心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

心が折れそうなとき

2016年12月10日 | ほんのすこし
ときどき心が折れそうなときがあります。
昨日はちょっとそんな自分がいて・・・、惨めだなと感じたり。
でもその惨めさって裏を返せば、それと引き替えに静かな安らぎを得ているってことなんだなと思ったり。

でもほんの少しでも心が折れそうだなと感じたら、どっぷりそれに浸かってみるのもいいかもしれません。
ただ、いつまでも浸かっていてはだめ。
わたしは美味しいものを作ろう! と自分を楽しませるために動いていました。
モッツアレラを使ってワインに合うものを・・・って。

頭で考えて美味しく出来るかしらと思いつつ作るのは、まるで化学実験をしている気分でした。
化学実験といえば、なんとわたし高校時代は化学部に所属していました。でも三年時にたった一度だけ実験をしたというだけの怠け者部員で、化学の点数はちっとも良くない生徒でした(笑)。
ワインにぴったりだなと思いながら、ちょっと自分の今の気分を慰めていたのでした。

昨日はそんな日でした。
自分はもうそこにはいない人間なのだとわかっているけど、どこかで昔を懐かしむ気持ちがあるような。でも今そこに入ったら自分がどんなにまごつくか、場違いかを知っている。
だからもう過去の生活を懐かしむのは止めよう。

そこでもう一つ心が折れそうなときにはとってもハッピーなDVDを見ること。
ということでレンタルしてきましたよ。
『幸せをつかむ歌』

メリル・ストリープ主演。
なんとまあ彼女の歌が・・・ 格好良いのですよ。
ロックンローラーですよ。
わたしもその場に行って踊りたくなってしまいました!
さっきまで心が折れそう、なんてちびっと思っていたのがどこかへ吹っ飛んでしまいました(笑)。

久々に見てよかった映画です。手元に欲しくなってしまいました。返す前にもう一度見ます♪

わたしみたいに気に入った映画に当たった人は、気分を解消できるから映画を見ることもお勧めですね。
というわけで、今朝はばっちり元気に起きることができました。朝から気分も爽快、片付けモードに突入のわたしです♪

引き出し整理

2016年12月10日 | ほんのすこし
食器棚の引き出し整理をしていました。
カトラリーがごちゃごちゃになっているので、そこを重点的に。不必要な物は入っていないかとか。

奥からこんな物が出てきました。




何を包んでいるのでしょうね。



あ~、なんだか変色していますよ。



普段から使っていればこんなことにはならなかったでしょうに。
第一、フォークとナイフを使うような生活じゃないし(笑)。これはデザートフォークかしらね。
手入れの簡単な素材のものが楽かなと思って奥にしまい込んでしまったまま。
なんてこったの大間違い。
調べたら、使うほうがいいって書いていました。ギャフン。

かろうじて未使用のまま袋に入っていたものは変色なし。



それはそれでこれから使ったらまた変色させてしまうのではないかと不安になってしまいました(笑)・

さらにその上にあったのは、冒頭のもの。
これはタイからやってきた知人からいただいたもの。なんでも帰省したときに皆にお土産に買ってきたとか。
色鮮やかな箸です。使うのがもったいなくて飾っておきたいですね。



長すぎて使いにくいかな、わたしには。

寿の5客セットの箸が数セット。これいつ使うの? 早速母のところに持っていって使います、お正月に。
マドラーもただ重いだけのものとか、不必要なものがあったので処分。
さすがに変色したフォークは捨てるに忍びないので、気にせず使うことにします。これこそもったいない(笑)。クリストフルに申し訳ないものね。


みぞれ雪でした

2016年12月09日 | 母のこと
今朝は母の診察日。久しぶりに朝早くお迎えに。
でもずっと道路が乾燥していたのに、今朝は雪。しかも水分多めのみぞれ雪。体に降るとすぐに溶けて水滴になってしまうし、重いし。そんな雪がみぞれ雪。
久しぶりに降ったせいか道路は混んでいて、狭い道路から広い道路に出て行くのにいつもの何倍もの時間がかかってしまいました。皆さん慎重な運転をしています。わたしもそうです。こういう雪が危ないですよ。水気を含んでいるので滑りやすいのです。

母を迎えに行ったら、まだ食事中でした。
支度を調え出ていくまでに30分はかかりましたが、急かせてもだめなので、母のペースでお願いしました。
昨日の夕方、母の髪をホットカーラーで巻いてあげましたが、なかなかいい具合に出来上がっていました。母にとって病院に行くということは着る物と髪型が一番気になる部分。
わたしが巻いてあげなくても自分でやるから、と言ってましたが、やはり自分でやるよりはやってもらったほうがいいでしょう?
そんなわけでご近所さんが遊びに来ておしゃべりに夢中になっているところにちょいとお邪魔し、母の髪をいじりました。母もやっぱりわたしに巻いてもらったほうが嬉しいみたいでした。

今日は整形外科。
案外早く呼ばれました。先生は優しい物腰の先生で、色々と聞いてくれました。膝を見て注射をしましょう、って。
膝の注射は痛いらしく、母の顔がしかめっ面になっているのをそっと見ていました。

骨粗鬆症の薬を変えることにしましたので、一か月様子を見ることに。後の薬はいつも通りに三か月分です。また来月上旬に診察です。薬の効果を見るらしい。
母の薬はすごく多くて、ぜんそく用とリュウマチ用を併せると朝が一番多いのです。わたしもときどき薬を分けるのを手伝いますが、母は2週間分の朝晩を小さい透明のプチ袋に分けていれています。はさみを使うのが大変なので、わたしが出来るときは全部最初に切っておきます。最近はその薬をパッケージから取り出すことも難しくなってきたようです。出来ないときは爪楊枝を使ったりしてなんとか取り出して飲んでいるようです。
母は出来ないことがあると、なんとかして自分の力でやってみようとします。工夫の職人! と言いたくなるときが沢山あります。

病院から車に乗り込むとき、いつもよりスムーズだったらしく先生の注射が効いたかな、と話していました。即効性があるのかしらね・・・
いくらかでも辛さが取れたらいいなと思います。

手もだめ、足もだめ。どんな動作にも痛みが伴うとなれば、座ったり横になったりということが一番になってしまいます。でもそういう姿勢ばかりとっていると次の動作、立ち上がったりすることがとても困難になってしまいます。だから最初の痛みをこらえて少しでも動かなくては・・・ と思っているようです。わたしが帰るというと必ず玄関まで送ってこようとします。
「いいよ、いいよ。無理しなくても」というと
「いや、動かないと。見送るのも運動になるから」と答えます。
嬉しいけど、わたしが帰った後、玄関から居間まで戻る途中、痛みが強くならないかしらと思ってしまいます。

これから薬をもらって母のところへ行ってきます。
今月はまだもう一回別の病院の診察が残っています。検査もいくつかあるようです。
今日のように早く終わるといいのですが、だんだん病院に長居するのも母にとっては辛くなるようです。

あっ、今日ちょっといいことが。
診察室の前で待っているとき、隣に座っていた女性がわたしに
「娘さんですか?」と尋ねてきました。そうだと答えると、「お母さん、若い頃べっぴんさんだったでしょ?」と言いました。
母は自分に言われないと最近耳が遠くなっているので、別のことだと思って「目が悪くなってね」なんてトンチンカンなことをわたしに話していました。すぐにわたしが説明しようと思っていたら、その方が呼ばれました。

後で母に「べっぴんさん」だと言われたことを教えてあげようっと。
きっと照れるだろうね。

カバー画像を

2016年12月08日 | ほんのすこし
カバー画像をクリスマスっぽくしたくて色々マウス画を探してみましたが。
なかなか拡大されると収まりがつかない。
明るいものにしたかったので、これがまあいいかなと。

縦長の画像だと無理があるから、横長の画像を探しているのだけど、案外横長の画像って少なかったのね。
ツリーの画像にしたいけど、それも縦長だから無理だしね。
新たに描く、ということもあり? ない(笑)。

ちょっとあれこれ考えてみようっと。

カバー画像の元画像はこちら。



天使を入れたかったけど、天使を入れるとブーツが入らない・・・
位置の決め方も難しいね。

忙しかった一年でしたが

2016年12月08日 | ほんのすこし
今年、平成28年、2016年。
ずいぶん波乱に満ちたというか、小さな波乱が続いたというか。
他の方から見れば些細なことだらけだったかもしれないけどね。でも私にしてみれば結構色々あった年でもありました。次々と落ち着く暇がないほどに毎日が過ぎていった、そんな気がしています。そして今、ちょっと抜け殻のような自分がいることにふと気がついています。夢中で過ごした時間というのは過ぎるのも早いものですね。

私の人生の中で無我夢中で過ごした時代は子育て真っ最中のときだったように思います。それが子育てのために夢中だったら良いのですが、子供たちが幼児期は仕事が第一で子育ては二の次だったような。
そして子供たちが小学校時期はまさしく怒濤の日々といった感じでした。義母の認知症もどき(というのは、ちょっと認知症とも違うような部分もあったのです)で徘徊され探し回ったり、子供たちはどんな風に思っていたのだろうかと今振り返ると悲しくなることだらけですが。

でも仕事と家庭と義母の世話、それがあったから毎日があっという間に過ぎていたということですね。義母の世話はわたし一人では出来ませんでしたので、通いのヘルパーさんをお願いしましたし。現在のような介護制度が確立されていない時代です。今はヘルパーさんですが、昔は家政婦紹介所というところから派遣されていました。そのヘルパーさんがいてくれていたおかげで日中の仕事もできました。
本当に色々ありました。
早朝、子供たちも寝静まっている頃、何か音がするなあと思って起きて見ると義母がいない。
どこかへ出ていってしまったのです。慌てて子供たちに留守番を頼み、探し回る町中。その頃住んでいた町は碁盤の目のような通りになっていたので探しやすかったのですが、それでもなかなか見つからない。そんなことが何度もありました。

その頃のことを思い出すと、人生のほとんどが集中してそこにあったと思えるほどでした。
でも、今、過ぎてしまった時間を思うとなんて贅沢に過ごしているんだろうと思います。
なんで自分だけがこんなに大変な目に遭わなければならないのだ、とか思うより、子供たちのことをもっと見るべきだったと。何か大義名分的な気分で自分が出来ていないことをすり替えていたのではないかと思うのです。
そう、そのことに甘えていた自分がいる。なんでもかんでも自分は大変だから、ということを考えれば許されると思っていたのかもしれません。
今、アラフォーとかアラサーとか言われる年齢のときの話です。
若いってとんでもない愚かさを備えているのですね。自分だけのことを考えている。周りのことを考えることを二の次にして。その犠牲になったのが子供たちだったのかもしれないと思うとぞっとします。

今の若い人たちはすごいなと思います。子供のために一生懸命です。わたしには出来なかったことをやっている。
頭が下がります。

わたしの今年一年は昔のある時代からすればほんの少しの慌ただしさだったことでしょう。
でも今のわたしからすればこれでも忙しかったなあと思えます。
年を取ると、その年に見合った忙しさがあるのだなと思えます。だってあの若かった頃のような一日を過ごせ、なんて言われたらお手上げですから。
世の中、上手い具合に回っているのかな、なんてね♪

にらめっこ

2016年12月07日 | ほんのすこし
朝からにらめっこ。
パソコン画面とね。

頭の中で数字がグルグル。
たまに背伸びをしてみたり。
気分転換にコーヒーを入れたり。

おかしな箇所を発見してはやり方間違えたなあ、って大いなる反省したり。
”今度やるときは手順を直すこと”と頭にインプット。
数式の間違いがなぜ起きたのかを考える。

自分に厳しくないとこういうことになるということだな、やっぱり。
だんだん細かい所のチェックが甘くなっている自分に気がついてガックリ。

やっぱりやっぱり中途半端な気分が一番良くないね。
気を引き締めていこう!

※※※

こういうときに晩ご飯の心配をしなくてもいいってことは嬉しいね。
昨日たっぷりクリームシチューを作っておいた。ルンルン。
ちょっと胃の調子が良くないから食事を少し考えよう。
ん? 食事というか夜更かしとか不摂生が影響しているといった方が当たりかな(笑)
気分転換に後で母の顔を拝見しに行ってみよう。明日には仕事終えるつもりだ。明後日は母の診察がある。大事なプライベートの用事は来週に延ばしてもらったので、ちょっと気が楽になった。これで仕事に集中できる。

※※※

またまた日記風になっている。ふぅ・・・ 外は晩秋というか初冬だね。ススキも丸くなってるよ。



※※※


赤いネギがあるんだね

2016年12月07日 | ほんのすこし
今、ネギが沢山出回っています。土付きネギもたくさん入っていくら、とか。
後でそれも買っておかなくちゃって思っているのですが。
今回は初めて見つけた赤いネギを買ってみました。郊外にある『陽気な母さんの店』の出張販売所で。町中のハチ公小径に出店しているのです。ときどき歩きで町中に出かけたときとか覗いてみます。この日はたまたまチャーシュー講習会に参加したので、終了後入ってみました。

お昼過ぎでしたが、ほとんど食材は置いてなくて、やはり早めの時間に来るべきだったかなと。
でもそこでこの赤いネギを見つけ買ってみました。
そしてそばにはたった一個残っていたナメコ。
本当はもう一個あったら良かったのに・・・ でも一袋でも大丈夫。

大きめのナメコでしたので、手で裂きながら水洗い。
例のナメコ煮を作りました。母だけに作って置いてきました。
わたしの分は栽培ものを昨日旬菜館で買ってきましたので、後で作りましょう。

この赤いネギ、一体どんな感じなのかな。
料理に使うのが楽しみです。
夏のネギはあまり好きではありませんが、秋から冬にかけてのネギは甘みもあって本当に美味しいです。
大人になるまで苦手な食材の一つだったネギですが、大人になってからは好きになりました。卵焼きの中に入れるのも大好きです。

年末にかけて土付きネギをゲットしておきましょう♪

さて、仕事に取りかかります(笑)。
昨夜は『殺人の門』東野圭吾著。を読んでしまい、仕事の続きは明日にしよう!モード炸裂。
寝床でも読み、途中で止めようと思って閉じたのですが、布団をかけても全然眠れず。先が気になってね。
だから結局最後まで読んでしまいました。
あ~、面白かった! 満足です。

変な天気です

2016年12月06日 | ほんのすこし
空は青くて晴れ渡っているのですが、風が時折すごい勢いで窓を打っていきます。
変な天気です。

これからまた外出です。午前中に一度出かけてきたのですが、今度は夕方までお出かけです。
昨日年に三回のやるべきことがあって、今回はずいぶん遅いなあと思っていたのですが、パソコンのメールソフトの不具合でその仕事の連絡がしばらく途絶えていたのでした。全然気づかずにいて慌てました。
なまじパソコンを信頼しきっているというのも考えものですね。

というわけで原本も資料として届きましたし、再度送っていただいた資料を確認しつつ、重要な作業に取り組んでいかなければなりません。
猶予は二日間。

その間に別のやるべきことが出てきて、またまた外出を余儀なくされているわけで。

仕事とプライベートでこの二日間は結構計画的に動かなければならなくなりました。

なのに、頭の方は追いついていかず。資料を見てもなかなか進みません。
これは頭の切替が必要だなあ。

変な天気で、頭の方も変な感じのまま。
今日はちょっと終わりそうもないので、明日に持ち越しだな・・・

最近、頭使っていないので慣れるまで一苦労だわ・・・

※※※

こんな独り言に付き合ってくださってありがとうございます♪
ちょっと愚痴ってみました。

※※※


一冊は読みましたが

2016年12月05日 | ほんのすこし
昨日、ふらりと実家の近くにある本屋さんに行ってみました。

ノラということで検索していたら、お勧め本のブログを発見して、アイスハートというブログでしたが、そこで自分お勧めの50冊ランキングというのがあったのです。
かなりの読書家みたいで、どんな本がお勧めで何が一位なのかなと興味津々で読んでいました。
わたしが読んだことのない作家も色々あったり、宮部さんのは読んだものが結構入っていて、なるほどと思ったり。
そこで第一位に入っていたのが、村上春樹さんの本でした。わたしは彼の本は『海辺のカフカ』と『1Q84』ぐらいでしたので、その本を読んでみようかなあって思ったのです。

早速探そうと本屋さんに入ったのですが、そこの本屋さん、入り口が絵本コーナーなのです。
やっぱり素通りなんて出来ません(笑)。
今お勧めのコーナーに飾ってあったのは、イタリアはミラノ在住の絵本作家、刀根里衣(とねさとえ)さんの本でした。
そっと手にとってみると、その美しい世界に思わず吸い込まれてしまいました。

なんて美しい本だろう。
なんてきれいなことばだろう。

いろいろありましたが、まずは一冊買おうと思い、『ぴっぽのたび』を選びました。
ひとりぼっちのカエルのぴっぽが小さいひつじと出会います。そこからたびが始まるのですが、そのたびの世界が見ているだけでうっとりする世界なのです。
こんな絵を描ける刀根さんはすごいなと思います。

ただそこに置いておくだけでしあわせになるような、そんな絵本です。

もう一冊欲しいのがあったのですが、また後で行ったら買ってこようかと思っています。

その絵本を手にしてぶらぶら。あっちを見たりこっちを見たり。
最初の村上春樹氏の本を探すという目的はどこへ行ったのやら、結局その本を一度は手にしましたが、大好きな原田マハさんの本とか三浦綾子さんの『母』(小林多喜二の母を書いた本でした)とか、先日『雪煙チェイス』を読んだばかりなのにまたまた東野圭吾さんの『殺人の門』とかに手が伸びて。当初の目的からはかけ離れたチョイスになってしまいました(笑)。

『微笑む人』貫井徳郎、昨夜はM-1グランプリを見ながら読破。コマーシャルになると読み、漫才になると見て、また読み・・・ 番組が終了してから本格的に読み終了。
わたしとしては読みにくい感じが最初したのですが、最後の最後まで気が抜けない内容だったように思います。
本当に最後に書かれた作者の言葉にタイトルの不気味さを思い出します。表面を見れば殺人事件を起こした人間の過去や人となりを探っていくものになるのですが、皆が皆声を揃えて、殺人なんて犯す人には見えないと答える繰り返しがかなり続くと、あぁまたそういう内容になるのか・・・ といった気持ちに駆られ、一体この本はどこに真実があるのか、危ぶみさえしてきます。でもやっぱり違うのですね。
最終章に行くと一気にその全貌が見えてきます。これまで繰り返してきたことの反動がぐぐぐっとわたしの中に生まれるような気がしました。
人間の中にあるぞっとする部分、はたしてそれが自分に無いと言い切れるのか、目の前、あるいは隣り合わせになった人間のほほえみの中に怖さは無いと言い切れるのか。
読後感は爽やかさとはかけ離れていましたが、こういう切り口(色々な人への調査)もまた面白いものだなと最後には思わせてくれました。

さて、次は何を読もうか。
ただいま読書モード炸裂中。
でもこれからお出かけです。夜にゆっくり読むとしましょうか。


たまに歩いて

2016年12月04日 | 朝のことば&つぶやき
久しぶりに歩いた。
昨日は天気が良かったので。用事を足しながら少し歩いてみた。最近は少しの場所へ行くにも車での移動だったけど。
あまりにも空が青くて雲ひとつなかった。

※※※

そこにいて生きていた
たぶん枯れた色を残してはいても
今もまだ生きている

見えている部分は枯れたように見えても
根っこにある命は
枯れていない

脈々と生き繋いできたものがあるから
ただそこにあるだけで
わたしを素通りさせないものがある

今日
あなたたちを見つけた
冬枯れた冷たさと澄んだ空気の中で
わたし自身の生は
あなたたちの逞しさとは
かけ離れた甘えの中にあると
うなだれて帰った

※※※



帰りは少し白い雲が出ていた。
雲があるほうが好きだ。