心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

コタツを出すか悩み中

2015年11月14日 | ほんのすこし
週末土日にかけて仕上げて送ろうと思っていたのに、全然やる気が出ない。
まるでガソリンが切れてしまったみたい……

夕べから空気が全然違い、寒い。部屋にいても寒い。暖房の温度を高く設定してててもすぐ消える。それだけ部屋が暖まっているってことなのに、どういうわけか寒く感じる。これってコタツを出していないから?
毎年、コタツを使うほうが早くてストーブは後で、といった感じだったのに、今年はコタツをまだ出していない。コタツを出すとそれでなくても狭い部屋がまったくもって狭く、雑然とした感じになってしまう。
今年はギリギリまで出さないで、開放的な雰囲気を保とうと思っていた。

でも、やっぱりコタツの威力ってすごいのかなぁ。
腰が冷えて行く感じが消えないのは、コタツにぬくぬく入っているときには感じなかった違和感だ。明日は我慢せず出してこようかな。

コタツを出すと予想されるのは、今にもましてコタツでうたた寝してしまうということだ。それに伴い、風邪気味になるということもある。要は気持ちをシャンとして(笑)うたた寝しなければいいのだけどね。
コタツって怠惰な人間をさらに怠惰にしてしまうところがあるから危ない。わたしなんぞはその極めつけだね。
コタツの周りに手が届くように物を置いてしまったり。コタツから抜け出るのを後5分、後1分、というように先延ばしにしてしまったり。

コタツって怖い(笑)

その魔力に屈するのは、なるべく後にしたいのだが、もう我慢比べは限界かもしれない。

あぁ、コタツよ。汝のぬくぬくした暖かさがわたしを誘う、より怠惰な世界へと。

炊飯器

2015年11月12日 | ほんのすこし
前にここで炊飯器のことを書いたことがある。
今の炊飯器はすごいって。
今日、母のところから戻るときに、母がご飯炊いたのをすっかり忘れていて、
「あれ~!昼に炊いたのにかき混ぜるのを忘れていたあ!!」
と、情けない声で言った。ふたを開けると、そこには炊きあがったご飯が塊になっている。失敗だね~。
「こうなってしまうと美味しくないんだよ」
と母がぶつぶつ。
わたしはそんな母をしり目に、午後から水を入れておいた米をこれから炊かなくてはと急いだ。
部屋に戻り、しっかり米を研ぎ、炊飯。

途中、いつも通りの炊飯器のラップが始まる。
とても陽気な炊飯器だ。
こんな音のする炊飯器、今までお目にかかったことがない。
しかも最後のきわめつけ、炊きあがると女性の声で「ご飯が炊きあがりました。ご飯をかき混ぜてください」と丁寧なご案内までがある。
今日はその声が聞こえると同時にスタンバイ。さっさとかき混ぜた。

う~ん。
新米の秋の匂いがするぅ。(って、どんな匂いなんだ?)
設定を「もちもち」にしたせいか、しゃもじでかき混ぜたときにねっとり感が半端じゃない気がした。
ご飯だけでも食べれるかも!
あぁ、秋って誘惑が激しい。
美味しいものがわんさか。お米を先頭にね。

わたしの部屋の中で炊飯器がともすれば突っ込み相手になりつつあるなと、今日はつくづく思っていた。


ちょっと一区切り

2015年11月12日 | ほんのすこし
さきほど、ちょっと一区切りついたのでここらで休憩♪
あと一つ吟味して作成するものがあるけど、明日中にできるかなと思って休憩♪

おぉっ休憩って言葉、なんか仕事したって感じがするぅ(笑)
なんて、ほんとは仕事っていってもそんなに重要じゃないのかもしれない。ほとんど自己満足でやっている毎月のことだろうなと思っている。申し訳ないね、お給料もらっちゃってって気分にいつもなる。
「あなたが頑張ってきたからその対価だと思ってればいいのよ」
と、何年も前に友人から言われた。
そう思えればそれにこしたことはないんだけど……小心者のわたしはどうも居心地が悪い。
もっとしゃかりきに働いてお金がもらえたらなあとつい思ってしまう。
裏を返せば、こんなに待遇の良い人はいないのではということなのだ。すみません、甘えています。

そんなわたしの諸事情?もあって、窓際族よろしくの日常。いてもいなくても、いやいないほうが都合が良いような存在なのかもしれない。それでもしがみついていなければ生きていけない、この年になってしまってからは。後数年、後数年。その後の年金生活は不安だらけでもあるが。母曰く
「今から贅沢しないで節約することを覚えないと暮らしていけなくなるよ」と。
「だから母さん長生きしてよ。母さんとわたしの年金があればなんとか暮らせると思うから」
「それまで生きていれるかねぇ」
「お願い!絶対生きててよ♪」
そんな会話がときどき出てくるようになった。
そういえば、買い物するときも節約よりも衝動買いが多いなと思う。これではいかん、来たるべく年金生活を乗り越えていけないぞ。買い置きしている物から消費していく癖をつけて買い物回数を減らそうっと。
お米だけはたんとあるので、缶詰めでもなんでも出してきて食べていけば大丈夫だろう。などと思っていた矢先、以前注文していたブーツが入ったとの電話が。

あぁ忘れていたわよ。
大枚が出ていく。
絶対そのブーツ年金生活になっても履くんだから。
いや、その頃にはヒールの高い靴は無理だったりして。今でもほとんどシューズが多いのに。なんで欲しいなんて思ったんだかなあ……試しに履いて鏡を見たらなんだか格好良かったのよねぇ。あれがまずかったなあ。
ついそのブーツを履いてダウンコートを羽織って颯爽と歩く姿を想像しちゃったのよねぇ。
それって今のわたしからかけ離れている気がしてならない。なんで選んじゃったかなぁ。

こう思っていても現物を見たらきっと気にいってしまうのは目に見えている(笑)
あぁ後は節約生活に入ろう……

猫の文庫本カバー買いました

2015年11月12日 | ほんのすこし
最近見つけた文庫本カバー。普段は文庫本にカバーをかけないで読む習慣があるのだけど、これを見つけたときには、カバーをかけるという誘惑に駆られ購入してしまった。しおり紐には猫の手が♪
猫の珍妙な表情がたまらない。

そういえば、グッズを手にするのは猫が多いことに気がついた。これまでぬいぐるみやクッション、靴下、ペンケースなどなど、探してみるとずいぶん猫がついているものが多い。お店に行って雑貨コーナーを覗いてみても、目が行くのは猫のイラストがついている物だったりする。

はて?わたしって猫好きなの?
自分では犬も猫も大好きで大好きで、といったことはこれまでなかった。というかどちらかという生き物が苦手。触るのが苦手。それが母のご近所さんの飼い犬や飼い猫と触れ合うようになってから徐々に変化してきた。そこの家のワンちゃんや猫ちゃんだったら大丈夫、触れる。
先日、さらに友人のところの柴犬の頭をなでることにも成功した。抱き上げるとかそういうことはいまだにできないが。

幼い頃は、子犬を抱き上げたりもしたものだが、トラウマがあって今まで出来なかった。小学生の頃、近所の秋田犬の散歩を頼まれて、自分より大きいぐらいのシロを連れて歩いた。真っ白で大きくて優しい目をしたシロを連れて歩くのはちょっとした鼻高々のわたしだった。いつもの散歩コースをいつもどおりに歩いていれば良かったのだが、その日に限って脇に逸れて友達の家まで行った。学校で秋田犬を散歩させている話をしたら見たいと言われたのだ。ほんの少しだけ脇にそれるのだからいいだろうと思って。

友達とシロに触れたり楽しんでいた。
ところが、その友達のすぐ近くにまだら模様の大きな犬がいて、なんの犬種か覚えていないけど突然シロに飛び交ってきて、生来シロは穏やかな性格だったので、わたしはびっくりというか怖くて震えあがってしまった。シロとその犬の格闘が始まって何分間かして近所の大人が止めに入り、ようやく双方が落ち着いた。
もうわたしはシロを連れて帰ることが出来なかった。友達のお母さんが連絡してくれたのだろう。母が迎えに来てくれた。そのことがあってからわたしはもうシロを連れて散歩に行くことも、シロに触れることもできなくなってしまった。あんなに大好きだったのに。それから間もなくしてシロが亡くなったと知らされたのは学校から帰ってきてからだった。シロの姿はどこにもなかった。母に聞いてもどうしたのか教えてくれなかったように思う。ただあのときの喧嘩の傷が原因で死んだの?と聞くと、病気らしいよとだけ答えてくれた。

シロが亡くなるなんて思ってもいなかったわたしは、なぜあんなに仲が良かったのに遊んであげなかったのかとその夜布団の中で泣いていた。

でもその後やっぱり犬を抱くことも触ることも出来なかった。それは大人になっても続いていた。

そんなわたしが母のご近所さんのおかげで少しずつ慣れていった。触るまでになったが、抱き上げることはまだ出来ない。たぶんずっとそうだろう。
犬に対しては触ろうとする気持ちがあるのだ。でも猫に対してはあえて触ることから遠のいている。わたしの中では猫は畏敬の念がある。おおげさだと思うだろうが、猫のあの悠然とした態度がとんでもなくすごく思えるときがある。自分には到底できそうもない姿勢だ。変に人間にこびず我が道を行くといった雰囲気があるのが、惹かれるのかもしれない。
そう感じる猫が、グッズになると途端に愛くるしいキャラクターだったり、とぼけたキャラクターだったりする。その現実とのギャップにたまらない魅力を感じてしまうのだ。猫のキャラクターを考えた人は素晴らしい(笑)
わたしが一番最初に猫に畏敬の念を抱いたのは多分「不思議の国のアリス」だったろう。チェシャ猫の存在に驚きその物語の魔力?に引き込まれるのにたいして時間はかからなかった。ルイス・キャロルの世界にいる生き物はなんて人間くさいのだろうと思った。
あれから猫が物語に出てくるとついチェシャ猫と比べている自分がいる。

現実の場面で猫に会うのは母のところだ。母の友達チビがいる。チビはわたしのことは無視するが、母が声をかけると挨拶する。チビよ、言葉がわかるのか?それともこいつはいい人間だ、こいつは我関せずで相手にしないほうがいい人間だって決めつけているのか?
わたしがその色違いの目を覗きこむと、面倒くさいなといった顔でそっぽを向く。
「あ~、今日もチビに無視されちゃったよ」
母の方を向くと、母がおもむろに話しかける。
「チビ、お前はお利口だねぇ」
はぁ?
「ちゃんと人がわかるんだねぇ」
はあ?

いまだに猫はわたしにとって理解に苦しむ存在なのだ。

泥の中でも

2015年11月11日 | ほんのすこし
このところ落ち葉ばかりの話題ですが。
好きなことなので。

今日は、落ち葉がこのところの雨でできた水たまりの泥にあって。それでも真っ赤な色がみずみずしかったので、思わずパチリ。こんな場面を写すなんて今までなかったことだけど、最近はこんなことに興味が向いています。
このまま朽ちていくのだろうなあ……



今日も沢山落ちていました。



こんな姿を見ることが出来るのも後少しかもしれません。



秋になっても青々としているものもあれば、さよならするものもある。



葉っぱであれ、なんであれ、それが人間であっても、生きざまの最後はそれぞれ違い、それぞれが全うした命の最後。でも、これで良かったのだと自分に言い聞かせることが出来るのは人間だけだ。人間は自分の生きざまを振り返ることが出来る。葉っぱにはそれはない。ただただ自然に任せるのみ。

葉っぱの哀しさだと言ってしまえば終わりだけど、それは最後に意味を持たせたがる人間の立ち位置から見たにすぎない。葉っぱの自然体こそが見習うべきことなのだという考えもあるのかもしれない。とかく物事に意味を持たせたがるのは良くないのかもしれないね。
自然の姿に勝るものはないのかも……

全員で100kgのダイエットに挑戦という番組を見ながら、彼女や彼が運動している姿を見て自分には無理だ無理だと言い続けているわたし。目の前に昇降台があるのにそれすらやろうとしていない……
あ~あ、食欲の秋だなあ。






まるで花壇のよう

2015年11月11日 | ほんのすこし
母の庭、すっかり葉が落ちてしまいました。この数日の雨で。
雨が降る前に冬囲いをしてしまいましたので、ホッとしています。今年はどういうわけか、モミジがいつもと色変わりをし、緑の葉で終わるはずなのに赤や黄色、はては一枚の葉の中に黄色と赤が混在しているといった状態で、それが徐々に全体が赤みを帯びていく感じで、毎日見るのが楽しみな色変わりでした。
もう一本あるモミジは最初から全体が赤になって、それはすでに葉が落ちていました。もう一本残ったモミジがいつもは緑で終わっていたのですが、今年は一体どうしちゃったのかしらねと母と話しましたが、自然は正直だということに結論が落ち着きました♪

どうなっちゃったのかしらねと言いながら、嬉しい誤算だなと思っていたのです。だって、あんなに綺麗な色のグラデーション、差し色の赤、見ることがなかったのですから。秋に黄色と赤って素敵なコラボだなあ。
通りを見ても銀杏並木の下にドウダンツツジの赤が続いていたりすると、すごく綺麗です。秋だなあって思います。
その銀杏もドウダンツツジもだんだん色がさめたり、黄色い葉が落ちたり、もう秋は通り過ぎていきそうです。

すっかり葉が落ちたモミジですが、最後の最後まで楽しませてくれます。
落ちた先がまるで花壇のようになっています。



写し方で側溝とその脇の緑の葉の上に落ちたモミジが真っ赤な花を咲かせているように見えました。




今日は天気が良いので、このモミジたちも乾いていくのでしょう。後はまとめてゴミ袋に入るか、入る前にカサカサと風に吹かれてしまうか……
秋になっても、ほとんどどこにも行かず毎日訪れる先は決まっているわたしですが、その身近な場所で秋を探すこともまた楽しいかなと思っています。

今日のわたしのお勧め映画『グッド・ライ~いちばん優しい嘘~』
ラストは予想していなかったので、切なくなりましたが、映画のタイトルの意味が(途中、伏線でこの言葉が出てくるのですが)わかりました。暖かい涙に包まれます。

最近手に入れたCD『Je me souviens/Lara Fabian』、フィギュアスケートのエキシビジョンでアイススケートの方が演技で使用していた曲が良かったので、その歌手を調べて購入したのですが、肝心のその曲が入っていなかったというオチがついています(笑)しかも輸入盤を購入してしまい、歌詞も解説もなし。フランス語はちんぷんかんぷん、でも雰囲気はばっちり伝わってきます(笑)。秋の夜長に切ない気分を。

サザンの「愛の言霊」

2015年11月10日 | ほんのすこし
わたしが唯一、地声で歌える曲。
ノリノリで歌います(笑)
ほとんどカラオケでは裏声でしか歌えませんが、それでは声量が全然足りず、つまんないのです。だから地声で最後まで歌える曲というのは希少価値があるのです、わたしの場合。

カラオケはなかなか行けませんが、ときどき運転しながらこのままカラオケに入ってしまおうかなという誘惑に駆られるときが何度もあります。
一人カラオケの誘惑です(笑)
他人の目や耳を気にしなくてもいいので、ずっとのびのび歌えます。お勧めです……ってまだ二回しかやったことありませんが。

裏声だったらレパートリーは広いかも。
これからの季節だったら、辛島実登里の「サイレント・イブ」かな。夏川りみの「花」なども好きでひとりのときは歌います。昔よく歌ったのは南こうせつの「夢一夜」。他の人がいるとちょっと恥ずかしくて歌えないかも。皆さんうますぎて一緒に歌うとどうも尻込みしてしまいます。
ちなみに娘も息子もカラオケ上手いほうの部類に入ると思っています(親バカか?)

あまりにカラオケで歌詞とずれるのでスマホに歌詞検索アプリを入れています。それを見てアカペラで歌うときがあるのですが、音階があっているかどうかいまいちわかっていません(笑)それじゃ意味ないと思うのですが、まあ気晴らしに楽しむならいいかなと。
それも最近はやっていないなあ。
声を出して歌う機会はゴスペルレッスンのときぐらいで、後は運転しながら適当な歌を歌ったり。最近はCDをかけながら、フランス語の歌手の歌をそれこそ適当に誤魔化しながら一緒に歌って運転。発音度外視、単語度外視、雰囲気が良ければいいじゃないの的な歌い方で満足しきりです。運転するときに歌うのが一番多いかも。カラオケでないのが残念。

そうそう、新聞広告にテレビと連結してカラオケができるというリモコンが三万円弱で買えるってありました。それを見たとき5分くらい悩みました。ちょっとそれがあるときの自分の生活を想像してみたのですが、あり得ないなという結論に至り、却下(笑)
そんなこともカラオケのお題で思いだしましたよ♪
ところで十八番って勝手に思っているんだけど、「愛の言霊」が十八番って変かなぁ。

小雨そぼ降る

2015年11月10日 | ほんのすこし
今は空に青い部分も見えていますが、朝6時前は小雨そぼ降る状態でした。
珍しく朝まで目が覚めず、スマホで時間を確認したときには5時半。お~っなんとこんなにも熟睡できたのか!
画面を見たら、LINEで夕べ遅くに連絡が入っていた。慌てて返事を送った……送った後で気がついた。
今、何時?まだ6時前ですよ……受け取った相手を起こしてしまったのか?慌てるとろくなことにならないと思った。

素早く身支度を整え、いざ出陣(笑)まだ薄暗い町を颯爽とピカピカの代車でスポーツカーを運転する気分で、シートを少し倒した状態でやってきたがそのままで(足の位置は調整して)、車の往来がほとんどない時間帯だ。遠慮せずに運転できる。レーサー気分で母のところへ。
レーサーといえば、最近93歳のおばあさんがご近所でレーサーと呼ばれていて事故を起こしたという報道を見た。あんなことにならないように気を引き締めて運転しなければ。

裏庭に冬囲いをしたなごりの葉や枝をぎゅうっと詰めたゴミ袋が三つ。そのうちの二つは足を踏ん張って一つにまとめた。家の中の生活ゴミも一袋。それらを近くのゴミ集積所まで持って行った。まだ朝早いのでゴミ袋は二つしか置いていなかった。住民はまだ眠りの中か?それともそろそろ起き出して朝餉の準備か?

母はベッドですやすや眠っていた。部屋はぬくぬくと暖かく、これなら大丈夫だと安心して戻った。
小雨の中で落ちたモミジがぎっしり雨に濡れていた。



まるで新しい花が咲いたように見える落ちたもみじだった。

そうそう、忘れずに母に昨日のバナナケーキを半分(4切れ)お皿に入れて持って行った。起き出して台所に行ったときに発見するだろう母の姿をちょっと想像してみた。ちょこっと味見するだろうか?それともおやつに取っておくだろうか?いやいや案外これを朝食代わりにしちゃったりして(笑)



一切れはこんな風に。



わたしもおやつの時間に食べようっと。味はまだわからないけど。それにしてもホットケーキミックスって便利だなあ♪

今日も朝からつれづれと。

ネット接続が調子悪い

2015年11月09日 | ほんのすこし
ようやく編集画面に到着(笑)
スマホではさくさく見ることができるのに、今日のパソコン、ネット接続がすこぶるご機嫌悪くて、イライラするほど。開くのに時間がかかりすぎて、しかもメールソフトも開けなくなってしまったり。仕方がないのでずっとパソコンは開かずにいた。スマホからの更新はなかなかできないし、今日はもう諦めようかなと思って読書をした。
友人から借りた『皿の中に、イタリア』(内田洋子著)がすごく面白いエッセイだったとメールしたら、それじゃあと内田洋子さんが日本エッセイスト・クラブ賞と講談社エッセイ賞をダブル受賞した初めての本だという『ジーノの家』(文庫本)と『ミラノの太陽、シチリアの月』(単行本)を貸してくれた。ジャーナリストとしてイタリア在住30年余年だという。
ただいま文庫本の方を読み始めた。ジャーナリスト魂があちこちに感じられて、それが冒険心をくすぐる。読んでいるとわたしもイタリアにいるような気分になっていく。

本を読みながら、わたしとしては本当に珍しいのだけど、スマホのトルカで紹介していた料理が今日は朝から作りたいなと思っていて。バナナを買っていた。作りたいのはバナナケーキ。初めて作る。ホットケーキミックスを使うレシピだったので、とても簡単。わたしでも作れる。出来上がりはまあまあ。
文庫本を片手にごろんと寝て焼き上がるのを待っていた。
もうすっかり夜も更けて、そろそろ寝る時間が待ってるよって時間帯に、あろうことかバナナケーキ作りに挑戦?
まあまあいいじゃないか。なんていっても甘い匂いが部屋に漂っているのは、そんなに悪くはないよ♪
自分に言い聞かせて、鼻歌なんぞをふんふんとならし電子レンジを開けるときのどきどき感ったらない。
うまく出来ているかな、失敗かな、匂いだけは合格点あげることができそうだけど。やっぱり中身が問題でしょ?
上手い具合に膨らんで、表面もかりっと中までしっかり焼けている。寒い場所に置き、さましておく。

明日の朝、半分切って母のところに持って行こう。ゴミ出しがある。
まだ寝ている母が起きたときにちょっとびっくりするかな。母の嬉しそうな顔が浮かんだ。甘い物が好きな母にはいいだろう。でも甘さ控えめにしたけどね。

今日は車の点検で、ディーラーさんが代車を持ってきた。わたしの車より大きくてちょっとびびる。返却するまで傷つけないようにしなくては……あまりいい車を持ってこないでほしいんだけどなぁ。
さて、この記事うまくアップになるかな。なにせ接続がご機嫌悪いので。
うまくいきますように。
では、朝早いので眠ることにしますね。おやすみなさい♪

お疲れさま♪

2015年11月07日 | ほんのすこし
一週間以上も前から天気予報を見ていて、自分の都合と突き合わせて母に
「土曜日が晴れでいいらしいからその日にするね!」
と話していたのでした。
昨日は暖かくてこの分だと明日はもっと天気が良くて……って、勝手に思い込んでいたのです。
ところが起きてみると、今日はどんよりもいいところ、気温も低くて びっくり。天気予報なに?!とばっちりを食った気象予報士さま、ごめんなさい。
でももうタイムリミットは来ていたので、母のところに早くに出かけました。
昨日、弟の日記を見ていて弟が生きていたときにはすでに10月末に冬囲いを終えていたことに気づき、今年は異常かもねなんて母と話していたのです。絶対今日を逃してはならずと思って勇んで出かけたのです。
もちろん、母も心得たもので私が今日冬囲いをすると思っていて、心構え万端整えていたのでした。

暖かくなるという予報を考えて今日にしたのに、昨日よりずっと寒い。でも仕方がないね。やるっきゃない(笑)
ということで、監督の母のもと、頑張りました。
裏庭の伸びきった葉アジサイの元から裁断したり、あれこれと裁断するものを先にやって、その後でモミジやらを雪ノ被害から逃れるためあれこれと。裏庭が終わってから、脇に移動。花梨とかドウダンとかあれど、一番かわいそうなものだけにしておこうと母が言います。ドウダンは私に任せないでご近所の旦那様にやってもらったら?と話して置きました。なにせ私は高所恐怖症、塀の上にすら立てないのです。

モミジは今年、とても素敵な色合いです。グラデーションが素敵なのです。もったいないね、と思ったのですが、冬の雪の重さに耐えられないと困るので、仕方がないなと。葉っぱが色を染めていましたが、母が言うには
「今年は変だね。いつもはこんな風に色が変わることがないのに、今年は緑じゃなくて黄色が赤にだんだん染まってるねぇ」
と、いつもとは違う変化に驚いています。せっかく色づいているのですが、それもまとめて冬支度です。

冬囲いをしていると、せっかく今、色づいて綺麗な葉を落してしまいます。

今日だけでたくさん落してしまいました。



こんなにあったのに……



落ちたのはどこ?



ということで、母の願いは今年の冬囲いで、わたしとしては上手くできるか心配でしたが、去年よりもさっさと出来たことに自分でも驚いています。実は母も驚いていました(笑)
今日は、あれこ言われなくてもさっさと次へと移動し、全部終了。ただ一つ高いドウダンの木だけはやりませんでしたが。後でご近所さんのご主人にお願いしてもらおうと思っています(高いところはとても無理なわたしです)

午前中から冬囲いに専念し、そのままランチタイムに突入(笑)
その後、母のコタツにぬくぬくし、おもむろに飛びだし、夜ごはんの準備。
その後、温泉でゆっくり体をほぐしました。最高です♪