Yojimbo and Fistful of Dollars
ここまで作品をまるパクリだと、
そりゃ黒澤側も怒るよね(笑)
なんの前打診も了解も得て
ないのだから。
きょうの北海道のドラゴン。
に迷彩捨て牌やられると分
からないので降りるしかない。
ペンチャンぼっこしのほうが
多いか。
あえてツーハイ待ちでザンク
あたりで上がり流し狙いも
あったりするが、そういうの
は誰もが虎視眈々と狙ったり
するので、場の読みと流れの
判別と自分以外の三名の持ち
点把握は常に大切。
一の勝負事かと。
風のアルバムの収録曲。
への電話か何かでの言葉を歌っ
た日々の日常性をうたう曲だ。
かの定食?」と言ったので、
中3の時、サテンでコーヒー
噴き出した。
「たばこが切れたくらいで怒鳴ら
れたらたまったもんじゃない」
とかその子が言うので私も言った。
「だから、それくらいの事で怒
鳴ったりして悪かったと言って
んじゃん」と。
でもなんだかプリプリして「貴方
もそうなの?」と詰め寄るので、
続けた。
「まあ、そう怒りなさんなよ。
俺ぁ君と結婚している訳でも、
この先同棲するわけでもないし。
どうなっかは正やんもうたって
るじゃん。
『明日は 明日の風に吹かれて』
とさ」と。
その子とは大学1年の時にばっ
たりと街中で会った。こちらは
モーデの帰りで大学の先輩と一緒
だったがカクメイ的警戒心を解い
て三人でサテンに行った。中3の
時以来で4年ぶりだった。
会うと随分と大人になっていた(笑)。
OLスーツなんて着ちゃってさ。
「相変わらずそのたばこなんだ」
と私のショッポを見て言っていた。
「切らしても俺は怒鳴らないけど
な。今も昔も。これからも」と言っ
たら一瞬俺の眼を見て、そして
ケラケラと笑いだした。
覚えていたようだ。
バスケ部の子だった。
私もその子がよく笑う子だったの
を思い出した。
中3当時「なんだよ、このヌルい
歌詞わぁ」とか思っていた。
歌:風
作詞:伊勢正三
作曲:伊勢正三
毎日がおもしろい程過ぎてゆく
君と暮らす毎日も 平和すぎる程
「今日は早く帰るつもりだったけど
田舎のやつにさそわれてね
ほら あいつには引越しのとき
世話になったろう
だからさ あと半チャンつまんで
すぐ帰るから
お土産はショートケーキかい
それとも にぎりかい」
この街はもうすっかり住み慣れた
あい変らず遅いのは 駅前の工事中
角の酒屋のオヤジともすっかり
顔なじみになってしまって
「オールドにしてよ」なんて言うと
「おや景気いいね」と
「給料日前だから
あんまり無理しないで」
なんて言われて
「それじゃやっぱりホワイトでいいよ」と
今日が終れば 明日までの人生さ
明日は 明日の風に吹かれて
「夕べはタバコが切れたくらいの事で
どなったりして悪かったね
ただ毎日がなんとなく
平和すぎるから
明日も又晴れるといいね・・・」
何かいいことありそうな
明日になりそう
枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)
宮本武蔵/重要文化財
これが本物の枯木鳴鵙図だ。
重要文化財、国の御宝ですね。
江戸初期の剣豪宮本武蔵の筆。
宮本武蔵は1584年播磨国生まれ、
1643年肥後国にて死亡。
モズは百舌鳥とも書く日本の鳥。
動物食であり獲物を捕獲する。
捕獲した獲物は木の枝に刺して
おいたりもする。それを「はや
にえ」と呼ぶ。
捕獲は昆虫のみならず、鳥類や
爬虫類、哺乳類にまで及ぶ。
まだ生きたまま串刺しにされた
蜂や昆虫やトカゲや小型鳥類、
哺乳類などが動いている姿が
まれに観察される。
まさに、プレデター。それがモズ。
スズメ目だが猛禽類のように
戦闘的な捕食生物がモズである。
老境の武蔵は、枯れ木にとまる
鵙を観て、在りし日の自分と重ね
たか。
関西学院大学研究室による説明
は以下。
「その画技は減筆体を特徴とし、
同様の作風を示す海北派や長谷川
派との関連も考えられるが、特定
の師や作画時期については詳らか
ではない。
身動ぎもせずに鋭く目を据える鵙
と枝をゆっくり這い上る虫。すく
として残る枯れ枝と微風に揺らぐ
低木。
それぞれは静と動の対比において
捉えられるが、次の瞬間に虫を
待ち受ける運命を予測するとき、
均衡が破られる前の張り詰めた
空気さえ感じさせる。
形態把握の的確さや描写の迫真性
からは、天賦の才ばかりか修練に
よって培われたするどい観察力、
洞察力に基づいたゆたかな筆力
を想起させずにはおかない。
自らの兵法の要諦を説いた『五輪
書(ごりんのしょ)』のなかで、
書画などの諸芸にかかわること
も兵法を鍛練する手段であると
述べており、その作画に武を極
めようとする真摯な気魄が反映
されているとみられる点で、
画業をもっぱらとする画人とは
性格を異にする。」
観察力、洞察力を養うには識別力
の錬磨育成これ大事なり。
事物事象を観察できても、それが
何であり、どうなっているのか、
どういう事であるのかを知力に
よって認識、識別できないと洞察
などには到底至らない。
要するに武芸とは、人知の知力の
勝負であるのだ。
まことの武人に愚者なし。
これは必定の理(ことわり)である。
地球時間1997年8月24日の火星の
日の入り。
されていたが、今も水が流れている
事をNASAが確認した模様。
だが、世の中当たり前の事が
当たり前ではない世の中にな
ってしまった。
非常識が常識であるかのよう
に罷り通っている。
刀については、「帯刀本分者」
が明治以降消滅したので致し
方ない。剣取る者の心掛け
次第となっている。かつては
心掛け以前に「常識」として
階級的属性としての必修事項
だった。
武具自弁、己の武具は己で
手入れをする、というのが
武士階級だったからだ。
長期保管や完全メンテの時
のみ研ぎ師や拵職人に依頼
をした。
ゆえに、刀術者が己自身で
己の差料を整備するという
気風は消滅したのが現代だ。
それは原因は一つ。武士と
いうものが血脈は存在すれ
ども、制度としてはいなく
なったから。
これは撞球界でもそうで、
プレーヤーが自分のキューの
タップを自分で交換するのは
当たり前の事であるのに、
あろうことかプロを称する
トーナメント選手でさえも、
まともにタップ交換ひとつ
できない世の中になってし
まった。アマでも国内タイトル
戦に参加していながら全く
タップ交換もできなければ、
自分の持ち店のチョークさえ
一切手入れしない、できない
者もいる。
そのうち、靴紐も人に結んで
貰うのが「常識」となる非常
識な時代が来るかも知れない。
日本、大丈夫なのだろうか。
毎年年末には仕事納めの後に
料亭に通っていた。
和食を楽しむためだ。
ここ数年行っていない。
コロナが蔓延してからは猶更だ。
本物の板前さんの料理は本当に
おいしい。(腕にもよる)
料亭は食事だけでなく、その部屋
の佇まいもとても楽しめる。
特に料亭旅館の和室。これがいい。
幕末の志士が参集して密会して
いるような部屋ね。新選組の襲撃
に警戒しながら。
茶室などは日本固有のもの。
尤も、畳自体が日本の物だが。
畳は藁を編んだ物。畳表は藁
ではなくイグサを織ったマット
だ。畳表と藁を混同しているの
は日本人とはいえない。特に
日本の伝統文化体現者はその
錯誤と齟齬と誤謬を自覚すべし。
武士もどきはともかく、日本人
もどきは宜しくない。
こういう部屋はなんとも落ち着く。
私が通っていた師匠の道場には
武者溜まりがあったが、こうし
た雰囲気の和室だった。
やはり和室はいい。
ここなどはうちみたいだ。似てる。
欄間透かし彫りがあれば造作が
そっくり。
この料亭のこの部屋は我が家の
仏間とまったく同じ。100%同じ
造り(笑)。
写真だけパッと見たら、これは
我が家かと勘違いする。
うちはランプや一輪挿しではなく
日本刀があるのだが、本当に造作
は同じ作り。
和室床の間の定番なのだろうか。
システムルームってやつ?(笑)
この料亭には枯木鳴鵙図(こぼく
めいげきず)の掛軸まであるし(笑)。
これは我が家の枯木鳴鵙図。
プリント複製物だが、宮本武蔵
の筆致、ただものではない。
ただの剣術遣いがこんなの描け
ないですよ。
やはり和室がスッと来る。
「大黒屋。お主もワルよのう」
「いえいえ。お奉行様こそ」
などという密談の時だけでなく、
日本人には和室が違和感ない。
といっても、明治以前は長崎の
洋館を除いて、日本全国全部
和式なんですけどね(笑)
打痕のクリア埋め。
気泡噛んじゃった。
夏この頃 かぐや姫
作詞: 伊勢正三
作曲: 山田つぐと
編曲: 瀬尾一三
1974 シングルレコード「妹」B面曲
私が中2の5月に発売されたシングル
のB面。
この当時のレコードはB面に結構
名曲があったりした。
ダウンタウンブギウギバンドの
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコ
スカ」などは「カッコマンブギ」
のB面だったのに、そちらのほう
が大ヒットしたりした。
このかぐや姫の「夏この頃」は
いかにもかぐや姫らしい曲だ。
とりとめのない日常をうたう。
作詞は中原中也の影響を強く
受けた伊勢正三さん。
フライフィッシャーだ。90年代
末期には伊勢さんはフライをやり
まくっていた。
伊勢さんの出身地大分の地元
フライマンで「正三の兄弟」と
も呼ばれていた人から連絡を
貰った事がある。
伊勢さんとそのうち一緒にフライ
フィッシングに行きませんか?と
いう連絡。
大分は福岡と並んでかなり音楽
活動が盛んな土地で、2000年頃
にはアマチュアの活動も盛り上
がっていた。
そうした音楽仲間を通しての
ごくプライベートな誘いだった。
大分の「うたうたい」たちの
特徴はとても爽やかだった事だ。
人柄が。屈託なく、澄んでいた。
あと、とてつもない実力派が
多くて驚いた。ポプコン地方大会
上位入賞者がつきあいのあった
人たちにゴロゴロいた。
音楽スキルはもうほとんどプロ(笑
大阪もそうだったが、ハマリマン
たちは本当にプロはだしだ。
そして大分の人たちは誰もが
「うた」が最高に良かった。
勿論人の曲などは歌わない。
すべてオリジナルだ。
大分の人たちの「うた」には感動
した。本当に心に染みる。私も
かなり影響を受けた。
大阪の人たちは超絶テクの技巧派
が多かったが、大分の人たちは心
でうたい上げる自作曲で表現して
いた。
今世紀初頭はインターネットが
どうにか普及し始めた頃(ブロ
ードバンド出始め)で、まだ
動画サイトなどはこの世に存在
していなかったが、自主製作
CDなどは各人がよく作っていた。
そして全国的にネットを通して
親交を深めていた。
まだ、心腐ったヤカラたちは
世の中で大手を振っておらず、
ネット上でも2ちゃんあたりの
ここはひどいインターネット
ですねのスクツで屯している
程度だった。2ちゃんにしても
「オマエモナー」で済ます大ら
かさがあった。
現在の2ちゃん5ちゃんとは全く
世相が異なっていた。
今世紀初頭あたりまでは、薄汚い
連中は世の中の表には出て来れ
ない時代だったのである。
今は人間の悪意が露骨に表面化
して歯止めが無い世の中になった。
21世紀が始まったあたりまでは
この「夏この頃」の1974年頃から
の延長のような人々の心の平安
が健全に存在していた。
現在のSNSや匿名掲示板中毒の
人々は、人として一番大切なもの
を亡失しているか、最初から保有
していない。持っているのは人と
しての心の貧しさのみだ。
音楽シーンの時代的変遷を振り
返って、ふとそんな事を思った。
この「夏この頃」の歌詞内容は、
別曲「あいつ」(作詞伊勢正三)
との連曲だと思える。
「山で死んだあいつ」は、「僕」
の親友であり、妹がいる「僕」の
家に下宿していたのだろう。
もしかしたら実話がベースかも
知れない。
スリーフィンガーのうちアメリ
カンスタイルのタンタカタカタカ
ではないターンタッカ、タッカ
タッカの独特のリズムは日本人が
作ったのではなかろうか。譜面に
下すと結構複雑な音符となるやつ。
これ、音符からでなくギターから
音とリズムを創り出したのだろう
と思う。大元はアメリカスタイル
だが、それに和風の独特のタメと
こぶしのようなものをサラリと
くどくない音で出す独特のリズム。
しかも、それはかぐや姫と風の
音楽の特徴的なリズムであり、他
のミュージシャンにはあまり見ら
れない。「22才の別れ」などはこの
リズムの代表曲だろう。
私の曲もかぐや姫と風のこの独特
のリズムがベースになっている。
これをフラットピッキングでやる。
ブンチャカ音を出したい時はノー
ピックで。
風「あいつ」はイントロの石川
鷹彦さんの編曲と演奏が秀逸。
もろにマーティンの音だ。
マーティンDラインの一番良い
部分を一番マーティンらしく
引き出している音を奏でる。
石川さん、気さくな人で、うち
らのうたうたい仲間が呼んだら、
気軽に焼き鳥屋の飲み会に顔出し
してくれたりしていた。
石川さんの演奏がまた独特で、
音だけ聴いても石川鷹彦のギター
と判る演奏とアレンジをする。
日本の音楽シーンでは歴史的な
奏者だと感じる。
石川鷹彦さんのギターが、この
澄んだ山と人への慕情をうたい
あげる。
朴訥な正やんのうたいかたも味
がある。
そして、この曲のこのカットは、
弦楽器の素晴らしさを味わえる
構成になっている。アコースティ
ックギターもそうだが、バックの
フィドルの澄んだ音色が遠い雪山
と雪代が渓流に流れ出す春の山の
景色を心に浮かばせる。
そこに素朴な伊勢さんのうた声
が重なる。決して「うた」を前面
に出さずに、流れる音と溶け合う
ように。
この「あいつ」は名曲だと思う。
あいつ