのが目的です。その前に冬の新潟を体験するのが恒例になりました。14日に帰ります。ご都合の付く方がおられたら新潟港で会いましょう。当日夕刻以後のNHKなどの報道にも注目してください。

 北朝鮮への「帰国船」第一船が出て14日は52年になります。来春には何としても日本人妻・残留日本人の帰国を実現する決意でこの集会をやります。

12日(月)川越~大宮~(新幹線)~新潟  新発田(しばた)城址 福島潟 瓢(ひょう)湖

  

                                     (泊)咲花温泉・碧水荘●http://www.hekisu12日isou.jp/sisetu.html

13日(火) 阿賀野川・新潟平野あちこち           (泊)寺泊岬温泉・ホテル飛鳥●http://www.hotel-asuka.jp/

14日(水)1時30分~2時30分 

   「第3回あの日を忘れない!12・14新潟港追悼集会」(新潟港中央埠頭)

1 開会宣言    

2 追悼式

(1)追悼の辞                      

(2)北朝鮮に残された日本人妻の一刻も早い帰国を訴える 日本に帰国した日本人妻

(3)遺族代表あいさつ             坂中英徳(移民政策研究所所長) 

(4)追悼法要                 若麻績敬史(善光寺・平和を願う僧侶の会)

3 日本政府への要請文の発表

4 献歌 朴保  

      田月仙http://www.youtube.com/watch?v=i2vfGAQdNxI

5 閉会

 

 第2回追悼集会●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/5db0ed79788529b8dff4b31bae1fdc18


「第3回 『あの日を忘れない』新潟港追悼集会」

2011-11-22 05:11:45 | 韓国・北朝鮮

新潟集会の案内が届きました。私たちは12日(月)に出発し新潟平野の各地を訪ねたあと集会に参加します。ご一緒できる方がおられたら連絡してください。

「第3回 『あの日を忘れない』新潟港追悼集会」 

日時 12月14日(水)

場所 新潟港中央埠頭

式次第

 開会             13:30
 追悼式  追悼の辞    13:35
  追悼法要 読経      13:40
         献花      13:55
         献歌      14:05
 要請文の発表       14:20
 閉会      閉会の辞    14:25


今回の追悼集会においては、日本人妻の帰国への
光明が見えてきた状況を踏まえ、別紙の要請文を採択し、
日本政府に日本人妻、北朝鮮残留邦人等の一刻も早い帰国を
迫りたいと思っています。
多数の方々の参加をお願いします。

□□◆■□□□□□□□□□□□□
JIPI 一般社団法人移民政策研究所
所長 坂中英徳
〒108-0014
東京都港区芝4-7-6     尾家ビル5F
TEL03-3453-5901/FAX03-3453-5902
E-mail   sakanaka@jipi.or.jp
URL        http://www.jipi.or.jp/
ブログ:http://blog.livedoor.jp/jipi/
(別紙)

内閣総理大臣 野田佳彦様
外務大臣   玄葉光一郎様

北朝鮮にいる日本人妻、北朝鮮残留邦人等の早期救出を求める


 一般社団法人移民政策研究所では、北朝鮮帰還事業開始から50年目を期して、2009年12月14日新潟港において帰国運動の犠牲者の霊の平安を祈る追悼法要をいとなむとともに、今も北朝鮮に幽閉されている帰国者全員の解放を目指して「『あの日を忘れない』新潟港追悼集会」を開催しました。


 そして、集会において採択した鳩山由紀夫首相(当時)あての要請文「『日本人妻』の帰国を日朝の外交課題に」を中井洽拉致問題担当大臣(当時)に提出しました。その中で次のように述べました。

 〈現在も北朝鮮に軟禁されている帰国者全員を救出するため、まず「日本人妻」の帰国を日朝間の外交課題にあげていただきたい。この問題を日朝交渉で取り上げれば、膠着状態に陥った日朝関係を打開する糸口になるだろうと考えています。人質外交にたけた北朝鮮政府首脳は「日本人妻」を対日外交の切り札として温存してきたので、この話に乗ってくると見ています。〉

 私たちの要請に政治家がこたえました。2010年3月15日、当時の中井洽拉致問題担当大臣は参議院予算委員会で日本人妻の帰国問題について「あらゆる機会に、この問題を世界に認識してもらい、一日も早く帰国がかなうよう精いっぱい努力する。鳩山首相からは、北朝鮮にいる日本人の生存者をすべて救い出すよう指示されている」と答弁しました。

 それ以後、日朝間で日本人妻の帰国について水面下の交渉が持たれたようです。2011年7月2日付産経新聞の報道によると、北朝鮮側は日本側に「日本人妻の帰国」は可能と伝えたもようです。

 最近、北朝鮮政府が、生存している日本人妻をピョンヤンに集めたという情報も入っています。北朝鮮は日本人妻の出国の準備を進めているものと思われます。

 先の中井洽拉致問題担当大臣の国会答弁にあった「北朝鮮にいる日本人の生存者」の中には、在日朝鮮人と結婚して夫と一緒に北朝鮮へ渡った日本人妻のほか、もちろん拉致被害者が含まれます。さらに、日本ではすっかり忘れられた存在になってしまいましたが、北朝鮮残留邦人(北朝鮮残留孤児を含む)も救出の対象者です。

 そもそも北朝鮮帰国者問題の歴史を振り返りますと、1954年1月6日、日本赤十字社が北朝鮮の朝鮮赤十字会に電報を打ち、「終戦後も北朝鮮に残留する日本人の引き揚げが許されるならば、その引き揚げ船を利用して在日朝鮮人の帰国希望者の帰国援助をしたい」という日本政府の意向を伝えたことから始まります。

 このように、当時の日本政府の主たる関心は、在日朝鮮人の北朝鮮への集団帰国ではなく、在北朝鮮の日本人の引き揚げにありました。

 しかし、1959年12月14日から始まった北朝鮮帰還事業により在日朝鮮人の北朝鮮への帰国は実現しますが、在北朝鮮日本人の帰国は、1956年に36人が帰ってきた以外に、実現することはありませんでした。その後は、日本政府が北朝鮮残留邦人の救出に動くこともなく、多数の日本人が北朝鮮に取り残されました。

 日本に入国した脱北帰国者の数人が、北朝鮮残留日本人に会ったことがあると言っています。北朝鮮残留日本人の大半は山奥の一角に集団でおしこめられ、ジャガイモを主食として命をつなぐ、原始人のような自給自足の生活をしていると聞いています。

 私は、法務省入国管理局の行政官時代、一貫して在日朝鮮人問題、北朝鮮帰国者問題と取り組み、退職後は、移民政策研究所日本人妻等定住支援センター代表として日本に戻ってきた日本人妻等に対する定住支援を行っています。

 そのような立場から野田佳彦首相に緊急の提言があります。現在も北朝鮮に閉じ込められている日本人妻、北朝鮮残留日本人を救い出していただきたい。

 政府の助けを待っている日本人はいずれも70代・80代の高齢ですから、これは一刻を争う邦人保護問題です。日本人妻、北朝鮮残留日本人の帰国が実現した暁には、移民政策研究所が責任を持って、帰国された皆さんが祖国で天寿をまっとうしていただけるよう全面的に支援します。

 野田内閣が北朝鮮で生きている日本人すべてを連れ戻すため全力投球で臨まれるようお願いします。

 北朝鮮政府が日本人妻の帰国容認を示唆している千載一遇の機会を逃してはなりません。この絶好のチャンスをつかめば、拉致問題を含む、日朝間の諸懸案の解決につながるだろうと考えています。

    平成23年11月7日

一般社団法人移民政策研究所所長 坂中英徳


日本人妻・北朝鮮残留邦人の救出を求める

2011-11-18 09:10:20 | 韓国・北朝鮮

坂中英徳さんが主宰する「移民政策研究所」が11月7日に以下のような要請書を内閣に提出したということです。

僕はこの趣旨に全面的に賛成です。助けを求めている人々は高齢で一刻の猶予も許されないところまで来ています。僕にできることは限られていますが移民政策研究所の人々に協力して行動します。12月14日には第3回目の「『あの日を忘れない』新潟港追悼集会」を開催し、犠牲になった人々を追悼すると共に救出への決意を内外に示します。

 拉致問題の解決・帰国したコリアンの日本への自由往来の実現への道を切り開く第一歩でもあります。皆さんの協力を呼びかけます。

 

内閣総理大臣 野田佳彦様
外務大臣   玄葉光一郎様

北朝鮮にいる日本人妻、北朝鮮残留邦人等の早期救出を求める


 一般社団法人移民政策研究所では、北朝鮮帰還事業開始から50年目を期して、2009年12月14日新潟港において帰国運動の犠牲者の霊の平安を祈る追悼法要をいとなむとともに、今も北朝鮮に幽閉されている帰国者全員の解放を目指して「『あの日を忘れない』新潟港追悼集会」を開催しました。


 そして、集会において採択した鳩山由紀夫首相(当時)あての要請文「『日本人妻』の帰国を日朝の外交課題に」を中井洽拉致問題担当大臣(当時)に提出しました。その中で次のように述べました。

 〈現在も北朝鮮に軟禁されている帰国者全員を救出するため、まず「日本人妻」の帰国を日朝間の外交課題にあげていただきたい。この問題を日朝交渉で取り上げれば、膠着状態に陥った日朝関係を打開する糸口になるだろうと考えています。人質外交にたけた北朝鮮政府首脳は「日本人妻」を対日外交の切り札として温存してきたので、この話に乗ってくると見ています。〉

 私たちの要請に政治家がこたえました。2010年3月15日、当時の中井洽拉致問題担当大臣は参議院予算委員会で日本人妻の帰国問題について「あらゆる機会に、この問題を世界に認識してもらい、一日も早く帰国がかなうよう精いっぱい努力する。鳩山首相からは、北朝鮮にいる日本人の生存者をすべて救い出すよう指示されている」と答弁しました。

 それ以後、日朝間で日本人妻の帰国について水面下の交渉が持たれたようです。2011年7月2日付産経新聞の報道によると、北朝鮮側は日本側に「日本人妻の帰国」は可能と伝えたもようです。

 最近、北朝鮮政府が、生存している日本人妻をピョンヤンに集めたという情報も入っています。北朝鮮は日本人妻の出国の準備を進めているものと思われます。

 先の中井洽拉致問題担当大臣の国会答弁にあった「北朝鮮にいる日本人の生存者」の中には、在日朝鮮人と結婚して夫と一緒に北朝鮮へ渡った日本人妻のほか、もちろん拉致被害者が含まれます。さらに、日本ではすっかり忘れられた存在になってしまいましたが、北朝鮮残留邦人(北朝鮮残留孤児を含む)も救出の対象者です。

 そもそも北朝鮮帰国者問題の歴史を振り返りますと、1954年1月6日、日本赤十字社が北朝鮮の朝鮮赤十字会に電報を打ち、「終戦後も北朝鮮に残留する日本人の引き揚げが許されるならば、その引き揚げ船を利用して在日朝鮮人の帰国希望者の帰国援助をしたい」という日本政府の意向を伝えたことから始まります。

 このように、当時の日本政府の主たる関心は、在日朝鮮人の北朝鮮への集団帰国ではなく、在北朝鮮の日本人の引き揚げにありました。

 しかし、1959年12月14日から始まった北朝鮮帰還事業により在日朝鮮人の北朝鮮への帰国は実現しますが、在北朝鮮日本人の帰国は、1956年に36人が帰ってきた以外に、実現することはありませんでした。その後は、日本政府が北朝鮮残留邦人の救出に動くこともなく、多数の日本人が北朝鮮に取り残されました。

 日本に入国した脱北帰国者の数人が、北朝鮮残留日本人に会ったことがあると言っています。北朝鮮残留日本人の大半は山奥の一角に集団でおしこめられ、ジャガイモを主食として命をつなぐ、原始人のような自給自足の生活をしていると聞いています。

 私は、法務省入国管理局の行政官時代、一貫して在日朝鮮人問題、北朝鮮帰国者問題と取り組み、退職後は、移民政策研究所日本人妻等定住支援センター代表として日本に戻ってきた日本人妻等に対する定住支援を行っています。

 そのような立場から野田佳彦首相に緊急の提言があります。現在も北朝鮮に閉じ込められている日本人妻、北朝鮮残留日本人を救い出していただきたい。

 政府の助けを待っている日本人はいずれも70代・80代の高齢ですから、これは一刻を争う邦人保護問題です。日本人妻、北朝鮮残留日本人の帰国が実現した暁には、移民政策研究所が責任を持って、帰国された皆さんが祖国で天寿をまっとうしていただけるよう全面的に支援します。

 野田内閣が北朝鮮で生きている日本人すべてを連れ戻すため全力投球で臨まれるようお願いします。

 北朝鮮政府が日本人妻の帰国容認を示唆している千載一遇の機会を逃してはなりません。この絶好のチャンスをつかめば、拉致問題を含む、日朝間の諸懸案の解決につながるだろうと考えています。

    平成23年11月7日

一般社団法人移民政策研究所所長 坂中英徳




呉文子(お・むんじゃ)さんと『楽園の夢破れて』

2011-10-23 06:45:24 | 韓国・北朝鮮

10月22日(土)雨

 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会のHPの三浦小太郎さんの文章関貴星氏の息子と西部邁氏」を読みました。1962年に『楽園の夢やぶれて』を出版して北朝鮮の実態を初めて告発した関貴星さんに勇さんという息子さんがおられることを初めて知りました。その勇さんに西部さんが助けられたという話ですが、その縁でか勇さんのお姉さんの呉文子さんが西部さんの番組に出ていることを知りました。

 

五十年前、こんな偉大な「在日」がいた

  

50年前、こういう偉大な「在日」がいた
□北朝鮮帰還運動の酷い現実を1960年に告発
□マスコミが注目しなかった書物
□北による言論封殺のための誹謗・中傷に耐えた在日家族
□父の正義感に謝罪する娘
□祖国を担う必要、困難を感じない日本人が考えるべき実話

画像:呉文子http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20110924

 

 呉さんは1959年12月14日、北朝鮮帰国第一船が新潟港を出港するにあたって祝賀の歌を歌った方です。父の思いを受けとめられるまでに10年の月日がかかったといいます。僕らが2003年に「拉致被害者・家族の声を受けとめる」集いを開いたとき、メッセージを寄せてくれました。お会いできたのは09年12月でした。

 このようにメディアに出て証言するのは初めてかもしれません。みなさんが耳を傾けてくれることを期待して紹介します。

勇さん夫妻の経営するお店が山梨県にあるということです。

  ギャラリー・ハン●http://galleryhan.moo.jp/gyararihan/Welcome.html

資料・「関貴星氏の息子と西部邁氏」http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00680

 

パンソリに想い秘めるとき ある在日家族のあゆみ

 


今年も12月14日は「あの日を忘れない新潟港追悼集会」

2011-10-20 09:04:51 | 韓国・北朝鮮

移民政策研究所が主催する「あの日を忘れない!新潟港追悼集会」が今年も行われるそうです。

   12月14日(水)午後 (詳細未定)    新潟港中央埠頭

 1959年12月14日に始まった「北朝鮮帰国事業」で北に送られたまま犠牲になった人々を追悼し、日本人妻などの一日も早い帰国を実現するのが目的です。

 友人たちがこの日のことを忘れないでできれば新潟に駆けつけてくれますように早めにお知らせします。

 半世紀以上の年月が経ってしまったので社会の底辺に押し込まれた日本人妻のほとんどは亡くなられたと考えられます。それでも救いを待つひとびとはおられます。今すぐに手を差し伸べなければ後の祭りになってしまいます。

 心ある人々の新潟への結集を呼びかけます。詳しいことが決まり次第「川越だより」でもお知らせします。

2009年12月新潟港追悼集会

    ●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/88fdf36f32241222725e5da63b127023

2010年12月新潟港追悼集会

  追慕・追悼   藤田勝久



 12月14日、午後1時半より、新潟西港中央埠頭にて追悼式が

行われた。
 
  51年前の1959年12月14日、午後2時9分に清津港に向け

船は出港して行った。

 その時刻、2時すぎに51年後の埠頭で「アリラン」を絶唱する女性は

オペラ歌手、田月仙さんである。

 彼女の声は、港の緑青色の冷たい波間を越えて港外遥か清津に

届くかのようであった。

 Iさんと話をする。

 「あの日、この港から船に乗りましたよ。 8歳でした。 何も分らず

はしゃいでいましたよ。 一家、10人で行ったのですよ。」

 坂中英徳氏が話をしている。

 「亡くなる前、日本婦人は、頭を日本に向けて埋葬するよう遺言した。」と。

 Iさんは言う。

 「うちのかあさんも、同じこと言いましたよ。 だけど、頭を日本に向けた

 ら見にくいと思って、こういう風に斜めにして、日本が見えるように埋葬しまし

 た。」 

 彼は、朝見かけた人が夕方には死んでいる1997年の大飢餓の時代に

 妻子を連れて脱北する。 2年後、ロシアを経て新潟空港に辿り着いた。

 港に来て埠頭に立ち寄ったが、その日、新潟は猛吹雪で彼の子供は必死で

彼の服を掴んで歩いていたという。

 軍役10年を勤めあげ頑健には見えるが、もう59歳、今後の平安を祈らず

 には いられない。

 Iさんは言う。

 「2,3年のうちに、あの国は解放されますよ。 間違いないですよ。」と。


(蛇足)脱北してきたAさんは「日本」は遺言でも禁句だから実際は「東海(トンへ)」と言ったとのことでした。「東海」は日本海を指す朝鮮語です。(けいすけ)

出典●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/834add85a4b1aab1cc470ed5516ef873

 

 


「生命と人権を守る会」の要請文を全面的に支持します。  朝鮮高級学校無償化問題

2011-09-16 07:03:51 | 韓国・北朝鮮

やや古い話になりましたが「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」が朝鮮高級学校の授業料無償化手続きの再開の撤回を求める要請を野田首相に対して行なったそうです。僕はこの要請文を全面的に支持します。

 日本の検定教科書をあれこれと批判することは重要です。税金を投入するからには外国人学校であってもその学校の教育活動や教科書を批判の対象にするのは当然です。菅前首相は怪しげなる政治勢力とのつながりが指摘されています。「気付かなかった」の一点張りですが、最後の仕事がこれですから、?は深まるばかりです。要請文にあるとおり、国会の場で議論を深めるべきです。

 

内閣総理大臣
野田佳彦 先生

朝鮮学校無償化手続き再開の撤回を求める要請文

大震災に始まる国難の中、新総理大臣として重要な諸問題に取り組まれるお姿に敬意を表します。

さて、私たちは1994年に結成された市民団体、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会です。1959年に始まった北朝鮮帰国事業にて北朝鮮に渡っていった帰国者、日本人妻の人権問題をはじめとして、政治犯収容所をはじめとするさまざまな北朝鮮人権問題の改善を求めてきました。

報道によりますと、菅前首相は8月29日、高木文科相に、朝鮮学校授業料無償化手続きの再開を求めたとのことです。その理由として、北朝鮮が米韓との対話姿勢を見せ始めたことや、砲撃事件などの軍事挑発を行っていないことをあげています。しかし、私たちはこの無償化手続き再開を、北朝鮮の人権問題や拉致問題、何よりも現在の朝鮮学校の教育内容を無視したものとして強く反対し、新首相に撤回を要請します。

まず、北朝鮮は天安艦爆破をいまだ認めておらず、また延坪島砲撃に対しても謝罪をしておりません。何よりも、日本人拉致事件について、いまだ誠意ある回答を行っておりません。このような北朝鮮の姿勢を対話姿勢を見せテロを停止したと見るのは明らかに誤りです。そして、今無償化手続きが行われようとしている朝鮮学校の歴史教科書は、このような北朝鮮の政権を支持するばかりか、金日成、金正日の世襲独裁政権を礼賛しているのです。

歴史観は多様であるべきですし、私たちは朝鮮民族への差別や排外主義には反対します。しかし、この教科書に書かれているのは、朝鮮戦争は米韓が始めた、北朝鮮帰国事業は金日成の人道的な事業であり帰国者は幸福に暮らしている、大韓航空機事件は韓国のでっち上げである、日本政府は拉致事件を利用して差別主義をあおっているなど、「歴史観の違い」ではなく、明確に虚偽の記述がなされているのです。

なによりも、親子二代に及ぶ独裁体制を敷き、帰国者や日本人妻をスパイ容疑などで政治犯収容所に送り込み、300万人の国民が餓死しても核開発や軍拡を優先する悪しき政権を、理想の指導者として礼賛する教科書を使う学校に無償化を行うことは、ヒトラーを礼賛する教科書を使う学校に国税を投入することと同様であり、自由と人権、民主主義を基本理念とする日本の教育基本法の理念とも相容れません。また朝鮮学校当局が、上記した北朝鮮の人権問題について、その改善のために何らかの努力をしているのかどうかも、私たちの関心事です。朝鮮学校が日本の差別を批判するのならば、同胞である北朝鮮民衆や帰国者の人権問題にも目を向けなければならないはずです。

私たちは新首相に、直ちに以下の3点を要請いたします。

1、朝鮮学校無償化手続き再開を直ちに撤回してください
2、朝鮮学校で使われている教科書の提出を学校に求め、その内容を精査し、日本国の教育理念にふさわしく、無償化に値するものであるかを国会など公開の立場で審議してください
3、朝鮮学校ならびに朝鮮総連に対し、教科書での北朝鮮独裁政権礼賛を改めるまでは、無償化はありえないことを通告してください

2011年8月31日

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
代表 三浦小太郎
連絡先:E-mail:miurakotarou@hotmail.com
ホームページ:http://hrnk.trycomp.net/


朝鮮総連と左派・人権派  湾岸だより(8)

2011-08-20 19:56:50 | 韓国・北朝鮮

『統一日報』の記事によると在日本朝鮮人総連合会(「朝鮮総連」)が金正日の子・正恩を金王朝の跡継ぎ(3代目)として推戴することを決めたという。

 「金正恩大将同志を戴いて主体偉業を輝かしく継承、完遂していく光栄ある新時代を迎えた。大将同志の領導に従い新世紀の在日朝鮮人運動を絶え間なく展開していくでありましょう」

 北の独裁政権の仲間になることによって甘い汁を吸い続けてきた朝鮮総連の幹部たちがこんな時代離れしたことを決めても今更驚くことも何もない。在日コリアン大衆にとっても同じことだろう。「総連」はますますカルト集団化し、離脱者が増えていくに違いない。

 僕が悔しくてならないのは日本の人権派を自任してきた左派系の人々が実質的に朝鮮総連の応援団になっていることだ。在日コリアンを収奪して独裁政権の財布になってきた朝鮮総連は財政的にも破綻し、総連中央会館は今年中にも競売に付されるのではないかと言われている。生命線である各級朝鮮学校は抵当に入っている。

 総連中央が朝鮮高級学校への授業料無償化措置の適用を求めて躍起になっている背景には在日コリアン大衆からも見放され成り立ちゆかなくなった経済的現実があるのだ。ひとを虫けら同然に扱って恥じない北の独裁政権をたたえて自己の地位を守ろうとする者たちの当然の運命なのだ。

 左派・人権派と言われてきた人々は自分たちが総連の随伴者となり独裁政権の後押しをしていることになぜ気づこうとしないのだろうか。これらの人々は拉致問題や脱北帰国者問題には関心をもたないばかりか、取り組む人々を敵視しさえする傾向がある。

 こんな有様では「君が代」の強制にいくら果敢に反対しても広く市民の共感を得られないのは当然ではないのか。

 日本の民主主義をより確かなものにしていくためにたとえ国歌であっても「君が代」の強制に「異議あり」と主張するのは当然の権利である。

 同じように北の独裁政権の人権抑圧になぜNO!が言えないのだろう。金王朝のやっていることは石原知事や大阪府知事がやっていることとは桁が違う。端的にいえば平気で人殺しを限りなくやっている政権である。犠牲者の中には在日コリアンの「帰国」に従いて行くほかはなかった日本人妻も含まれている。

 僕は学生の時に左派となり、教員になってから人権派となった。だから友人や先輩にも左派や人権派が少なくない。

 「朝鮮総連の策謀にのって北の独裁政権の延命に手を貸すことは端的にいって犯罪ではないのか。」

 2002年9月17日を期してこう問いかけてきたつもりだがきちんと理解してくれる人は少ない。これでは左派や人権派が自滅に追いやられるのは当然であろう。それは日本にとって決していいことではない。だから「悔しい」のである。

 

 

総連の動向 許宗萬「大将同志を戴き、その領道に従う」
                                       反発警戒 機関紙で公表せず

                                                              「統一日報」8月12日

北の党代表者会から10カ月 朝鮮総連、金正恩推戴
中央委、3代世襲を推進


 3代にわたる権力世襲を朝鮮総連がいつ打ち出すのか注目されるなか、7月9日東京の中央会館で開いた22期第2回中央委員会で総連は金正恩を後継者に推戴するとの組織方針を採択した。だが、この方針を明らかにした中央委員会報告は機関紙で報じられず、大衆に知らされない秘密報告だった。金正日政権、総連中央、組織幹部、一般総連同胞の間に決定がまっすぐ伝えられない状況が生まれているようだ。金正恩推戴は、300人の総連中央委員を前に許宗萬責任副議長が報告して明らかになった。

 「金正恩大将同志を戴いて主体偉業を輝かしく継承、完遂していく光栄ある新時代を迎えた。大将同志の領導に従い新世紀の在日朝鮮人運動を絶え間なく展開していくでありましょう」
 中央委員会に参加した中央委員は都道府県本部委員長、全国の支部委員長、傘下団体・事業体の長、それに中央常任委員ら幹部たちだ。団体には教育会、芸術団も含まれ、朝鮮高校校長も中央委員会の構成員だ。

   イルクンや大衆には知らせず

 中央委員会は3年に一度の大会と大会の間の最高意思決定機関と位置づけられている。総連で金正恩推戴がいつの時点で決定されたか定かでない。だが、中央委員会で報告がなされたことから総連の正式方針となったことは間違いなく、中央委員会は3代目の権力世襲を承認した。質疑などはなかったという。

 次期権力体制への支持という重大な案件が中央委員会で報告されたにもかかわらず、中央委員会開催を7月13日付で報じた総連機関紙「朝鮮新報」は金正恩推戴には触れていない。さらに中央委員会の翌日10日に東京・北区十条で開かれた「新たな全盛期を開くための熱誠者大会」でも金正恩推戴に触れていない。幹部だけに知らせ、イルクン(活動家)や総連一般大衆には知らせないというのは異常なことだ。

 昨年10月の44年ぶりの党代表者会で「金正恩後継」が事実上決定して以後、総連はこれまで「金正恩後継」を正式に打ち出したことはない。総連が早い時期に金正恩推戴方針を打ち出せなかったのは「権力の世襲はあり得ない」という総連組織内の声を無視できないからのようだ。
 機関紙で報じず、大衆に知らせない決定について総連元活動家は「論じる以前に嫌悪感をもって反対するイルクンは多いが、今回の秘密決定でイルクンには『われわれは信頼されていない』という反発が生まれた」と言う。
 「2世後継(金正日のこと)の時、すでに反対意見が強かった。その時の後遺症はいまだに残っている。3世推戴を決定すれば総連内の反対意見とのへだたりは大きくなる」

                                 (後略)

出典●http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=62731&thread=01r01

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 朝鮮総連中央会館                           東京朝鮮中高級学校