心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

今も活躍しているクラフト小物

2015年11月22日 | ほんのすこし
エコクラフトテープでの作品作りはもうかれこれ何年もやっていませんが、作品だけは少し残っています。自分の部屋にも少しありますが、母のところに結構残っています。でもそれもかなりのものを処分する予定でいます。経年による色あせも見えますし、形もつぶれたりしたものもありますから。

そんな中で大物?はまだ健在です。
完成したときからずっと同じ場所にあるトイレのペーパー保管ボックスは白を基調で細かい網目で結構時間がかかりましたが、形は崩れずふたも健在。トイレで白が清潔な印象を与えています。たぶんまだまだ使えるでしょう。作ったときにはまさかトイレに使うとは思ってもいませんでしたが(笑)
母はトイレだからこそ清潔感のある物を置きたいんだと、持って行ったときに話していました。なるほどぉ~と納得した次第です。あれからずっと。汚く変色するわけでもなくとてもいい状態です。

そんなまだまだ健在なものの一つが冒頭のかご。
これは何編みだったかなぁ。
色が気にいって作ったものです。取っ手は丸くつまみやすいように。
母は果物やパンを入れていました。夏はもう少し色の薄いものを使っていましたが、母のポリシー「季節によって使うものを変える」パターンで今はこのグリーンを出してきて使っているようです。
りんごや梨を入れるとずっしり重いのですが、案外形は崩れず、台所のテーブルの上で網目が綺麗に見えていました。このかごもまだ何年か使えるかもしれません。

クラフトテープは安価なものもあり、作れるのなら自分で作った方がいい手づくりだと思います。最初だけ付属品を揃えますが、50メートル巻きの物なら小さい小物は何個も作れます。余りのテープでさえそれこそ小さな物、ミニランドセルとか動物のストラップとか、コースターとか工夫次第でたくさん作れます。
あの頃、貪欲に作っていたあの頃、まさか作るのを止める日が来るとは少しも思っていませんでした。今はもう作ることから遠のいていますが、作品だけは少し手元に残っていてまだ健在、小物整理に役立っています。どんな高価な物よりも自分が手がけたものが部屋にあるというだけで、自分という証がそこにあるように思える気がします。
この部屋にいた数年間の自分、人生の中のとてつもない変化を受け入れた自分が折り込まれたテープの中で息づいている気がするのです。

何年か先には処分することもあるだろうけど、今はこの子たちの存在を心地よいものとして受け入れている自分がいます。
やみくもに何かをしなくては!と模索していたあの頃、やりたいこと、自分は何ができるんだ?と自分というものの可能性を探しあぐね、壁にぶつかっては逃げ、他の居場所を探し、その繰り返し。そうしてあっという間に11年が過ぎていました。
表面上は穏やかに見える生活も内面では悩みが果てしなく広がっていて、眠れぬ日もたくさんありました。それでも亡くなった父が病室で何度もつぶやいていた「人間、生きていてこそ人間だ」という言葉をいつも思いだし、前に進んできた気がします。

自分が作った作品を目にすることができるのもまた喜びなのだなと、思える自分が今日はいます。

今日は寒かったです

2015年11月22日 | ほんのすこし
今日は買い物に出かけましたが、風が強くて髪がすごいことに。
風が強いせいかとても寒く感じました。母のところでは「寒い寒い」を連発し、風邪気味じゃないのかいと心配されてしまいました。
だんだん雪の話題がちらほら出てくるようになりました。
冬に一歩一歩近づいているのですね。
ちょっと憂鬱になりそう。

雪道運転が苦手なのです。
いつもびくびく運転しています。運転歴○○年なのにねー。
これだけはなんとも、毎回初心者マーク状態ですよ。
慣れたころに起きるのが事故って言いますから、毎年初心者の気持ちだということは裏を返せばいいことなのかもしれませんね。

寒いときは外仕事もしたくないし、家の中でできることをするしかない。というか、そっちの方がわたしにはお似合いで(笑)、完全インドア派。

今日の夜は探し物。
探しものと言ってもパソコンの中。
ワードソフトを開いてこれまで途中になっていた物語を出して読み返そうと思ったら、どうやっても書いたはずのファイルが見つからない。何度やっても別のフォルダを探してみても、保存先が違うのか?それとも……
1時間も探して見つからないってどゆこと?
ちょっとイライラし始めた頃、保存先ではなく保存形式に問題があるのでは?と気がついた。ようやく探し当て、以前書きかけだった物語を少し修正。続きを書くまでは行かなかった。それでも読み返すと、自分の不手際がよくわかる。まだまだ平平平の状態だ。

寒い日はこうした家の中であれこれする作業もまたいいものだ。
願わくば、風邪などひかぬよう、やれることを精いっぱいするだけだ。

音楽っていいなぁと思った日

2015年11月20日 | ほんのすこし
最初、行こうかどうかと迷っていたコンサート。数年前にも行ったことがあったけど、間が空いてしまった。知り合いが長年(20年だそう)続けてきたコンサートで、「ウィーンフィルメンバーによる室内楽を楽しむ会」を作り開催してきたそうだ。ゴスペルクワイヤに入ったことでその方と知り合いになり、ミントンハウスの常連さんとも知り合いであったことから知り合いの輪が広がったという感じでコンサートにも行くことになったのだが、最初はこんな感じかなぁぐらいに思って聞いて帰ってきたことを覚えている。
あの頃のわたしにはクラシックを受け入れるものがあまりなかったのかもしれない。

でも最近はクラシックもいいなと思うようになった。テレビ番組でもよく演奏を聞く機会がある。今までどうして聞いてこなかったんだろうという疑問符が出てくるほどだ。そんなわたしだったので、彼女がまた今年もしかも20回目としてコンサートを開催するということをポスター等で知っていた。チケットどうしようかなと思いあぐねていたときにメールがあった、彼女から。
それが気持ちの後押しになった。

Mさんに声をかけると自分も行くからチケット手配しておくということになり、昨日は待ち合わせしてふたりで行った。そんなに期待?していたわけではなかったといえば悪いけど、わたしの中にクラシックに関する素養がほとんどないから漠然とした「ただ居心地のいいもの」を聞きたいぐらいの気持ちだった。

それがなんとなんと!
夕べは最初から最後まで夢中になって聞いてしまった。





親子の共演。チェロの父とバイオリンとピアノの息子たち。息がぴったり合っていて、まるで一つの輪でくるまれているような感じがした。最初は三人でモーツアルトを。次はシューマンをピアノとチェロで。その後ピアノソロ、スクリャービンの曲で第一部終了。
二部はバイオリンとチェロ、ハイドンの曲から始まった。そして三人でメンデルスゾーン。アンコールは日本の曲のメドレー、そしてヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」を。

あぁどれも最高に良かったの。その中で一番はメンデルスゾーンかしらね。メンデルスゾーンってこんなに良かったのかあって思うくらい良くて、ずっと聞いていたくなった。
アンコールで演奏した「美しき青きドナウ」はまるでオーケストラが演奏しているんじゃないの?と思うくらいの迫力があって、最後の最後にこれがきたか!という感じ。
Mさんが
「お正月のさきどりしちゃったわあ」
と満足そうな顔。わたしも頷いて。帰りはもう体も心もぽっかぽか。
ミントンハウスに寄って、二人とも興奮さめやらぬ状態でマスターにいかに演奏が良かったかを伝える。
店内はジム・ホールのギター。しかもお店が開店当時によくかけていたアルバムだとか。しばし昔の話に花が咲く。
その後アン・バートンがかかる。いいなあ、この声。
三枚目は渡辺香津美と沖仁のデュエット今年の新作『エン・ビーポ!』
沖さん初めて聞いたけど、ラテンギターもまた気持ちいいものだなぁ。
なんだかずっとクラシックからジャズと音楽を聞いていて、おしゃべりも楽しんで、すごくすご~く音楽っていいなと思えた時間だった。
コンサートはしっかりじっくり聞いて、その後は友人たちとの会話を楽しみながらのジャズで、その二つがまた自分の中で融合していったって感じ。

最後はもう久しぶりにほろ酔い十六夜(いざよい←語呂合わせね)らったった(笑)。危うくハッピー・バースディのゴスペル風?を乗せられて披露するところだったよ(かろうじて押さえた、これ以上の失態はしたくない)。だってコンサートが終わってからお店に行ったので結構ハイペースで飲んじゃったんだもの。ビールだけにしておけばよかったのにマスターがワインを出してくるものだから(って、マスターのせいにするのか)。
そんなこんなで「音楽っていいなあ」と思った夜。上弦の月がとっても綺麗な夜。
クラシックとジャズと友人と語らうひととき。
ビロードのような滑らかさであっという間に夜が更けていったのでした。

83歳になりました♪

2015年11月19日 | 母のこと
昨日は、母の83歳の誕生日でした。
毎年、誕生日が近付くと
「誕生日はしなくてもいいから。いつもお前に作ってもらってるし、美味しいもの食べてるから毎日が誕生日みたいなもんだよ」
と先回りして言われています。今回も、数日前、誕生日がくることを話したら、同じように答えました。
「プレゼントにね……」
と言いかけると
「プレゼントなんていいから」
とすぐさま言われましたが、
「でももう注文しちゃったのよ。生協の宅配で。母さん、敷き毛布あたたかいのがよれよれになっていたからずらして敷いてるってこの間話してたでしょ? あったかそうな敷き毛布があったから。誕生日には間に合わないかもしれないけど、プレゼントはそれってことで」
「んにゃ~、今使ってるのをずらして使えばまだ大丈夫だのに……」
「もう注文しちゃったもんねー」
そんなやりとりがありました。

でもほんとはもう一つありました。火曜が生協の宅配です。その中に注文した敷き毛布は入っていませんでした。どうも荷物が遅れたようです。他の荷物を点検すると、三層ガーゼのワンピースが入っていました。薄いサーモンピンクです。サイズはMにしました。母は下のサイズは大きいのですが(お腹が入らない)上はMなのでそれを選択。
デザインも三角形でお腹も気にしなくてすみます。ふだん家にいるときにパジャマ代わりに着るには楽でいいかなと思ったのです。

夕食はお寿司にしました。何も準備しなくていいようにってことで買ってきました。初めてのお店で買いましたので、買い方がわからず戸惑いました。ipodみたいなもので商品を選択するんですね。何年もこういうお店には行ったことがなかったので、ちょっと内心オロオロ。それでも注文し待ち時間があったので近くのお店でケーキを。
母の大好きなモンブランやフルーツ入りのケーキなどを選んでいたときに目に着いたのが、6本のキャンドル、炎の色がろうそくの色と同じになるというものでした。思わずそれもゲット♪

注文の仕方に戸惑っただけあって、予想よりも多い数。なんで?って思ったら、画面にあった○個というのはお皿のことなんだと。それなのにわたしったら個数だとばかり。安いネタは多く入っているって勘定。あぁ、そうだったよね、すっかり忘れていましたよ。
気がついたのは家に戻ってから。母に笑われてしまいましたが、シャリが少ないので多いと思ったお寿司も結構食べることができたのでした。

お寿司の前に恒例のケーキにキャンドルを(って、もしかして久しぶりかも)。
モンブランをお皿に取り、その上に例のキャンドルを指し。そうそう、そのキャンドル、ちゃんとプラスチックみたいな小さなろうそく立てが付属で入っていて、わたしがそれを使おうとしたけどできなかったのを母が一目でやり方を指摘したというおまけ付き。わたしってこういうときは母の十分の一も役に立たないわ。

蛍光灯もテレビも消すと居間のこたつの上には色違いのキャンドルが。
母が携帯を出してきて、これに写してくれと。わたしも自分のスマホに写して、その後母の携帯に写そうとしたら、母がお皿を持ちあげて自分の姿も一緒に写してくれと。
短いろうそくはすぐに半分になりつつあり。それを見たわたしは、
「それでは母さんにハッピーバースディの歌を贈ります」
と言って歌いました。そしてすぐに
「次に別バージョンで歌います!」
と、今度はゴスペル風?にアレンジして歌いました。
ろうそくがもう後少しになっていました。
母が
「あー、今の歌こそ録っておくんだった!」
と言うので、笑って
「録り方わかるの?」と。
母が、そうだったと肩をすぼめました。おちゃめな母です。

そうそう、ケーキの前に母にサーモンピンクのワンピースを上げました。好きな色のせいかとても母に似合っていました。ガーゼなのでとても軽いし、デザインがかふっとしていて(母の言)いいのだそうです。でも、そでぐりが狭いのが難点で
「これ、若者向けのデザインだべ。大きいものは直せるけど狭いのは出せないからなあ」
と残念そうでした。でも下着の上に着る分にはこれで十分なのですが。

ズボンの上にワンピースを着るととても暖かくていいと嬉しそうでした。その様子もパチリ。
「めんこいわぁ~」
と言うとまんざらでもない顔をしていました。
「ほんとにめんこいってが?」
「うん、めんこいよぉ」
「そうかぁ、この間温泉でもめんこいって言われたんだぁ」
とそのときのことを話して聞かせる母の姿は、83歳の乙女になっていました♪

まだまだ長生きしてほしいな、母さん。
でも一日一日、だんだん体が悲鳴をあげてきているようでもあり、苦しまないままで楽しく暮らせたらどんなにかいいだろうにと思わずにいられないのです。

戻ってきたら玄関に生協の宅配が。
誕生日プレゼントの敷き毛布がありました。今日持っていってあげようと思います。あったかいぬくぬくしたベッドで体を休めてくださいね♪

昔むかしあるところに

2015年11月17日 | ほんのすこし
昔むかしあるところに……で始まるお話をいったいいくつ読んだかしらね。
読み始めのこのフレーズは時を越えてやってくる。
「昔むかしあるところに」と語り始めたのは、祖母だった。

幼い頃、祖母の家に夏冬と遊びに行くのが常だった。小学校中学年まで続いた気がする。就学前は祖母が迎えに来てくれて私と弟を連れていってくれた。昔のことだから、バス停で降りてから二時間以上もとぼとぼと幼い足で歩いていかなければならなかった。今では考えられないことだ。今はすっかりアスファルトになり車でもそんなに時間がかからなくなった。
そんな二時間以上の歩きでも祖母と一緒だと苦にならなかったのは、砂利道の脇にある湧き水のありかだったり、道端の草や花を摘んだり、覚えたばかりの歌を誰に気兼ねすることもなく大きな声で歌っていったり、これから過ごす田舎暮らしの楽しさを考えたり、頭の中は想像しただけで胸がわくわくする気分でいっぱいになっていたからだった。

眠るときは祖母が隣で見ていてくれた。
母の実家は分家となった祖父が人一倍がんばって(炭焼き名人だった)建てた家だったが、祖母たちが眠る部屋の窓の下にはところどころ小さな穴があって、それが夜になると暗い部屋に不思議な弱い光を入れていた。弟は日中動き回ったせいで眠るのはバタンキューだ。わたしが「おばあちゃんお話して」と言うと、祖母は頭をなでながら話し始める。
昔むかしあるところに、じいさんとばあさんがおったと……
その祖母の静かで柔らかい声をわたしはついぞ話の最後まで聞いたことがない。いつもおじいさんとおばあさんが出てきてどんぶらこどんぶらこの繰り返しになると寝入っていたらしい。

そのうち絵本を読むようになり祖母が語った話の結末をしっかり知ることとなるのだが、昔ばなしという言葉を聞くと、あの小さな光が差し込む部屋で祖母が頭をなでてくれた記憶がかすかに頭をよぎる。
祖母は寡黙な人だった。人の悪口を言うことは決してなく、いつも静かに微笑んで黙々と作業をした。いるだけでなぜか安心感があった。小さくて大きな人。そんな祖母が大好きで小さい頃は大きくなったらどんな人になりたいか?という問いに「おばあちゃんのような人になりたい。年取ってもあんなおばあちゃんになりたい」と思っていたわたしだった。

でも、今わたしは祖母のようになれているだろうか。
あの頃憧れた祖母のような女性には少しも近づいていないような気がする。

昔むかしあるところに、すてきなおばあさんがいましたとさ、と胸を張って言えるようなそんな人になりたい。

日課

2015年11月17日 | ほんのすこし
行儀が悪いと思うけど、朝起床前にベッドで確認する。寝ながらスマホだ。
いじっているとあっという間に30分ぐらい過ぎていることが多々ある。夏の間はとてもじゃないが、そんなベッドでぐずぐずしていることなんて出来なかったけど、こう寒くなってきてはベッドのぬくぬくさに心も体もすっかりなじんでしまっているのだ。

で、その間にアクセス解析なるものを見て昨日のブログ状況を確認し読まれた昔の記事を再度読み思い出にふける、そして読者登録の方の更新を見る。パソコンよりもスマホのほうがさくさく見ることができるので助かる。パソコンだとブログが表示されるまで待たされることも多いから、なんでこうなの?といった気分でパソコンに八つ当たりしたくなるのもしばしば。それがスマホで見るようになってからは、すいすいすーだららったすらすらすいすいす~って感じで(あぁ、こんな歌がすらすら出てくるなんて)。
スマホさまさまなの。

でも困るのが、入力。なかなかスマホの入力に慣れず、やはりコメントや更新はパソコンがいい。
その後、やおら起き出して朝の一連の作業?に入り、片付けが終わったあと、今度はゆったりと珈琲を飲みつつ新聞を読む。
新聞を読むときに電源を入れて置き、読み終わるとパソコンに向かう。メールチェックが済み、ブラウザを立ち上げホーム画面にしているAsbyClubのニュースをチェック(星座占いも)。
その後yahoo!に飛んでまたニュースのチェック(星占いも)
どういうわけかこの星占い、二つでずれがあり、その日によっては最高と最悪にわかれるときがある。そういうときは即行最高の方の内容を読む。

そしてその後にここに入る。
スマホで見た後に更新されている方はいるかな?
美味しい料理があるかな?
お弁当もあるかな?
面白い話はあるかな?
素敵な写真はあるかな?
などなどチェックしたいものは沢山あって、ついつい飛んでみていると時間が経っている。

あっと気付いたときにはやるべきことが後回しになっていて、慌てて作業に入ることになるのだが。このブログめぐりやネットサーフィンで得た満足感たるや、仕事を後回しにしてもまあいいだろうと思える日課になりつつある。
一日の始まりがブログめぐりっていうのも今のわたしには合っているのかもしれない。色々なところで癒されてもらったり、力をいただいたり、元気をもらったり、笑いをもらったり、しみじみと考えさせてもらったり。
こうした自分を触発するものとの出会いがこれからもわたしには必要なんだなと、今朝は特に思えた。

もうわたしの日課になっている。
素敵なブログとの出会い。

叶うことなら

2015年11月16日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

つかの間の夢の中でさえ
びくびくと歩いているような
おぼつかない足元をただひたすらに
歩いているような

何も考えず
ただただ
ゆっくりと
安心して眠ることができたなら

あの空の向こうの世界で
明日への不安を抱えて
佇んでいる人の手をしっかりつかんであげて

叶うことなら
だれひとり
憎しみという言葉を思い出さないように
叶うことなら
だれひとり
その手を離すことのないように

目覚めた朝が
だれかと共にあるのだと
あるいは
自分ひとりだけでも生きる
力を与えてくれるものであってほしいと願う
叶うことなら
この世のすべてのものが
手をつなぎあえますように

※※※


なんてこった……

2015年11月16日 | ほんのすこし
ここ数カ月あれこれと気をもんでやってきた仕事。
ここにきて「なんてこった!」という勘違いをしていたことに気づき愕然と。

あぁあ、自分が情けないよ。
今日は「なんてこった」を連発しそうな気分。

勘違いだったのでは?というメールを送った返事待ち。
電話で確かめるのはこっぱずかしいくらいの凡ミス。

もしそうなら何もやらなくてもいいことまであれこれとやらせてしまったことも含め、がっくり。
どうも自信喪失してしまいそうなことが続くなあ。
ここらでシャキっとしなくては!

でも逆に勘違いであってくれたら、数字的には楽になるんだけどなあ。
実績からずれた数字が出てくるって、絶対どこかでダブっているってことだよねぇ。

※※※

エクセルも便利でいいけど、入力した式自体の組み立てが間違っていたら全然意味ないし。
実績と予想の組み立て、細かい数字の突き合わせ、なかなか難しいわ。

※※※

あー、肩凝ってきた!

今日は朝からテンション下げまくりだ……

町を歩いていたら

2015年11月15日 | ほんのすこし
先日、珍しく町を歩いていたら。
こんなでっかい犬を見つけた。
去年のゼロダテで作成途中だった犬、完成したかな?と思っていたのだけど、こんな風になっていたのね。
一体、何メートルあるのだろうね。
よく見るとはげている部分もあるみたい。どんな風にして組み立てていったのかなと想像してみたけど、さっぱりわからなかった。大きいので全体を写そうにも車道に出なくてはだめだった。



製作者の苦労を思う。
ただね。秋田犬ってことらしいけど、なんとなく狛犬みたいな気がしてわたしの秋田犬感とは隔たりがある気がする。
どこが違うって言われても困るけど。
顎から首にかけての太さかなぁ……

でもこんなでっかいものが街中にあるとインパクトあるね。
ふと、孫に見せたらどんなリアクションするかなと思った。

今日はまるっきり雨。暗い。
取りためていた録画の消費。
『和風総本家』はいいねぇ。
職人仕事はいいねぇ。
外国で自分たちの作ったものが大事にされているのを見て、今までずっと続けてきて良かったと言う姿にこっちまで泣いてしまったよ。テレビ大阪って何気に面白い番組作ってるんだな。
『YOUは何しに日本へ?』こっちはテレビ東京。
どっちもいいな。
そしてどっちもわたしのテレビでは放映が遅い週。向こうの放送時間と同じリアルタイムでは見ることができないのだ。上京したときに夜に入っていて「あれ?この番組今入るの?」って聞いたのだった。

今さらながらだけど、録画できるって素晴らしい♪
録画の恩恵をたっぷり味わっている人間の代表選手みたいなもんだね、わたしは(笑)

さて、重い腰をあげて出かけるとするか。雨降ってるけど。

傷跡を保護するために

2015年11月15日 | ほんのすこし
右脇の額が11年前の手術の痕となり、通常よりへこんでいる。退院するときに先生が、へこみが気になるようだったら、美容整形で治してもらえると言った。頭の手術の時に額の脇から肉をいただいたというわけだ。
先生に言われたときは、また手術するなんてとてもじゃないけど沢山だといった気持ちだった。
そして先生が続けた。
「傷跡の痛みは一生治らないと思ってください。仲良くしていくしかありませんよ」
わたしはそのとき痛みがあまり感じなかったので、先生の言う意味を理解できていなかったように思う。

だが、お医者さんというのはよくわかっているもので、的確に言い得ていた。
それからすでに11年以上経っているが、湿気の強い日や冷え込む日など傷跡が痛む。天気が回復するとあれはどこへ行ったの?といった具合にすっかり消えているのだけど。
特に眠っているときに頭のその部分が冷えると痛みを感じて眠れなくなったりする。だから寒さが増すこの時期は防寒が大切なのだ。

冒頭の画像は、最近、生協で注文したネックウォーマー。上の部分にワイヤーが入っていて自由に形を作れるようになっている。最初は首を温めるためにという本来の使い道で買ったのだが、今は枕の上に常備している。
寝るときにおもむろに右半分をより多めにしてかぶる。折った部分が顔にかかるようにして。
母に教えたら、穴があいてるから寒いんじゃないかと言ったが、かなり大きいのでその心配はなかった。帽子よりふんわり頭を覆うので髪がつぶれる心配もあまりない。むしろしっとり感があるような気もする。おかげで使い始めてからこの頃では傷跡が冷え冷えすることも感じなくなった。

物は使いようだな。本来の仕様とは違うことでもこうして役に立っている。
案外作った人が、これはこういう使い方で……と思って作っても、買った人の方で全然作った人が意図しない使い方をしていることもあるかもしれない。「こういう使い方をしなさい」ではなく「こういう使い方もあったんだ」という発見につながればさらなる物づくりにもつながるかもしれないね。

この傷跡は天気予報でもある。
こんなに晴れているのにどうして今日は頭が痛いんだろう、って思った日の次の日は天気が崩れたりする。いつもいつもそうではないが、確率的には当たっているだろうね。
ははあん、また始まったなぁと自分に備わった天気予報士顔負けの予報にしかめっ面をしているわたしだ。