渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

歴代最強のボンドカーはどれ?007ボンドカー比較

2021年11月16日 | open

歴代最強のボンドカーはどれ?007ボンドカー比較

こりゃいい。





岸田ノート

2021年11月16日 | open


仕事で使う文房具を買いに文房具
屋さんへ。
レジ横にでかい広告で「岸田ノート」
とあった。
「問い合わせ殺到中です!売り切れ
間近!」と。
お値段1180円。

やめてよお。
100均で売ってるようなただの小型
のノートよお。
私も仕事の打ち合わせで使ってる
やつのような。

商魂たくましいというか、なんと
いうか・・・。
なんだかすげーすね。

総理大臣と同じノートを使いたい
だろうか。
なんかよく分からない。
書いてる中身が重要なのに。



昭和残影 〜瀬戸内海のある城下町〜

2021年11月16日 | open

三原駅前通りにあるたばこ屋さん。
これはまず1960年代〜でしょう。
店舗の造りが。
昭和30年代のたばこ屋さんは、
なぜか外側をタイル貼りにして
いた。
この店、現役。

城下町の旧山陽道沿いにある古い
バイク屋さん。
まるで映画のロケ地みたいだ。


ここは1970年代中期からとの事。
私が中学高校の頃は、東京でもこう
いう感じの造作のバイク屋さんが
多かった。
この店、現役。面倒見のいいおい
ちゃんがやってる。
「同期の商売仲間は皆死んだ!
うん、死んだ!」
と言ってた。
おいちゃん、健在!


これも旧山陽道沿いの古い建物。
医院跡。明治の建築物。
この旧山陽道は数件ごとに町医者
がいる。まるで病院通り。
この病院は数十年前に閉院。
城の御殿医の家系かと。


山陽道の通りのどんつきが三原城。

これが真打。本町食堂。
本丸食堂と呼んでもいいくらいの
年季入り。
バリバリの現役!


昭和戦後〜の店。


今でも健在!

こちらのおいちゃんは今でも黒電話
を使う。
以前話していたら、インターネット?
なにそれ?メールとかいうやつ?と
言われた〜。つい昨年あたり。
味は昔の田舎の家庭の味だが、まず
くはない。うまくもないけど。
でも、なんてのか、親しめる味。
ちょい薄味。
日本の50年前の家庭の味ってこれ
ったよなぁ、みたいな。
タイムスリップしてみたい人は、
ぜひどうぞ。
まずくないすよ!
特別うまくもないけど。
出前もやってくれる。
今のおいちゃんが二代目。

時代考証 2

2021年11月16日 | open

 
力作の良作映画『初恋』(2006年)。
極めて細密に時代考証がされている。
あの1968年の東京の圧縮空気。
陽炎のような若者の波。
そして慟哭と悲痛な願いの結集。
「1968年」を実に見事に描いた
良作だった。
 
唯一、ひとつだけ残念な事がある。
1968年時点のオートバイ屋を描い
たシーン。
作品の中でこの店舗は重要だ。


主人公のみすずが二輪と出会う。
「単車が好きか」と大学生岸に訊か
れた女子高生のみすずはコクンと
頷く。
そして、西大久保のバイク屋で二輪
の乗り方を覚えて行く。
(下手だったのに段々上手くなる宮﨑
あおいさんの演技が特筆物。撮影以
前からプライベートでも自動二輪免
許を持つ人だった事は監督さえ知ら
なかった。郵便カブに始まりCP77
-あるいはCB72改-シートカスタム
のカフェレーサー仕様まで乗りこな
していた。徐々に上達するう、
かい演技をしながら)






 
宮﨑あおいさんはプロの役者だ。
本当に「乗れる人」を表現している。
これ、実際にただの免許持ちでは
無理。この乗り屋のような乗り方は。
大抵、「バイク女子」と自称してい
る今の人たちは背骨を硬直直立させ
て、腰回りは後ろにソックリ返っ
いる。顎を前に出して肩を怒ら
せて
肘を張り、腕をつっかえ棒
のように
突っ張っている。
足はこの宮﨑さんのようにステップ
でマシンホールドをしてきちんと
加重させておらず、ただ丸棒に足
を載せて
置いているだけだ。
それは、何一つ取っても「二輪車
乗れる人」のフォームでは
ない。
というか、宮﨑さんは上手いから、
「下手な段階から上手に乗りこなす
までのみすずの成長を演じる」
いう難しい演技ができたのだろう。
実力が無い下手な人は巧者の真似は
できない。未知の世界の事だから
だ。
 
このバイク屋は九州に実在する自転
車店舗の看板のみ作り替えてロケを
した。
いかにも1960年代のオートバイ店だ。
だが落とし穴がある。
看板住所の新宿区西大久保に五丁目
は無いのだが、それは物語の架空
場所なのでまだよい。
郵便カブは万博後からでは、とかも
カルトクイズになるので置いておく。
多摩ナンバーは68年にはあったかと
いうとあった。東京オリンピックの
直後あたりには都内を走っていた。

問題は、
1968年の二輪車の呼び方は
「単車」、
「二輪車」、「オートバ
イ」であるのが歴史事実という事だ。
これ、小道具でなく、大道具の店の
看板での表記なので結構重要。
存在しない社会情勢や存在しない
単語を使うのは時代物では厳禁だ
からだ。将軍綱吉の時代に犬追物で
武士が武芸鍛錬してたらおかしい、
てな類。
特に和製語の「オートバイ」が1970
年代末期までは日本では一般
的だっ
たという絶対に外せない国内現実
が存在する。
単車はサイドカー付きの
側車付に
対する二輪車単体の呼び名だ。
「バイク」という語(これも和製語。
英語でバイクは自転車の事)が日本
で一般化するのは1970年代中期以
降なのである。
最初、暴走族や不良少年たちが
バイクと呼び
始めた。
そして、雑誌がその新しい呼び名を
普及させ、メーカーが50cc原付の
普及を狙って「ミニバイク」「ファ
ミリーバイク」という呼称を作って
販売キャン
ペーンで広めた。
それが1975年から
1978年の間。
バイクという新単語は1970年直後
あたりから発生していたが、普及
はしていなかった。
最初に印刷物で広めたのは漫画家の
望月三起也先生で、作品『ワイルド
7』(1969-1979)の「バイク騎士
(ナイト)事件」あたりからではなか
ろうか。
その新造語の情宣をして国内に
「バイク」
という新語が完全普及
定着したのは70年代中期以降だ。
1980年代中期にはバイクという
呼び名が完全に定着した。
だが、レーシングライダーなどは
「オートバイ」と呼ぶ人が多い。
特に80年代に活躍したモーター
サイクルロードレースの選手たち
は、今でも「オートバイ」という
日本語造語の単語を好んで用いて
いる傾向がみられる。
私も一番好きな響きは「オート
バイ」だ。さらりと会話で使う
口語では「バイク」を用いたり
するのだが、構えて論じる時
特別ないを込めて二輪を
指す
時には、やはりなぜか私
は「オート
バイ」という日本語
になる。
1960年代、1970年代の広島県の
親戚の叔父や大叔父たちの二輪
乗りは全員もれなく「単車」と
呼んでいた。東京では死滅しかけ
ていた単語だった。
「単車、よう乗るんか?(オート
バイ、上手く運転できるのか?)」
と親戚のおっちゃんたちに1970年
代によく訊かれた。

ちなみに
「オートバイ」も「バイ
ク」も外国
人には全く通じない。
だが、1980年代の日本の世界的モ
ータサイクルレースの牽引により、
英語圏の選手たちも「バイク」とい
う短い単語で自動二輪を表現する
事が始まった。今でも何人かの
日本贔屓の外国人選手は「バイク」
という単語を使って話したりする。
英語では「モータサイクル」であり
「バイク」も「オートバイ」も無い。
バイクとは英語では自転車の事で
あり、オートバイは完全に日本語
だ。
この映画の時代設定である
1968年
時点で、まだ未知の単語で
ある
「バイク」をオートバイ屋が
看板
に掲げる事はまず無い。
1968年に「チョベリグ!(2021年で
既に死語)」と言うようなものだ。
 
『初恋』(2006)のバイク屋のセット
表現は、実に惜しい。
作品は最高だ。
物語では、三億円強奪事件首謀者
の大学生岸と共にバイク屋の
おやじ
んも国家秘密組織に
よって消され
しまう。
みすずだけがノーマークで「抹消」
を免れて生き延びた。
そして、大学生になった後も、
みすず
は岸が密かに用意していた
アパート
に住み、岸の帰りをずっと
ひとり待つのだっ
た。

この物語はフィクションだ、ろう。
中原みすずのそれ以前の二つのペン
ネームの原本作品での時代言葉使用
の齟齬が、もしかしたらこの映画
作品でのバイク屋の「バイク」の
言語使用の看板表現の伏線になって
いるとしたら、仮にそうだとしたら、
舌を巻く。
巧妙な作品のトラップに感心する。
もしそうであるならば、だが。
そして、それは、現実の1968年12月
の三億円事件の実行犯と捜査当局の
互いのいくつかのミスを極限に陳腐
にさせてしまう力を有している。
「もしそうであるならば」だが。
 

時代考証

2021年11月16日 | open

1968年10.21国際反戦デーにおける
ブント社学同の防衛庁突入闘争。
全員大学生。今、有名進学塾の講師
やってる奴も写っている。

丸太ぁ丸太抱えて社学同〜(網走
地の節での替歌)はどうでもいい。
見るべきはそこではない。
1968年時点で、防衛庁脇の電話ボッ
クスは四面隠し丸穴の旧型ボックス
ではなく、ガラス張りの最新式に
なっている事実が観察できる。
これは、四面隠しだと市街地にあろ
うがボックス内で寝たり、男女で
あらぬ行為をしたり、爆弾が設置
されたりするようなご時世だった
ために四面ガラス張りのタイプが
導入された。
法令で指定されたため、1970年代
中期に日本全国で旧式電話ボックス
存在しない。



映画 『コードネームU.N.C.L.E.』 (2015)

2021年11月16日 | open

『コードネームU.N.C.L.E.』
(2015年/英米合作)

1960年初期の冷戦時代が舞台の
スパイ映画。
1965年から放送のアメリカの大
人気ドラマの映画リメイク版。
主人公はアメリカ合衆国のナポ
レオン・ソロとソ連のイリヤ・
クリヤキンだ。
それがチームを組む。
1960年代には現実にはあり得ない
設定だが、それゆえか1965年当時
には人気を博した。
この2015年の映画作品も何度観て
もかなり面白い。
服装や車両がかなりリアルだ。
これは結構大変だと思う。
1965年当時はその頃の現代劇で
良かったのだから、そのような
時代考証は必要ない。
だが、50年後に表現しようとす
ると、ほんの数年ずれても妙な事
になる。
例えば邦画の『おっぱいバレー』
で1970年代中期を舞台としてい
るのに公衆電話で1960年代の全面
塞がれた丸穴ボックスが出て来た
りとか。スバル360や60年代初期
の車が街中を走っていたりとか。
それは南北戦争映画でピースメー
カーが出てくるようなもので❌だ。
時代物を製作する時は、かなり厳密
な時代考証をしないと頓珍漢な映像
になってしまう。

本作は、キザな0011ソロと真面目
なイリヤというキャラが巧みに演じ
られている。
久しぶりに観たが、やはり面白い。
ベスパでソロが夜の街に出て来る
意味はあったのか?とは思うが(笑

こちら半世紀以上前のアメリカの
ドラマ版。
ロバート・ボーンのソロがロジャー・
ムーアの007みたいにキザ(笑





ピストルに拡張機能を持たせる
外装を着けるのは当時としては
画期的だが、SF的で現実離れし
てもいた。
だが、今では、こうした拡張機能
はごく一般的なスタンダードとな
っている。
典型は、オートモデルに懐中電灯
や光学サイトを搭載するシステム
ガンだ。

空想活劇の登場アイテムが現実に
なる。
こういう事は案外多かったりする。
小松左京の作品「日本沈没」での
解析視点は登場当時まだ学術界で
も一般的ではなかったプレートテ
クトニクスに着目しており、他に
もその着想と視点は修士論文並み
とさえまで言われていた。

日本沈没は不知であるが、月は確
実に毎日地球から遠ざかっている。

ネット民に見る今の日本人

2021年11月16日 | open





家族を探しに来た人に対してこう。
てめえの米半分分けてやればいい
じゃないか。
「迷惑」だとか、頭おかしい。
ファミリーキャンプに勝手に来た
のと区別ついてない。
天海の中央への連絡のおかげで
救援漏れが発覚して自衛隊が来て
物資が届いたのに。
「皆はらからである。
分け合って食べよう」
という気はさらさらないようだ。

これが現実。

はたらくくるま

2021年11月16日 | open


外国の子どもたちはどうだかは分か
らないが、日本の子どもたちは不思
議な傾向を見せる。
それは、レーシングカーよりも、働
く車に興味を示すのだ。
これは私の世代でも全く同じ傾向が
あった。
特に男の子。
パトカーよりも消防車、スポーツ
カーよりもダンプやクレーン車や
ミキサー車を好む。
これは幼稚園入園前の子どもに多
く見られる傾向だ。
また、おもちゃのミニカーなども
働く車は大人気だ。

これ、とても不思議な傾向だ。
海外も同じなのだろうか。
1960年代のイギリスの特撮ドラマの
『サンダーバード』などは働く車両
や航空機で構成されていた。
国際救助隊の車両や飛行機はとても
カッコよく見えた。

人命救助や産業経済、物流には働く
車が欠かせない。
業界用語では「特装車」という。
戦車や装甲車とは少し異なるが、
とにかく機能第一の車両群で、その
車は消防車だろうが一点一点手作り
で製作されている。
幼い子どもたちが、その働く車に
ごく自然に興味を持ってくれると
いう傾向があるというのは、自然
発生的なものであるとはいえ、
人的には嬉しく思える。