心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

カバー画像を

2016年12月08日 | ほんのすこし
カバー画像をクリスマスっぽくしたくて色々マウス画を探してみましたが。
なかなか拡大されると収まりがつかない。
明るいものにしたかったので、これがまあいいかなと。

縦長の画像だと無理があるから、横長の画像を探しているのだけど、案外横長の画像って少なかったのね。
ツリーの画像にしたいけど、それも縦長だから無理だしね。
新たに描く、ということもあり? ない(笑)。

ちょっとあれこれ考えてみようっと。

カバー画像の元画像はこちら。



天使を入れたかったけど、天使を入れるとブーツが入らない・・・
位置の決め方も難しいね。

忙しかった一年でしたが

2016年12月08日 | ほんのすこし
今年、平成28年、2016年。
ずいぶん波乱に満ちたというか、小さな波乱が続いたというか。
他の方から見れば些細なことだらけだったかもしれないけどね。でも私にしてみれば結構色々あった年でもありました。次々と落ち着く暇がないほどに毎日が過ぎていった、そんな気がしています。そして今、ちょっと抜け殻のような自分がいることにふと気がついています。夢中で過ごした時間というのは過ぎるのも早いものですね。

私の人生の中で無我夢中で過ごした時代は子育て真っ最中のときだったように思います。それが子育てのために夢中だったら良いのですが、子供たちが幼児期は仕事が第一で子育ては二の次だったような。
そして子供たちが小学校時期はまさしく怒濤の日々といった感じでした。義母の認知症もどき(というのは、ちょっと認知症とも違うような部分もあったのです)で徘徊され探し回ったり、子供たちはどんな風に思っていたのだろうかと今振り返ると悲しくなることだらけですが。

でも仕事と家庭と義母の世話、それがあったから毎日があっという間に過ぎていたということですね。義母の世話はわたし一人では出来ませんでしたので、通いのヘルパーさんをお願いしましたし。現在のような介護制度が確立されていない時代です。今はヘルパーさんですが、昔は家政婦紹介所というところから派遣されていました。そのヘルパーさんがいてくれていたおかげで日中の仕事もできました。
本当に色々ありました。
早朝、子供たちも寝静まっている頃、何か音がするなあと思って起きて見ると義母がいない。
どこかへ出ていってしまったのです。慌てて子供たちに留守番を頼み、探し回る町中。その頃住んでいた町は碁盤の目のような通りになっていたので探しやすかったのですが、それでもなかなか見つからない。そんなことが何度もありました。

その頃のことを思い出すと、人生のほとんどが集中してそこにあったと思えるほどでした。
でも、今、過ぎてしまった時間を思うとなんて贅沢に過ごしているんだろうと思います。
なんで自分だけがこんなに大変な目に遭わなければならないのだ、とか思うより、子供たちのことをもっと見るべきだったと。何か大義名分的な気分で自分が出来ていないことをすり替えていたのではないかと思うのです。
そう、そのことに甘えていた自分がいる。なんでもかんでも自分は大変だから、ということを考えれば許されると思っていたのかもしれません。
今、アラフォーとかアラサーとか言われる年齢のときの話です。
若いってとんでもない愚かさを備えているのですね。自分だけのことを考えている。周りのことを考えることを二の次にして。その犠牲になったのが子供たちだったのかもしれないと思うとぞっとします。

今の若い人たちはすごいなと思います。子供のために一生懸命です。わたしには出来なかったことをやっている。
頭が下がります。

わたしの今年一年は昔のある時代からすればほんの少しの慌ただしさだったことでしょう。
でも今のわたしからすればこれでも忙しかったなあと思えます。
年を取ると、その年に見合った忙しさがあるのだなと思えます。だってあの若かった頃のような一日を過ごせ、なんて言われたらお手上げですから。
世の中、上手い具合に回っているのかな、なんてね♪