3月13日(水)晴れ
先週の伊豆の旅あたりから花粉症がひどくなってきた。春を迎えた喜びが台無しである。
2年前の春にも同じことを書いた。
言うまでもないことだが「自然現象」ではない。人災である。1960年代に政府が進めた「拡大造林政策」の失敗による。
ブナやナラなどの自然林や原生林を皆伐し、スギやヒノキを植林した。木材の輸入が自由化されたあと山は放置され、荒廃して「死の森」になってしまった。ひょろひょろのスギやヒノキがそれでも子孫を残そうと懸命に花粉をまき散らせているのだ。
花粉症でどれほどの人が苦しんでいるのか分からないが、対症療法で薬屋が儲かるだけで、森を再生させる根本的治療は遅々として進まない。役人(林野庁)と学者(林学)企業(製紙業など)が手を組んでやったことだが、責任を取る人は誰もいない。損害を賠償してくれる人もいない。
それでも花粉症はまだましである。すぐに症状が出るので何らかの対策をとることができる。期間も限られている。
原発から出る放射能による被害はこうはいかない。急激な被曝は別にして、被害を自覚することがむずかしい。発症は何十年も先のことだったりする。
だから、私たちはよっぽど心してかからなければならない。電力会社と御用学者と政府の言うままに「原発安全神話」に洗脳されてしまったら取り返しのつかないことになる。それがこの春、現実のことになった。
せっかく元気に春を迎えられたのに閉じこもりになるのはやりきれない。避難と帰郷をかねて土佐に帰ろうか。昨日あたりからこんなアタマになってきた。
今日は一日かかって脱出作戦を練ることにする。
我が国の国策 (まつりごと) は、安全神話と深く関係しているに違いない。
だが、最悪のシナリオを想定するのはひどく難しい。
これは、平和ボケのようなものか。
太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も投降して、75000人以上の将兵の命を救った。
太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるし、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。
日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はないのか。
人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。