うちの野営会はいわゆるソロキャ
ンプではない。
集団的自営圏だ。
しかし、規則も定めもない。
ソロキャンの集合体みたいな感じ。
暗黙の合意と同意と同調で集まり、
現場では各自の時間を過ごしている。
元々、仲間うちで気の合う連中が
集まってやり始めたが、段々と段
取りをまとめる人が自然と取りま
とめのリーダー格となってまとま
るようになって来た。ごく自然に。
かといって、勝手参加はよくない
ので、人を連れて行く時などは、
「今度これこれこういう人を連れ
て行こうかと思うのだけどいいか
い?」と確認を取る。
そのあたりは軍のようにガチガチ
に組織化された集まりではな
いが、人の集まりの常識的な
範囲で。
現場では、これといってやる事は
ない。
かといって、寝食準備でやる事は
あるのでやってはいるが、主と
して設営と撤収作業、食事を
作る事が中心だ。それも、各人
独自の場合とさっと黙って協力
実行という二つがある。
あとは、何にもしない。
日常の多忙を極める仕事で時間に
追いまくられる事もないし、数字
を追うノルマも無い。月度の業績
に頭を悩ませて、年度計画と照ら
し合わせて方策に苦心する事
さえも無い。
食事の準備と後片付けと食事中以
外は、各人がただただゆたぁ〜
として勝手気ままに過ごして
いる。
この時間が二日乃至三日、野営会
では続く。
「よーし!みんな!あの夕陽に向
かって競争だっ!」というような
湘南海岸青春ドラマのような熱血
「みんなで一緒に」シリーズも一
切存在しない。
各人ただそこに座っているのだが、
時折談笑する程度で、議論したり
昔の学生ウンドのおにーさんたち
のように主張をぶつけ合う事もな
い。サラッとスマートに行く。
込み入った話さえ脳ができない程
に機能停止させている。あえて。
だが、これは「無駄な時間」では
ない。無駄な時間を過ごして
はいない。
これは有益なのだ。
身体機能のうち、心の健康を保つ為
には極めて有益なのである。
緊張と弛緩はどちらか片方に偏って
はいけない。心のバランスが確実に
崩れる。
二輪ツーリングとは全く別な精神的
な時間帯がキャンプ場における
キャンプでは流れて行く。
二輪走行は、跨る直前から下車する
時まで緊張の糸が途切れない。
常にピッと気を張りつめている。
身体は疲れないが、二輪から下りる
とグタァとなる。緊張の糸が切れる
からだ。
気を張らないと事故を起こすので、
走行中は常に最大集中している。
スポーツの試合中と全く一緒だ。
野球でもダレないように選手は試合
中に円陣組んでコールをする。
「締まっていこうぜ!」と。
緩めたらオシマイだからだ。
しかし、人間の集中力などはもって
2時間だ。映画などはそれを目安に
作品の長さを設定しているし、学校
の授業も大学が90分、高校が50分、
中学が45分程度なのはその為だ。
なので、公道走行では休憩が絶対に
必要だ。ほんの5分でも10分で
も休息を取る事が次の緊張期間
を作れる。
緊張を解くのは休息時のみ。
走行中に集中力を欠くと、まずアク
シデントを誘発する。
私たちのキャンプでは、その時間帯
が存在しない。
そこが山中でのブッシュクラフト
とは大きく異なる。
キャンプ場は、「安全圏」として
のそうした「ゆとり」を担保する。
野生動物と共にいる森の中では、
そうそう緊張は解けない。下手し
たら自分が餌になってしまうから
だ。
森の中では、狩猟や渓流釣りでの山
入りと同じで、森と同化するアド
ベンチャー的な要素が強い。
人造キャンプ場での時間経過と精神
世界はそれらとは決定的に異な
る。
そしてね、私たちが利用している
キャンプ場は、トイレがめちゃく
ちゃ綺麗なの。最新式の水洗トイレ
で。
外国人がオウ!エクセレント!とか
言って瞠目して自宅にも欲しがるあ
の日本人が発明した例のトイレ
の最新型。
ここ15年程でようやく高速道路の
SAでも全国化されて来た例のトイレ。
世界一環境が良い日本発祥のやつ。
キャンプ場では、やるのは寝食に
必要な最低限の事だけで、あと
は「何もしない事」が珠玉の
時間だ。
時を止める、という時の流れの中
で息をする。
それがキャンプかなあ、とも思う。