渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

漫画『パイナップルアーミー』(1985)

2021年11月26日 | open

友人が『パイナップルアーミー』
(1985-1988/浦沢直樹)を読んで
いるという。

何という偶然。
私も丁度読んでいた。



手紙

2021年11月26日 | open



シンガーソングライターの伊勢
正三さんがかぐや姫時代に
作った
「置手紙」という曲は
とても良い
曲だが、今回はその
曲ではなく
置手紙の文字の話。

これは映画『地獄への道』(1939)
で、ジェシー・ジェームズの妻が
彼に宛てた置手紙だ。
内容はかなりシリアスだが、文字が

とても読みやすい手書きの筆記体だ。

2.95kg。小柄な赤ちゃん。


ブラック・キャッツ

2021年11月26日 | open







小説『ビリヤード・ハナブサへ ようこそ』

2021年11月26日 | open


撞球師は殆ど字を読まない人たち
ばかりなのだが、たまにはこうい
う玉屋を舞台にした推理小説もい
いのではなかろうか。
 「バンキング」
 「スクラッチ」
 「テケテケ」
 「マスワリ」
の4話構成のオムニバス。

バンキングとは、試合の先攻後攻を
決めるワンショットの事で、対戦者
同士が並んで玉を撞き、向こうの短
クッションにはね返って戻った玉が
手前のクッションに近いほうが勝ち。
上級者はほぼクッションに密着する
程までの加減で行って返って来させ
る。

スクラッチとは、ポケットビリヤード
=アメリカンプールやブリティッシュ
スヌーカーなどの玉を落とす競技で、
手玉を落としてしまうファールの事。

テケテケとは、取り方の一つで、手玉
あるいは的球を先玉とクッションに
交互にジグザグに連続して当てて狙い
玉をポケットさせたり、穴無し台の
キャロムビリヤードでは手玉を的球に
当てて得点する技法。

マスワリとは、ポケットビリヤード
で1キューのノーミスでラックを撞
き切って全部の玉を落としてしまう
事。
例えばナインボールならば、ラック
=枡を壊すブレイクに始まり、連続
ノーミスポケットインで最後の9番
あるいは10番まですべて落とす完全
試合の事をいう。
バンキングで負けてからラストセッ
トまで全てマスワリされて一度もプ
レーできずに負ける事もプロ級の試
合では時々ある。
そのため、近年では交代ブレイク制
が導入されているケースもある。

ちなみに私はトーナメント試合では
3連続マスワリまでしか出した事が
ない。
4発目の7番を穴前カタカタでとばし
た。
ボウラードは300満点は一度も出し
た事がない。最高点は265点だが、
下は210下る事もない。

ポケットビリヤードのプレーの究極
は枡割り(マスワリ)であり、英語で
はブレイクアンドランナウトという。
野球ならばノーヒットノーラン無四
球のパーフェクトゲームにあたる。
ビリヤードでは、バンキング以外で
一度も敵にキューを握らせない戦い
が最高至高の究極で、全員がそれを
目指す。
11ゲーム先取りならば11ゲーム全て
敵に一度もキューを持たせない。
しかし、前述のように、最近では
交代ブレイク制で交互にプレーでき
るようになっている。
バレーボールや卓球の交代サーブ制
のようなものだろう。
だが、私は個人的にはこれは興業的
な観戦向けのルールのように思える。
強い者は徹底的に強いのがスポーツ
の核心なのではなかろうか。
例えばビリヤードならば、全ゲーム
マスワリされたら、バンキングで負
けた自分が対戦相手に及ばなかった
だけだ。
スポーツとは、そうした厳しいもの
だと私は思う。
ゆえに、私はハンデ制のあるスポーツ
は好きではない。
ビリヤードの個別試合では、プロと
の対戦でもハンデを求めた事はない。
大相撲で、横綱相手だからと大関が
ンデをくれなどという話はない。
土俵に上がる者は皆条件はイーブン
だ。
そこでの決着で、実力や運の差が出
るのが勝負というものだと思う。
戦争ではない、勝負事とはそれだと
思う。
飛車角金銀落ちで藤井名人に将棋で
勝っても、それは勝ったことにはな
らないでしょうに、という事。
撞球では、私はプロには3名にしか
勝てていない。
所詮私はアマチュアのちょい撞け
ますねの範囲を超えていない。

広島県には歴史上一番強いアマチュ
がいる。
彼と対戦して負けたプロが雑誌に
語るに「あんなのが出て来ると困
る」と。
プロかプロでないかは資格試験の
合格の可否ではない。全く分かっ
てないと記事を読んで感じた。
その日本一強いアマの彼は、父君
含めて個人的にもよく知っているが、
プロ試験などやれば満点で即合格だ。
そして、いうアマは国内に掃い
て捨てる大勢いる。
ただ、実力があるかないか、勝負
勝てるかどうかが、勝負において
対決の核心ではある。
しかし、プロの試合はそれだけでは
ない。
そのキモを見失っては、プロのプロ
たる意味がない。
プロは観客を沸かせる。
観戦していて客席がどよめき、人を
してワクワクせしめる大胆かつ繊細
な職人技を見せるのがプロだ。
そして、勝負には勝つ。
ただ勝つだけならばアマでもできる
事もある。
プロは、どんな相手が登場しようが、
観客を魅了するプレーで、そして
勝つ。それがプロだ。
プロの審査試験に合格する事など
は、玉撞きのみが上手ければ誰でも
合格する。
だが、それのみではプロになって
からの意味が無いのだ。
うっわ!というような背筋が凍る
ようなプレーをやってこそプロ。
野球の大リーガーなどは全員がプロ
中のプロといえる。



中国の手法

2021年11月26日 | open






インスパイア受けて、そこに学んで
それよりさらに良い物を作る、とか
いう発想って中国には全然無いのね。
そのくせ、何でも韓国起源説は非難
している。
このベスパ丸写しは、さすがにひど
い。画像を見る限り、ベスパにしか
見えない。

まあ、日本人でも、剽窃や捏造して
いる連中多いからね。
で、万国共通の特徴。
指摘されたり本家本元から抗議され
ると逆ギレする。
盗人猛々しいのは世界共通みたい。

参考にして、新たにアレンジして
新規に良い物を考案するのは良い
でしょうよ。
でも、丸ごとパクリで元々うちの物
だとか嘘つくのはよくないなあ。
中国なんて極めつけは、AK47自動
小銃をライセンス生産してたところ、
ソ連がライセンス料払ってねと申し
入れたら、これは56式でありAK47
ではない、とか言い張って国家的に
ばっくれたとこ。
国家ぐるみでパクリ推進なんだから、
その人間性はどういう頭の構造なの
かと思うよ。
でも、日本人でもそういうのかなり
多い。韓国も。
アジア人の性質なのかしらね。
盗み根性は。
中国は銀輪乙号とかいうのでも作って
オリジナリティ出せばいいのに。



クルマと銃

2021年11月26日 | open


人口動力による人類初の乗り物は
自動車だ。
蒸気自動車は1769年に作られた。
蒸気船は1788年、蒸気機関車は
1804年だ。
最初は車。

車のベースとなった馬車は紀元前
2800年代のメソポタミア遺跡から
二輪戦車(馬車)の模型が発掘され
ている。
車の歴史は古い。
日本では古代貴族の乗り物として
牛車(ぎっしゃ)があったが、乗り物
としての馬車は存在せず、馬曳きは
荷駄があるのみだった。
しかし、1869年に欧米の影響で東
京-横浜間に運行馬車が開通した。
1882年には鉄道馬車が開通したが、
やがて蒸気機関車に押されて消滅し
た。

日本の鉄道馬車


馬車は乗用馬車以外にも様々な呼称
がある。乗合馬車、駅馬車、辻馬車、
荷馬車等々。
英語でも個別に呼称がある。
全般的に馬車はキャリッジと呼ぶ
が、荷馬車はワゴンで西部開拓時代
のアメリカの駅馬車はコーチだ。

駅馬車


幌馬車は英語ではカバード・ワゴンと
呼ぶ。


ただ、西部開拓で大移動に使われた
タイプはコネストーガ・ワゴンと
呼ばれた8トン積みの大型車輪を
持つ頑丈な物だった。
これで荒野を行く時、断崖などで
は木製クレーンを作って馬車ごと
崖下に下ろした。アメリカの開拓者
たちは逞しい。


一方、駅馬車=コーチはアメリカ
では重要な輸送手段となった。
何百マイルも離れ離れの町と町を
繋ぐ大切な運輸手段であった。
よく襲撃されたので、御者はコーチ
ガンと呼ばれた銃身の短い水平二連
式の散弾銃を装備していた。殺傷力
は極めて高い。時にスラグ弾=一粒
弾も装填し、ライフルと称したりも
していた。人体に使用したら、砲弾
直撃のようになり、胴体は半分吹っ
飛ぶ。即死確実。通常は熊撃ち用だ。


西部劇ではこのコーチガンが登場す
ると、見た人は必ず恐怖している。
圧倒的殺傷力は、その後に出たラン
チャーのような物だったからだろう。


襲撃撃退用で駅馬車には常備。



実銃は日本国内でも合法的に買える。


美しい。芸術品のようだ。

実用性は現代上下二連や半自動銃と
は比べ物にならないが、何ともいえ
ない味がある。ロマン銃ですね。
但し、超高額。一般散弾銃の中古は
5万円程だが、水平二連は驚く程高
い。


日本でも、明治時代の郵便配達夫は
公務で拳銃を携帯していた。
現金書留等の現金輸送をするからだ。
郵便屋さんがガンマン。
なんだそりゃとは思うだろうが、そ
もそも誰でも人が銃を腰にしていな
い、というか所持してはいけないと
いう世の中のほうがおかしいと個人
的には思う。
なぜならば、日本もアメリカ合衆国
と同じように以前は誰でも拳銃を
所持できたからだ。
今異様な禁止社会である日本での
理由は一つ。敗戦国だからだ。
敗戦までは町の鉄砲屋で誰でも日本
人は拳銃が買えた。
ブローニングなどは将校だけでなく
民間人にも人気だったようだ。
私の伯父も将校自弁の装備ではブロ
ーニングM1910を武装解除まで中支
では装備していたらしい。
峰不二子の銃。戦後も1980年代まで
日本の私服警官等が使用していた。

アメリカ製の二輪ウエアのベストを
輸入した友人が作りを指摘した。
背中にサイドバックホルスター部が
設けられている。
アメリカでは定番らしい。
アウトロー的なバイク乗りたちは皆
ピストルを携帯しているようだ。
さすがにそれはどうかとは思うが、
日本でもここ10年ほどで、かつて
携帯していなかった白バイ隊員
けん銃を携帯するようになった。
しかし多分、自衛隊の小銃射撃の
ように、走行中の発砲訓練などは
していない事だろう。

ホルスターが大きい。
旧式のニューナンブ3インチ銃身
かも知れない。

こちらは新式のサクラだろう。
アルミ製のトイガンより軽いオモチャ
のような銃。ペラペラの薄い実用性
ゼロの刀を差して登城していた江戸
期の役人侍の脇差のような物。
銃撃戦などはできない。本式訓練を
積んだ戦闘部隊が来たら瞬殺される。
これは、市民への威嚇用の武器だろ
う。


射撃訓練をする女性警察官。
警察広報から。


圧倒的に射撃回数が少ない日本の
警官は、銃に関しては知識も実技
もド素人だ。実弾訓練射撃弾数が
年間20発以内。てんでオハナシに
ならない。
本来ならば、コーチガンの発想が
必要だが、実はそれは世に知られ
ぬ部隊は1970年代からその用兵
思想を警察官にあっても実行して
いた。警察官が殺人も行なってい
る。すべて、「事故」として処理
されて来ている。
そりゃね、至近距離から頭部狙っ
38ミリ(米軍は40ミリ、日本の
警察は38ミリ)ランチャーを水平
直撃させたら誰でも死にますがな。
そういう事、日本警察はやって来た。
これ事実。
「悪い事やってるからそうされる」
とか思うとしたら、相当おめでたい。
人間の古今東西の歴史の中での権力
の実力行使の現実、真実が見えて
いない。
何も悪い事してないのに、いきなり
武装警官隊が市民に襲いかかって
市民に負傷者多数てなことは都会
ではしょっちゅうったのよ。
田舎で平和ボケしちゃだめよ。
「任意か強制か」なんて無いのよ。
実際の現場では。
内実はすべて強制。
権力の暴力装置の暴力行使とはそれ。
そしてそれは「合法」とされる。
違法でも合法。
アホウでもウホーみたいなもん。

中二病の日本人青年〜中年層

2021年11月26日 | open

知己たる医師から教えてもらった
サイト。

"日本における「中二病」の研究。
「中二病」だった人は、「学力テス
トは自分の真の価値を反映してい
ない」「この世界は居心地が悪い」
「空想の友人や恋人がいる」と回答
した人が多かった。
これらのうち2項目以上該当すれば、
「中二病」を感度59.8%、特異度
76.3%で診断"

海外で科学的な研究対象ともなる
日本のネラー層たちの妄想族ゆとり
世代。脳内妄想をすべて現実と認
知する特異な脳の働きをみせる。
現実の真実の識別も区別も認知も
できない特徴を明確に示す。
脳内に発生した夢想がすべて現実
であり真実だと盲信する。
健常な人間の脳機能とは顕著な
差異を見せる。
日本の中二病が完全に海外研究で
検体とされているが、それだけ
人類史的に特異で異質な存在なの
だろう。
人間の知性は進化論には合致せず、
ある特定状況で著しく退化するの
ではなかろうか。
それが、今の日本人の30代世代に
特異的に現出しているのでは。


映画『地獄への道』(1939)

2021年11月26日 | open


『地獄への道』(1939年)

カラー作品。
実在したアウトロー、ジェシー・
ジェームズと兄のフランク・ジェー
ムズを描いた西部劇。
西部開拓時代、何が無法の暴力か
というと、北部資本による強引な
鉄道敷設と地上げだった。
ただ同然で開拓農民から土地を奪
い、弁護士に交渉を依頼しようと
する農民たちには容赦ない暴力を
資本家と権力者は行使した。
そうした暴虐に抵抗したジェシー
兄弟は義賊となり、鉄道会社と権力
と闘う。お尋ね者となってまでも。

1939年の映画だ。
今から83年前製作のカラー作品。
だが、今観ても、非常に完成度も
高く、楽しめる。
そして、テーマには人間世界の歪み
と人々の希望が描かれている。
日本での公開は戦後の1951年だっ
た。

これが映画だ。これぞ映画だ。
1939年の時点で、このような深い
テーマの映画作品をカラーフィルム
でハリウッドは撮影していた。
日本が戦争を仕掛けて勝てる道理が
無い。
ジェームズ兄弟はアメリカではアウ
トローであるのにヒーローだった。
日本では、「官軍(捏造のニセモノ)」
に逆らう者たちは国賊であり、それ
は敗戦まで続いた。
この1939年あたりでは、かつての
新選組や幕府側や東国の諸士は無
者の朝敵であり国賊扱いだった。
日本の程度はそんなものだ。
実は、アメリカ以上にジャイアン
体質であり、権力に逆らう者は犯
罪者の烙印を押して敵視させる洗
脳を国民に強いていた。
間抜けな国民は、それを信じて、
天朝様が治めるわれらが神州と思
い込んでいた。
だが、アメリカでは、自ら立ち上が
り、命をかけて抵抗したジェームズ
兄弟は民衆のヒーローだ。
この違い。
この人間としての精神性の違い。
日本が戦争でアメリカに勝てる事は
金輪際存在しない。
せいぜい、日本は手前味噌の自己
美化を今後も繰り返すだけだ。
自分の意思で決起をした歴史のな
民しかいない国などはその程度
ものだ。
自分と自分たちの力で未来を切り
開いて国を作ろうとはしない。
西欧人は死を恐れず、自ら起ち上が
って国を作った。既存の権力を打破
して。その歴史を持っているし、
その行動と自分たちの建国の歴史に
誇りを持っている。
日本はどうだ。
せいぜい、いじめに明け暮れてるの
が関の山の民たちの国。
何もかもが小さくセコ過ぎる。

幕末の内戦を「東西戦争」の内戦と
きちんと公正妥当に見定め、東も西
も同位として正しく位置付け、「明
治維新」という偏向表現を改める
視点が国定教科書にも記されて、
国民にその意識が広がる日が来ない
限り、日本のまともな国としての未
来はない。
「勝てば官軍」。
このウルトラジャイアン精神を否定
する視座を全国民が獲得しない限り、
真の民衆の国作りはこの日本には
到来しない。