心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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辛いのは好きか

2016年12月02日 | ほんのすこし
辛いのは好きか、と聞かれれば、以前のわたしなら「好き」と答えただろう。
今は・・・ そうでもないと言える。
以前あんなに食べていたキムチも、辛いカレーもそれほどでもなくなった。嗜好の変化が加齢と共に現れているといったところか。
面白いことに文字変換で「かれい」と入力したら「カレイ」とすぐ出た。別に側近でカレイを食べてもいないし、入力もしていなかったのだが、文字変換の第一候補に挙がっていた。普通は加齢がトップじゃないのか?
なんておバカなことを入力しながら考えたり。

冒頭写真の唐辛子もふだんはそんなに使う機会がない。漬け物に入れたりとかはあるが、中華料理を作ることもほとんどないから唐辛子の出番は無いのだ。
かろうじて最近使っているとすれば、原木なめこが旬菜館で出回っているので、それを醤油ベースで煮込むときに入れるぐらいだ。このなめこ、味をきりっと仕上げると結構日持ちがするので、白いご飯にはとっても合う。わたしは朝ご飯によく登場させる。
先日作ったときは母がおかゆで過ごしたいというので
「おかゆにこのなめこをかけて食べれば? ツルツルして食べやすいと思うよ」と勧めた。
そのときは不審な顔でわたしを見ていた母だったが、次の日に
「熱いおかゆにかけたら、なめこが冷たいからちょうどよくて美味しかったよ」とニコニコ顔で言われた。
わたしが、そ~ら人の言うことを信用しないとだめだよ、といったちょっと鼻高々な顔をしたのをすかさず見つけて
「作り方を教えたのは母さんだからね」と釘を刺された。

そう。
以前は母の得意料理だった。母は煮干しのだしで作っていたが、今は鰹節と昆布を使っている。キリッと味をしめて煮込むときに唐辛子も入れる。ナメコの茶色が煮詰まると汁もナメコも焦げ茶色になっていく。その焦げ茶の中で赤い唐辛子が際立ってみえる。
食べても辛さはさほど感じない。
でも母の作るものとはまだまだ差がある。今は手も不自由だし台所に長い時間立っているのも辛い母のこと、お願い作ってちょうだいとも言えず、わたし流に味付けをして作っている。とりあえずは作ったものは美味しいと言って食べてはくれるが、内心のところまだまだ合格点には至っていないだろうなと思っている。母の手料理を食べたいが、もう食べることは難しい。もっと沢山聞いておくべきだったと後悔しきりだ。

そろそろナメコもおしまいかな。
最後にもう一度作ってあげようかと思案中だ。あまりに寒くて買い物に出るのも億劫になっている。

辛いのは好きか?
聞かれたら「あまり好まない」と答えよう。
「ただし、ナメコに入れる唐辛子は好き」と付け加えるのを忘れずにね。

わたしの中では面白い記事

2016年12月02日 | ほんのすこし
わたし的に興味を引かれた記事なので、メモ的な意味でここに載せる。今朝の東洋経済オンライン

「女装おじさん」の旅日記に秘められた思い 紀貫之は何を思って「土佐日記」を書いたのか

ほっほぉ~。
にやにやしながら読ませてもらった。

なんとも面白い。それだけ制限のある社会だったのだろうな。
今の世の中に彼がいたならどんなものを書き上げるだろうか。
省略言葉や外来カタカナ語、日本語の大きな変遷の中で彼が紡ぎ出す言葉もまた何かしらの力を持ったであろうとつい思ってしまう。

言葉を縦横無尽に使いこなせる人だからこその所業だったのだと改めて思う。
それにしても訳や解説が面白い。

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昨日から寒さがまたしても厳しい。
ストーブが全然暖かく感じない。後二年持ってくれればいいと思っていたが、買い換え時なのかもしれない。手痛い出費だ。
電気店にまず行ってみよう。行くと別の物が欲しくなるから行きたくないのだけど、この冬このストーブで乗り切るのは至難の業に思えてきた。あまりにも寒すぎる。

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冒頭に~的という語句が二つも入っている。
なんとも違和感が。
修正せず反省としてそのままにしておく。これもメモ。

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