9日に泊まった赤石荘の露天風呂は良かった。お湯はツルツルだし、正面遠くに宝剣岳が見える。横浜から来て絵を描いているという同世代の方と長湯した。度々来ては描いているという。
10日(木)の午前中に中央構造線博物館とろくべん館に寄った
●http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/subindex01-02rokuben.htm
「ろくべん館」(大鹿村民俗資料館)の入口近くに旧大河原小学校の校歌板が架かっていた。四周の景観が謳い込まれ、郷土愛に満ちた詩である。
大河原小学校校歌
森 識作詞
一
南アルプの名を負いて
盟主とそそる 赤石岳
岩根洗うて せんかんと
四時に流るる 小渋川
二
山嶺遠く 天がけり
白雲つねに湧くところ
見上ぐる空の その峡に
我らが郷土 大河原
三
鳥倉山に 秋たけて
雪こそつもれ 青木谷
大西山に 春すぎて
夕べ涼しき 島川原
四
山の端近き 御所のあと
信濃の宮に 福徳寺
夕日に映ゆる 松平
追手かためし 堀田城
五
ああ 山川の霊うけて
古き歴史の 血をおそう
我らが行くて 想うとき
高き希望に燃ゆるかな
六
高嶺に花の香をさぐり
谷間に水の精をくみ
大地にめぐむ 悠久の
平和と文化をうちたてん
ここに名前はないが作曲したのは大河原小学校の先生だったという。その先生が「の出身らしい」という噂が流れて、先生は忽然としてこの村から姿を消した、とか。
いつごろの話か聞き忘れたが僕の記憶に深く残った。藤村の「破戒」が世に出たのは明治の終わりころだが、同じ信州にこんな話が隠されていたのか。「平和と文化をうちたてん」と謳っている。第二次大戦後のことであろう。やりきれない話だがこれが雄大で美しい自然に恵まれた信濃の人間界の現実だったのだ。
今はどうなっているのか?
大阪の市長選挙を前にした新潮社や文藝春秋社の雑誌の「橋下たたき」はいくらなんでもひどすぎる。「橋下の出自は」「父はヤクザで自殺した」「いとこは殺人事件に関係」‥。いくら「公人」だと言っても人々の心のなかに差別が温存されているなかでこんなことを書き散らすことが許されていいのか。
僕は橋下徹候補に対するこの卑劣極まりない差別攻撃とそれを許容しそれに与する者たちを許すことはできない。解放同盟はどうしているのか?解放の旗を振り続けてきた大阪の教師たちはどうしているのか?
橋下候補の政策に賛成するか反対するかとは別次元の問題だ。こんな攻撃を許しておいて「人権」を唱えてどんな意味があるのだろう。
参考意見● http://kanrishoku.jp/column.html
もうひとつ、注目というより疑念に思うのは、解放同盟の対応である。
解放新聞大阪府連版に、大阪府連が『週刊新潮』・『週刊文春』に、抗議文を送付したことが載っている。しかし、問題の性質と影響力の大きさを考えれば、中央本部で取り組むべき課題と思うが、どういうわけか大阪府連が抗議主体となっている。しかも、直接の当事者、橋下前府知事と連絡を取った形跡が無いのは不思議だ。橋下氏は、氏のツイッターで精力的に、2誌の取材記者の実名を上げてまで批判している。
北口末廣委員長名で出された大阪府連の抗議文には、「私たちは、こうした差別をなくすために運動を進めていますが、橋下徹氏を擁護するために抗議しているのではありません。」との一文をわざわざ記している。
どんな意図の下に書き記された一文か、意味不明だが、直接の被害者であり、当事者である橋下氏に対して、彼が公人であり、また、いかに政治的主張や立場が対立しているとはいえ、あまりにも冷酷な一文と言わざるを得ない。
解放同盟は、差別に反対するか否かの一点で結集した大衆団体だ。
だからこそ、差別ハガキを何百枚も送りつけられ、くじけそうになる重圧と苦しみの中から抗議糾弾に立ちあがった東京在住のUさんに、解放同盟の東京都連は全力で支え、共に闘っているのである。
どのような立場の違いがあろうとも、差別(しかも選挙前というこの時期に差別キャンペーンが張られたことは非常に問題だろう)に抗議して正面から週刊誌2誌と対決している橋下氏を支え、この点において擁護すべきではないのか。本末転倒した一文と断ぜざるを得ない。
政治的思惑を優先させて、橋下氏に会おうともせず、また励まそうともしない組織は、“兄弟愛”にあふれた宣言の精神とは、かけ離れていると言わざるを得ない。
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