歴史上の人物で「尊敬」する人は
あまりいない。
土方歳三さんの場合は、死後の余人
の小説家などが作り上げた人物像と
は別に、もし百数十年前に同時代で
知り合っていたら、という感は
ある。
ある。
あくまで後世のフィルタを通してと
いう条件はあるが、かなり私は彼が
好きだ。
ただ、仮想想定で私がそのまま彼の
時代の京都にいたとしたら、私の
血脈は倒幕派の側の士の血なの
時代の京都にいたとしたら、私の
血脈は倒幕派の側の士の血なの
で、その血は個人の考えなど許
さない歴史の修正力が働く事だ
ろう。
さない歴史の修正力が働く事だ
ろう。
私の先祖の同僚は、京都河原町で
新選組に斬られている。
藩の拝領屋敷もすぐ近所の人だ。
歴史は、個人の思いなどは風の
前の塵の如くけし飛ばす。
かつて、縁あって、都内の住職に
請われて近藤勇さんの遺品の短刀
の手入れのために某寺に私は毎年
赴いていた。
近藤さんの遺品の短刀を手にとって
見るたびに、涙がしたたり落ちるの
を現世の自分個人はこらえられ
なかった。
なかった。
近藤さん、近藤どの、貴方はさぞか
し無念だった事ろう、と。
士魂。
それは、時代は関係なく、解る者に
しか解らない。