渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

復活

2022年08月13日 | open
 

ルークNo.6。
人につけられた打痕補修リペア
完了で完全復活である。
 
透き通る打球音。
本象牙とブラジリアン・ローズ
ウッドが奏でる澄んだ音。


凹みも全く分からない。
今、ここに完全復活。

 

ビリヤード

2022年08月13日 | open
 
 
ビリヤード。
元々は白人貴族の遊びだった。
屋外でのゲームだったが、そちら
はクリケットやホッケーやゴルフ
として残り、テニスがピンポンに
なったように室内競技化したのが
ビリヤードだ。
室内競技に移ってからも何百年も
ずっとメイスと呼ばれるゴルフク
ラブのような道具で押すように突
いて玉を転がしていた。
台上にゲートを設けてそこを通す。
17世紀に日本に西洋人によってビ
リヤードがもたらされた時もその
形式だっただろう。
その後、ゲートの向こうの土手=
バンクに穴を設けたり、台の中に
穴を設けてそこに落とすゲームも
発生した。
さらにそれから、ゲートが取り払
われてバンクに設けた穴に入れる
ゲームになった。
一方、ゲートも土手穴も無くして
玉と玉を当てるという競技がそこ
から分化した。
 
そして、ビリヤードの長い歴史で
最大の革命的な事が1860年前後に
発生した。
それは、メイスの柄の棒の部分で
玉を撞く事が登場し、メイスの
ヒレ部分を大胆に切り落として棒
だけにした道具が人類史上初めて
登場したのだ。まだただの棒。
しかし、この棒で撞くといろいろ
な方向にメイスよりも正確に玉を
運べる事に気づいた。
1961年の第一回全米大会では、
ポケットテーブルに赤白玉を落と
すゲームだったが、当時の新聞は
「最近はメイスよりもキューのほ
うが人気が出てきた」と書いてい
る。
日本はまだ江戸時代。
だが、現在のビリヤードの原型が
出来たのは案外新しく、日本の
幕末動乱の頃だった。
日本の長崎に残されている絵画で
も、西欧人たちが商館でビリヤー
ドをやっている図では、まだメイス
を使っているのと、キューを使って
いる両方の絵画がある。
また、テーブルもゲート付き土手穴
台、ゲート無しポケット台、穴無し
キャロム台と多種あり、日本の幕末
時代にビリヤードが成立統合され、
穴ありポケットと穴無しキャロムに
分離した事が判る。
 
さらにその後、現在の形になる革新
が起きる。
それはチョークの発明と、それに
続くタップの発明だった。
これはキューがメイスから分離して
からの事。平打ち押しでは滑りどめ
などは必要ない。ゴルフクラブに
チョークなど着けない。
チョークの後に革製タップが考案
されてからは、もうマジックのよう
にビリヤードの歴史3000年の中で
考えられない、想像もつかない変
化球を撞けるようになった。
 
近代ビリヤードの歴史。
意外と浅いのだ。
開始は紀元前だが、現代に続く近代
ビリヤードが今の形になったのは、
日本の歴史でいうなら明治中期以降
なのである。
そして、日本は明治初期から世界
有数のビリヤード王国となってい
た。
技巧派プレーが日本人には合ってい
たのかもしれない。体力勝負ではな
いあたりで。
戦前からアメリカ式ポケット台も
国内には何台かあったが、日本で
はビリヤードといえばキャロムの
事を指した。プールはローテーシ
ョンと呼ばれた。
戦後、進駐軍の影響でポケット台
も増えたが、主軸はキャロムの
四つ玉だった。
これは1961年の映画『ハスラー』
の日本公開で大ブームが来ても、
日本では撞球は四つ玉の事だった。
ポケットビリヤードは台待ちの時
のお遊び、小銭を賭けた本道外れ
た種目、と見做されていた。
これは実はアメリカでもそうだった。
アメリカは戦前、世界に冠たる
キャロム王国だった。
billiard という英単語はキャロム
の事を指す。
そして、英式ポケットをスヌー
カーと呼び、アメリカンポケット
はポケットビリヤードと呼んだ。
プールは隠語でバクチ玉の事も指し
たので、看板にpoolが出てくるの
は、アメリカでもキャロムから
ポケットに人気が移ってからの事
だった。
 
日本でポケットビリヤードがキャ
ロムに代わって逆転主流化したの
は1986年の年末公開の映画『ハス
ラー2』からだった。
空前絶後のビリヤードブームが
到来した。
困った事に待ち時間が4時間とか
当たり前になった。
田舎町の広島県三原市内でさえ、
駅前のビルのホールに数十台設置
のプールホールが登場した位だ。
 
それでも、ブーム中でも、まだ
国内にはキャロム台が多かった。
それがキャロムが絶滅するかの
ように国内どこでもビリヤード
といったらアメリカンプールに
なったのは90年代に入って以降
だった。
面白いもので、プールバーが
廃れた頃に国内ではキャロム
からプールに完全変換が完了し
た。
 
1987年春。空前のポケットブーム
の中、私はポッケメインだった
が、
従前からやっていた四つ玉
もまだ
撞いていた。
今では、キャロムを撞きたいと
思っても、台がある店を探すの
に苦労する。60kmほど走らない
とキャロム台のある店が無い。
 
撞球者たちが集った頃の東京高田
馬場ビッグボックス(1987年春)。
極めて良質なビリヤードホール
だった。ここで見えているのは
すべてキャロム台だ。

『ビリヤード入門』という教則本
から。
奥の四つ玉の台に両手をついて
いるのは私。本当はよくないマ
ナーだが、この時は対戦競技中
ではなく、これはこうする、と
見せ玉での研究会の撞点解説の
瞬間。
マッセをして見せているのは職場
の同僚。

ジブリパーク

2022年08月13日 | open



11月オープン。
これは行きたい。