渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映画『武士の家計簿』(2010年)

2021年11月23日 | open

『武士の家計簿』(2010年/松竹)

森田芳光監督作品。
久しぶりに観た。
ネットやDVDではなくBS放送で観た。
改めて異様な違和感を覚える。

士族の辛酸と機微などは、日本国民
の93%の人員は知らない。
また、全人民のたった7%の階級の
悲哀の伝達や物語表現なは、果た
してどれ程この国の国作りのとな
るのか。
武士の苦しみなどは、武士にしか分
らない。
それは人口比率ではほんの7%にしか
満たない。
そうしたマイノリティの歴史的に置か
れた悲運をあたかも日本人の全人民
が追った歴史の悲哀のように描こうと
する「武士を描いた世の中の全部の
作品物」を私は否定する。
国民の93%は、戊辰戦争だろうが、
「御一新」の明治大帝の世だろうが、
「我関せず」だったのだ。
武士や明治以降の士族の悲哀を語っ
てみても、極限に栓なき事であろう
と思う。
武士の哀しみなどは武士にしか絶対
に理解できない。
そして、それはたった人口比率で7%
のマイノリティの種族の悲しみでしか
ないのだ。
絶対に、その中にいたごく少数の者
たちの種族しか現実の本質を理解で
きない。

「物語」という作品に作り上げて、
それにより「圧倒的大多数」の人々
の歓喜を得ようとする文芸作家たち
の手練手管に、今更ながらだが、言
い知れない虫唾が走った。

空挺部隊のオートバイ

2021年11月23日 | open


第二世界大戦中、空挺作戦で投下
て戦場で使うオートバイがあっ
た。
折り畳んでコンテナカプセルに入
て投下する英軍のウエルバイク
有名だが、故障も多くて走破性
悪く、全く実用性が無かったよ
うだ。
しかし、ロイヤルエンフィールド
フライングフリー(空飛ぶ蚤)は
実用的で、かなり重宝したようだ。


コンテナではなく、フレーム枠で
防護して落下傘投下された。







車重59kg、126cc2ストローク。
軽くて走破性の高いこの英軍のモー
ターサイクルは戦場で大きな武器と
ったようだ。










軽快なフットワーク。
オートバイのオートバイたるところ
を追求するとこうなるというパター
ンの典型。


ドイツ軍の自動二輪 ~第二次世界大戦~

2021年11月23日 | open

映画『大脱走』(1963)から。
トライアンフ TR6(1956-/649cc)

映画『大脱走』では映画製作当時の
現用オートバイが改造されて第二次
大戦中風の二輪として撮影に使われ
た。
ドイツBMW R25(1953-56/247cc)や
英国トライアンフTR6(1956-73/649
cc)等がそれだ。

実際の第二次世界大戦中のドイツ軍
の自動二輪は英国トライアンフを含
めて6社のオートバイが採用されて
いた。
・BMW(べーエムヴェー/ドイツ)
・DKW(デーカーヴェー/ドイツ)
・NSU(エヌネスウー/ドイツ)
・Zündapp(ツュンダップ/ドイツ)
・Victria(ヴィクトリア/ドイツ)
・Triumph(トライアンフ/イギリス)

それぞれの独軍採用機種をまとめて
みた。

<BMW>
バイエルン発動機製造株式会社。
1916年創業。

<独軍採用機種(製造年間/排気量)>
・R4(1932-37/398cc)
・R12(1935-42/745cc)
・R35(1937-40/340cc)
・R75(1938-76/745cc)

R4(1932-37/398cc)






R12(1935-42/745cc)


R35(1937-40/340cc)


R75(1938-44/745cc)






<DKW>
1906年創業。
社名 dampf kraft wagen(蒸気自動
車)は1914年から。

1918年に2ストローク25ccエンジン
搭載の二輪車を製造し、以降2スト
二輪主軸メーカーとして1920年代
以降活躍。後年日本のヤマハが
DKWから影響を受けて2スト二輪
を製造。
DKWはレース車両でヨーロッパ
選手権を席捲していた。1930年代
の大戦前には欧州選手権でDKWは
4回優勝している。
1938年のTTレースでは、ユーワル
ド・クルーゲがDKW250ccマシンで
時速183.2kmという記録的な世界
最高速度を達成した。
ユーワルド・

クルーゲは、1938年と1939年に
欧州選手権でチャンピオンとなった
DKW専属ライダーだった。
戦前の世界最大の二輪車メーカー。
オートバイの歴史はDKWなくして
は語れない。すべてのロードレース
不動の王者だった。
DKW社はのちのアウディの母体と
なった。

DKW1939年SS250GPロードレーサー。
最高速度183.2km/h。当時、クラス
世界最強最速。







<独軍採用機種(製造年間/排気量)>
・RT125(1939-45/123cc)
・NZ350(1937-43/346cc)
・NZ250(1938-40/245cc)


RT125(1939-45/123cc)
世界史的に特筆的なモデル。歴史上

世界一世界中でコピーされた機種と
いわれている。
ドイツ国防軍は、同社の小型モデル
であるDKW RT125を使用することに
難色を示したが、その軽快性から
偵察部隊に採用された。重量はわず
か90kg。
1939年に生産が開始された
DKW RT125は、
初期の自動二輪の
世界的ベースとして使用され、日本
のヤマハYA-1にもその構造がコピー
された。
第二次世界大戦でのドイツの敗北後、

装備と設計は戦争賠償としてソ連が
獲得し、DKWスタッフの主要メンバー
と共にコブロフに運ばれ、そこで
DKWは1946年にコメットK125として
再登場した。また、ドイツにおいては
東ドイツで新しく設立されたMZに
よってRTのバージョンが継続製造され
た。さらには、DKWの設計は、RTが
ハーレ​​ーハマーとして登場した米国や
英国のBSAがRTに基づいてマシンを
製造したりした。それはバンタムと
呼称され、莫大な売り上げを記録した。
第二次大戦中のドイツが生んだDKW社
RT125は人類史の中でモーターサイクル
の発達に極めて重要な歴史的役割を果
たした。

仕様
ブランド:DKW
モデル:RT 125
エンジンタイプ:単気筒2ストローク
エンジン容量:123 cc
出力:6.6 PS
ギアボックス:3速
最高速度:90 km / h

世界各国の二輪に最も影響を与えた
歴史上の名車。







同一人物。つま先乗りをしている。
DKWはレーシングマシンで西欧
選手権を席捲していた世界トップ
のメーカーだったが、この兵士も
レース経験者かも知れない。


NZ350(1937-43/343cc)
NZ350は、最大限のパワーとスピード
を要求するモーターサイクリストを
対象として開発された。
悪路でも高速
走行を可能にするサスペンションに
よりそれまで不可能だとされた平均
速度で高速移動することが可能となり、
独軍も採用した。
当時4ストエンジンでは高回転高出力
が得られず、トラブルも多かったが、
2ストはハイパワーで故障も少なく、
起動戦を望む軍用車としては2ストの
安定度は圧倒的な信頼性をもたらし
た。
500ccまでの同排気量であるならば
21世紀の現代にあっても4ストより
も2ストのほうが構造的にパワーが
出て故障も少ない。これは内燃機関
の機構が異なるので仕方ない現実だ。






NZ250(1938-41/245cc)
NZ 250は、とりわけ、250 cc以下の

国際分類のスポーツイベントに参加
するレーシングライダーのために
作られた2ストマシン。このモデル
をドイツ軍偵察部隊は積極的に採用
した。





排気口を絞っているのは、2ストの
チャンバーの圧縮効果を狙ったもの。

<NSU>
1873年創立。1969年に総合企業体と

して再編が進み、1985年にアウディ
となり、同年NSUの名称が消滅。
NSU(エヌエスヌー)という名称は
1892年から使用されたが、これは
拠点のあった都市Neckarsulm(ネッカー
ズルム)の略語である。市内を流れる
ネッカー川とズルム川が合わさった
のが都市名の由来。
1873年から1918年までは編み機を
製造しており、二輪の製造は1901年
から開始。
第二次大戦中にはドイツ軍の機動車
として有名なケッテンクラートHK101
のハーフトラックを製造した。

<独軍採用機種(製造年間/排気量)>
・601 OSL(1937-1939/562cc)

601 OSL(1937-1939/562cc)



<Zündapp>
ツュンダップ。1917年創業。信管製造

メーカーだったが1921年から二輪の
製造を開始した。
1940年代にはドイツ軍にKS750サイド
カー(1939~)を大量に納品し、その
累計台数は18,695台に及んだ。
それらは対ソ東部戦線(1941-45)と
対英米北アフリカ戦線(1940-1943)
で多用された。

<独軍採用機種(製造年間/排気量)>
・K500(1933-/498cc)
・KS600(1937-41/597cc)
・KS750(1941-1944/751cc)
・KS800(1933-38/791cc)

K500(1933-/498cc)




KS600W(1937-41/597cc)






KS750(1937-1941/751cc)
最高速度95km/h。18,000台以上が

ドイツ国防軍に運用された。




K800(1933-38/791cc)




<VICTRIA>
1901年創業、1966年統合により消滅。
二輪は1902年から製造。

<独軍採用機種(製造年間/排気量)>
・KR35WH(1938-44/344cc)

KR35WH(1938-44/344cc)


<TRIUMPH(イギリス)>
創業1885年。現存する世界最古の

二輪メーカー。
1907年から開始されたマン島TT
レースで開始当初から活躍。
分社化や再編統合を繰り返しながら
も現在も会社は存続している。
1939年に発表したスピードツイン
の高性能版タイガー100は34.5PS、
最高速度160km/hをマークして
爆発的に売れ、トライアンフの
財政危機を黒字に好転させた。
これにより、当時珍しかった並列
2気筒が同社の成功として定着した。

<独軍採用機種(製造年間/排気量)>
・BD250(1939-43/248cc)

BD250(1939-43/248cc)
エンジン:12.16PS / 3800rpm
気筒数:単気筒

形式:ダブルピストン、2ストローク
ボア/ストローク:2 x 45/78 mm
圧縮比:5.5:1
車重:140kg
最大速度:105 km / h 
タイヤ:3.50-19または3..00-19インチ 
燃料タンク容量:11.3 ℓ
燃費:38km/ℓ






以上、ざっとまとめた。

ちなみに映画『大脱走』(1963)で
スティーブ・マックイーンが演じる
ヒルツ大尉がドイツ軍から奪って脱走
を試みるモーターサイクルはトライ
アンフのTR6(1956-)をWWⅡ当時の
ドイツ軍用車風に仕立てた物だ。
オンロードモデルは63年からの構成
で、それまではスクランブラーが主
となっていた。650ccでパワフル。


なお、映画『大脱走』(1963)では、
ヒルツ大尉と英軍中尉のアイブスの
会話で面白い事がある。
来歴を訊かれたアメリカンのヒルツが
「ちょいとbikeに乗っていた」と米語
で言う
と、英国人のアイブスがきちん
とした
英国語で「Bicycles?」と問う。
するとヒルツは米語のくだけたバイク
という表現ではなく「Motorcycles
(自動二輪)だ」とフッと笑いながら
英国英語を使って答えた。

つまり、映画製作公開の1963年時点
で、バイクという
言葉は米語のスラ
ング的な単語では
存在したが、英国
英語圏人には通じ
なかったことを
表している。
アイブスは英軍将校としてはかなり

度外れてお行儀が悪いのだが、それ
の上を行く米兵らしさとしてマック
イーンが演じるヒルツ大尉のいか
にも陽気で破天荒なアメリカンとの
差異として描かれている。
ヒルツは軍務に就く前は大学生で
化学工学を学んでいた。だが徴兵で
日本でいうところの学徒出陣だ。
大学生時代は学費を稼ぐために、
時折フラットトラックのレースに
出て稼いでいたとアイブスに言う。
アイブスは自分もレースは経験が
あると言う。スコットランドの競馬
でジョッキーをやっていた、と。
アイブスは身長が160センチと低い
のだが、このやりとりでレースを
経験しているという事と、身長が
低いと脱走のトンネル掘りに優位
だと気づいた米国人の
ヒルツ大尉
と英国人のアイブス中尉
は意気投合
する。

収容所でドイツ軍看守たちに盾つく
あぶれ者同士、そして、「乗り屋」
同士の意気投合だ。
本作品で極めて、とてつもなく重要
なシーンとして
描かれている。
単なるナチスドイツの収容所からの

脱走としてのグレートエスケープ
ではなく、「自由への脱出」として
の本作のコア部分の布石がこの独房
での米兵と英兵の会話にある。
何を連帯して、何を共同して、何を
ベースに人々の心を繋ぐのか。
それは乗馬と二輪のライドに一つの
人間的な解放を見る、この作品の
根源的なテーマが存在している。
それこそは、肉体的な長短の質性

や国境や表層を超えるものこそが、
人類の希望へと繋がるのだ、という
1963年時点でのこの映画作品の根幹
がある。
見紛う事なき、本作『大脱走』は
歴史的名作なのだ。
そこをこを観ないと、この映画作品
の本質的テーマが見えてこない。
英軍も米軍もナチスドイツ軍も
二輪を使っている。
人として同じだ。
だが、戦争になって、殺し合いを
したという事実がある。
それはなぜなのか。どうしてそう
なることを止められなかったのか。
この映画のテーマはそこにこそ
中心幹がある。
本作品の主人公的な存在として
描かれているのはスティーブ・
マックイーンが演じる米兵ヒルツ
だ。
それがオートバイで空(くう)を
飛び、自由への脱出を図る。
ここにこそ、この名作『大脱走』
という映画のコアがある。
このヒルツとアイブスの独房の壁
越しの会話のシーンの比較文化の
描写のやりとりは、1963
年当時の
世相を反映させたものか戦中の再現
なのかは
不明。
たぶん前者だろう。
ただ、このシーンの主目的は、米兵

と英兵の文化的持ち味の違いを表現
するシーンとして組み立てられてい
る。

同じ「英語」でも、英国語と米国語
と豪州語は異なる。また、文化も
人間的なお国柄と人柄も異なる。
言葉変われば人変わる、という人間
間の法則を表現しているシーンだっ
た。

同様の似たシーンで、ドイツ兵が
「米兵か。珍しい。なんでお前たち
はお前らの議事堂を燃やした敵で
あるイギリスと手を組むんだ?」と
米兵に問うシーンがある。
映画『大脱走』は、戦争映画だ。

ある巨匠の映画監督は言った。
「戦争の悲惨さを描かない戦争映画
などは最低だ」と。
戦争映画とは、基本的に反戦映画

であるのだ。戦争推進情宣映画など
は、どこの国が作ろうとも、それは
戦争映画作品とは呼べない。洗脳
の手段に映像作品を利用している

忌むべき汚れたものだ。芸術では
ない。
映画という映像作品が「文化芸術」
つまり文芸であるならば、多くの

人々の幸せを願うところに向かわ
ない映像や視覚効果を狙う作品は、
悪行となる。コラージュなどが典型
で、心醜い悪意しか存在しない。
地獄への直行便の片道切符を買った

連中がそうした物を作って嬉々とす
る。愚物だ。

映画『大脱走』は言語と字幕で観る
ことをおすすめする。
字幕はかなり簡素化というか、でた
めである事は、中学校を卒業して
英語を履修してきた日本人には理解
でき
る。あ、違う事言ってる、と。
フラットトラックを単なる「バイク
レース」と字幕で表現したりする
ように、全く違う単語を文字で表現
している事や、言葉の違いが観れば
感知出来るからだ。
字幕スーパーを妄信してはいけない。
出鱈目や意図的な方向に導く作為が
存するからだ。戸田奈津子の「悪意
なき悪意」の
翻訳のように。
文化の違いがもたらす軋轢。
これは「言葉」を知悉する事によって
ある程度は回避できる。
だからこそ、異文化の最たる外国
言語や国内に存在する方言には精通
して、「目の前の人が言いたい事
はなんであるのか、という事を理解
しようとする自己行為に腐心しない
と、人と人は民族や国境や、ある
いは自国内の地方ごとの差異を
凌駕して本当の結節点を見出す
事は不可能だ。
だからこそ、「言葉」の理解は絶対
的なポジションで重要なのだ。
人が人と本当のところで交流を
して同一的な深部での理解を求め
ようとするならば。
狭い自国内の方言や自国の言語だけ
を絶対唯一とする思想は、それは
人類悪だとも断言できる。

トライアンフ自体はドイツ軍も使って
いたのだが、この並列2気筒のタイガー
エンジンの機種が採用されたかどうか
は不明。資料に無いから、採用はBD
250のみかも知れない。
ただし、独軍も250ではあるが、トラ
イアンフを採用していたのは事実だ。
軍用車の二輪は基本的に後年でいう
ところのスクランブラーになる。
舗装路を走るのではないから。
オフロード特化専用二輪車が登場する
のは、戦後かなり過ぎてからの事だ。