7月10日
小山義幸くんは僕の最初の生徒の一人で高校生のときからよく付き合ってくれた人です。三つ違いの弟の省悟くんとは東京の学校に転勤してから付き合いが深まりました。いつのころか、二人が炭鉱離職者の家族で故郷が北海道・歌志内だと知りました。
今回の旅の二番目の目的は二人の育った炭鉱町の昔日の姿を探ることです。1948年(昭和23年)生まれの義幸くんは中二までここで育ち、伊豆の温泉町を経て大島に定住したということです。ちょうど半世紀前のことです。
僕が義幸くんにであったのは1966年、彼が大島高校3年になったときです。 社会科の教師で炭鉱離職者のことはそれなりに知っていたはずですがそれが義幸くんの人生と深くかかわっていたと気づいたかどうか?「教える」ことに夢中で一人ひとりの生徒の生活の背後に思いをいたす力が備わっていなかったのです。
人生が終わろうとするときに訪ねて何かの意味があるとは思えませんが親しく付き合ってくれた二人の少年期をふるさとの景色の中で想像してみたかったのです。
①チロルの湯 炭鉱跡から湧出する温泉を利用した宿。一泊二食が6000円台と安い上に料理人の行き届いた配慮が感じられる献立。
空知の宿に選んで本当によかったなあ。
②住友歌志内鉱 中村地区炭鉱住宅街
迷い込んだ旧炭住街で木戸さんという女性がいろいろと教えてくれた。炭住の土地は市のものだが閉山後家屋は個人が買い取って補修しながら住んでいるという。
中村旧炭鉱住宅 木戸さんのお宅 4軒長屋であったが手前の一軒が取り壊された。取り壊しに金がかかるので人がすまなくなった家が廃屋になっている例が少なくないという。木戸さん宅はほぼ昔の姿のままだという。
木戸さんは歌志内中OG、1947年(昭和22年)の早生まれというから義幸くんより二学年先輩。近年同期会があったという。名簿作りは困難を極めて集まりはこれで終わりにするということになったらしい。
③『炭鉱の記憶』http://www.city.utashinai.hokkaido.jp/hotnews/detail/00000346.html
小山兄弟の育った「東光1区」の情報があるかと市役所によってみた。あそこは産業地区に指定されて人は住めません、とのこと。
あきらめかけていたら『うたしない 炭鉱の記憶 写真集』という冊子を持ってきてくれた。ふるさと納税に協力してくれる人々に配布する写真集だ。
多くはないが小山兄弟が育った昭和30年代の東光1区の写真が掲載されている。これはいいお土産だ。
(昭和35年<1960>選炭工場)
(昭和30年代 東光一区)
ちょうど市役所に来ていた澤田季孝(すえたか)さんが声をかけてくれた。昔、実家は東光1区で「澤田商店」を営んでいたという。昭和24年の早生まれだというから義幸くんとは中学校の同期生ということになる。同学年が9クラスもあった、同級ではないが近所に住んでいた「小山一家」とかかわりがあるかもしれない、とのことだった。今は文殊に住んでおられるとのことだ。
④東光一区
東光グランド(歌志内小学校グラウンド)
歌志内小学校はこの立派なグラウンドの上のほう(今はガラス工場)にあった。学校から長い滑り台がグラウンドまで延びていて在校生ならどなたにも記憶があるはずだ。 グラウンド整備中の校長先生?が教えてくれた。このグラウンドは400mの公認運動場で各種の競技や炭鉱の運動会、大相撲の興行などでにぎわった。
木々が茂っている左側の丘や奥には炭住がひしめくように建っていた、とか。今、歌志内は全国最小の市(人口4200人)で全市からここにかよう小学生も150人ほどだという。最近、学校付近に熊が出没して生徒を集団下校させたとのことだ。
⑤東光一区 旧北炭ー空知炭鉱
旧北海道炭鉱汽船空知鉱は1963年に閉山された後第二会社が運営していたが95年完全にその営みを停止したという。最新式の立坑が昔の姿をそのままに見せている。
参考●http://www.sorachi.pref.hokkaido.jp/so-tssak/html/parts/16tatekou.html
空知鉱立坑とずり山遠望
周辺には廃棄物処理工場などが立地し、大型トラックの往来が結構激しい。古い写真に見る炭住の風景はどこに行ってしまったのか。想像することもできなかった。
⑥旧歌志内中学校跡
義幸くんが2年生まで通った中学校跡には市民会館が建っていた。翌日が「明日、悲別で」(作・演出 倉本聡 富良野GROUP)
の公演らしい。卒業生のおじさんが学校前の履物店は昔とかわらないよ、と教えてくれた。
この町には「郷土館ゆめつむぎ」があり、炭鉱の町の歴史を伝えているというが「月火」が定休日ということで訪ねることができなかった。
帰ってから義幸くんに電話して故郷の印象を伝えた。近く川越を訪ねてくれるという。実現すれば41年前の春、引越しを手伝いに来てくれて以来だ。
今度は彼の何十年ぶりかの故郷訪問に同行するなどということが起きるか?
北海道の炭鉱について何の知識もなかった僕には空知の旅は興味が尽きなかった。
悲しい明円君