突入、なんて書くと大げさな感じがしますね。
このブログを開設した2004年11月23日、勤労感謝の日だって今気付きました!
わかりやすい記念日じゃないですか。
それなのに、毎年迎えていた祝日をスルーしていて、感動も何も感じていなかったわたしです。今年はいつになく12年目ということが頭にあって、カレンダーにも書いていたり(笑)
祝!goo開設から12年目、なんて予定表にメモする人いるのかな、わたしぐらいじゃないの?
で、開設から○年目に突入ということを気にして書いているのかなと去年を見たら、反応なし。
その前の年は記念すべき10年ということだからどうかなと思ったら、これまた全然反応なし。
といっても10年目の11月にはもっと大きな出来事が待っていたから、それはそれで良かったということで。人生初の孫が誕生したのでした。
gooにブログを書き始めてから、すでに4017日、今日から12年目に入るわけです。相変わらず内容は惨憺たるものですが、それでも日記代わりに日々のメモを書いて、振り返ると思いだすことがたくさんあり。何も書かないでいると忘れてしまっていたであろうこともここを紐解くとはっきり思い出します。
もしかして突然パソコンがだめになって中身が見れなくなっても、どこかでパソコンをいじることができたら、ここには入ることができます。自分がいた11年間の中身がここには沢山詰まっていて、11年より前のことはおぼろげでもそれから先の日々のことはよく知ることができるという、助かる存在です。
ここで書けないこともまた色々ありますが、そういうことは案外忘れたほうがいいことが多いものです。だから逆にここで書いたことがわたしを奮い立たせているということもあります。いただいたコメントの数々に勇気をもらい、前に進むことができたということもあります。家族との日常やイベントがいかに大事だったかも、今はそばにいない逝ってしまった人たちとの思い出も脳裏に再現することができます。
あのとき選んだこの言葉、わたしが感じた思い、それが沸々と生まれ出てここに書いてきて良かったという嬉しさに包まれます。
ありがとう。
たくさんの言葉にありがとう。
ここを作ってくれた方たちにもありがとう。
わたしと共に過ごしてくださった方たちにもありがとう。
そして何よりも今もそばで一緒にいてくれる母へ、ありがとう。
わたしの病後、一番近くで見守ってくれた母、自分の体のことよりわたしをいつも心配し労をねぎらう言葉をかけてくれる母、その存在がなかったら今のわたしはいなかったかもしれないとさえ思います。
母よ、あなたの娘は何か一つのことを10年継続することがなかなかできませんが、ここだけはこんなにも長く続けることができています。
それもあなたがいてくれたから、あなたとの日々を書きたいと思えたからなのです。
ありがとう。
今日からまた始めます。
そんな思いで今日を迎えました。
そんな11年目最後の昨日、突然なんていうことでしょう、アクシデントそれも最大級のアクシデントがあったのです。
それについてはまた後ほど。
今は12年目突入! 継続する力はまだあり!! という決意表明ということでお開きに♪
このブログを開設した2004年11月23日、勤労感謝の日だって今気付きました!
わかりやすい記念日じゃないですか。
それなのに、毎年迎えていた祝日をスルーしていて、感動も何も感じていなかったわたしです。今年はいつになく12年目ということが頭にあって、カレンダーにも書いていたり(笑)
祝!goo開設から12年目、なんて予定表にメモする人いるのかな、わたしぐらいじゃないの?
で、開設から○年目に突入ということを気にして書いているのかなと去年を見たら、反応なし。
その前の年は記念すべき10年ということだからどうかなと思ったら、これまた全然反応なし。
といっても10年目の11月にはもっと大きな出来事が待っていたから、それはそれで良かったということで。人生初の孫が誕生したのでした。
gooにブログを書き始めてから、すでに4017日、今日から12年目に入るわけです。相変わらず内容は惨憺たるものですが、それでも日記代わりに日々のメモを書いて、振り返ると思いだすことがたくさんあり。何も書かないでいると忘れてしまっていたであろうこともここを紐解くとはっきり思い出します。
もしかして突然パソコンがだめになって中身が見れなくなっても、どこかでパソコンをいじることができたら、ここには入ることができます。自分がいた11年間の中身がここには沢山詰まっていて、11年より前のことはおぼろげでもそれから先の日々のことはよく知ることができるという、助かる存在です。
ここで書けないこともまた色々ありますが、そういうことは案外忘れたほうがいいことが多いものです。だから逆にここで書いたことがわたしを奮い立たせているということもあります。いただいたコメントの数々に勇気をもらい、前に進むことができたということもあります。家族との日常やイベントがいかに大事だったかも、今はそばにいない逝ってしまった人たちとの思い出も脳裏に再現することができます。
あのとき選んだこの言葉、わたしが感じた思い、それが沸々と生まれ出てここに書いてきて良かったという嬉しさに包まれます。
ありがとう。
たくさんの言葉にありがとう。
ここを作ってくれた方たちにもありがとう。
わたしと共に過ごしてくださった方たちにもありがとう。
そして何よりも今もそばで一緒にいてくれる母へ、ありがとう。
わたしの病後、一番近くで見守ってくれた母、自分の体のことよりわたしをいつも心配し労をねぎらう言葉をかけてくれる母、その存在がなかったら今のわたしはいなかったかもしれないとさえ思います。
母よ、あなたの娘は何か一つのことを10年継続することがなかなかできませんが、ここだけはこんなにも長く続けることができています。
それもあなたがいてくれたから、あなたとの日々を書きたいと思えたからなのです。
ありがとう。
今日からまた始めます。
そんな思いで今日を迎えました。
そんな11年目最後の昨日、突然なんていうことでしょう、アクシデントそれも最大級のアクシデントがあったのです。
それについてはまた後ほど。
今は12年目突入! 継続する力はまだあり!! という決意表明ということでお開きに♪