渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

よく言われる「改良」は本当に「良質への改善」なのか

2021年11月07日 | open

 
内燃機関搭載車両の新型が発表され
るたびに「改良」という単語が安易
に使われる。
だが、冷徹に車両を分析すると、
常に新しい物が良質化を付与される
という定式は存在しない事に気づく。
車両というクルマは、「◯◯年式が
最高に優秀」という現実がある
のが
モーターリゼーションの歴史
の本当
のところなのだ。
 
だが、資本の論理にのみ拘泥したな
らば、常に「新製品」を出さないと
ならなくなるという資本主義下での
企業のカラクリがある。
そこでは「本当に品質の良い物への
発展」という根幹視点は捨象される。
だが、企業の宣伝プロパガンダを盲
信する大衆たちは、「新しい物は全
て発展した良質性を具備する」と頭
から思い込み、消費者として消費に
動く。それはまさに「消費」だ。
その大衆による新車登場の動向実体
の見極めは、企業徹底した巧み
コマーシャリズム洗脳作戦
よって
静かに破壊される。
消費者は見極めをできず、世の中の
事象や生産物は常に新しい物が
良性
進化形と思い込む。
 
本当のところはどうか。
産業製造物の本当の姿は、「最新が
最良」という図式の上には立っては
いない。
だが、その本当の実体の実態が見え
にくくカモフラージュされているの
で、人には見えにくい。
あたかも、森林の中で森林迷彩服で
偽装した人間のシルエットを把握す
るように難しい。
 
だが、不動の定理は案外単純だ。
「良い物もあるし、悪い物もある」
というのが真実なのだ。
「最新物は何でも常に最良」とい
う図式は産業社会では定理として
は存在しない。
医薬品や医療関係等は最先端物が
最良実体に近い傾向はあるが、動
走行車両や航空機の場合は、
物が最良の良質性を備えて
いる
生産物となっているという定式
存在し得ないのである。
これは、実相だから、否定のしよう
がない。
脳内の希望的観測や脳内妄想にのみ
捉われて、製品の真実を直視できな
くなるのは、それを扱って運転を
る人間という生き物にとって、
とて
危険な事だ。
 
 
 
 

透き通る心 〜会津〜

2021年11月07日 | open


泊まりがけで友人の実家がある
会津に行った時、地元の人の真
心に触れた事がある。
心が澄んでいた。
これが会津か、と感じた。

城前から七里半程南下すると大内宿
という宿場町がある。


そこでは、箸の代わりに葱で食べさ
せる高遠そばという物があるらしい。
これはいつか食べてみたい。

東京の新宿から会津若松までは、
今では高速道路を使って郡山経由
で約300km程になる。走り続ける
と夏場ならば3時間程で着く。
ちょうど広島県の三原城から京都
の二城への距離と同じ位だ。

私は味噌が大好きだが、今まで食べ
た味噌で一番美味しかったのは、
学生の時の後輩の御祖母様が作った
という味噌だ。最高だった。
毎年福島から後輩の下宿に送られて
来ていて、後輩の部屋に行くとその
自家製味噌で作った味噌汁を振る舞
われた。殊の外うまい。
学生時代におばあさまは亡くなり、
あの味噌もう二度と食べられなく
なったと後輩は寂しそうに言って
いた。
後輩は常々言っていた。
「僕が人生で一番影響を受けたのが
あんただ」と。
問題提起をしたら、彼はアルカディア
号の乗組員になった。最初から最後
で。一切日和って逃げる事はせず
に。
18歳で新世界の視点を知った彼は、
その後その精神的地平をさらに広げ
た。
今、彼は地元に戻り、中学の校長を
している。専門は社会科だった。
奴は心が澄んでいた。
餓鬼のようにぶら下がり、蜘蛛の糸
を切る者と救われる者。
人に二種類あるとしたら、彼は明ら
かに後者だと感じていた。

澄んだ心の人々がいる所は、たぶん
その場所の空気も透徹しているのだ
ろうと感じる。
そして、心はみずみずしく清涼で、
道筋がはっきりとしている。


味噌

2021年11月07日 | open


妻が味噌を替えた。
べら棒にうまい。
葱を根深にして根深汁を作ると
ぴたりとはまる味の味噌。
ここ20年程、東京以外では食し
ていなかった。
これは良い。

メリケン刺身は相変わらずの味。
そこはかとなくうまし。
こういうのに出会うと、歳さんの
ように樽ごと背負って持ち帰りた
くなる。これはまさに塩加減。
文字通りの塩梅だ。