渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

Jimmy 〜アホみたいなホンマの話〜

2021年11月13日 | open


お笑いのドラマなのに、毎回本気で
涙が止まらない。
なんだ、このドラマ。

ノンフィクションなのだが、映像作
品であるので必ずフィクションが入
る。
しかし、涙がとめどもなく出る。
どういったらいいのだろう。
まるで、映画『泥の川』を観ている
時のように胸が締め付けられる。

そして、本作品は役者の演技を最大
限に引き出している。
これ、ただものではない作品。
中尾明慶のきつねさんが演じるゴリ
ラのジミー大西。
これまたすげえ。
参ったね、これは。
やられた。

「人の心を揺さぶる」というのは、
一体どういう事なのか。
「お笑い」の世界で、笑いによって
人の心に幸せをもたらそうとしてい
る人たち。
でも、ジミー大西はそうではない。
ただ、ひたむきに、ただ真っ直ぐに
自分に正直に生きて来た。
さんまのジミー大西との付き合い方
には、日本人が忘れた本当の大切な
ものがある。
演出はあろう。
また、脚色もあろう。
しかし、主人公がジミー大西だ。
心は透き通っている。

中尾明慶さんがとんでもなく凄えす
よ、この作品。
この作品は、私の中で『高校教師』
(1993年)以来のヒット。
こういう作品、まだ日本で作れるん
だ・・・。








オイル交換

2021年11月13日 | open
夜、退社間際に友人が来た
のでオイル
交換手伝った。




黒板

2021年11月13日 | open


日本人にも馴染み深い黒板。
最近は企業などではホワイトボード
が多いようだが、学校などではやは
り黒板が今でも定番だ。
先生が授業で講義するのに黒板は
絶対に必要だ。

黒板の歴史は知らなかったので調べ
みたら、やはり日本では本格黒板
明治以降の導入だった。東京帝国
大学が嚆矢のようだ。

ちなみに、ビリヤードのチョークは
初めて登場した時は、滑り止めの魔
法の粉という宣伝文句で「マジック
パウダー」と命名されて発売された。
百数十年前。
何の事はない。黒板のチョークだっ
た。
しかし、現行のビリヤードのチョー
は黒板のチョークよりも粘りがあ
り、よくタップに付着する。
試しに黒板のチョークを塗って撞い
みた事があるが、スリップする。
現在のビリヤードのチョークはここ
数十年の間に専用に撞球用に開発
された製品だ。
また、チョークには研磨剤も入って
いて、革タップのトップ面を整える。


ビリヤードは一撞きごとにチョーク
を塗るのが望ましい。
理由はキューミスを防ぐため。
キューミスでミスショットしたら
対戦相手に順番がまわる。
すると相手にノーミスで撞き切ら
れて負けてしまう可能性が出て来
る。
ビリヤードでのキューミスは致命
的になるので、その可能性がある
事は避ける。そのためにチョーク
は頻繁に塗るが、基本は一撞きご
とに塗るのが望ましい。
ビリヤードは真ん中のド芯撞きと
いうのはあまりない。必ず手玉を
自在に動かす為にひねりを加える。
そのために手玉の撞く点をずらす。
手玉正面の見えている部分に無限
に撞点(どうてん)は存在する。
手玉を変化球にするのだから歯車
作用で当たった先玉もスピンがか
かって曲がる。無論手玉もカーブ
しながら先玉にヒットする。
その両方のズレを経験値から見越し
予測してショットする事を「見越
し」とか「リード」と呼ぶ。
クレー射撃や鴨射ちで飛ぶ先を狙う
事も見越しと呼ぶが、要するに人間
自身の五感によるセンサーでプレー
を行なう事を指す。
機械ではその見越しは測れない。
オートバイでタイヤがスライドする
のを体感知覚するのは人間であり、
機械では測れないのと同じだ。
撞球はオートバイの乗り方ととても
共通する部分がある。プレーは機械
的な作業ではなく、人間力によって
支えられている点がそれだ。

BREAK and RUN OUT -2005- NINE BALL

黒板は私も使っている。
横幅180センチメートルの黒板。
仕事やその他プライベート等の打ち
合わせの時や図示による説明の時な
ど、とても便利なのです。


黒板というよりもグリーンボードで
すよね、学校などの「黒板」も厳密
には。
ただ、大昔の小学校では、今の黒板
よりももっと黒色だったような記
がある。大学の古い建物の黒板も、
かなり黒かった。

小学校では黒板消しはその日の当番
が外でパンパンやって綺麗にしてた。
当番の名前は黒板の右端の下に名前
書かれてたりしてさ。日直てやつ。
チョークの事はチョークではなく、
白墨と呼んでいた。
授業中に私語で話してる奴に先生は
チョーク投げてた。
生徒に「廊下に立ってろ!」なんて
のはごく普通だった時代。
連帯責任で廊下に正座させられたり
とか。
「体罰」になるので現代ではすべて
止。
体罰はともかく、今では、行き過ぎ
で「叱る」事を親も教師も放棄した
ので、それで育った世代はめっちゃ
行儀悪い。社会的な行儀が。